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勝手に視やがれ!!テマティック批評計画

2017-03-17 新東宝ベストワン『裸女と殺人迷路』

[]『裸女と殺人迷路』(小野田嘉幹、1959)

 

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以下ネタバレ全開)

『裸女と殺人迷路』は、女の殺しを命じる丹波哲郎のアップから始まる。

「ウスノロ」御木本伸介に射殺させた(半)裸女の死体を丹波哲郎が川に蹴り落とすと、音楽が流れ出し「裸女と殺人迷路」という煽情的なタイトルが浮かび上がるオープニングがまずいい。

丹波哲郎は「カスバ」と呼ばれる城北新地ネオン街を根城にするギャングで、仲間には「ウスノロ」御木本伸介の他に、バーのマスター沢井三郎がいるが、そのお色気マダム若杉嘉津子をめぐって、御木本伸介と沢井三郎とは泥沼の三角関係にある。

そこへ15年の刑期を終えた昔の強盗仲間の清水将夫が「下着喫茶」で若手刑事・舟橋元の尾行をまいてカスバに現れると、さっそく野球場売上金強奪計画を提案し、新メンバーに刑務所生まれで殺しの前科のある和田桂之助*1を推薦する。

前科を隠してストリップ小屋で働きながら、「ストリップダンサー」三ツ矢歌子と恋仲になっているトランペッター見習いの和田桂之助を見て、清水将夫はいったん勧誘をあきらめる。しかし、丹波哲郎が和田桂之助の前科を職場に密告して強引に仲間入りさせると、清水将夫も和田桂之助を球場警備員として潜入させ、襲撃計画を完成させる。

決行直前、ストリップを辞めた三ツ矢歌子は和田桂之助のアパートを突き止めると一緒に田舎で暮らそうと誘う。

一方、若杉嘉津子と御木本伸介との関係に逆上した沢井三郎は、警察へ密告しようとするところを清水将夫に押えられ、丹波哲郎らにリンチで撲殺される。

清水将夫は和田桂之助のアパートで帰郷準備をする三ツ矢歌子に和田桂之助の女関係を讒言して、三ツ矢歌子がひとりだけで帰郷するよう仕向ける。

球場襲撃は翌日あらためて決行するのだが、この球場通路での現金強奪場面の鮮やかなまでのあっけなさ、囮の逃走によるカーチェイスや、現金運び出しの伏線どおりの手際よさには、いかにも「B級職人」ならでは腕の良さと心意気があふれている。

死後投函の沢井三郎による密告状で、警察は4人を緊急手配、4人はカスバの保育園の倉庫に現金とともに閉じこもり身動きが取れない。

このシークエンスでは保育園オルガンと鐘の音が音響効果として4人の閉塞感を増幅していくが、とりわけ鐘の音が鳴るタイミングが絶妙きわまりない。

台風が接近し、強風が吹き荒れるなか、御木本伸介がマダムの若杉嘉津子を恋しいあまり倉庫から飛び出し、彼女のバーに向かい、結局は若杉嘉津子に抱かれたまま「夫の仇」として彼女に刺殺されてしまう。

囮捜査のため若手刑事・舟橋元にカスバに呼ばれた三ツ矢歌子は、和田桂之助に渡したお守りから隠れ家の場所に気づくと、とつぜん鳴り出した保育園の鐘の音に気をとられた若手刑事・舟橋元の尾行を振り切る。

鐘の音は、御木本伸介と丹波哲郎清水将夫とが争って飛び出した勢いで鳴り出したものが、若手刑事・舟橋元の駆けつけたときには、強風のせいで無人で揺れて続け、金属音を発している。

三ツ矢歌子は舟橋元の尾行をまくと、強風を横切り、一直線に倉庫を目指して進んでいく。

この無表情のまま早足で歩く姿の三ツ矢歌子のショットは、まるで鈴木清順映画の野川由美子のような無機質と情熱とが拮抗する美しさを帯びていて、見る者を一瞬うろたえさせる。

もはやB級職人の技巧の枠に納まりきらない画面展開に息を飲むと、次は倉庫の中のショットになり、丹波哲郎清水将夫が御木本伸介を追って出たあと、和田桂之助ひとりが内部に残されている。

そのドアが突然開くと外はいつの間にか大雨になっていて、ずぶ濡れになった三ツ矢歌子が現れ、さっきまでの無機質な冷たい表情とは打って変わった濡れた視線で和田桂之助を見つめるのだ。

信じられない突然の降雨による時間の圧縮と劇的展開。いや、これは三ツ矢歌子の和田桂之助との再会への執念が呼び寄せた、時空を超越した雨なのだ。

その水滴は、ショットとショットの隙間に潜む非持続的、無時間的な空間を垂直に貫いて三ツ矢の全身をずぶ濡れにしたに違いないのだ。

突然のドアの開閉と大雨と視線の三重の不意撃ちが、B級犯罪メロドラマを逸脱した映画的強度をここでの画面に与えている。

その突然の強度にたじろいだかのように、和田桂之助は一緒に逃げようとすがる三ツ矢歌子を警察に雇われた囮と罵り追い返してしまう。

和田桂之助はすぐに三ツ矢歌子を追いかけ直すが、彼女の姿はもう見えない。

和田桂之助と三ツ矢歌子が出て行って無人になった倉庫に、丹波哲郎清水将夫が戻ってくる。今度は、強盗の主犯格ふたりが金と主導権をめぐって殴りあいになる。

争いの最中に和田桂之助が戻ってきて清水将夫に加勢するが、拳銃をもった丹波哲郎が現金入りのトランクを抱えて倉庫を飛び出し、警察との台風の中の銃撃戦の末、射殺される。

