男性の性(セクシュアリティ)に対する罪悪感や恥は、「本能的な性」の在り方しか知らないために起こる。「神聖な性」が存在すると知ることで、男性は性に対して他の思考と行動の在り方を選ぶことができる。タントラヨガの考え方を借りて、男性のセクシュアリティの捉え方について取り上げました。この「神聖な性」という捉え方は、私にとって「ずっと求め続けていたものだ」と感じられました。 質問「男性の性に対する罪悪感や恥は、その奥にどんな思いがあるのでしょうか?」 「本能的な性」とは異なる選択としての「神聖な性」 「いい人でありたい」「女性を純粋に愛したい」という魂の声 投稿者の感じること セクシュアリティを話題にす…