日本人の長所と短所を考える

☆外国人が見た日本人の長所
 中国新華社通信が伝えた、中国人が学ぶべき日本人の8 つの長所
1. まじめ
 日本人のまじめさは、変態とさえ言えるレベルに達しており、中国人はかなわない。そのまじめさによって、多くの日本人が科学分野のノーベル賞を獲得している。

2. きれい
 日本に出張や観光に行けば、近代的ではない所や、おしゃれではない場所もある。しかし、汚い場所を見つけることは難しい。日本のトイレでは異臭がすることは非常に少ない。

3. 誠実
 日本人は物や金を拾うと、必ず交番に届ける。中国どころか米国・英国・イスラエルなどの西側諸国に比べても1、2 を争うほどだ。

4. 人に面倒を掛けない
 日本人は小さい時から「他人に面倒を掛けてはいけない」と教育される。それは自分のちょっと
の不注意で、他人を不愉快にさせるからだが、中国ではこの教育が不足している。

5. 集団主義
 日本人は命令に従うことに慣れており、協力する能力が高い。日本人は、みなきれいに揃って物事を行うが、その長所は管理し易い事、その一方で邪悪な勢力に民族全体が追従するようになることが短所ともなる。

6. 学び上手
 日本は島国であり、古代は中国から、現代は西洋からと外来のものをよく受け入れる。そうすれば負担は少ないし、良いものだけを利用することができる。一方、中国は外来のものを学ぼうとしても、あれやこれやと恐れ、いつも上っ面しか学び取ることができない。

7. 秩序を守る
 日本人は集団を重んじる。団体観光のときに、旗のもとにきれいに整列するのは日本人。三々五々なのは中国人だ。

8. 礼儀正しい
 中国は、かつて礼儀の国といわれたが、今はそれが失われた。一方日本人は、単にお辞儀をする
だけではなく、同輩、先輩それぞれに対するお辞儀のルールがあるのだ。

中国以外の外国人から見た、日本人の長所

1.Kind 「親切」
 海外の人が、日本人に対して抱くイメージは、第一に「親切」「優しい」ということである。

2.Shy 「控え目」
 日本人は自己主張しないので、一般的にShy というイメージで捉えられている。「恥ずかしがり屋」「内気な」という意味であるが、実は自己主張に慣れておらず、完璧主義なので、英語が話せないのである。

3.Formal 「形式的な」「堅苦しい
 日本人は、外国人に対しては形式的に接し易い。日本的な食べ物としては、すぐ寿司・ヤキトリとなりがちであるが、外国人にとっては生魚の寿司は食べられない人も結構いる。こういうワンパターンの日本的接待は、止めた方がいい。また、全ての外国人が高等な人間ばかりでなく、日本の普通以下の人も多くいることを知るべきである。

4.Clean 「きれい」「清潔」
 外国人は、日本に対しては非常に清潔と感じている人が多い。特にトイレのきれいさは世界一と
評されている。この努力は、日本人としては維持に努めるべきであろう。

5.Punctual 「時間通り」「正確」
 外国人が一番驚くのは、列車や地下鉄等の正確な発着である。日本人からすると、「当たり前」に過ぎないことだが、日本以外では時刻表通りに運行しないのが「当たり前」である。
 日本に来たことがない海外の人でも、日本の漫画やアニメを通じて、日本についての知識を持つ人は多い。しかし一方では偏ったイメージを抱く人も多く、未だに日本人は、チョンマゲを結い、刀を腰にさして歩いていると勘違いする人もいる。

しかし、いずれにせよ、先の中国人の見た日本人の長所も、西欧の人が見る日本人の長所も、大体似ているということである。


☆日本人の短所は何か 
先に外国人が見た日本人の長所を挙げてみたが、長所は裏を返せば、短所にもなる。一般的に外国人の見た、日本人の短所を概観してみると、

1. 主体性に欠ける
 ステレオタイプと言うべきか、個性も自己主張もないということである。教育のせいもあるが、自分としてのまとまった意見や主張がない。新聞やテレビが伝えることが正しいと考え、自分で判断することができない。

2. 集団主義
 海外旅行も独りでは行かない。団体旅行で行く。外国人の集会でも、日本人同士で固まって日本語
で話すので、嫌われることが多い。独りでは自信がないのだ。これでは世界の中で闘って勝ってゆくことはできない。

3. 自己表現ができない。対話は下手。
 日本では学校でディベート(対話による交流)を教えない。議論に弱い。外交交渉でも、いつも中国や韓国にさえ敗けている。これは長いものには巻かれろという、昔の身の処し方が未だに直っていないことからくるものだろう。
 日本人は議論においても、本当のことを言うと相手を傷つけることを恐れて、いい加減に妥協してしまう。これが外交交渉では致命的な失敗となる。これは家庭内にも当てはまる。父親も子供会話がなく、それが原因で事件を起こすことが多い。
 特に問題なのは、夫婦間の会話と交流ができていない。日本人は、一般に女性に対しては愛の表現ができない。愛しているとか好きだということを、口で言えない。欧米では、愛は表現されるべきものであるという理解であるが、日本では感じて欲しいということで、口で表現することは軽々しいという、誤った概念が支配的である。日本の男性はもっと大胆に愛の表現をするよう努力すべきである。

4. 物事の本質を見分けることができない。
 それは考え方が表面的であり、皮相的であるということである。私は英国在住が長かったが、日本人の一般的な理解では、英国人は皆ゼントルマンであると考えている。私の経験から言うと、一部の英国人にはゼントルマンとしての教養と素養を身に着けている人はいるが、極めて少数の人に過ぎない。
 ところが日本人、特に女性はステレオタイプ的に英国人といえば、ゼントルマンをイメージし、憧れたりする。そして結婚して破綻し、今日もイギリスで苦労している日本女性を見てきているので、こんな皮相な理解で憧れて、一生を台無しにしてはいけない。
 日本人は一般にメディアの報道を鵜呑みにしがちであるが、自らの努力で事の真相を究めるように努力すべきである。日本が中国や韓国との外交戦争で敗けるのも、相手の真の意図を知らず、その宣伝に惑わされるからである。物の本質を見極めなければ、国の命運にかかわるのである。

