Hatena::ブログ(Diary)

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2020-01-01

2018-05-19

[]四月に読んだある程度最近の海外SF

積み本消化強化月間、四月は海外SF

グレッグ・イーガン万物理論

万物理論 (創元SF文庫)

万物理論 (創元SF文庫)

最初っから最近ではなくてアレだけど、原著が二十年、訳書も十四年前になる積み本をようやく読んだ。面白く読めるんだけど主観的宇宙論ものというとおりの大ネタがいまいち納得しづらい点がなかなか難しい。あと長い。詳細に描き込まれた未来社会の技術、社会、環境は興味深くもあるけど、長い。そういえば短篇に比べて、消失、順列等長篇はどれもどっか手放しに面白いって印象はないなそういえば。松崎有里の「あがり」を連想した。

ジャック・ヴァンス『竜を駆る種族』

竜を駆る種族 (ハヤカワ文庫SF)

竜を駆る種族 (ハヤカワ文庫SF)

改めて浅倉久志の訳文は良いなと思った。ドラゴンマスターズがこの題名になるのも。遠未来のSF的設定を背景に持つファンタジー風世界での、抗争とディスコミュニケーション異世界描写も鮮やかな一篇。ヴァンスを最初に読んだのは『ノパルガース』で明らかにB級SFなんだけど、そもそも力ある作家だからかなんか楽しく読める作品で、自分はSF好きなんだなと思ったことがあった。

B・W・オールディス『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド

最初Barefootの方かと思ったら自作をもじった題の別作。そりゃそうだ。循環系を共有するうえに三つ目の頭がついている結合双生児兄弟が、ロックバンドとして大成功を収めたのちにたどる末路。相手といかなる時でも一緒にいることによる不和から生まれる悲劇。お互いを憎み合うしかない運命を描いていて、後半の不気味さはなかなかのものだった。イアン・ポロックによる挿絵がまたそれを倍加しているんだけど、この絵の不気味さは覚えがあるなと思ったら小林ゆうの絵だ。

J・G・バラード短編全集1』

ようやく一巻を読んだ。これだけ一気にバラード短篇を読むとむちゃくちゃ濃密だ。各短篇集ごとにバラされていた諸作が通時的に並ぶことで、さまざまなかたちで変奏されるバラード特有のモチーフがなんとなくわかるようになってる気がする。

デビュー作「プリマベラドンナ」は倦怠と停滞の熱砂のリゾート、ヴァーミリオン・サンズ連作のはじまりでもあるけれど、「大休止」というようにまるで時間が止まる=終わるかのような感覚があり、ほぼ同時に書かれたもう一つのデビュー作「エスケープメント」がタイムループものなのもとても示唆的。時間の循環、停滞にくわえ、第三作「集中都市」はこの時間軸が空間軸に変換されており、西へ向かったはずが東へ向かっているという不気味な積層都市が描かれている。近づいてくる終末、逃げ場のない空間、いずれもが脱出できない閉鎖系で、初期作品はこうした逃げ場のなさが繰り返し描かれている。西が東に循環する「集中都市」や、ミニチュアがリアルスケールに繋がる「ゴダードの最後の世界」のような、ループ、循環的構造も特徴的で、これはまさに外宇宙と内宇宙の関係そのもので、宇宙を探究することが人間の心理や精神の内宇宙への潜行に転位する。逃げ場のなさはそれが自己自身の精神だからだろう。睡眠を除去し多大なる時間を得たと思ったら精神的牢獄への囚われとなる「マンホール69」のように、時間と空間の変換も特徴か。SF的設定が人間心理への探究に繋がるバラードの方法はこの時期、閉鎖された時間と空間を舞台に問われている。テクノロジー三部作も監視社会の三部作も舞台の閉鎖性がその最大の特徴だけれど、時間の終わりと閉ざされた空間の密接な関係性がごく初期から現われているのがよくわかる。そして「集中都市」にはバラードのよく知られたオブセッションのひとつ、空を飛ぶことが描かれているのに気づいた。

