懐手して天体観測

2014-03-26

いまだにウッカリして甘いお茶なんて飲んだりしたり 

 筒井康隆創作の極意と掟』(講談社)を購入。筒井の「小説作法」とあってはこりゃ読まな、と近くの居酒屋で読み始める。仮フランス装の瀟洒な装丁。柔らかな手触り。飲みながら片手で読むのに軽くてとても良い。目次を見ると「凄味」「色気」「迫力」「幸福」……などなど面白そうな項目が並んでいる。ぱらぱらと索引を見てみると、なかなか丁寧につくってある。作品名と作家名がわかれているのも良いですね。探しやすくて。索引を見ているだけで楽しくなってくる。そういえばなぜか、江戸川乱歩(だけ?)が旧字になっていたのだけど何故だろか。

諧謔」という項目にこんなくだりを見つける。

 実は「猫」〔「我輩は猫である」〕に夢中になる以前、小学校に入る前からもう一冊、夢中になっていた本がある。弓館芳夫という人の「西遊記」だ、これはギャグ言葉遊び洪水だった。弓館芳夫という人は東京日日新聞記者をしていた随筆家で弓館小鰐というペンネームだったが、この本は軽装の戦時体制版だったためか本名で書いている。

筒井康隆創作の極意と掟』p259-260

 本筋とはまったく関係ないのだけど、「弓館小鰐」というこの名前、はて最近もどこかで目にしたなと帰宅して本を漁るに、先週読んだ野村胡堂随筆銭形平次』(旺文社文庫)にあった。野村胡堂中学校時代同級生だった。

 弓館小鰐があんなに巨大な豪傑になろうとは、誰が一体思い設けよう。かつての弓館小鰐は、筆名を小学生と名乗ったほどの小柄な美少年であったが、身体が大きくなると共に、それを小鰐と変え、万朝から毎日新聞に移り運動記者としての大元老になった、同時に「西遊記」の現代語版の作者でもある。

野村胡堂随筆銭形平次』(旺文社文庫)p27

 大きな人だったらしい。考えもしないところで私の中で筒井康隆野村胡堂が結びつきなんだか面白い。そういえば、と思いだし書棚をさぐり筒井康隆筒井康隆文藝時評』(河出書房新社)を見つける。考えもしないといえば、この本は「文藝」に1993年の春季号から冬季号まで全四回連載されていた「時評」で、奥付をみると、ちょうど二十年前のいまごろに刊行されていることに驚く(1994年2月25日初版発行)、主に時間の経過に、早いなぁ、94年ってもう二十年前かよ!ということはどうでもよく、何故にこの本を思いだしたかというにここにも考えもしない結びつきがあり、五年ほど前に古本屋で買って読んでから、それが頭のどこかにずっと引っかかりつづけていたからだった(ということとは別に、この本でやっていることと『創作の極意と掟』のなかでやっていることが同じ―つまり小説に対する「批評」―で、やっぱり筒井は凄いなぁ、などと思ってしまう)。この本は、「時評」ということもあってか多くの作家評論家名前がでてきて、その人について後注形式で説明しているのだけど、そこに取り上げられている名前を見て、さてこの中の何人が現役の作家としていま書いているのか、と思うとなかなかに恐ろしいものがある、というのとは別に、考えもしない結びつきというのが、この本のなかに名前がでてくるけれど後注にでてこない人、つまりこの時点では作家でも評論家でもない人が、おそらくいま作家として活躍している、ということだったりする。「文藝時評◇第2回」に書かれたこんなくだり。

聖者たちの街」は大阪舞台にしていて、主人公は私立探偵である。私立探偵とくればすぐ、ハメット、チャンドラーといったハードボイルド作家連想が働くのは、いかに短絡であるはいえ、やはりしかたのないことだ。(中略)一方やはり大阪舞台にして、こちらははっきりハードボイルドを謳った黒川博行の「封印」(文藝春秋)が出ていてやけに評判がいい。何通信社系なのか知らないが「神戸新聞」の書評欄には「エンターテインメント」なるコラムがあり、荒山徹という人が「ハードボイルド・シティとしての大阪の魅力」とか「浪速ハードボイルド」なんて言葉まで創造して賛辞を呈している。