5. 大局的・総合的に物を見ることができない
 本質的に物事を見ないことと、深く係わってはいるが、いわゆる「木を見て森を見ない」ということである。日本は小さなことにこだわる。これは工業製品を見ても、芸術作品を見ても言えることであるが、非常に細部にまで手が加えられており、完璧に近い世界の一級品であることは間違いない。
 よく、外国人が日本は美しいと称賛するが、何処を見てそう言うのだろうかと疑問を持つ。街並みが美しいとはお世辞にも言えない。事実、あるフランス人は、日本の街並みを見て非常にがっかりしたと述べている。パリは18 世紀に現在のような、美しい街並みになった。
 日本は街並みに関しては、パリより、いやヨーロッパより200 年は遅れていると思う。日本は美しいと言われて、うぬぼれてはならない。まず電線を地下に埋設し、建物の高さや色調を統一し、もっと街路樹を植え、緑の多い街にしなければならない。東京オリンピックこそは、その絶好のチャンスではないか。
 話は変わるが、日本が敗戦になったのも、世界の大局を見誤ったからだと思う。対米戦争はすべきでなかったし、したとしても日本が優勢の時に和平にもっていくべきだった。大本営は、世界情勢の大局を見誤ったのである。

6. 形式的で柔軟性がない
 日本人は礼儀正しく、列車運行も時刻通りで規則正しいという長所も、裏を返せば形式ばって、柔軟性に乏しいということになる。
 例えば、カンボジア文民警察官を派遣するとき、防弾チョッキ・防弾ヘルメットは武器輸出三原則に違反するとの通産幹部の型通りの判断により、これら無しにカンボジアに出動した。その結果、岡山県警の郄田晴行警視が殉職した。官僚には、この手の融通の利かない馬鹿が多い。それは彼らがつまらぬ規則を前面に立てて、自分たちの権限を主張する、縄張り主義からくるのである。

7. 正邪の区別がなく、曖昧
 日本はユダヤ教キリスト教イスラム教等の、一神教の版図外で発展し、独特の文明圏を形成し
て来た(ハンチントン教授『文明の衝突』)。従って、一神教的な善と悪を峻別する文明が育たなかった。 日本は過去にどんなことがあっても、水に流すという伝統があるが、隣国の韓国は、一神教文明
圏ではなかったが、恨みは決して忘れず、自分一代で晴らせなかったら、子々孫々に伝えて、その恨みを抱き続けるという文化である。これが今日の反日運動の原因である。日本人は正邪善悪の概念を明確に持たないと、世界のリーダー国になることはできない。

8. 甘えの心
 日本人に特に多い、甘えの心がある。甘えという言葉は、他の外国語に訳しにくい独特の言葉である。それはある相手に期待し、その人から愛や施しを受けようとする、受け身の行為である。日本人は自分がこうしてあげたから、相手もそうしてくれるに違いないと考えるが、現実はそうならないことが多い。特に外国人相手がそうである。中国や韓国相手は、これが殆どだと理解すべきである。

☆日本人は自己破壊し、再生せよ

1. 明治維新は、体制上の大改革としては成功したが、日本人の内面性の変革は起こらなかった。日
本人が真の変革を生じさせるためには、天の力(神)に依る以外にない。それでは日本人はこれから一神教の神を崇拝すれば良いのか。
 日本は米国と戦って敗北した。それは、米国の戦力や国力が圧倒的に日本を凌駕していたからだ。米国は国土も広大で、資源も豊富であり、産業も発達していた。それよりも米国は、もともと信教の自由を求める英国の清教徒たちが植民し、開拓した。まず神のために教会を建て、子孫のために学校を作り、最後に自分たちのために丸太小屋を建てたという、伝統の国である。その伝統は今日も息づいている。米国には今日も何十万という教会が活動しており、子孫たちのため建てた学校は、ハーバード大・エール大・プリンストン大等、世界中の学生の憧れの的となっている。
 米国は神の祝福によって発展し、超大国となったのである。日本の大本営は米国の強大さは知っていたが、背後に神の偉大な祝福があったということには全く無知であった。日本が米国に負けたのは軍事力や国力ではなく、神の祝福に負けたということを理解する日本人は今日も殆どいない。
この事実が分かれば、日本が再生復興する道は、自ずと見えてくる。しかしこういうことを信じる日本人は非常に少ない。神の祝福(恵み)を増やすには、何も急にキリスト教イスラム教に転向する必要はない。現に日本にある神道や仏教を真剣に、深く理解し、信仰することによってなされる。倫理道徳の向上でも良い。西郷隆盛の言う「敬天愛人」の道である。
 今日の日本では、戦後、特に民主主義と左翼思想の浸透によって、宗教的なものが排除され、闘争主義・利益主義が横行し、本来の発展の道が塞がれている。反日左翼のジャーナリズムにより、
従来の日本の良い価値は否定され、西欧流の人権思想、個人主義に惑わされている。