そこで開いたトランクの中身は、清水将夫があらかじめ札束とすり替えていた新聞紙の束しか入ってない。

倉庫に残った清水将夫は和田桂之助とふたりで金を山分けしようとするが、三ツ矢歌子を追いかける決意をした和田桂之助は清水将夫に別れを告げ、金を持たずにひとり外へ飛び出す。

和田桂之助は威嚇射撃で負傷しながら、ダンサー仲間の万里昌代に三ツ矢歌子が東京駅にいることを聞き出すと、線路沿いに血まみれの逃走劇を続ける。

和田桂之助の逃走をラジオのニュースで聞いた三ツ矢歌子は、恋人との再会を求めて東京駅から線路を逆走する。

傷心のふたりが線路上で抱き合ったところで、警察につかまり保護される。

負傷した和田桂之助の生命は助かり、刑期は2年程度で済むと、三ツ矢歌子に若手刑事・舟橋元が告げる。

ひとり現金を抱えた清水将夫は、カスバをうまく脱出するのだが、若い恋人たち二人の様子が気になって、逃げるに逃げられない。

見物人に混ざって二人の無事を遠くから確認した清水将夫はようやく立ち去ろうとするが、最初に「下着喫茶」で尾行をまかれた若手刑事・舟橋元に気づかれると、無言のまま手錠をかけられる。

救急車の中で横たわる和田桂之助と三ツ矢の表情には安堵が満ちたところで、エンドマーク。

日本映画史上画期的な銃撃戦と三原葉子の妖艶舞踊が印象的な『女奴隷船』(1960)において、説話論的効率性という点でやや大味だった小野田嘉幹の演出は、B級犯罪活劇である本作ではほぼ完璧に近い。

アイスクリーム工場のドライアイスや「キチガイ」の元トラック運転手の不意の出現などの細部が、伏線として実にムダなく機能している。また野球場でのオーバーラップつなぎは、映画学校での時間経過表現の例として最高の教材になるだろう。

黒沢治安デザインのカスバ街のセットは、超低予算のベニヤ板ボール紙(?)の安普請ながらも、2階建てが基本のつくりで、警察のガサ入れなどのスペクタクルは、2階の窓からの視線による俯瞰ショットで捉えている。

清水将夫の居候部屋、和田桂之助のアパートはともに2階で出窓があって、それらが画面内に視線の高低差を導入している。

たとえば泥酔した和田桂之助が清水将夫の部屋を訪ねる場面、窓際に座った清水に和田は前科を支配人に密告されたことを嘆き訴えると、次のショットでは下の路地から清水を見上げる丹波哲郎視線俯瞰で捉えていて、密告犯の正体を無言で示している。

清水はすぐに駆け下りて丹波に詰め寄るが、丹波はもちろん詰問をはぐらかし、前科者としての和田を推薦したのは清水ではないかと切り返す。

このように丹波・清水・和田との対立の構図には最初から視線の高低差が関与している。

この視線の高低差は立った者と座った者、横たわった者とのあいだの微妙なヴァリエーションに分岐していき、それは若杉と御木本との間では、犯す者と犯される者、刺す者と刺される者との残酷なヒエラルキーへと到達する。

また保育園の倉庫での人の出入り・すれ違うタイミングと鐘の音響効果の見事さは、まるでエルンスト・ルビッチフリッツ・ラングをあわせたかのような絶妙な緊迫感にあふれている。

鐘の音の使用法だが、最初はオルガンや園児の声とともに、倉庫の外部の背景音の一部として使われる。次に倉庫内部で4人の対立が激化して爆発寸前というタイミングで鐘の連打が画面に介入して、全員の目線と動作とをストップモーションさせる句読点=音記号として文法的に作用する。3回目の鐘の響きは音記号としてさらに重層的に作用している。それはまず御木本・丹波・清水の倉庫からの飛び出し(和田のみ倉庫に残留)を表現するだけでなく、三ツ矢を若手刑事・舟橋元の尾行から振り切って和田と再会させるのだから、説話論的な変換項としても重要な働きをしていることになる。

それはまた、強風のなかひとりで勝手に揺れる物質イマージュ、視覚記号としても独立した価値をもち、この3番目の鐘はいわば非人称の音記号の発信源としての姿を画面に露呈させ、あの突然の大雨の前奏ないし「暗き先触れ」(ドゥルーズ)として強風のなか揺れているのだ。

そうしてあの突然の大雨になる。

いつ降り始めていつ降りやんだかもわからない、時空を超越した雨。

いや、あのドアが開いたとたんに出現する雨とずぶ濡れの三ツ矢歌子の濡れた視線は、時空から超越したというよりもむしろ逸脱したイマージュというべきものだろう。

その映画的強度に比べれば、視線の高低差による演出の工夫や効率的な説話展開、画面展開も、たいしたことではなく思えてくるぐらい、それは怖ろしい。

最後の清水の逮捕劇についても触れておこう。

これは尾行に失敗し続けた若手刑事・舟橋元が、最後にようやく失敗分を回復して、説話論的な均衡状態を回復したというだけのことで、警察びいきの道徳訓・勧善懲悪イデオロギーとはまったく無縁のものだろう。

手錠をかけられるときの清水の諦念とはまったく無縁な凶暴な表情が、この逮捕劇が尾行・逃亡の成功/失敗という主題系と説話系の均衡に関する、いわばシステマティックな帳尻合わせにすぎないことを告げている。

キワモノ企画と早撮りと低予算が強調されがちな新東宝だが、撮影所としての水準は驚くほど高い。石井輝男中川信夫も、新東宝時代の作品が最も充実しているし、小野田嘉幹にしても新東宝だからこそ、この『裸女と殺人迷路』のようなB級犯罪メロドラマでありつつそれを超越した傑作が撮れたのではないだろうか。