筒井康隆筒井康隆文藝時評』(河出書房新社p90

 明敏な方はもうお気づきだと思うけど、もう一度繰り返そう。

通信社系なのか知らないが「神戸新聞」の書評欄には「エンターテインメント」なるコラムがあり、荒山徹という人がハードボイルド・シティとしての大阪の魅力」とか「浪速ハードボイルド」なんて言葉まで創造して賛辞を呈している。

同上(太字は引用者による強調)

 というわけで、荒山徹には是非、大阪舞台にした現代モノの「浪速ハードボイルド」を書いて欲しいと思ったことである*1

 そしてここまで書いてきて、これはもしかしたら『創作の極意と掟』の項目にあるところの「妄想」というやつなのではないかとも思ってしまう。脳のクセか。困ったものだ。

*1:ちなみにまったくウラはとっていないので、ただの同姓同名の可能性は否定できない。それはそれでも面白い

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2013-09-05

花は自分が美しいことを知らない


 さて、山本夏彦によると明治の昔、「岩野泡鳴は桃中軒雲右衛門の浪花節をきいて、しきりに落涙して、拳固〔げんこ〕で涙をぬぐいながら、この涙はウソウソだと、言いはってきかなかったという」*1が、本日、私はでたばかりの成田美名子の『花よりも花の如く』の12巻を、モツ焼き屋で飲みつつ読みながら、溢れでてくる涙を抑えきれず同じことをつぶやいていた。この涙はウソウソだ。いや、思いきり泣いているのだけど。でもウソ

 一日千秋の思いで新刊がでるのを待ちようやく今日という日をむかえ、近所の本屋さんで購入し、さてどこで読もうかと思案、お腹もへっていたので近場のモツ焼き屋に入り瓶ビール枝豆に、串をお任せで頼み準備万端。馬手にビール弓手に『花よりも花の如く』を構え、読み始める。コマの運びと物語に加速され、ぐいぐいと読み進めているうちに、ある場面で、ん、と一瞬なにか込みあげてくるものがあり、気づくと温かいものが頬をつたっていた。あれ、私、いま泣いているよ。モツ焼き屋のカウンターで。マンガを読みながら。と現状を冷静に認識する私がいながら、一方で、物語世界に深く入り込んでいる私がおり、どうしようもなく涙が溢れてくる。驚いた。久しぶりに物語に振り回された気がする。ああ、それにしてもこの巻の終わり方は凄い。物語を自在に操作するその技巧、成田美名子、いま円熟期なのではないだろうか。ああ、それにしてもお店の方に、カウンターで隣に座っていた人、ごめんなさい。周りから見たら、串とマンガを片手にぽろぽろ泣いているって、けっこう怖かったかも。私なら話しかけるかもしれないけど。

 そういえば、物語中、青森神社で矢を放つ神事があり、これは以前同じ作者が描いていた『NATURAL』の中でも扱われていたので、そのことを思いながら読んでいたら、一コマだけ、その『NATURAL』のメインキャラクターである山王丸がでてきて、しかも大学四年生になっていてびっくりする。理子さんはどうなったのだろう。時は流れる。年々歳々花相似、歳々年々人不同。

 最近前田英樹安田登の対話集、『身体で作る〈芸〉の思想武術と能の対話』(大修館書店)を読んだせいもあるのかもしれないけれど、成田美奈子とこの二人の、あるいは内田樹との、能に関する対談読んでみたいなと思ったことであるよ。仄聞するところでは内田樹マンガ結構読んでいるみたいなので、ちょうどよいのではと妄想之云爾。

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2013-08-14

猛暑夏風邪

 バカなため夏風邪をひき一週間近く寝込む。体温なのか気温なのかわからない暑さのなか仰臥。とめどもなく汗がでてくる。お盆ということも相俟ってか、死んだ祖父が夢にでてくる。勘弁してください。動くこともままならず、熱で頭のゆるむままに布団の中で『文豪ストレイドックス』(原作=朝霧カフカ漫画=春河35、角川書店)にもし海外からの来襲者がでてきたら、ということを考える。