2. 日本は世界から愛されるものがいっぱいあるが、
それだけで喜んでいてはいけない。日本は社会現象の面でも、世界の最先端を行っている。例えば少子化・高齢化・長寿化等である。しかし、これは日本の現象のみならず、中国や韓国も同様の現象に陥っている。従って、日本が人口問題・医療・社会保障で成功のパターンを作れば、中国や韓国もそれを真似て解決を見付けるのであり、日本の成功が他の同様の国を救うことになるのである。
従って、日本の問題解決こそが世界貢献なのである。
3. 上に挙げた日本人の短所は、宗教心を深め、信仰を高めることによって大きく長所となり得る。
その徴候は既に現れつつある。世界各国で尊敬されている日本人を多く見ることができる。だがその人たちは、日本の社会から弾き出され、日本では成功することができなかったので、世界各地で活躍し成功し、尊敬を受けるようになったのであ
る。
 従って、日本に居る日本人だけを見て、世界性がないと判断してはいけない。海外で活躍する日本人を手本としながら、世界に通用する人間を目指すべきである。そうしなければ日本は世界のリーダー国になることはできない。日本人は勇気をもって世界に出て、チャレンジしよう。

オリンピック リオから東京へ

☆よく頑張った日本選手団

 8 月21 日(日本時間22 日)リオデジャネイロマラカナン競技場の聖火台の火が静かに消えて、第31 回オリンピック・リオデジャネイロ大会は無事17 日間の熱戦を終了した。開催前までは、ブラジルの政情不安、経済不況、テロ等が懸念されていたが、いざ大会が始まってしまうと世界の注目は競技の方に集中し、いろんな不備な点は問題にされなかった。実際は、熱烈な競技の背後では、数々の問題はあったらしい。大会当初、入場チケット全体の28%に当たる170 万人分が売れ残っていた。8 月5 日の開会式でさえ、一万枚以上が売れ残っていた。
 事実、多くの競技会場では空席が目立っていた。地元のリオ市でも、市民の関心は低かった。ともあれリオ大会は、心配されたテロもなく、大禍なく無事終了したことは、南米大陸初のオリンピックとしては、目出度く成功したと言えるだろう。
そうした中でも、今大会での日本選手団の活躍は目覚ましいものがあった。日本選手団は、金12・銀8・銅21、計41 個のメダルを獲得し、日本がオリンピック大会に参加以来、最多のメダルを獲得する結果となった。健闘した日本のアスリート達に心からの拍手と感謝の気持ちを贈りたい。

特に印象的だったのは、女子レスリングで金メダルを獲得した、3 人の日本女性が最後の30 秒から逆転勝利したケースで、特に伊調選手の場合、最後の5 秒間で逆転勝利したドラマティックなシーンがあった。最後まで諦めてはいけないという教訓を我々に与えてくれた。また男子400m リレーで銀メダルを取った日本チームも、実に見事で完璧な走りを見せてくれ、日本を感動の渦に巻き込んだ。
 オリンピックは、国際交流と平和の祭典であり、人種・国境・宗教を超えたスポーツの大会である。
しかし、このオリンピックから国旗・国歌を取り去ったら、何の感動が残るだろうか。今日の愛国心を失った日本でも、国民が一つに団結できるのは、オリンピックのような世界スポーツ大会ではないだろうか。近代オリンピックの父と言われるフランスのピエール・ド・クーベルタン男爵の有名な言葉「オリンピックは勝つことではなく、参加することに意義がある。」(実はこれはクーベルタン自身の言葉ではなく、 英国聖公会のタルボット大主教の説教中の一節)によれば、どんなに小さな国でも参加することが推奨される。

 それにしても超大国アメリカはさすがに凄い。今大会でも金46・銀37・銅38、合計121 個のメダルを獲得している。開催国であるブラジルは金5・銀5・銅5、計15 個と順位も15 位と中位に甘んじている。開催国だから、高得点を上げなくてはならないという意識は乏しく、リラックスムードである。それも次回を受け継ぐ日本が学ぶべき点かも知れない。

☆五輪の成績は国力を反映する 

リオ大会での、日本の金メダル予想は10 〜 14個だった。これは「メダルアスリート・ポテンシャル」という分析方法によるもので、今回は金12 個を取ったので、目標の14 には届かなかったが、まあまあの実績だろう。今大会のメダル数で目立ったのは、アメリカを別とすれば、総合2 位で金27・銀23・銅17 で合計67 個のメダルを取った英国の活躍である。ロンドン大会以前の英国は、オリンピックでの成績は振るわず、長期低迷状態にあったが、ロンドン開催を目指し、スポーツ振興に力を入れ、実績を上げてきた。英国はサッチャー故首相の登場以前は、経済も振るわず、長期低迷傾向にあり、いわゆる「英国病」という言葉が言いふらされていた。
 しかし、鉄の女と言われたサッチャー首相の出現により、この英国病を脱して、強い経済を実現してきた。英国はシティの金融以外の産業を捨てて、金融サービスを主体としたソフト経済にシフトして強い英国を再現して来た。最近はEU 離脱等の課題はあるものの、英通貨ポンドは、強い通貨となり、これが英国民をしてEU に頼るよりは自分達でやっていけるという自信を植え付け、結果的にはEU 離脱に至ったものと解される。
 
 ここで何が言いたいかというと、オリンピックでのメダル数は、結局は国力の反映であるということである。日本はもう少し頑張れば、ドイツを追い越して、総合順位5 位になれるはずだった。
 日本のメダル最多に比して、成績が振るわなかったのは韓国である。金8・銀3・銅8 の計19 個で、
総合順位は11 位であった。普通なら金をとれるはずのテコンドーや、柔道世界ランキング1 位の選手が金を取れなかった。韓国民はライバル日本に敗れたのを悔しがっている。オリンピックでの勝敗は、選手個々人の能力、技能も重要ではあるが、その勝敗を決めるのは、もっと目に見えない部分にあるように思われる。特にそれは、国家の運勢という目に見えないものに左右されることが大きいと感じる。言い換えれば、その時の国運というか、運勢に影響されるということである。