で、もう一つの特色が音。バグルスラジオスターの悲劇の元ネタと言われる「音響清掃」の残存する音のアイデアも印象的だけれど、自己増殖する音響彫刻を描いた「ヴィーナスはほほえむ」の「いまに、全世界が歌いだすときがくる」という一節は「時の声」にも共振するものがある。終末を告げるカウントダウンを示唆する宇宙からのメッセージが描かれる「時の声」での、「頭上では星が歌っていた。地平線の端から端まで空にぎっしりとつまった幾千の宇宙の声、真の時の天蓋」という一文は、「ヴィーナスはほほえむ」の一文と似た終末的感触がある。黙示録的というか。「深淵」の「魚は海という鏡に映ったわれわれ自身」とあるように、外こそ内、内こそ外、という鏡像関係。閉ざされた時空間の濃厚な存在感があって、上下二段の山盛りのバラード短篇にはなかなか中毒的、蠱惑的な味わいがある。

ただ、この全集翻訳情報がない。創元SF文庫からのものはかなり置きかえられてるんだけれど、それがこの全集のための新訳なのか、既に雑誌や書籍に載せられたものの採録か改訳だったりするのかがわからない。「時の声」の伊藤典夫訳って1966年SFマガジンに訳されているみたいだけれど、これはさすがにそのままではなさそう。パラ見した四巻では『残虐行為展覧会』からの翻訳の法水金太郎というのは横山茂雄ペンネームで、工作舎版から改稿して収録、と情報があるのに。

アンディ・ウィアー『火星の人』

火星に一人残された宇宙飛行士がその知識と技術を用いてなんとかサバイバルするという話自体面白くないわけがなくて、その細かなプロセスを丹念に描写していくさまはまるで出来の良いノンフィクションかのようなハードSF。悲観することもなくユーモアを交えつつできることは何かを考え宇宙飛行士地球側も最大限のベストを尽くしながら生還のための方策を練り続ける手に汗握る迫真エンターテインメント。ある種の楽天性、まさにアメリカSFの精神性って気がするけど、まあ素直にとても面白い。とりあえず面白いSFを、と言われたら前置きなしに勧めていいだろうっていうポピュラリティがある。

ケン・リュウ『紙の動物園

評判だったけども帯で泣ける小説とかあって、どんなもんかと思ったら確かに表題作は感動話だけどかつ、中国アメリカ人が置かれた差別的状況が正面から描かれていて、他作品も難民先住民といった民族の問題に取り組んだものだったのには良い意味で驚かされた。表題作は歴史の悲運をたどった中国人女性がアメリカ人男性に買われるように結婚し、その息子がアメリカで「シナ人」呼ばわりされ母親との疎隔が生まれるという関係を主題にしているし、「月へ」も亡命申請にまつわる困難がファンタジックな比喩に託して語られるものだし、「結縄」は先住民文化搾取と彼らを資本主義市場に取り込む植民地主義の問題、「太平洋海底横断トンネル」は日本の炭鉱での強制労働を想起させる改変歴史ものでもあり、「心智五行」も植民地主義への批判意識がある。「文字占い師」も漢字文化と反共弾圧の歴史と異邦人の境遇が描かれる。文庫二分冊のうち『紙の動物園』はとくにこうした問題を軸に編まれているように見える。物語とこうした問題意識が不可分のものとしてあり、中国アメリカ人としての作者自身の関心が強く出ているように見える。アジア文化アメリカSFを架け渡す意識が強く感じられる。

ケン・リュウもののあはれ

こっちの方は冒頭の表題作の日本文化論にはややそうかな、って部分も感じた。そのお話は「もののあはれ」かな、という。それはともかく、カルヴィーノ「柔らかい月」を思わせる「潮汐」、さまざまな「本」を描く「選抜宇宙種族〜」、中盤の三篇はデータ化人格や不死性といった生の問題を扱いつつ、そして「良い狩りを」は、妖狐と妖怪退治師の時代が蒸気時代に飲み込まれていく様を描きながら、そうくるか、という展開の妙を見せる中華スチームパンクの傑作だろう。失われていくものとその現代的再生を描く本作は作者自身の作家性についてのメタ物語とも読める。