新東宝畏るべし、である。

 

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異端の映画史 新東宝の世界 (映画秘宝COLLECTION)

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新東宝は“映画の宝庫”だった

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差異と反復〈上〉 (河出文庫)

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差異と反復〈下〉 (河出文庫)

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*1:和田孝の旧芸名

2017-03-10 「3・10」東京大空襲を反復/変奏する『喜劇 男の子守唄』

[]『喜劇 男の子守唄』(前田陽一、1972)

仮装と宙吊り、この2つが前田陽一作品に一貫して見られる主題系である。

仮装の主題は『七つの顔の女』(1969)の岩下志麻の華麗な変装をはじめとして、『喜劇 右向け左!』(1970)の自衛隊体験入隊、『喜劇 命のお値段』(1971)のニセ医者、『喜劇 昨日の敵は今日も敵』(1971)の精神病患者による政治テロリスト、『喜劇 家族同盟』(1983)のニセ家族、等々、枚挙のいとまがない。

前田陽一が好んで題材にする犯罪コメディにおいて、仮装・変装による身分の偽装工作は、犯罪者にとって欠かすことのできない行動様式である。

宙吊りの主題はどうだろう。

仮装という身振りそのものが、自分自身のアイデンティティーを宙吊りにするものであることは、ここではおいておこう。

売春防止法と赤線との関係を描いた『にっぽんぱらだいす』(1964)が、『赤線地帯』(溝口健二、1956)と最も違うところは、『にっぽんぱらだいす』が売春防止法施行後の、赤線が完全に閉店するまでの3年間の転業期間という「宙吊り」の期間をその中心に据えているところだろう。

急死した父・加東大介の跡を継いで、赤線トルコ風呂へと転業しようと画策する、にわか経営者の長門裕之は、仮装と宙吊りという主題を「赤線地帯」に持ち込んでいるのだ。

宙吊りの主題は『ちんころ海女っこ』(1965)の「御赦免花」の開花に対する浜村純と中村晃子の狂喜ぶりからも読みとることができるだろう。

江戸時代の流刑囚の子孫とされる浜村純と中村晃子は、数十年に一度しか咲かないという恩赦の徴しである御赦免花が咲くのを見て、初めてその宙吊り状態から解放される。「御赦免花」の開花に対するふたりの狂喜乱舞から、その宙吊り感の底深さを、逆に読み取ることができるのだ。

宙吊りの主題は、具体的な身振りとしても、登場人物の上に現れる。

『七つの顔の女』の有島一郎は、監獄内の煙突に登ると、ヘリコプターに宙吊りにされてあっさりと脱獄する。かと思えば、仲間を裏切って金庫破りを無断で決行し、逆に金庫の中に閉じ込められてしまう。

金庫の中で身動きのできないまま、仲間の救出を待ち続ける有島一郎の姿勢・状態もまた「宙吊り」と呼ぶべきものだろう(金庫からの救出場面で、有島一郎は再びロープで宙吊りにされる)。

『濡れた逢い引き』(1967)の郵便局長・谷幹一は、「情死」した田辺昭知加賀まりこのどちらの葬列にも着いていけず、その態度を宙吊りにしたままエンドマークを迎える。

前田陽一においてはしかし、宙吊りとは、どっちつかずの中途半端な状態ではない。それは、前田陽一が愛用した下ネタジョーク「金冷法」のように、極端な寒さと熱さとのあいだを行き来することで睾丸の機能を鍛える、二極間の過激な往復運動でもあるのだ。*1

中原弓彦小林信彦)と共同脚本の『進め!ジャガーズ 敵前上陸』(1968)では、雪山のスキー場での暗殺劇から、硫黄島での銃撃戦、内田朝雄の『気狂いピエロ』(ジャン=リュック・ゴダール、1965)ばりの自爆から『硫黄島の砂』(アラン・ドワン、1949)の擂鉢山「国旗」掲揚場面にパンでつないだ挙句、最後は三遊亭円楽の「星の王子様」でまとめるのだから、まさに全編「金冷法」的ギャグのオンパレードというべきだろう。

こうした仮装と宙吊りという前田陽一主題系が、怒号とビンタと炎という、前田の師である渋谷実主題系と奇跡的に交錯したのが、傑作『喜劇 男の子守唄』である。

バスの窓から東京のビル街を捉えた映像に「今日、3月10日は東京大空襲の日だ」というフランキー堺のセリフが重なり、バスの後部座席にチンドン屋の仮装をしたフランキーと男の子の姿が映る冒頭の場面から、高度成長した戦後の東京の風景に対する激しい異化の意志が伺われる。

フランキーは、焼け跡育ちの戦争孤児で、男の子は、フランキーの面倒を見てくれたパンパン「ラクチョウのお竜」の遺児・太郎で、フランキーが養子として育てている。戦争か大地震が起これば、もう一度焼け跡時代が来るというのが口癖のフランキーは、昼はチンドン屋、夜は貸し衣装の和服姿の中年ホストで日銭を稼ぐ、その日暮らしの生活で、時代遅れの焼け跡派の生き残りとして、まさに仮装と宙吊りの主題を体現する存在である。

フランキーのボロアパートの窓の真向かいのアパートに、倍賞美津子演じる「三流ホステス」が住んでいて、太郎は彼女になついているが、真向かい同士のフランキーと倍賞は、もちろんお定まりの犬猿の仲だ。(フランキーは倍賞の着替えを覗こうとして、窓と窓の間に宙吊りになって転落する)。

