A.それもトレーニングの役割のひとつだと思います。でも、義務教育のようなものです。 プロや一流というのは、基礎教育だけの結果ではないし、同じ基礎と言っても求められるレベルが違うのです。トレーニングにもいろいろあるということです。
A.私は、単にうまくなるためでなく、トレーニングなしに到達しえない高みに立つためのものだと思います。そこからみると、早くとか安くとか簡単にとか効率を狙うものは、本当のトレーニングとはいえません。
思うように表現できないということは、 自分の今の力よりも思うようにのレベルが高いということです。 これは思うように表現できてしまうと、そこから伸びないということになります。 それが究極のレベルであればよいのですが、多くの場合は、思うようにのレベルが そこから見ると低いということになります。 つまり、常に思うようにのレベル、イメージする力を向上させ続けることが重要なのです。 それは、到達できないジレンマとの闘いともなりますが、少なくとも、その間、力はついていくのです。
リズム読みは息を流した上にという確認重要でした やってみています。まだ 体を使ってリズム読みしている という感覚100には8割がた到達している感です
A. 確かにプロ歌手になるためのトレーニングというのはありえると思います。 教材や本のレッスンなどでもそのようなことが謳われていると思います。 ただ本人が、どこに行こうとしているかわからないのに到達することは難しいと思います。どこというのは、プロ歌手になるということでなく、何をなすのかがプロ歌手かということです。
今は音響がいろいろと助けてくれるから身体から声を出すことが少なくなっています。発声そのものの鍛錬をやっていないと普通は、高いレベルにまでは、到達できません。
トレーナーは、評価においては、習っている人よりも上のレベルをイメージすることができるからです。それは、トレーナー自身も到達できなかったところかもしれません。 本来、先人のレベルを超えることが伝統を伝えることです。指導の本当の意味はそこにあります。 なのに、日本の場合、先生が自分の感覚ややり方で、有能な人の才能の開花を潰すことが多いのです。自分の到達点以上の目標設定とそれに至るプロセスを示すのが、役割と思うのです。
最低でも、基礎には10年のキャリアと、私は思っています。 人間は、たかだか何十年しか生きないわけですが、10年を目一杯、あることにかけてみても、そんなに長いわけではありません。むしろ目標や目的を絞り込めないままに、あっという間に10年が経ってしまうからです。 そのために、メンターや指導者が必要となるわけです。 つまり、誰もが到達できる、最初の3年の後の、3年、さらに3年、ということです。
A. 視覚の方が聴覚よりも得られる情報が多いといわれていますが、それは、視覚に頼るからで、聴覚を使いなれていないとも思われます。聴覚は全方向で暗闇でも捉えられます。刺激に対する反応速度については、音のほうが視覚の2倍以上速いのです。脳への到達速度は、10ミリ秒(ms)といわれます。