作者が中国SFの翻訳を精力的に行なっている理由が伝わるような作品群で、中国アメリカのあいだにある、という自身の来歴、位置を正面から受けとめ、生かしているような本だった。二つの表題作のようにややベタな感動ものに傾きがちなところは気にはなるにしても。Twitter文学賞トップというのも頷ける、海外現代文学好きには非常にアピールするだろう作品だ。

アンナ・カヴァン『氷』

全世界的に厳寒期が訪れ氷が世界を覆いつつあるなかで、「私」という語り手が「少女」を探し歩き、再会したり別れたりを繰り返す、何処とも知れぬ場所で固有名が欠けた物語は心理と世界とを重層的に描いているかのようにも感じられる奇妙な傑作。「外の世界の非現実性は、尋常ならざる形で私自身の乱れた心の状態を延長したもののようにも思えてきた」とあるように(ちくま文庫101頁)。しかし、語り手のというよりは「少女」のそれ、のように思える。アルビノの銀灰色の髪を持つ少女は繰り返し、犠牲者服従者、傷つけられる者として描かれるからだ。中盤までは章ごとに唐突にそれまでとは話の繋がらない少女が殺されたりするような場面が挿入される。少女は夫のもとから出奔して以降、「私」と「長官」とによる争奪戦トロフィーとしてある。この同一人物ともいえる二人の男による奪い合い。全体主義国家の寓話やヘロインアレゴリーなどともいわれるけれども、私にはこの作品は、「少女」という存在が受ける抑圧や受苦・絶望を描いた一種フェミニズムSFのように見える。バラードがしばしば熱帯的な原始性あるいは宇宙的なものと繋がるのとは違う、氷、という酷薄な絶望がある。かといってラストに見るように男性性への否定に貫かれているわけでもない。「少女」は愛を求めている、と言うとおりに。カフカを思い出すのはそうだけれども、よりいっそうバラード的な世界の純化したものを感じる。「私」が熱帯から戻ってきた人間で、歌うキツネザルインドリ」がしばしば言及されるという熱帯的なものが「私」に仮託されているかのようにも見える。

解説で川上弘美が「狭い」と言っているけれども、この小説の叙述は重層性ではなく、すべてが何らかの自己言及でもあるかのような強烈な狭さかも知れない。「私」も「長官」も「少女」も。「少女」の造形から薄々感じてはいたけど、サンリオ版の序文でオールディスが「アンナは富裕な母親に支配されていた。人生においても著作においても、彼女は遂にこの支配の重圧から逃れることができなかった」とあるのを読んで、やはり、とは思った。カヴァンは文遊社がいまたくさん出してて既訳はほとんど入手できるけれど、カヴァン名義の第一作『アサイラム・ピース』だけが品切れなので文庫化なりされないかな。

ちくま版で相当改訳されているのは冒頭見比べてもすぐにわかる。サンリオ文庫版はオールディスの序文があるのと、山田和子の訳者後書きがかなり力入っていて見所。バジリコ版でかなり親しみやすいように解説をリライトしたのが分かる。ちくま版もインパクトあるけど、サンリオ版のらしい装画がなかなかいい。

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ピーター・トライアスユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』

表紙に描かれたメカ要素はむしろ少なく、皇国日本に占領されたディストピア社会でアメリカが日本に勝ったというゲーム「USA」の製作者を探す改変歴史SF。作者が韓国生まれでアメリカに育ち、八歳から二年韓国に住んでいたというアジア系アメリカ人でもあって、改変歴史の核に、アメリカが日本人日系人を「強制収容所で数万人を拷問した」という「自由と勇気の国」への疑念があるようにも感じる。作品世界では歴史改変でソ連アメリカが日独で分割されていて(太平洋大西洋の帝国って感じか)、合衆国は皇国日本の全体主義体制下にあり、天皇への批判は許されず叛逆の意ありとみれば即座に処刑されてしまう。そしてこの歴史の根底にあるのが、冒頭の日系人強制収容所じゃないかと思う。この第二次大戦アメリカでの差別弾圧を反転した、日本人によるアメリカ占領というのがUSJの歴史改変の基軸に思える。だからこそ、今作には拷問が頻出するのでは、と。プロローグと本篇での「拷問」はつまりいずれの社会も収容所としてあるからではないか。反抗のあり得ない収容所と化した社会。トランプ政策に対する批判か、と思ったけどそれより前だった。とはいえ、そうしたテーマが前面に語られるわけではなく、一読テンポの良いエンターテインメントとして楽しめる。特にすごいのは槻野昭子で、狂信的天皇主義特高ぶりは半端ない。重要っぽく出てきた人物も不敬を働けばさくさく殺していくので、え、マジで?みたいになるし、それと主人公がコンビを組んでいくのもマジで?こいつ連れて行くの?ってなる展開が面白い。キャラとしてパンチが効きすぎている。文庫カバーは上下巻で一枚絵になる。でもこんな場面あったかなー。