 『文豪ストレイドックス』とは、「現代横浜舞台に繰り広げられる異能力バトルアクション!」(公式サイトより)ということで、この説明でわかる方もいればわからない方もいるかと思うのだけど、なんというか、山田風太郎の鬼子というか、清涼院流水の直系というか、「戦国無双」(コーエーコーエーテクモゲームス)、「戦国BASARA」(カプコン)の想像力の質というか、「剣豪」(元気)の「文豪」版というか、つまりは歴史という文脈から浮遊する「文豪」という記号と「バトルアクション」という物語でなりたっているマンガ歴史という文脈をあっけらかんと無視した設定で(絶対に出会うことの無い人物が作中で共存している)、作中の「武装探偵社」の成立の話を描かないかぎり、いくらでも(史実的な)前の時代にさかのぼれるわけで、これ、すごいな。江戸(を舞台にした)時代にしてもいいわけだし。それこそ初代は稗田阿礼とか…。異能力「古事記〔ルビ:フルコトフミ〕」とか…角川だし…、という妄想をする。

 それはさておき、80年代90年代ジャンプに汚染された頭としては、いずれ、外部(海外から新たな敵が襲来し、いま敵対している二つのグループが共闘するのではと思ってしまう。

 ところで、二巻までの登場人物を史実に沿って生年順・没年順に並べてみる。

生年順

福沢諭吉(1835-1901)

国木田独歩(1871-1908)

樋口一葉(1872-1896)

泉鏡花(1873-1939)

与謝野晶子(1878-1942)

谷崎潤一郎(1886-1965)

芥川龍之介(1892-1927)

江戸川乱歩(1894-1965)

宮沢賢治(1896-1933)

梶井基次郎(1901-1932)

中島敦(1909-1942)

太宰治(1909-1948)

立原道造(1914-1939)


没年順

樋口一葉(1872-1896)

福沢諭吉(1835-1901)

国木田独歩(1871-1908)

芥川龍之介(1892-1927)

梶井基次郎(1901-1932)

宮沢賢治(1896-1933)

泉鏡花(1873-1939)

立原道造(1914-1939)

与謝野晶子(1878-1942)

中島敦(1909-1942)

太宰治(1909-1948)

谷崎潤一郎(1886-1965)

江戸川乱歩(1894-1965)

(以上、生没年のデータwikipediaより)


 これを元にして、「私が選ぶ最強の外文作家」を考えてみる。縛りがないと面白くないので、恣意的ではあるものの、一応最大範囲で史実的に1835年(福沢諭吉の生年)から1965年江戸川乱歩の没年)の間に死亡していて*1、なんとなく強そうな「異能力」を持っていそうな外文作家。とりあえず、こんな感じで思いつく。左からキャラクター名、歴史上の生没年、異能力名。さっそく友人に送ってみる。


メアリシェリー(1797-1851)「フランケンシュタイン

エドガー・アラン・ポー(1809-1849)「赤死病の仮面

エミリー・ブロンテ(1818-1848)「嵐が岡」

イワンツルゲーネフ(1818-1883)「猟人日記

ドストエフスキー(1821-1881)「罪と罰

ラフカディオ・ハーン小泉八雲、1850-1904)「影」

マルセル・シュオッブ(1867-1905)「黄金仮面の王」

マルセル・プルースト(1871-1922)「失われた時を求めて

ポール・ヴァレリー(1871-1945)「海辺墓地

レオポルド・ルゴーネス(1874-1938)「塩の像」

トーマス・マン(1875-1955)「魔の山

魯迅(1881-1936)「吶喊」

ジェイムズ・ジョイス(1882-1941)「フィネガンズ・ウェイク

ヴァージニア・ウルフ(1882-1941)「波」

フランツ・カフカ(1883-1924)「審判

フェルディナンセリーヌ(1894-1961)「夜の果ての旅」

フィッツジェラルド(1896-1940)「華麗なるギャツビー

アーネスト・ヘミングウェイ(1899-1961)「キリマンジャロの雪」

(生年順。データwikipediaより)


 これだけでもかなり強そうだけど、原作朝霧カフカということで、このキャラもぜひ入れて欲しい。


 ラヴクラフト(1890-1937)「狂気山脈

(あるいは、異能力は、次のものをカナで言ってルビをふって欲しい)

 「ザ・コール・オブ・クトゥルフ」〔ルビ:クトゥルフの呼び声

 「ザ・ネームレス・シティー」〔ルビ:無名都市


 絶対、ラフカディオ・ハーン裏切り者だよね。国木田独歩ツルゲーネフ江戸川乱歩とポー、立原道造ヴァレリーのバトルとかわくわくするよね、やっぱりプルーストマドレーヌをもぎゅもぎゅしていて欲しいよね、と友人にメールしたところ、「まず熱下げろ。というか寝ろ」との返信が来る。友人はいつも正しい。SFバージョンを考えたとか、ミステリバージョンを考えたとか、哲学者バージョンを考えたなどとはとてもいえない。でも、とりあえず、「異能力名で格好良さそうなのは虚無への供物』だよね」という言葉には同意をもらえたのでよしとする。あと思ったことには、このマンガを教材にして「私の考える最強の文豪」とかやってくれぬものか。中学校とかで。

