正徳3年10月21日。評定所へ飛騨守(渡辺定綱)が現れるのを待って知多郡乙川村の百姓目安(訴え)が上げる。評定所でこれ取り上げる。これは乙川村の後家の争いごとで去年5月からのことであった。御国奉行が扱いかねており、これを詮議すれば西尾三郎右と五味弾右との争いが知れ渡ってしまい、散々なことになってしまうようなことであった。渡辺新左もこの争いごとではよからぬことがあった。大ごとになってはと御代官も手を尽くしていたが、今度取り上げられたのはと気の毒がった。今夜、大隅守様(徳川継友)足軽頭福田分平次が自殺する。これは弥五左衛門の二男であった。一昨日夜の酒宴の際、御目付衆に目出度ので酒を頂いて下されと文…