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チャイナ・ミエヴィル『ジェイクをさがして』

面白いもののどこか波長が合わない感じがした。ロンドンの出来事、細部に宿るもの、仲介者、使い魔なんかの不気味な何かを想像させるホラー系短篇は良かったけど、中篇「鏡」がこう、長いわりに話に興味続かなくてだらっと読んでしまったなあ。「クリスマスTM」でいきなり笑わされたクリスマス管理社会というブラックユーモアの短篇もなかなかよかった。面白いところとあまりわからないところがある感じだけど、長篇もそのうち読みたいところ。『都市と都市』は読む。

ハーラン・エリスン『死の鳥』

これはさすがレジェンドと言われるだけある作品集だった。圧倒的。スタイリッシュに描かれる性、暴力、金のエネルギー。表題作は手塚治虫のと何か関係があるのかどうか。一冊通して読むのは初めてだったけど、このレベルを連発されるともう何も言えん。「「悔い改めよ、ハーレクィン! 」とチクタクマンはいった」って本当に「悔い改めよ、ハーレクィン! 」とチクタクマンが言うもんだから笑った。この凝ったスタイル、文章のエネルギー、やはりベスターを思い出す。「プリティ・マギー・マネーアイズ」は既読だけど、これはやっぱり良い。そして「鞭打たれた犬たちのうめき」「ソフト・モンキー」などの冴えを見るに若島正編のクライムノベル作品集、じつに期待大ではないか。未来の文学三年出てないけど。まあその前に既刊短篇集の二冊を追々読まないと。

バリントン・J・ベイリー『ゴッド・ガン』

エリスンに比べたら語り口が普通だけどネタの飛び方はなかなかのベイリー。神を殺す銃の一発ネタみたいな表題作も笑えるけど、訳者が言うように地底潜艦の話や不死の話もその多くが出口のなさ、をモチーフにしているものが多くて、脱出が新たな牢獄になるようなアイロニーが頻出している。そういやベイリーの追悼特集のSFマガジンは読んでいたので表題作と「蟹は試してみなきゃいけない」は既読だった。蟹、当時結構好きだったんで、今再読するとそのセックスに血道を上げるホモソーシャルな男コミュニティな感じがちょっと厳しいなあ、と思って読んでいるとまあ蟹だし、最後の苦いエンドには結構良いじゃないかってなるのでやっぱり良かった。

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川名潤カバーデザインによる二冊、明らかに対照的な作りで面白い。この二冊は刊行が三ヶ月差だったはず。

2018-04-03

最近読んだ最近の日本SF

かねてよりかかり切りだった案件を一区切りした(まあまったく終わってはいないけれども)ので、ここ数年ため込んでいたものを読むか、と。三月は最近の日本SF月間を設定してざざっと読んだ。感想をツイッターに随時書いていたものをまとめておく。日本SFは少なくともこの三倍以上積んだままだけど、ここ数年に出たものを主に。

飛浩隆『自生の夢』

自生の夢

自生の夢

発刊時に買ったのをSF大賞を受賞したころようやく読む。やはり非常に良い。飛浩隆、人体損壊と音楽が好きだなって感じるけど、「情報」を介するとこれは似たことで、「海の指」のように情報を奏でて存在を再構成する「描写」が全体で重要で、作中の描写を描写する文字表現の二重性が面白い。詩、音楽なんかの芸術と情報技術の関係性というか、比喩的な関係として重ね書きしている、か。現在SFマガジン連載作の改稿中らしいけれど、「空の園丁」の続きもどうか。

