・自己意識に言葉と論理を持ち込んで概念化することは、知性の守備範囲を超えている。心の世界は「こうなるはずだ」という経験則の及ばない領域。いかなる答えも必要ない。心について答えを出そうとすると、主観的虚構性の世界をつくりだすばかり ・自己意識に「無」という言葉を持ち込んでもそれは脱線。禅で「すべては不生で整う」というように、驚いても不安になってもそのままで全く問題ない。ただただそのまま暮らしをやる。自分の心を言葉で表現する前の状態で身の回りのことに取り組んでいる状態が一番確かである ・心理学などで心を説明するのは、他人が客観的にこちらの心の中を取り扱っているから学問として成立する。他人のためにや…