江戸幕府の中枢、現在の皇居。 築城の名手、太田道灌によって築かれ、家康の関東入国後に徳川氏の居城となる。 徳川氏が天下人となったことで、威信を示すとともに政庁としての機能も果たすために大改築が行われた。
本丸の天守閣は明暦の大火によって焼失して再建されず。本丸自体は文久3年に焼失した状態で明治維新を迎えている。
東京を旅するなら、どこへ行きますか? 東京都の人気観光名所をめぐる旅のルートをご紹介します。 ルート 東京都 皇居周辺 ~ 浅草周辺めぐり ① 皇居周辺・江戸城跡(2時間30分) → ② 浅草周辺・浅草寺(2時間) カッコの時間は移動を含む滞在時間の目安です。 本投稿内では時間の目安を表記しています。交通機関の乗り継ぎ、現地や道路の混み具合、歩行速度などにより誤差があります。 ① 江戸城跡(大手門・天守台・二重橋) 江戸城 大手門 江戸城には大手門の他に平川門・北桔橋門があります。大手門は大名が登城する際に正門として徳川時代に使用されていました。現在は東京駅から向かうと正面に位置するメインゲー…
最近So2の創作関連の書き散らしばっかりで、自分でも「なんじゃこりゃ?」状態だったので、今日は真面目に。 とうらぶにも戻ってきましたよー。 はい、舞台刀剣乱舞「虚伝・燃ゆる本能寺」を元にしたアニメ、刀剣乱舞・廻の新キャラ……と言いますか、歴史上の人物のビジュアルとCVの発表がありましたね / 『#刀剣乱舞廻 -#虚伝燃ゆる本能寺-』 追加キャラクター情報!\#こんのすけ#森蘭丸(CV. #井上雄貴)#明智光秀(CV. #岩崎征実)▼その他登場キャラクターはこちらhttps://t.co/GpguDrWt4Jどのような物語が展開されていくか4/2(火)23:00からの放送をお楽しみに!#刀剣乱舞…
こんにちは、くましね薫です。 前回までは、東京の結界が13年前に破壊されていることと、その結界になぜ平将門公の靈力が使われているのかを考察してきました。 kumashine369.hatenablog.com kumashine369.hatenablog.com そして今回は、皇居の鬼門の先にある土地について考察していきます。 前々回で明らかにしましたが、皇居の鬼門の行き着く先は↓ここです。 そうです。13年前に大事故を起こした場所です。 この施設に対しては深掘りはしませんが、ではこの土地は元々誰の領地だったのでしょうか? それは、今から700年前に「相馬氏」が統治した領地です。 ja.wi…
さて、江戸城散策の続き。 前回までで歩いた行程は以下の赤矢印の通り。 すでにけっこう歩いてますね~(^^;)皇居東御苑は朝の9時から拝観受付開始。 皇宮警察の婦警さんの手荷物チェックを経て中に入ることができます。 入ってすぐのあたりではなにやら工事が進んでますね。 皇室ゆかりの宝物を収蔵する三の丸尚蔵館の改築工事が2019年から実施されており、新館が去年オープンして宝物展示が再開されました。 現在は旧館が取り壊され、その跡地に2号館が建造中、オープンは2026年になるとのこと。 城内散策後に時間があったら入館してみようかな♪ で、その工事現場の先には同心番所、続いて百人番所の細長い建物。 番所…
歴史を彩る試練と再建の物語 Wikipediaより 皆さん、こんにちは! 今回は江戸城に関する雑学をご紹介します! 江戸城は日本の歴史において、数々の試練を経験し、その度に立ち上がってきた建造物です。 特に火災は、その歴史の中で何度も城を襲い、再建を迫りました。 その試練と再建の物語を振り返りましょう。 明暦の大火と江戸城 1657年、江戸は壊滅的な大火に見舞われました。 この「明暦の大火」は、当時の江戸の中心部を襲い、多くの建造物が焼失しました。 その中には江戸城も含まれており、一部が炎上しました。 しかし、江戸城はすぐに再建され、その堅固な構造とともに再び立ち上がりました。 明治の大火と江…