 韓国は、現在経済的にも不況のドン底にある。安全保障上においては、THAAD 配備を巡って、これまで蜜月関係にあった中国との関係が壊れ、経済不況もあって、日本にすり寄ってこようとしている。反日は結局、韓国を亡ぼす獅子身中の虫となり得る。こういう国家的背景のもとに今回のオリンピックでの実績が表れたものと解される。
 例えば、韓国では水泳は、初めからメダルの目標から外されている。その理由の一つは、学校で
は水泳など教えていないからだ。理由は簡単である。日本では、小学校の98%にプールがあるが、韓国では小学校の1%しかない。スポーツそのヨディものより、スポーツのインフラ自体が欠けているか
らだ。ともあれ、オリンピックは、国力の総体が問われているわけだから、小さな国は分野が限られてくる。
 しかし、クーベルタン男爵の言葉を借りれば、オリンピックの目的は勝つ事ではなく、参加する
ことに意義があるということであるから、勝ち敗けは別として、まずは平和を愛する青少年アスリー
ト達の平和の祭典として理解することが求められている。

☆東京大会をどう成功させるか 
 8 月21 日(日本時間22 日)リオデジャネイロマラカナン競技場で閉会式が行われた。閉会式に参加した小池都知事は、次期開催都市の首長として、日本らしさを演出すべく和服姿で出席し、フラッグ・ハンドオーバーセレモニーに現れた。
そして大会五輪旗は、開催都市のブラジルのリオ市のエドアアド・パエス市長からIOC 会長のトマス・バッハ会長へ返還され、更に和服姿の小池東京都知事に手渡された。君が代の国歌が流れ、日本の最新技術を駆使した日本と東京の映像が映された。こうしていよいよオリンピック大会は、日本東京に手渡され、「サイは投げられた」のである。
この際、余興として安倍首相がスーパーマリオの格好をして、地球の反対側からリオの会場に現れたという演出を行い、集まった観衆からヤンヤの喝采を浴びた。問題は、リオ以上の大会を東京がやれるかどうかである。一番重要なのは、政府と東京都、そして組織委員会との三位一体の協調体制を築けるかどうかにかかっていると思われる。
 朝日新聞の社説「東京がモデルを築こう」(2016.8.23)によると、リオを見倣えということらしい。何を見倣うかとういうと、開催費用を圧縮し、経費節減をやれということらしい。オリンピック開催を盛り上げるような飾り付けは、リオ市には全然なかった。また仮設会場や周辺の通路などは、簡素なくくりだった。五輪とパラリンピック開会式の費用は、08 年北京の20 分の1、前回ロンドンの12 分の1。また会場施設費と運営費は、64 億ドルから41 億ドル(4,100 億円)へと削減された。東京はリオの路線を継承し、新しい五輪のモデルを構築すべきだとしている。もっともらしい御意見であり、立派な見識と言えなくもないが、ちょっと待て!      
 オリンピックでは無駄を排し、過剰な設備を避けるべきは理の当然であり、異論はない。しかし、ブラジルの簡素さは、節約のためというより、お金がなかったからに過ぎない。リオのカーニバルで全ての金を使い果たすような国民性から考えても、質素にせざるを得なかった、彼等のフトコロ事情があったのである。朝日の論説は、日本の繁栄を壊そうとする、反日の徒輩の愚見である。
 日本の経済が冴えない理由の一つは、民主党(現民進党)以来、公共投資を怠ってきたからである。
「コンクリートから人へ」などという愚かしいスローガンに乗せられて、公共投資を削減したことの罪が大きい。東京オリンピックには世界中の注目が集まる日本再興の、天が与えた絶好のチャンスでり、天祐である。これを逃せば、日本が発展するチャンスはほぼ、永久になくなるだろう。
それなのに朝日は経費を削減し、環境に優しいオリンピックにしようと万民に囁き、日本繁栄のチャンスを潰そうとしている。それは悪魔の囁きであり、反日左翼勢力の代弁者である。
     
 オリンピック時には、3,000 万人の外国人観光客が日本を訪れるのに、 環境に優しく、貧しい大会で良いだろうか。お金は日本には充分ある。問題はそれをどう使うかである。朝日が言うような意見は、新自由主義に基づいた、左翼反日勢力の言説であり、絶対にこのような反日の徒の言説に耳を貸してはいけない。
 再び日本でオリンピックが開催できるかどうか、最早今世紀中にはそのチャンスはあるまい。その
絶好の飛躍の機会を、費用節約などという美辞麗句で国民を惑わす論調を排し、安倍政権を先立て
て、全面的に第32 回東京オリンピックの成功のため、全力を尽くすべきである。