仁木稔『ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち』

これも刊行時に買ったのを四年積んでいた。SFマガジン掲載作に書き下ろしを含めてまとめられた連作集。社会的な暴力とそのコントロールの問題を「妖精」と呼ばれる人間をダウングレードした人工的亜人種を通じて描き、また「英雄」と「物語」をメタ的に問いかける小説で、とても生々しい肌触りがある。それは、冒頭の一篇がその妖精撲滅派の人間、言ってみれば排外主義レイシスト、作中でも「真正の異常者」と呼ばれる、妖精虐待殺害の犯人によって語られることで、読む者を居心地悪くさせる手法を用いていることもある。ツインタワーが健在だった改変歴史世界で、妖精という亜人種をあえて人間の下位存在として単純労働をさせ、あるいは暴力をふるっていい存在となすことで、人間は「絶対平和」を享受している、というディストピア設定――人間は差別対象を設定することで秩序を維持している――がなされている。つまりエンタメとしての差別、という観点。

後半のアキラという記号設計者(キャラクターデザイナー)を共有する連作では、妖精をデザインし、歴史的舞台を設定し、戦いの物語を創作することで、世界の暴力性をコントロールする興業化された戦争が描かれており、キャラクター、キャラデザ、スタジオなど、アニメを意識した用語が用いられている。それぞれの戦いにおいて、自分自身はそこまで複雑な感情を持ち合わせない妖精の戦いに、人々が物語を、キャラを見いだすという物語化を描いていて、同時に第一篇の「異常者」がある運動のなかで英雄化されるくだりも並置することで、物語化をアイロニカルに眺めるかたちで展開していく。妖精、という虐待され殺され、物語の登場人物として戦闘させられ、平和の礎にさせられる亜人種、という存在、途中まで読んでいて思い出したけれど、解説でも指摘されるル・グインの「オメラスから歩み去る人々」を思い起こさせる。猖獗を極める排外主義差別主義の暴力を見据えつつ、暴力という人間にとってのエンターテインメント、を批判的に描き出して、これまでの仁木稔作品の前史としても書かれた興味深い作品集。「はじまりと終わりの世界樹」なんかやたらに密度が高くてわりとついていけてないくらいだ。

宮内悠介エクソダス症候群』『アメリカ最後の実験』『彼女がエスパーだったころ』『スペース金融道』

四冊ほど宮内悠介をがっと読んだけど、この貪欲な好奇心とそれをこのアベレージで作品化する力がすごい。デビューからゲーム、内戦・テロ精神医療、音楽、疑似科学、金融、ポストヒューマン、などなど多彩。

エクソダス症候群』 精神医療史をたどりながら未来を見据える趣向で、面白いし興味深くもあるものの、作品としてもう一つピンとこないなと感じてたんだけど、一種の叙述トリック的な後半の一ネタには唸った。フィクションの枠を破ってぐさっとやられた感じ。しかし、昔から構想してたものだったため若かりし頃のアイデアが古層のようになっている作品で、いまだったらセフィロトの樹型に並んだ病院とか恥ずかしくて書けない、と著者がいうのはなるほどと。やっぱりあれかな、エヴァ世代だからかな、セフィロト。あの当時のエヴァファン、私のように謎本や用語事典などからSF、宗教心理学精神分析神秘主義とかのワードにたまらない魅力を感じていた人がいるはず。天使の事典、悪魔の事典、カバラ等の青土社の本買ったりを読んだりした気が。著者がエヴァファンかどうかは知らないけれども。

アメリカ最後の実験

アメリカ最後の実験

アメリカ最後の実験』 わりと爽やかな音楽小説で良かった。父親の謎、外からきた青年など、『エクソダス症候群』とプロットに似た要素も多いのは執筆時期の関係もあるだろうけれど、音楽、医療における、テクノロジーが人間をどう変えるか、という問いの相似性があるからか。三人の音楽学校受験生の関係も描いた青春小説の趣もあって、それでいて音楽を通したアメリカ論でもあり、またチャールズ・マンソンが出てくるし、どっかバラードの『二十二世紀コロンブス』(『ハロー・アメリカ』として復刊された)を思い出すところがある。