そんなフランキーに「ラクチョウのお竜」の昔のパンパン仲間で、今は金貸しとして成功しているミヤコ蝶々が訪ねてきて、太郎を養子にほしいと言われる。

フランキーは、この養子の申し込みを断るために、馴染みの婦警・生田悦子に母親役を頼むが、彼女は急用で来れなくなり、仕方なく倍賞美津子に、母親兼内妻役を急遽演じてもらうことになる。(仮装の主題)。

「三流ホステス」扱いにカチンときた倍賞美津子は、ミヤコ蝶々を成金の「クソババア」呼ばわりして、女のバトルがヒートアップしかけたところへ「もうひとりのかあちゃん」生田悦子が現れ、どっちが本妻でどっちが2号か、フランキーは大慌て。2号呼ばわりされた倍賞美津子は怒って隣の窓へ飛び移り、自分の部屋に帰ってしまう。

太郎の養子の件は、ミヤコ蝶々が1億円の債権のかたに差し押さえスーパーマーケットの権利を、フランキーと焼け跡仲間連中が、300万円の頭金で手に入れるための「担保物件」として、あらためて商談成立となり、フランキーは、かって焼け跡の「青空マーケット」があった場所のスーパーマーケットの新社長に就任が決まるが、倍賞美津子は子供を売ってスーパーを買ったのかと、フランキーにビンタを食らわす。

その社長就任式の日、太郎がミヤコ蝶々の家から失踪してしまう。

どうやら倍賞美津子と一緒にいるらしい。フランキーは有線放送で流れる3人の愛唱歌『星の流れに』のリクエスト元から、ふたりの居所を突き止める。そこへミヤコ蝶々、生田悦子も駆けつけるが、酔っ払った倍賞美津子が、生田悦子を「メスポリ」、ミヤコ蝶々を「人買いババア」と呼びつけると、ミヤコ蝶々も負けじと、倍賞にドテッパラに穴開けて新幹線通すぞ、と威勢のいい啖呵を返しているところへ、スーパーマーケットが火事だという知らせが来る。

1億円の債権のかたに、スーパーを取られた元店主の森川信が酔って点けた炎が、店全体に広がっている。その炎を、フランキーに、ミッキー安川田端義夫太宰久雄ら、焼け跡仲間が見守っている様子は、空にB29が飛んでいないだけで、かっての東京大空襲の再現である。

戦争孤児をめぐる、ビンタと罵声の応酬から失火による炎。

これはまさに前田陽一の師・渋谷実の大傑作『やっさもっさ』(1953)の20年後の反復/変奏である。この「青空マーケット」の炎は、『やっさもっさ』で炎上した日米混血児収容施設「双葉園」新館の炎と共に、東京大空襲の炎を映画的に反復しているのだ。*2

全焼したスーパーマーケットの焼け跡で開かれる、焚き火を囲んでの焼け跡仲間による、当時の服装に戻っての宴会場面では、前田陽一的な仮装と宙吊りと渋谷実的な炎の主題系との見事な融合が見られて、それだけでも感動的だが、そこに黄色いスカーフのパンパン姿の倍賞美津子と浮浪児姿の太郎が現れることで、その感動は渋谷実をも超えて、マキノ雅弘(正博)へとつながっていくのだ。

焼け跡の回想場面で、戦争孤児だったフランキー堺を、「ラクチョウのお竜」の遺児・太郎が一人二役で演じ、黄色いスカーフのパンパン「ラクチョウのお竜」を倍賞美津子一人二役で演じていたのだが、最後の焼け跡場面に来て、このマキノ的一人二役の「そっくり」と、前田陽一的仮装との融合がもたらす感動を、どう表現したらいいのだろうか。

しかも、ここで歌われる『星の流れに』は、マキノ正博版『肉体の門』(1948)のヒロイン轟夕起子が奔放に歌い踊っていた曲でもあるのだ。*3

前田陽一は『喜劇 男の子守唄』において、自らの仮装の主題系に、渋谷実の「炎」、マキノ雅弘の「一人二役」をミックスすることによって、戦後社会の風景そのものを宙吊りにしてしまったのだ。

仮装による宙吊りに、渋谷実のビンタと罵声と炎、そしてマキノの一人二役による「そっくり」とのアナーキーな結合。ここには、前田陽一による戦後映画の主題論的な総決算というべきものがある。

『喜劇 男の子守唄』は、渋谷実『やっさもっさ』と共に、速やかなDVD、Blu−rayの発売を松竹に希望したい。

(2011年1月1日初出)

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*1:「金冷法」は前田陽一が脚本に参加した『甘い夜の果て』(吉田喜重、1961)でもセリフに使われている。このセリフを吉田喜重が書いたとは考えにくい。

*2渋谷実『やっさもっさ』の凄さは、『ゴジラ』(本多猪四郎、1954)の大火災を凌ぐその白い炎が、東京大空襲の炎を通時的に反復しているだけではなく、さらに朝鮮半島での戦火の炎を共時的に反映しているところだろう。倉田マユミが熱演するパンパン「バズーカお時」は、父親不明のまま産んだ混血児トムを、朝鮮で全身火傷を負って死亡した黒人兵シモンとの子供として引き取り育てることで、渋谷実ならではの反日本的な「気違い母性」を体現している。また後年のイビリ役のイメージからはとても考えにくいが、保母役の山岡久乃が、園長・淡島千景よりも園児養育に強い情熱を注ぎ、不良外人バイヤー相手のサイドビジネスに熱中する淡島園長に、ギリギリのローキーの闇の中で対峙して、園児へのより真剣な愛情を純真な眼差しで訴える『やっさもっさ』は、戦後「松竹フェミニズム」の最高傑作といえるだろう。(なお戦前「松竹フェミニズム」の最高傑作は『暁の合唱』(清水宏、1941)であり、共に脚本=脚色は斎藤良輔である。)