伊勢志摩サミットは日本に何を残したか

☆使命を果たした安倍首相に感謝
 5 月26,27 日に開催されたG7 伊勢志摩サミットは無事成功裡に閉幕し、先ず何より安倍首相に本当にご苦労様でしたとねぎらいの言葉を贈りたい。最近は、G7 の存在意義は低下していると喧伝されているが、それでも世界情勢の動向のカギを握るG7 の首脳が一堂に会することの重要性は無視することはできない。
 G7 は、1975 年フランス大統領ヴァレリー・ジスカール・デスタンの提案により、オイルショック後の世界経済の混乱を収拾するためフランスのランブイエに世界経済を主導する5 か国(米、英、仏、独、日)の首脳が招集された。その後G5 に入れなかったイタリアが不満を表明、その要求を受け入れG6 として出発した。しかし、あまりにもヨーロッパに偏り過ぎるという米国の要請で北米大陸からカナダを入れ、G7 となった。
 この様に先進国クラブに入れてもらえない国々から様々な形の批判も寄せられている。その代表は中国である。今や、米国に次ぐ世界第二の経済大国を自認する中国が、自分達を除外して世界経済の動向を決定することは容認できないとばかりに物言いをつのっている。
 中国外務省の華春瑩報道官は、「今回日本はG7の議長国の立場を利用して、南シナ海問題を騒ぎ立て、緊張した雰囲気を作り出した。地域の安定に役立たないことだ。」と日本を名指しで批判した。
又、国営新華社通信は、G7 を時代遅れの金持ちクラブと批判した。しかし、中国が誤解しているG7
は、経済大国だけの集まりではないことだ。重要なのは、自由と民主主義と人権の価値を共有する主要国の会議であることを理解していない。もし、中国が参加すればG7 は瓦解してしまうことは火を見るより明らかである。
 東アジアにはもう一ヶ国自分もG7 に入るべきだと自負している国がある。それは、韓国だ。韓国は世界10 位の経済大国であり、日本がアジアを代表してG7 のメンバー国であることに強烈に嫉妬を感じライバル意識をむき出しにしている。
それは、オバマ大統領が広島訪問を決定した時の韓国の新聞論調を見れば良く分かる。オバマ大統領が広島の被爆者碑を訪問するのなら、そこから150 mの所にある韓国人慰霊碑も訪れるべきだという主張である。しかし、良く考えてみればその当時朝鮮人は、日本国民であったのだからオバマ大統領が、自分が広島を訪問するのは原爆の被害に遭った全ての死者を慰霊するためであると表明している中には、当然犠牲になった韓国人も含まれている。それなのに、わざわざ韓国慰霊碑を訪問せよというのは、筋が通らない話である。米大統領が所感表明の中で犠牲になった10 万人の日本人、数千名の韓国人そして、数十名の米国人と述べたのも恐らく韓国のロビイストによるホワイトハウスへの強烈な工作によるものと思われる。
第一オバマ大統領は、G7 のため日本を訪問していたのであり、韓国のために来たのではない。いろんな機会を捉えて韓国に有利なことを引き出そうとする根性が見え透いている。こういう国は、G7に入る資格がない。

☆ G7 のサミットの効果はあったか

 今回のサミットは、日本が主催する4 回目のG7である。先回の洞爺湖サミットは準備した安倍首相が突然辞任したため、福田康雄氏が議長役を務めた。今回安倍首相は、晴れてG7 の議長国として重責を無事果たすことが出来た。今回のサミットの特徴は、その大掛かりな警備であろう。警備の為動員された警察官は全国で2 万数千人、軍隊で言えば二個師団以上である。警備にかかった経費は洞爺湖サミットを上回る340 億円と史上最高である。勿論、G7 の首脳にテロや万一の事があってはならないので主催国としては当然の事であろうが、警備当局としては、サミットの機会を利用し予算の獲得と組織の最大限の拡大を計る絶好の機会となったことは間違いあるまい。
 取材の為に集まった内外のメディアは、実に6000 名を超えたと言うからサミットが全世界に発する発信力は絶大である。又、安倍首相としては、これを機会に日本の伝統や文化を世界に発信する絶好の機会を提供した。その点では、今回の伊勢志摩サミットの出発点として日本人の原点ともいうべき伊勢神宮を選んだと言う事もとても良かったと思う。勿論G7 のリーダーたちは、伊勢神宮を‘ 参拝’ はしなかったが‘ 参観’ した。彼等は、日本以外は皆キリスト教国から来ているので、
彼等の嫌う偶像崇拝に当たる拝礼はしなかったが、それでも、日本人の魂の本郷である伊勢神宮を‘ 参
観’ したことは大きな意義があったと思う。この点から見て、安倍首相の行ったことは、日本にとってすごいことだと評価したい。

 会議のテーマは、世界経済、テロ、安保問題など様々な議題が討議されたが、それは既に新聞等で発表されているので、ここでは詳細は触れない。今回のサミットで、日本側が非常に力を入れたのはいわゆる‘ おもてなし’ であった。特に料理には最大の努力を投じた。特に、‘ おもてなし’ のため
に政府は各省庁から300 名のスタッフを集め詳細なことに至るまで煮詰めて遺漏なきを期したと言う事だ。伊勢志摩には、松阪牛を始め、特産の伊勢海老、アワビ等特上のものが準備され、首脳たちの称賛を得たことは間違いなかろう。又、サミット参加者のみならず、内外から集った6000 名のメディアの人達にも滞在中フリーの食事を提供されたということである。会議がどんなに上手く行っても食事がまずければ、会議は失敗に終わってしまう。その点から見ても今回の料理は満点の評価を得られたと思われる。このような観点から評価するとすれば、今回のサミットは、ほぼ満点に近いと言えるのではなかろうか。又これも「地球儀を俯瞰する外交」を唱える安倍政権の大きな勝利と言えないだろうか。