*1:できればボルヘス(1899-1986)も入れたかった…。芥川ばりのボスキャラで。異能力名「伝奇集」で、その下位能力に「バベル図書館」「八岐の園」とか。あとサミュエルベケット(1906-1989)で、「名付けえぬもの」とか考えたのだけど。残念。

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2013-05-21

こんなグルグルまわる家いりませんよ

 森見登美彦『聖なる怠け者の冒険読了。およそ二年ぶりの新作。堪能する。オビを見ると「森見登美彦作家生活10周年」とあり、一驚。10年!

 はじめて『太陽の塔』で森見作品に触れ、一読後、当時一緒に暮らしていた人に「とうとうわれわれの時代作家が生まれた!」と叫び、冷たい眼で見られてからもう10年!

 森見登美彦というと、どこで眼にしたのか忘れたものの影響をうけた作家として内田百里鬚△欧討り、さもありなんと思ったけれど、今回の作品を読んでいる最中、この感じはなにかに似ているな何だったっけ、うーん、この茫洋とした感じというかお酒に酔ってふわふわしているような感じ、ってそれはそのままか、うーん、でもこの酔いはじめのような柔らかな酩酊感が物語にえがかれている以上に、文章と不可分な感じがして、この読書体験て、と思っていたら、途中にでてくる秘密団体の名前を見た瞬間に「木曜の男」という単語が頭に浮かび、そこからチェスタトンにいき、一気に氷解する。あ、吉田健一に似ているんだ。

 テングブランとは不思議な酒だった。いや、これは本当に酒なのだろうか。割った葡萄酒の味をくるみこんでいるものは、何か透明な、良い香りのする、曖昧ものだった。口の中をチクリとも刺さない。酒精分が入っているのかどうかも曖昧なまま、胃の腑へ落ちていく。

森見登美彦『聖なる怠け者の冒険』(朝日新聞出版 p204)

 そうして宵山喧騒に耳を澄ましていると、自分の立つ位置が曖昧になってくる。どうやら少し浮かんでいるらしい。目を開ければ元に戻ってしまう。もう一度目を閉じると、また身体は浮かんでいく。そんなことを繰り返して遊んでいるうちに、自分の位置を少しずつ引き上げていけるような気がした。眼を閉じたままでいれば、まるで自分が空にいるように感じられた。頰に当たる風はたしかに空を渡る風である

同上(p205)

 このあたりとか、吉田健一のこんな文章を思いだす。

 大体、どこの酒でも、いい酒であればある程がぶ飲みするやうに出来てゐない。飲み難いといふのではなくて、酒は上等になるのに従つて味その他が真水に近くなり、(…)水に近いだけでなくて更にその他に何かがあり、分析すればこくだとか、匂い[ママ]だとかになるその何かががむしやらに飲まうと逸る気を引き留める。本当に美しいものを前にした時、我々は先づ眼を伏せるものである。酒にもそれと似た所があつて、水に近いまでに冴え返つたその正体がやがて味や匂ひなどに分れて行き、それをゆつくり楽まうと思へば、ゆつくりする他ない。そしてその間にも、余計な苦労をしない程度に酔ひが少しづつ廻つて来るのが、酒といふものの有難い所なのである。酔ふのが目的なのではなくて、酔ふことも酒を楽むのに必要な一つの順序に過ぎない。

吉田健一「酒と人生」(『旨いものうまいグルメ文庫 p74)

(…)酒が旨いといふのはその味がいいといふことであるとともに、飲んでゐるうちに体がどことなくふはふはして来ることでもあり、羽化登仙した積りで立ち上がると、別によろめきもしないのは、これも不思議である必要とあれば、又、踊りを知つてゐさへすれば、踊ることも出来る筈であつて、それであの「勧進帳」の弁慶は一升酒だか何だかを飲んだ後で富樫の前で舞ふ。

同上(p107)