2月28日にお江戸に行く用事ができました。 3月1日は母の通院サポートなので、その間のうるう日・2月29日にも休みをとってお江戸で一泊しちゃおう♪ どこに行くのかというと、ズバリ江戸城(皇居)。 現存12三重櫓のひとつが江戸城にあります。 こんな機会がないと東京に旅行に行くことなんてまずないので、行けるときに行って12の三重櫓コンプリートを目指そう☆前日ギリギリまで日勤でお仕事して、28日はいつもの出勤時間同様に早起きして、新幹線で東京へ。 前に東京に行ったのはもう4年も前のこと。 東京に到着して、総武線で2つ目の駅・馬喰町で所用を済ませて夕暮れ時。 そう遠くない秋葉原駅前でドミトリー形式のお…
2月*日江戸城跡へ行く 職場が皇居の近くだったので仕事の後に時々皇居の周りを走ったりしていた。 (やんごとなき人のお帰りの時間にたまたま重なってタオルやペットボトルを置いていたエリアに入れなくなったことがある) しかし(ほぼ)同じ場所に江戸城の跡がまだあるということを私はかなり最近まで知らなかったのだ いまの「皇居」の場所に江戸城が建っていたのだと思っていたし 皇居のお堀に当時の石垣が残っているのでそのことを指しているのだと思っていたのだけれどどうも他にも、城っぽいものが見られるらしいと知って やっとやってきた、皇居東御苑。 見えてはいたのに 「東御苑」ってどこにあるんだろう?と長年思っていた…
国宝 『松林図屏風』 長谷川等伯 とうとう、観てきた!!!! 東京国立博物館。 長年の夢だった、『松林図屏風』に直接、会ってきた!って、もちろん、ガラスケース越しだけど・・・。 長谷川等伯による、安土桃山時代 16世紀の作品、国宝。2023年に東京国立博物館で行われた国宝展では、チケットを入手することができず、泣く泣く、次の機会を待っていた。 今回は、特別展ではない。常設展としての、本館2階の国宝 展示室での展示。「博物館に初もうで」という企画の中で、等伯の本作品が展示された。期間は、2024年1月2日から14日の予定だったのが、1月11日のニュース発表では2週間延期されて、1月28日までの展…
2024.01.08(月)成人の日 「芝口御門跡」(東京都中央区銀座八-八・九・十付近) 十五年で消えてしまった城門。 芝口橋(新橋)から芝口御門跡を見る。左手のビルは「銀座博品館」。その前一帯が門の枡形であったと推測。上を走るのは「東京高速道路」。橋の下を流れていた汐留川は埋め立てられています。 芝口御門の碑。二重の隅櫓を伴う、立派な門だったようです。 芝口御門跡 所在地 中央区銀座八-八・九・十付近 ここの南方、高速道路の下には、もと汐留川が流れ、中央通り(旧東海道)には、昭和三十九年まで新橋が架かっていました。 宝永七年(1710)、朝鮮の聘使(へいし)の来朝に備えて、新井白石の建策にも…
フランス人と結婚した人の話として「昼休みが2時間、有給は2か月バカンスの国の国民はいいね」と配偶者に言ったら「我々はその権利を勝ち取るために不断の努力をして来た。ただ口を開けてお上が施しをくれるのを待っている国民には言われたくないね」と返されたらしい。権利は勝ち取るもの・・・・ 上記の記事をみてドキっとしました さすがフランス革命の国ですね さて、日本では一揆などはあったものの、フランス革命ほどのことは経験しませんでした。江戸城も無血だったし・・・ 弾圧されていたキリシタンもひたすら、信仰が自由になる日がくると信じて待っていたし・・ しかし、ただ待てば誰かがくれるというものでもないことを我が国…