オバマ大統領の広島訪問 
 今回のサミットで特筆すべきことは、オバマ大統領の広島訪問を挙げる事ができる。勿論これは、
サミットの中に含まれるイベントではないが、それを越えて歴史的、世界史的出来事であったと評価することができる。筆者は、オバマ大統領の広島訪問をテレビで詳細もらさず見ていたが、非常に感動を憶えた。大統領一行の車列が、広島の平和公園に向かう様子は、歴史的一大事件を見ているような感慨を覚えた。
 平和公園に到着したオバマ大統領を安倍首相が出迎えすぐ献花に向かうのかと思ったら、首相の案内で原爆資料館に入った。館内の様子は、米国の国民の感情を傷つけないようメディアは遮断された。すると10 分くらいで大統領と首相は出て来た。恐らく時間も無かったのだろう。それから大統領と首相は歩いて被爆者慰霊碑へ進んだ。そこには被爆者の代表者が30 名程度招待されていた。まず、オバマ大統領が献花し続いて安倍首相も献花した。思いなしかオバマ大統領は硬い表情をしていた。
 献花の後、大統領は17 分にわたる所感を述べた。日本に対する謝罪には言及しなかった。大統領は、
プラハで宣言した核なき世界の実現の理想について語り、被爆者への慰霊の言葉を述べそれよりも未来についてより多く語った。筆者には、非常に抽象的に響いたが大統領の置かれている立場では、最大限の気持ちを込めて語ったものと理解した。
大統領は、献花の後しばし黙想したが、頭は下げなかった。恐らく胸中では被爆者に対する慰霊を行っていたものと思われる。
 大統領に続いて首相がはっきりとした言葉で二度とこのような悲惨なことを繰り返してはいけな
いと述べた。その後大統領は被爆者の代表と握手を交わし、言葉を交わして、軽く抱擁した。恐らくこれが大統領としての最大の慰霊の行為であったのだろう。被爆代表者達も泣いている人が多かった。その後安倍首相が大統領を誘って原爆ドームを指さして説明を行っていた。そこへ大統領専用
車が到着し、首相に見送られて大統領は専用機に搭乗すべくその場を去った。たったこれだけの訪
問であったが、これは世界を変えるものであろう。
 こうして日米はまた一段と深い絆で結ばれることになった。オバマ大統領が謝罪するかしないか
が問題ではない。原爆投下国の大統領が、唯一の被爆国の原点である広島の平和公園を訪問して、
献花し、被爆者代表と握手し抱擁したことは、日米の大きなわだかまりを溶かし固い絆で結ばれた
証であろう。これこそが日米のみならず、世界万民が注目せざるを得ない歴史的大事件だったので
あり、今回のサミットが残した最大の宝物ではないだろうか。

日本の技術が助けた北の核・ミサイル

☆世界を騒がせる北朝鮮の核とミサイル

 災害は忘れた頃にやって来るというのは、科学者の寺田寅彦が残した有名な言葉である。
しかし、これは災害とは違うが(同じようなものだが)、北朝鮮の核とミサイルは、忘れ
た頃にやって来る。多分、世界から忘れ去られることを恐れてやっている作戦かも知れない。
しかし、本当はそんな呑気なことは言ってはおれない。何故なら、北朝鮮の核とミサイルは、
日本の安全保障問題にとって死活的に重要な脅威であるからだ。
 例えば、核弾頭を搭載した北のミサイルが、日本海沿岸にある柏崎原発に打ち込まれたと
したら、日本は完全にパニックに陥ることは火を見るより明らかである。それは、東電福島
の原子炉災害の比ではなかろう。北朝鮮という国は、そういうこともやりかねない狂気の
集団であるからだ。そうなれば、もちろん米国からの核の報復を受けて、北は壊滅するだろ
うが、日本の被害は甚大なものとなろう。ところで、このような北の核とミサイルは、どの
ようにして開発されたものなのだろうか?彼等が独自的に開発したものだろうか?最近では
そういう面もあることは事実である。しかし、初期において、いや今日も引き続きといおうか、
北朝鮮の核とミサイルの開発を助けたのは、実に日本であり、また日本人科学者たちであった。

その実態を解明するためにはまず、北朝鮮が独立した当時、科学技術の基盤は全く何もなか
った。そこで彼等が選んだ方策は、外国から科学技術を導入することであり、そのためソ連
(当時)や東欧、中国等の社会主義国に留学生を送り、また技術指導を仰いだ。
しかし、北朝鮮にとって最も欲する技術を手に入れられる国は日本であった。そしてそのため
に作られた組織が、在日本朝鮮人科学技術協会、以後略して科協と称する。
科協は、1959 年に設立された朝鮮総連の下部組織である。

☆北の核・ミサイル開発の中心勢力

 科協は、朝鮮労働党諜報機関である。党統一戦線部より直接指示を受け、北朝鮮
国家科学院と協力し、核・ミサイル等の兵器開発に必要な機械類、化学製品の購入等を
行っていると指摘されている。北の核・ミサイル開発における科協の重要性は以下の
事例から明確に理解されよう。
 1999 年3 月、北朝鮮の首都平壌の人民文化宮殿において、二日間に亘って開かれた
「全国科学者技術者大会」で、この7 年ぶりの大会には、北朝鮮の科学技術者達や
各省庁の責任者、党中央幹部達に交じって日本からの科協代表団の姿が見られた。
 初日には洪成南首相が党中央委員会の祝賀文を読み上げ、次に崔泰福書記が主に
北朝鮮が前年度に達成した「輝かしき成果」についての報告文を朗々と読み上げた。
(朝鮮新報99 年4 月2 日記事)崔泰福書記は、実際はこう述べたのである。
「100%我々の力、我々の技術で初めて人工衛星光明星1 号》を成功裡に発射した
のは、最新科学技術発展で成し遂げられた最も誇らしく、貴重な成果である。
在日本朝鮮人科学者、技術者達は社会主義祖国の富強発展と祖国統一のために愛国的
な活動を活発に展開し、主体朝鮮の公民である栄誉を胸深く刻み、祖国の科学技術者
たちと経済建設に大きく寄与した。」2012 年12 月、日本を始め、全世界を震撼させた
テポドン北朝鮮光明星3 号2 号機)の打ち上げを成功させたのは、北朝鮮独自の
技術ではなく、在日朝鮮人科学者の「愛国的な活動」こそが成功の鍵であったと
北朝鮮の責任者自身が明言しているのである。