*3:戦後の青空マーケットの回想場面は、鈴木清順版『肉体の門』(1964)を連想させる。また『肉体の門』のパンパンたちの縄張りは、有楽町(ラクチョウ)のガード下である。なお轟夕起子が歌った『星の流れ』は、『男の子守唄』で菊池章子本人が歌ったオリジナル曲とは歌詞が相当変えられていたと思う。http://www.youtube.com/watch?v=Xa0Jl71N7aghttp://www.youtube.com/watch?v=bzCHVuaKcTk

2017-02-26 監督 田中絹代 (ビクトル・エリセの白紙委任状より)

[]『乳房よ永遠なれ』(田中絹代、1955)

http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2009-12/kaisetsu_47.html

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maplecat-eveさんの日記が紹介しているビクトル・エリセの白紙委任状のセレクションの中に、田中絹代監督作品『乳房よ永遠なれ』が日本映画として1本だけ選ばれている。http://d.hatena.ne.jp/maplecat-eve/20140114*1

論じられることの少ないこの傑作について、2009年NFC田中絹代特集の際に書いた文章を改稿・再掲し、あらためて「映画監督田中絹代の偉大さをアピールしておきたい。*2,*3

乳房よ永遠なれ』(田中絹代、1955、日活、モノクロ、スタンダードサイズ)

乳房よ永遠なれ』は、田中澄江脚本による監督第3作。木下恵介脚本による監督第1作『恋文』(1953)、斎藤良輔小津安二郎脚本による第2作『月は上りぬ』では、いくつかの優れたショットをもちながら、まだ習作の感じが抜け切れなかった監督・田中絹代が、第3作目にして、同性・同姓・同世代脚本家のサポートを得て、見事な演出力を発揮した傑作。

 

(以下、ネタバレを含む)

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北海道の「女流歌人」で、バツイチ、一男一女の母で、乳癌による死を前にして「恋心7・歌心2・親心1」の割合(?)で生き抜いたヒロインを、月丘夢路優雅なエロティシズムを漂わせながら、悲壮感をまったく表に出さずに演じているのがまた素晴らしい。

札幌市内や、酪農地帯など、北海道ロケを全面的におこなっているのだが、そのロケとセット撮影部分とが巧みにつながって違和感がないのは、『あにいもうと』(1953)では助監督修行もさせられた「アドバイザー成瀬巳喜男からの学習成果の現れだろう。

離婚後に出戻った実家の馬具店の階段下の廊下のショットや、入院後の放射線病棟の廊下のさりげないショットは、小津、成瀬、清水作品から学んだものだろうが、句読点の役割を果たしていて、不自然さをまったく感じさせない。

そして最も素晴らしいのは、女学生時代からの親友・杉葉子の夫で、短歌仲間の森雅之への恋心の描き方である。

離婚後、弟・大坂志郎の結婚式の日に、実家に居場所のない月丘夢路は、娘を連れて親友・杉葉子の家を訪ねるが、杉は所用で外出し、家には入浴中だった夫・森雅之月丘夢路と娘の三人が残される。*4

森と月丘のふたりは、書斎でアルバムを広げながら、森・杉夫婦の洞爺湖への新婚旅行の写真や、月丘、森の結婚前の写真を見ている。

そこで月丘夢路森雅之への昔からの想いを打ち明けようとするのだが、それを知ってか知らずか、森雅之書斎をすっと抜け出すと、台所のストーブの横で眠っている月丘の娘を揺り起こしに行く。

窓の外にはいつのまにか雨が降っていて、森は傘を差して月丘と娘を川べりにあるバス停留所まで送ると、別れ際に月丘の短歌東京新人賞に応募することを告げて、バスに乗った月丘たちを見送る。

雨の降る川べりの道をバス停留所まで森が月丘親子と傘を差して歩く姿といい、バス停から傘を差した森が雨の中を月丘親子が乗ったバスを見送るショットといい、ここでの演出、画面展開はあまりにも素晴らしい。

しかもこの雨のバス停には伏線があって、じつは最初に杉葉子が出かけるとき、まだ晴れているその同じバス停で杉葉子がバスに駆け乗るショットが一瞬映っていて、その短い鮮やかな運動感の残余が、余計この同じバス停の雨の情感を増幅する構成になっているのだから、これはもう巨匠クラスの堂々たる仕事ぶりといっていいのではないだろうか。しかも、この直後に森はあっさり病死してしまい、森が応募した月丘の短歌東京新人賞を受賞するのだから、この雨の場面は説話上も重要な転換点になっていたのだ。

新人賞受賞で話題になり歌人として成功しながらも病気が進行し、乳癌の切除手術後は、東京新聞記者・葉山良二との「最後の恋」が物語の中心になるのだが、月丘夢路が葉山良二との病室での最初の会見前に、月丘が胸パットを入れブラジャーを着けて「完全武装」する描写が醸し出す苦いエロティシズムは、まさに女優監督と主演女優との共犯関係のなせる業といえるだろう。

月丘夢路と葉山良二とはやがて病室のベッドの上で結ばれるのだが、その直前に月丘が体験する、霊安室へ遺体を泣きながら運ぶ一行の後をついて夜の廊下を歩く、ホラー映画のような夢うつつの場面は、中川信夫『亡霊怪猫屋敷』(1958)の夜の病院の場面を一瞬連想させて鬼気迫るものがある。