このゴールデンウィーク中、ワタシの唯一のお休みが偶然にも5月3日。ということで、朗峰会館の駐車場で行われた「いのりの日チャリティー&フリマ」に行ってきました。 朗峰会館は、五重塔から馬込方面へ向かう坂を下った場所。 朗峰会館の1階にある「人形町今半」の奥には、西郷隆盛と勝海舟が江戸城無血開城の会見をしたと言われる松濤園も。今年の一般公開は5月4日から7日まで(入場無料) その向かいの広い駐車場には、フリマと出店屋台がたくさん。多勢の人で賑わっていました。 「お坊さん なりきり体験」も。 バインミーのお店「サルキッチン」にも行列が出来ていました。 Saru’s kitchen ベトナム惣菜のお店…
もやけた五月晴れ!11.4℃~24.2℃、35%。17100歩。夕方南風やや強し。 都の新型コロナ定点把握:17週の1医療機関当たりの平均感染者数は2.39人(-0.89)とまた減少♪インフルエンザは終息した模様だが、街にはまだ咳者が多い? 連休後半始まる: 遠くに行くのもインバウンドと重なって疲れそーですから、近場で過ごす。都心で緑の多い場所と言ったら、何といっても皇居ですよね。そいで今回の銭湯の旅は皇居に設定したら、約6名が集まったです。 東京駅丸の内北口に集合し、まずはオアゾにて腹ごしらえ。かこいやという個室レストランで和定食を食す。旨し!オアゾの1Fには、ピカソの「ゲルニカ」の原寸大陶…
四谷御門外の場 見どころ 牛込寺門前藤岡内の場 見どころ 中仙道熊谷駅の場 見どころ 伝馬町牢内~牢内言い渡し 見どころ 実際の事件 牢名主のセリフにこもった黙阿弥の思い 河竹黙阿弥の白浪(泥棒)モノです。 安政の時代(幕末)に実際にあったご金蔵破りを元に明治時代に作られました。 作者は河竹黙阿弥。実は事件があったときにすぐに話を書いたのですが、そのころは政府のご金蔵を狙った話というのはお上をはばかって作れませんでしたので、実際に書かれたのは「十六夜清心」でした。 ところが明治時代になると史実通り書くことが奨励されましたし、江戸幕府に遠慮する必要もなくなったので、この実録風「四千両小判梅葉」が…
先日、東京・四谷を散歩してきました。 東京のど真ん中でビジネスマンや学生で賑やかなエリアですが、亡き父が生まれ育った所でもあり一度訪ねてみたかった場所です。 東京の中心に来たって感じます。 JR四ツ谷駅 駅名には「ツ」が付くんですね。 四谷見附橋 四谷見附交差点 新宿通りと外堀通りが交わる交差点 見附とは江戸城を守る見張り台のことだそうです。 その名残りですね。 まずは、東京のたい焼き御三家の一つ「わかば」へ ちなみに御三家の残り二つは人形町「柳屋」と麻布十番「浪花家」だそうです。 昭和28年創業の老舗です。 店内でも食べれます。 出来たての熱々のたい焼きを店内で頂きました。 続いて向かったの…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 江戸の町中は、子供が大声を出して走り回り、遊んで笑い声が絶えなかった。 ・ ・ ・ 庶民は、日々の生活の中で、仕事の合間で、家族や仲間同士での物見遊山を楽しんでいた。 「宵越しの金は持たぬ」と「金は天下の回りもの」、それが庶民の生活スタイルであった。 江戸時代は、富の再配分が絶えず行われ、貧富の格差は固定されず社会問題化する事は少なかった。 ・ ・ ・ キリスト教が説く「迷える子羊」やマルクス主義・共産主義が主張する「人民」は、江戸時代の日本にはいなかった。 ・ ・ ・ 徳川幕府は…