北の科学技術発展、特に核とミサイル開発に寄与した日本の研究機関が二つある。
第一は東京大学生産技術研究所であり、第二は理科学研究所である。この二つは、
日本を代表する政府系の研究機関であり、決して意図的に北の核とミサイル開発に
貢献した訳ではない。いや、北朝鮮にうまく利用されたのである。
 しかし、この二つの機関は、核とミサイル開発に関する高い技術を保有しており、
北は意図的にここを狙っていたものと考えられる。東大生研は東大の付属研究所で
あるが、所員1,219 人、大学院生729 人、その他の研究生35 人等で、大型研究機関
であり、年間予算151億円である。その研究領域は膨大であり、あらゆる科学の
最先端をカバーしている。特に重要なのは、糸川博士がここでロケット開発を始めた
日本の宇宙開発のメッカであったことだ。

 この生産研にはかつて北朝鮮の学生研究生が20名以上も在籍していたこともあった。
その中でも筆頭が徐錫洪氏(日本名:住友清太郎)である。
彼は生産研で工学博士号を取得した。彼は80 年代にアメリカ動力機械学会賞を
受賞したこともある2 サイクルエンジンの世界的権威であるとされる。現在は
ロケットエンジン専門家でもある。

彼は、北朝鮮の元山に本社工場がある北朝鮮との合弁企業「金剛原動機合弁会社
の社長である。
テポドンのロケットモーターもここで開発されている可能性が高い。そして何よりも
疑わしいのは、1998年8 月31 日のテポドン発射実験の前後に、新潟より当時の
万景峰号で何度も往復していたことである。例の光明星一号発射前にも万景峰号
北朝鮮に行っていたことも警察公安が確認している。

これを見れば、北のミサイルも殆どが日本の技術で開発されたことは明白であり、
知らぬは日本政府と国民だけである。

☆恐ろしい北の核も日本発の技術

 東大生研と並ぶ、もう一つの研究機関は、例の小保方問題で揺れた「理研」である。
理研が、北の核開発を支援していたという訳では決してない。
しかし、理研は、第二次大戦中に「原爆」の開発を試みたが、成功を見ぬ前に敗戦
になった経緯があった。もちろん、戦後は平和的研究に徹しているが、ここも北の
工作の対象になっていたようだ。
今は廃刊になった月刊誌『諸君!』90 年5 月号所載の麻生総一郎の「ニッポンが
支える北朝鮮原発計画」によると、「例えば科協会長の李時求氏は、日本の原子
物理学の権威の下で学び、原子力開発にも精通している。」と記している。
また、この日本の原子物理学の権威について、同氏は「86年には宇宙工学の権威である
糸川英夫氏を、また87年には原子物理学の権威で、日本学術会議議長(当時)の
伏見康治阪大名誉教授を、科協会長の仲介で北朝鮮に招聘している。」とし、
「伏見康治博士と言えば、『アジア・太平洋の平和・軍縮・共生国際会議』や反核運動
など、いわゆる左派市民運動で有名だ。戦時中に日本が行った原爆研究には陸軍系と
海軍系の流れがあったが、ウラン濃縮研究の中心人物に伏見康治氏がいた。」と語り、
「科協の重鎮である李時求氏が日本の原爆開発の流れを汲む原子力科学者と北朝鮮
結び付けたとすると、「自主・民主・公開」の原則は、左翼のイデオロギーに利用され
易く、その反戦平和的スタンスに北の工作機関が狙いを定め、北朝鮮にも招聘され、
結局彼の原子力に関する知識は、北の原爆開発を支援することになった。彼の門下生は
北朝鮮系の研究生が多く輩出し、北の核開発に大きく寄与している。しかし伏見自身は
それを意に介することなく、北のためにも良いことをしたと見ているに違いない。
これが日本の学者の甘い所であり、やがては日本を破滅させるかも知れないパンドラの
箱を開けてしまったのである。

☆やがて日本破滅の禍根になる

 先に紹介した科協こそが、北の核とミサイル開発の源泉なのである。科協は在日朝鮮人
科学者、技術者、教育者、研究生を網羅する組織で、会員数は数千人に達し、全国を8つ
の地域に分けて支部を設立。また運営に当たっては、8 つの専門委員会を設け、日本に
ある全ての最先端科学を網羅している。この科協の目的は、唯一、祖国北朝鮮の発展に
寄与し、貢献することに命運をかけていることである。日本にとっては誠に恐ろしい
国家なのである。
特に核とミサイルの開発には科協の存在は必須なのである。それはあたかも、北朝鮮
いうヤマタのオロチが日本の科学技術というおいしい密を吸い取るストローのようなもの
である。
彼等はストローの先を日本という国に差し込み、他方を北朝鮮の独裁者が吸い込んでいる
構図である。甘い密を吸われている日本は全く警戒心も自覚も全くない。これこそが
危険極まりない原因なのだ。それを支援しているのが、反日左翼である。
学問の自由の名の下に中国・韓国・北朝鮮の学生を無制限に引き受けるのは、国を破壊
する最大の原因である。
最近の反原発運動のせいで、日本人の学生は殆ど原子力関係の学科には進まないが、
ここぞとばかりに原子力関係学科には中国人と韓国人学生が押し寄せていると聞く。
 
ところで、科協の仕事は核とミサイル関係の科学技術者を養成するだけでなく、
日本の膨大な科学技術文献を収集し、本国に送ることである。朝鮮新報2001 年6 月号
に「賑わう愛国閲覧室」なる記事によると、「1982 年人民大学習堂のオープンに際し、
在日北朝鮮人科学技術者協会が中心となって、数十万部の書籍を寄贈した。現在まで
寄贈されたのは数学・物理学・生物学を始めとした基礎科学と電力・金属機械・電子
を始めとした各種専門書と雑誌類、50 万部に上る。
 