この映画の演出のもうひとつ特徴に、鏡の使用法がある。

劇中、月丘夢路手鏡を見る場面が何度かあるのだが、カメラがそのとき鏡の中に見出すのは月丘の顔ではなく、その鏡の反映によって月丘が見ている月丘の背後または左右の人物である、という屈折した視線=鏡像装置として鏡を使用しているのだ。

最後に、葉山良二と別れる場面で、月丘の持つ手鏡に一瞬、月丘の左目が映るが、それは葉山の鏡像と入れ替わりになるので、ここでは手鏡によって、月丘の左目のアップ(見る側)と葉山良二のウェストショット(見られる側)との切り返しがおこなわれている、というべきだろう。手鏡に屈折・反映した、末期の乳癌の女性患者の視線表象

とにかくこれは驚くべき傑作だ。

島津保次郎、清水宏小津安二郎五所平之助溝口健二成瀬巳喜男といった監督たちの現場で、映画の知識を学んできた田中絹代演出力は、女性監督としては、たとえばアニエス・ヴァルダやソフィア・コッポラよりは数段上であるのは間違いない。

再評価をもっと進めるためにも、たとえばアイダ・ルピノ×田中絹代映画祭といった、日米女優=監督対決企画なんかを、ぜひ実現してほしいものだ。

(2014年1月14日初出)

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http://www.imovies.ge/movies/450145145

*1ビクトル・エリセはしかし、いったいどこで、どのようなプリントで、この作品を見たのだろうか。日本国外に、外国語字幕付きのプリントが存在するとは思えないのだが。

*2加藤幹郎氏の『乳房よ永遠なれ』論は必読。映画学者による模範的で素晴らしい批評。加藤幹郎『日本映画論1933‐2007』160−170頁、岩波書店2011年

*3:CineMagaziNet!Essays(2016年2月14日)に興味深い『乳房よ永遠なれ』についての論考が加わった。http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN19/PDF/kinuyo_article2015.pdf

*4:歌の会で、一人先に帰る月丘と一人だけ遅れてきた森のふたりは、杉を会場に残したまま、札幌街頭ロケで会話を交わし、三人が同一画面内で一緒になることはない。森・杉夫妻の家を訪ねる場面でも、森は入浴中で、浴室の森と外出する杉と月丘とは、絶妙なカット割りですれ違ったまま、同一画面内で三人一緒に映ることはない。月丘、森、杉の三人は、アルバムの写真の中以外では決して一緒になることはないまま、その微妙な三角関係を維持する。そして森の死後、森が入っていた浴槽に月丘が入浴しながら、森への思慕を杉に告白し「昇天」する場面で、その官能性は頂点に達するのだ。これほど微妙な友愛と嫉妬と官能と死の影とが入り混じった「三角関係」の描写は、他にはなかなか思い当たらない。

2017-01-13 『エクソシスト3』スクリーンの外の光

[]『エクソシスト3』(1990)

黒沢清・篠崎誠が『CURE』(黒沢清、1997)の元ネタの1本として絶賛するサイコホラーの傑作(黒沢清『恐怖の映画史青土社、2003年、271-78頁参照)。

シリーズ第1作でリー・J・コッブが演じていたキンダーマン警部役をジョージ・C・スコット、悪魔祓いで死んだはずのダミアン・カラス神父役をブラッド・ダリフが引継ぐ。

ジョージタウンで起こる連続首切り殺人事件を捜査中、事件現場の病院の隔離病棟で、キンダーマン警部(ジョージ・C・スコット)は事件現場の病院の隔離病棟で、15年前に悪魔祓いで死んだはずのダミアン・カラス神父に再会する。しかし、そのカラス神父そっくりの精神病患者(ブラッド・ダリフ)は、自分のことを15年前に処刑された連続殺人鬼だと名乗り、複数の実行犯による今回の連続殺人についても、自分の犯行だと主張し、その手口(筋弛緩剤・血抜き・首切り等)の詳細を警部に語るのだった…。

ジョセフ・ロージー作品の名手ジェリー・フィッシャーを撮影監督に起用した、ウィリアム・ピーター・ブラッティによる演出は、まるでリチャード・フライシャーサミュエル・フラーを合わせたように素晴らしい。凶行や死体そのものを直接的に映すのではなく、その直前・直後の状況を詳細に描くことによって、悪夢のような恐怖を全編に醸し出すことに成功している。

とりわけ『CURE』のラストシーンを凌ぐといってもいい、夜勤の看護師が病院の廊下で殺人鬼に襲われるプロセスを描いた場面はあまりにも素晴らしい。

この場面の素晴らしさ、恐ろしさは、それが病院の長い廊下を縦構図のフィックスのロングショットで捉えることによって、一種トンネル、さらには「直線状の迷路」として提示していることにある。

その縦構図で示された廊下の一番奥には警備の警官(守衛?)が出入りしているのが遠くに見え、画面右手の中ほどに位置するナースステーション、奇妙な物音が聞こえる画面左手の手前の3つのドアと、縦構図の画面の中で絶妙な位置関係・距離関係・遠近感を形成している。

この廊下が一種トンネルとなっているというのは、ここで廊下は無人ナースステーション以外に逃げ場がない、外部と遮断された無人の閉鎖空間となっているからで、じっさい看護師が物音のする左手のドアに入ると警備の警官が「本当にこれ以上はありえないってタイミングで奥に消える」(篠崎誠、前掲書)。

室内を確認した看護師無人の閉鎖空間となった廊下に戻りドアの鍵を掛けるのだが、そのドアに背中を向けた瞬間、鍵を掛けたはずのドアから白い布で全身を覆った人影が、大型の植木バサミを振りかざして彼女に近寄るのだから、この廊下を映画的空間として考えると、殺人鬼が側溝に潜むトンネルとほぼ同じものといっていいだろう。