彼女がエスパーだったころ

彼女がエスパーだったころ

『彼女がエスパーだったころ』 雑誌記者の「わたし」による超科学、オカルトものの連作短篇集で、水にありがとうといったり、ホメオパシーカルト宗教などが出てくる。理想的なロボトミー手術があったとしたら、の「ムイシュキンの脳髄」での人格の問題や、「薄ければ薄いほど」での、薄めきったレメディの効能という逆説をさらにひねったくだりが印象的だった。その二作が「年刊日本SF傑作選」にも採録されている。近々文庫化される。

スペース金融道

スペース金融道

『スペース金融道』 はじめて植民に成功した星で、差別されるアンドロイドにも金を貸す高利貸しを主人公にしたバディものコメディの要素を持つ。スラップスティックさと主人公が常に悲惨な目に遭うのは「血界戦線」を思い出した。面白サイバーパンクなところもありつつも、アンドロイドと人間がテーマでポストヒューマンものでもあって、アンドロイド・人間との差別で同化が一種の解決策になるくだりはどうかと思ってたら、それをさらに捻ってきてて面白い。

伊藤計劃円城塔屍者の帝国

屍者の帝国 (河出文庫)

屍者の帝国 (河出文庫)

単行本刊行当時に買っていたのに、その後文庫が出てもまだ読んでなかった2012年作品をようやく読んだ。伊藤計劃の言語や意識のテーマを引き継ぎ、円城作品としては意外なほどの冒険小説的エンタメとしての魅力を備えつつも書くことと読むことの円城塔的なテーマで枠取りし、甦った屍者を書くフライデーによる感謝の言葉はそのまま円城自身の伊藤への言葉でもあるような重層性にはどうしてもぐっとくる。フライデーという書記機械は物語生成プログラムの名前が由来の円城塔のあらわな化身だし、ワトソンとの「三年に満たない旅」は、伊藤と円城の「二年半」のつきあい、と対応しているはずで。「屍者の話」は当然伊藤という死者についての「わたし」の話となり、これこそ伊藤がどう書いたか、ではなく、伊藤が書いたものを通じて自分がどう考えるかだ、ということの意味だろう。意識や私、アイデンティティのテーマに対し、随伴し書く存在という円城的テーマとしてのフライデーを置き、それぞれを言葉というポイントで交差させる目論見、と言ってしまえるかは判然としないけれども。

屍者設定、世界一周、絢爛たるパスティーシュ等々、豪奢な作りとその密度には圧倒される。ただ、伊藤の筆になるプロローグから円城の第一部に入った瞬間、語りの温度が変わったというか、語り手の青年臭さが抜けてしまった感じがした。改めて検討してはいないけれど、このワトソンの人物像がどうにも立ち上がらない感じはある。だから映画版でワトソンフライデーの関係がかなり変わったらしいのはなるほどと思った。動機から人物像をはっきりさせたんだろう。「下着ではないから恥ずかしくない」は伊藤計劃らしい小ネタで笑わされた。でも円城塔もわりとこういうことする気もする。伊藤の影響だったり? しかし、おそらくは英語のやりとりのなかなんでナンセンスな指摘なんだけど、芥川龍之介の初出以前に「藪の中」って表現が使われるの面白いな。この作品の手法的に意図的かな。「藪の中」発表以前、「藪の中」という慣用句で示される意味はどう表現されていたんだろう。

そういえば、と岡和田さんの書評などを読んでみると、そうかそう読むか、と驚きがあった。パスティーシュの意味というか。それぞれのジャンル小説の祖を取り込むメタ的な意味、とか。まあ一読して射程や深度が測れる作品でもないだろう。そもそも主要引用作もかなりわからないのが多い。諸ジャンルを横断するパスティーシュ、SFの起源としてのフランケンシュタイン推理小説ホームズ、ポーへの言及、近代文学の巨星ドストエフスキー、スパイものの007、進化論ダーウィン、人造人間『未來のイヴ』その他たくさんだけど、では近代小説の祖としてのドンキホーテ要素はあるか。