 一度連想が動きだしてしまうと、内省韜晦諧謔の混ざり具合が嫌らしくならず、絶妙なバランスで成立する森見の文章がえがくところの、主に京都舞台にした作品世界と、吉田健一の、たとえば『東京の昔』や『旅の時間』や「金沢」などの物語性のつよいというか、彼の文章の中で一番「小説らしい」作品がえがく土地の感じが、とても近しいもののように思えてくる。二人の作品を読んでいてつい笑ってしまうその笑いをおこす文章のメカニズムが、割合に近しいところにあるのではないかとも思う。作中人物の会話の妙とか。

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2012-04-19

立ち読みではあるものの。

 今週のモーニングの、よしながふみきのう何食べた?」を読んでいると、どこかで見たようなカフェが。矢吹が行きたがり、わざわざ電車で移動してゆくカフェ。ん?としばし黙考。内装と店の雰囲気から見るに、もしかしてA-NE CAFE(をモデルにした店)ではなかろうか? 仄聞するところでは『愛がなくても喰ってゆけます。』にでてきたbagelというお店の後身とのことで、いわれてみれば登場する店員さんの雰囲気も似ているような気がする。よしながふみ、本当にこのお店好きなんだなぁと、以前一緒にA-NE CAFEにいった人にメールする。

 「今週の『きのう何食べた?』にでてくるカフェが、前にいったお店のような気がするのですがどう思います?」

 三時間後返信。

 「私も思った! んー。たぶん間違いないですね。あそこは美味しかった。またいきましょう。ところでマンガでは史朗が奢るといってましたね。よろしく!」

 ……やぶへびだったか。

こんな夢を見た。

 なだらかな坂道を下っていると、向こうから若い女がやってくる。

 だいぶ近くに来たので見てみると、真っ白いスカートに薄い青色の半袖をあわせている女は、薄紅色の傘をさしている。

 はて、この晴れの日に傘とはと思っていると、ぽつりと、何かが顔にあたり、つづいて、ぽつりぽつりと、勢いを増した雨粒が体を叩き始めた。

 なるほどあれは雨傘だったのかとみていると、女は、傘を頭の上で逆さにし、先端の尖った所を片手に持つと、水影に煙り様子は良く分からないが、何やら楽しそうに傘を上下に動かし始めた。

 ぱつりぱつりと、雨が落ちる場所によって少しずつ音が変わる。

 どうやら彼女はそれが楽しいようで、笑いながら、片足でバランスを取るような奇妙な動きをする。雨が溜まり段々に重さを増してゆく傘を空に向けるようにして、ゆらゆらと揺らしている。

 器用なものだと思い、その様子を腕組しながら見ていると、

「あら、不躾な。見るなら、ちゃんと舞台で見なさいな」という。

 さかさまになった傘の下から、瓜実顔の整った顔立ちが覗いた。青白い肌の中に凛々と光る眼がこちらを値踏みするように見ている。傘に溜まった水ごしに、女の顔がゆらゆらと揺れる。

 傘に溜まった水が跳ね、私の顔にかかる。かすかに潮の味がするような気がした。

「なにをいっているんだい。舞台なんてものがどこにある。ここは往来ではないか」というと、彼女は七分目程に水の溜まった傘を重そうに片手で支えながら、呆れたように目を細めた。

「ほらそこにあるではないか、なんだい、お前はあきめくらかね」という。

 女が指差した方を見ると、確かに舞台があった。檜皮葺きの立派な舞台の上には、目の前の女と同じような格好で傘を揺らす女たちが沢山いる。

舞台で見るのなら麻の葉の一枚でも持ってくるというのだが礼儀だろうに、その様子じゃ用意なんてしてやしないんだろう」

 困惑した私は、持っていた鞄をかき回し、中からどうにか、孔雀の羽を一枚引っ張り出してきた。

 そろそろ水が八分目にもなろうという傘を、片手から両手にかえて重そうに持ち上げている女は、それを見ると重さも忘れたように、

「なんだいそんな良い物があるのなら早くいうもんだよう」という。

 そこで私は、この女が北国の出身であることがわかった。

AlexanderAlexander 2012/06/19 23:02 この伝の諸賞流はすごいですよ。あなたは今に諸賞流の稽古しますか?私も諸賞流の弟子です。諸賞流の歴史に興味を持っています。変化の技は何ですか?小具足と立合と組討をわかります。全部の技はほんとに五重取ですか? メールを送りてください。よろしくお願いします。

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