以前は人民大学習堂が所蔵する他の書籍に交じって、分野別に収められていたが、
88 年に「愛国図書閲覧室」が新たに設けられ、海外同胞が寄贈した書籍が一ヶ所
に集められた」(新報01 年6月11 日号 )科協の仕事は図書や文献の収集を寄贈
するだけではない、その裏の顔として朝鮮労働党軍需工業担当機関である
「第二経済委員会」からの指示を受け、戦略物資調達を果たさねばならない。
「我々が社会主義祖国の富強発展のため、特色ある寄与をするためには、経済大国
を誇り、科学技術の発展水準の高い日本で生活し、事業して
いるという立地条件をあまねく利用し、在日朝鮮科学者、技術者でなければできない
ことをずば抜けてせねばならない。」(1995 年学術報告)これは恐らく最高指導者
からの指示であろうと思われる。

 前出の徐錫洪氏が無許可で経営していた、川崎市の「大宝産業」が神奈川県警に
労働者派遣法違反容疑で逮捕されたのも、この指示を実行しようとして失敗したもの
と思われる。
日本にはスパイ防止法もなく、先端技術がザルで水をすくうが如くにダダ漏れである。
科協には「科学に国境はないが、科学者には国境がある」というのがスローガン
らしいが、何を意味するか良く分からない。

要するに必要な科学技術を日本からできるだけ多く奪い取り、祖国の発展のために
使おうとでもいうことではないか?問題なのは、日本があまりにも無知で平和ボケ
しているのでこういうことが起こるのである。日本人の税金で開発した先端技術や
企業が開発した先端技術等が北朝鮮に流れ何十年という年月を経て、やがて核や
ミサイルとなって日本に襲い掛かろうとしている。
日本が早く事の危うさに気付かなければ日本だけでなく、世界を破滅へと追い込む
ことになろう。

トランプ氏が共和党の大統領候補になるようだ。

しかしその過激な発言のゆえに共和党支持者の間でも反対は多いようだ。

民主党の大統領候補がほぼ決まりそうなクリントン女史もダーテイなイメージで民主党支持者から嫌われちいる。

大統領選挙でおおきなねじれ現象が起こるのではないかと言われている。

案外それが共和党民主党という既成の概念を超えた、本当の民意を問う民主主義的な選挙かもしれない。

アメリカの皆様 自分で決めて投票してください。

そのあと日本がとういう目に合うかは、日本人が自分で考えて行動すべきことです。

日本人の主体的判断と行動が問われる時だと思います。

靖国神社

昨日、超党派の国会議員団が靖国神社へお参りしたそうだ。阿部首相は熊本地震の緊急事態対応のため参加されなかったそうだ。

私も夕方参拝した。境内には中国人韓国人その他外国人が大勢いた。それから大きなカラスも神主さんのように堂々と止まっていた。

この神社は。150年たている。

例大祭の時だ。

高いところに立っている、大村益次郎銅像が周りを見渡している。

参拝して世界平和・国家繁栄をお祈りしてきた。

遊就館は閉まっていたがその前にパール博士のレリーフがあった。

ラダ・ビノード・パール博士は東京裁判極東国際軍事裁判)の判事として着任し、終始この裁判の国際法的不当性と戦犯の無罪を、主張し続けた、ただ一人の国際法専門家だ。

東京裁判史観・自虐史観を超えて積極的平和守護を実現しなければならないだろう。

統一後ドイツ・ベルリンへ行ってみた
ドイツが統一されてから、旧西ドイツは多大に旧東ドイツに対して経済的援助をしなければならなかったようだ。
東ドイツは経済・技術・インフラともに進んだ、共産圏国の優等生と言われ経済も高度に成長していたと言われていていた。
戦後分断国家として存在していた南北ヴェトナム・朝鮮・韓国・東西ドイツがあったが、東西ドイツ統一は、最後だろうと言われていた。
ヴェトナムが北ヴェトナムに統一されてからそれほど時を経ず東西ドイツが一つとなってしまった。
東ドイツが政権維持を断念したからであろう。二大強国のうちアメリカはエールを送りソ連は静かにしているしかなかったのではないか。
当時のドイツ連邦大統領 ヴァイツゼッカーは記念演説の冒頭で、「今やすべてのドイツ人に適用されることになった憲法の前文には、本日我々の心を動かす決定的なことが述べられています。我々は自由な自己決定によりドイツの統一と自由を完成する。我々は統一したヨーロッパの中で世界の平和のために貢献したいと思う。われわれの使命を達成するにあたり、われわれは神と人間に対する責任を自覚する」と述べている。
これは世界で非常に評価の高い演説だ。
私は、ドイツ統一の数年後、友人を訪ねるためにベルリンへ行きました。
友人は旧東ドイツエリアのアパートに住んでいました。旧西ベルリンよりこちらの方の家賃が格段に安いということでした。
キッチンも整備されており、バスルームもある住居でしたが手入れが行き届いていないのか壁はすすけていました。それでも天井の高い古い建物で住むには申し分ないところのように思う。
奥さんの心のこもった食事を頂いた後、縫う人の案内で近くを歩いて回り、ブランデンブルゴ凱旋門を見に行きました。
昔のベルリンの壁は一部記念のために残してあるもの以外どこにもなかった。
ブランデンブルゴ門を行ったり来たりしてみた。門の上には戦車を操る女神ヴィクトリアの雄姿が乗っている。この門は1788年作られたものだが、ナポレオンに敗れたとき門の上に飾られていたヴィクトリアの彫像はナポレオンによってフランスへ持っていかれてそうだが、プロイセンナポレオン3世を破ってドイツ第二帝国を創建したときに奪還したそうだ。
門の上で4頭立ての戦車に乗って傲然とベルリンの街を睥睨している女神様にもいろいろな苦労の歴史があるものだと思う。
門の下では、旧ソ連の軍隊の放出品軍服・軍帽・暗視望遠鏡等色々なものを
を売っている青年がいた。時代の移り変わりを感じる。