樺山三英ハムレットシンドローム』『ジャン=ジャックの自意識の場合』

ハムレット・シンドローム (ガガガ文庫)

ハムレット・シンドローム (ガガガ文庫)

ハムレットシンドローム』 シェイクスピアの『ハムレット』をネタにした久生十蘭の『ハムレット』とその原型「刺客」を翻案し、さらにシェイクスピアのほうをも取り込むように何重にもフィクションを重ねつつ、演じることを演じること、という「嘘」を迷宮的に折り重ねたメタ幻想小説ハムレットを演じることは正気をなくしたふりのふりだ、と語られるけど、この狂ったふりの問題って『ドン・キホーテ』に直結する話で、多重化したフィクションもまたそうだから、『ドン・キホーテの消息』とも重なる部分が多いなって思っていた。「ぼくはすべてを書き換えたいんだ」、という台詞、さまざまなフィクションを幾重にも書き重ね書き換えていく本作らしい。みんな大好きヘソムラアイコさん、小柄メイドスモーカーは確かに魅力的。ざーっと読んでたらいろいろ読み損ねてる感じなのでまたそのうち読み返した方が良い。

先だって久生十蘭ハムレット」を久しぶりに読み返したけど、世情、服飾を取り混ぜて流麗に語る文章が本当に魅力的。人相で他人の性格を残忍な犯罪者気質だと断定する性格学語法、完全に旧時代的差別主義でいまやギャグに見える。でもこの、見ただけで相手の性格がわかってしまう語り口、十蘭の文体を支えるハイセンスさ、博覧ぶりとも相補的に見える。

ジャン=ジャックの自意識の場合

ジャン=ジャックの自意識の場合

『ジャン=ジャックの自意識の場合』 驚くべき作品でこれがSF新人賞を通ったのはすごい。選考委員の度量だろうか。一応はSF設定もあるあたりポストモダン文学っぽい。というかスペキュレイティヴ・フィクションです、って言うしかないというか。子供しかない孤島の学校での反倫理的実験、ジャン=ジャック・ルソー=私だと名乗る島の王から書かれる手紙にはJ・Dという宛名があり、サリンジャージャック・デリダが重ねられ、ルソーそしてロビンソン・クルーソーコロンブスアメリカ発見、フランス革命ハイチ革命の植民地問題、等のポストコロニアルな問題をも濃密に溶け合わせながら、天使=アンジュと呼ばれる少女と「ぼく」との幼いロマンスでもあったりして、エロス、血と暴力、ゾンビ幻想文学というか、メタSFってこういうことかなって思ったりもする。イメージ的に飛浩隆を思い出すところも。

あとがきからすると、どうも本作はルソーを起点として教育と革命の問題や、フランス革命が白人の革命だとしてハイチの黒人による革命を対置する構図もあって、いやー、わからんなあ、と思いながら読んでた。相当ハイコンテクストな小説。衒学と奇想のごった煮。「人権宣言それ自体の中に奴隷制を維持しあるいは植民地支配に通じるようなものが、ひょっとしたらあるのではないか」と西川長夫がコメントしている『ハイチ革命とフランス革命』という本がある。

コメント:「ハイチ化」と人権宣言 西川長夫

初読で面白ーいってなれた『ドン・キホーテの消息』ってかなりわかりやすくなってるんだと思った。ドンキホーテはある程度調べたことがあったからか? しかしとにかく、「わたしは世界を、両手で粉々に砕いて潰し、それを見て笑うあなたが見たい」というイエイツのエピグラフが素晴らしい。出典がわからないけど。ゾンビフライデーといえば『屍者の帝国』も浮かぶ。屍者による単純労働を担わされた『屍者の帝国』と、妖精が単純労働に従事する仁木稔の『ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち』があって、円城塔は意識の問題、仁木稔は社会性、統治の問題につながってて、類似と差異がいろいろある。