この廊下が「直線状の迷路」になっているというのは、すなわち、その縦構図の画面上で、カメラから一番遠い奥の人の動きは直接はっきり見えるのに対して、カメラの一番近くに位置する、奇妙な物音が聞こえてくる左手のドアは、いわば画面の外側(オフスペース)につながっていて、そのオフスペースから聞こえる音源を確かめるためには、ドアを開けてカットを変えなければならないという、映画的知覚の遠近感上の微妙な混乱を生じさせているからだ(遠くより近くが知覚困難)。

ドアを開ける看護師の手のアップから、カメラが左手の部屋の中に入ると、奇妙な物音の音源はコップの中の氷が溶ける音だとわかり一安心する。

ここで仮眠中の男性医師看護師が怒鳴られ、「エミー・キーディング」という被害者のフルネームを名乗らせる演出も見事だ。とにかくここでの縦構図の見通しのよさは、画面左手のドアから聞こえる音源について、何の視覚的情報も与えてくれず、その見通しのよさは死角となる左手のドアに対して、逆に無用な錯覚に基く安心感・全能感を与えるという意味で、この縦構図の廊下は、直線状の迷路・迷宮と化しているといえるのだ。

さらに、この廊下はもはやスクリーンそのものでもある、とさえいえるだろう。

看護師が2番目に開く、左手の手前から3つ目のドアは明らかにスクリーンの外に通じている。そのドアからは「外部の光」としかいいようのない、眩い光が廊下に差し込んでくるのだ。

ここではドアのアップを映すだけで、その室内にカメラが入ることはない。開いたドアの隙間から不自然なまでに明るい光が廊下の床を照らすのを、ジェリー・フィッシャーのカメラはフィクスの超ロングショットで捉え続ける。その眩い光を浴びた看護師は廊下に戻ると、ガチャガチャと音を立てて、ドアの鍵を掛ける。

このアフレコで強調された鍵を掛ける音は、シークエンス冒頭の氷の溶ける音から始まった不安と緊張の終了を告げるものでもあり、ここで観客は看護師「エミー・キーディング」の無事を確認して一息つくことができる。

しかし、彼女がたった今しっかり鍵をかけたドアに背中を向けた瞬間、効果音とともに閉めたはずのドアをまるで通りぬけたように(ドアを閉める数秒前まで眩かった内側の照明が落ちている!)、全身白い布を被った人影が大型の植木バサミを振りかざして彼女の背後に近寄る姿の全身ショットへズームインすると、画面は首のないキリスト像のアップに切り替わる。

この殺人鬼の登場が恐ろしいのは、それが廊下(スクリーン)の内側から鍵を掛けたにもかかわらず、鍵を掛けたドアを通りぬけるようにして、スクリーンの外から現われたことだ。

ここではスクリーンの外部から内部への侵入、いや外部が内部を侵犯する瞬間までのプロセスが「原理主義的映像」(黒沢清)によって捉えられているのだ。

それはただ単に「原理主義的映像」というだけでなく、氷の溶ける音、鍵を掛ける音、ドア越しの照明の明滅、等の音と光に関する繊細な配慮によって裏打ちされたものなのだ。

だが一番決定的なのは、あの眩い光だろう。

看護師「エミー・キーディング」は、ドアの向こう側(オフ・スクリーン)で「外部の光」を全身に浴びてしまったために、鍵をかけたにもかかわらず、画面の外へ連れ去られてしまったのだ。

この「外部の光」はジョージ・C・スコットとブラッド・ダリフの最後の対決場面で、今度は下側から、床に穴を開けて輝く光(地獄の光?)となって再び現れ、映画を締めくくる。

ウィリアム・ピーター・ブラッティにとって映画とは、スクリーンの中よりも、その外に光あふれるものなのだろうか。

黒沢清の恐怖の映画史

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2017-01-01 2年越しの『SHARING』 59年しの『チャイナ・ゲイト』

[]2016年映画ベストテン&勝手に映画賞 

〇日本映画ベストテン(+α)

『SHARING』(篠崎誠)

『さらば あぶない刑事』(村川透

クリーピー 偽りの隣人』(黒沢清

『ジョギング渡り鳥』(鈴木卓爾

ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ』(黒川幸則)

この世界の片隅に』(片渕須直

『いたくても いたくても』(堀江貴大)

ヒメアノ〜ル』(吉田恵輔

『ディストラクション・ベイビーズ』(真利子哲也

『団地』(阪本順治

シン・ゴジラ』(庵野秀明

『お父さんと伊藤さん』(タナダユキ

『ヒーローマニア生活』(豊島圭介

『続・深夜食堂』(松岡錠司

『風に濡れた女』(塩田明彦

『セトウツミ』(大森立嗣

アイアムアヒーロー』(佐藤信介

『SCOOP!』(大根仁

『貞子 vs 伽椰子』(白石晃士)

『女が眠る時』(ウェイン・ワン

『湯を沸かすほどの熱い愛』(中野量太)

『ドロメ(男子篇・女子篇)』(内藤瑛亮)

ジムノペディに乱れる』(行定勲

〇外国映画ベストテン(+α)

『チャイナ・ゲイト』(サミュエル・フラー

『チリの闘い』(パトリシオ・グスマン)

『COP CAR コップ・カー』(ジョン・ワッツ)

ハドソン川の奇跡』(クリント・イーストウッド

『ホース・マネー』(ペドロ・コスタ

マネーモンスター』(ジョディ・フォスター

『山河ノスタルジア』(ジャ・ジャンクー

ブリッジ・オブ・スパイ』(スティーヴン・スピルバーグ

ズートピア』(バイロン・ハワード、リッチ・ムーア)

ヘイトフル・エイト』(クエンティン・タランティーノ

『ダゲレオタイプの女』(黒沢清

キャロル』(トッド・ヘインズ)

フランコフォニア』(アレクサンル・ソクーロフ

『皆さま、ごきげんよう』(オタール・イオセリアーニ

『すれ違いのダイアリーズ』(ニティワット・タラトーン)

ザ・ウォーク』(ロバート・ゼメキス

『光の墓』(アピチャッポン・ウィーラセタクン

『イレブン・ミニッツ』(イェージー・スコリモフスキ)

『ロスト・バケーション』(ジャウム・コレット=セラ)

『スポットライト 世紀のスクープ』(トム・マッカーシー

『誰のせいでもない』(ヴィム・ヴェンダース


『SHARING』は2年越しの日本映画のベストワン。ヒロイン・山田キヌヲは、ベッド、机、いたるところで、右耳を下にした「右枕」の状態で入眠・覚醒をくり返しながら「3・11」にまつわる幻覚予知夢体験する。音響的要素が強いその幻覚予知夢は、左耳だけを隠した左右非対称の髪型によって、常に片方だけ露わにされた右耳が体験(聴取)することで「原発に支えられた世界」の均衡が歪み崩れていく。「3・11」をめぐる「メタ夢落ちホラー」の傑作。

ようやく一般公開された『チャイナ・ゲイト』は59年越しのベストワン。インドシナ戦争(対仏ベトナム独立戦争)時代、アンジー・ディッキンソン演じる子持ちの米中混血ベトナム人ヒロインが、中国人顔の子供を嫌って捨てた仏外人部隊米兵の元夫ジーン・バリーと「子供と三人で一緒にモスクワに行こう」と求愛するベトナム人将校リー・ヴァン・クリーフの狭間で下す苛烈な決断。奇跡の「反共映画」の傑作。

こちらも31年遅れの公開になる『チリの闘い』は、記録映画のベストワン。人々の顔が素晴らしい。その議論する声はもっと素晴らしい。フレデリック・ジェフスキー『不屈の民変奏曲』の元歌が聴ける。

『さらば あぶない刑事』は「東映」セントラル・アーツの集大成的作品。全編デジタルHG撮影のはずなのに、フィルム的感触にあふれる仙元マジックは驚異。

『いたくても いたくても』は「通販プロレス」というアイディアだけでも独創的なのに、会社・家庭・恋愛における痛みと居場所の問題を画面に定着させた、堀江貴大の将来性は「買い」である。

『COP CAR コップ・カー』はアメリカ映画の新作ではベスト。ケヴィン・ベーコンが悪い警官役で銃を撃ちまくる姿をちゃんと撮れば傑作が出来る。もちろん、ちゃんと撮ればという条件つきの話ではあるが…。

ハドソン川の奇跡』は航空映画+川船映画の奇跡的融合。本物の奥さんが素敵。

『ホース・マネー』は続編映画特有の狭隘さを感じてしまった。NY写真も疑問。アフリカ系のスラム街は他にもっとあるはず。それがなければ新作ではベストか。

マネーモンスター』はTVスタジオジャック映画として上出来。ジョディ・フォスターはプロの仕事をしている。

ブリッジ・オブ・スパイ』は東ベルリンの屋外と室内の両方に自転車を走らせたスピルバーグの執念に脱帽。「進撃の巨人」はご愛嬌か。

『ダゲレオタイプの女』はフランス洋館ロケよりも自動車演出に目を見張った。服の端が車のドアに挟まるショットは、日本でも撮ることはできたはずなのに、なぜかフランスで初めて可能になったアメリカB級ノワール的瞬間。ジャック・ターナーの霊に憑依されたのだろうか。

『すれ違いのダイアリーズ』は2016年に見た「タイムスリップもの」のベスト。編集・構成を工夫するだけで、タイムパラドックスなしで、映画は現在と過去を自由に往復しながら、ベタな純愛も展開できるという好例。「水上小学校」のセットと撮影が素晴らしい。

ジムノペディに乱れる』『スポットライト 世紀のスクープ』の2本は、映画中盤から急に撮影・演出がよくなり後半絶好調になる映画として記憶に残った。ここ数年、日米問わず、一本の映画の前半と後半で、はっきり差が出る映画が増えているが(特に撮影)、それは現場の問題なのか、編集によるものなのか、その原因が非常に気になって仕方がない。


2016年「勝手に映画賞」は以下の通り。

女優賞山田キヌヲ(『SHARING』)

男優賞;柳楽優弥(『ディストラクション・ベイビーズ』)

監督賞;篠崎誠(『SHARING』)

脚本賞堀江貴大・木村孔太郎(『いたくても いたくても』)

撮影賞;仙元誠三(『さらば あぶない刑事』)

音響賞;片渕須直(『この世界の片隅に』)

美術賞;原田満生(『続・深夜食堂』)

照明賞;水野研一(『続・深夜食堂』)

特撮賞;樋口真嗣尾上克郎(『シン・ゴジラ』)

ヘアメイク賞;大河内ともみ(『SHARING』)

音楽賞;コトリンゴ(『この世界の片隅に』)

出版賞;木下千花溝口健二論 映画の美学政治学』(法政大学出版局

 

 

以上、部門別に「勝手に映画賞」を選出しましたが、これはあくまでも当方の勝手な判断によるものですので、受賞された方もされなかった方も、どうかいっさい気になさらないで下さい(笑)。

 

2017年はよい年でありますように。

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