宮澤伊織『裏世界ピクニック』

表紙のotherside picnicストルガツキー兄弟の『ストーカー』の英題Roadside Picnicのもじりだろう。ふとした拍子に迷い込んだ不思議な世界で、人を探す鳥子と出会った空魚は、二人で探索しながらくねくね、八尺様などネットロア的怪異・怪物と遭遇するというホラーSF。都市伝説、実話怪談をベースにしているけど、本作では怪異を認知、認識論をかませてSF的骨組を与えている。それでいて、裏世界を探検するなかで浸食を受け、目や手に異常が生まれたり、現実世界へ訪問してくる怪奇存在などがあり境界の揺らぎ的怖さも出てくる。訪問者は怖かったな。

金髪美人帰国子女銃器の扱いも得意な鳥子に見とれて、鳥子が探すサツキに嫉妬を燃やす、「コミュ障サブカルオタクと見せかけて依存性サイコパス」呼ばわりされる空魚との百合小説でもある。作中の「アルファ・フィメール」というのはアリアAAの女人望ですか。人間の認知・認識の可塑性が扱われており、サツキへの感情の真正性もまた揺るがされる展開もあるかな。小桜はまあ感づいている描写がされているし。二巻もそのうち。

長谷敏司『あなたのための物語』

あなたのための物語 (ハヤカワ文庫JA)

あなたのための物語 (ハヤカワ文庫JA)

サマンサは自己免疫疾患による苦痛から逃れられないなか、物語創作の実験として立ち上げられた人工知能と対話を続け、神経接続を抽出し移植できるITPという新技術の研究に取り組むというのが大きな筋書きで、苦痛に歪む身体という牢獄の存在そのものが人間の核心でもあるという悲痛な作品。ITPは人間の神経の連結をプロトコル化したもので、それをインストールすることで技能や感情を移植することが出来るという技術で、人間の神経操作、ひいては人格そのもののコピー可能性が浮上してくる。執拗なサマンサの苦痛描写と、小説を書く創造性の実験体《wanna be》という仮想人格とサマンサの対話が描かれ、脳神経のコピー可能性技術の軸上に人格と身体の対比がある。平板化というITPの技術的問題はそのまま意味の優先順位の欠落、つまり物語の不在とも捉えられるわけで、創作機械のそれと同時に敬虔なキリスト教信徒のサマンサの母親が意味を持ってくる。人間とロボットの話でもあり、そして難病小説でもあるという情緒的感傷的枠組ながら、その感傷を突き放した距離感がある。苦しいとき、身体がなんらかの故障をしたとき、その苦痛や絶望が、身体こそ逃げ場のない痛みの牢獄だと思わされるときがあって、そういう痛ましさを切々と思い出させる作品で、そこから仮想人格や物語の意味を問うていく語りは目が離せないものがある。作中のロジックを整理できてもいない気もする。

「層 ―映像と表現 vol.10 特集1=SFの再定義 特集2=映画論の諸相」

北海道大学大学院の出してる雑誌、前号に続いてSF関係の論文が載っている。SF特集、藤元登四郎論文は、短篇群からバラードの時間論を探り、金沢英之論文小松左京水見稜飛浩隆の系譜をたどったもの。左京水見の諸作はぜひ読みたくなった。石和義之「飛浩隆の享楽」は、精神分析理論を援用して飛浩隆を論じたもので、理論と相性がいいのか面白く、飛作品の人物はAIではなく、計量可能な人間のメタファーというのが興味深い。柳瀬善治論文宮内悠介樺山三英を論じつつ、満洲表象において瀬川深と対比してSFの語り技法を論じた部分が面白く、また樺山の関心を群衆や歴史との関係で探っておりそこでの「歴史的な生のありよう」も重要。

忍澤勉論文は、タルコフスキーの映画八作についての煙草や病、そして死の表象を詳しく追ったもので、これはタルコフスキーソラリスしか見てない身にはまだ読む段階ではないな、と思った。どうでもいいけど、「執拗に喫煙の害を訴えた映像作家」、覚えている限りではアニメ世界征服――謀略のズヴィズダー」三話が、喫煙批判でなかなか話題になった作品。監督岡村天斎ヘビースモーカーらしいけど、他にも喫煙批判がちょくちょく作品に出てくると聞いたことがある。

樺山三英論文日本文学における団地の表象を小論としてまとめたもので、安部公房後藤明生古井由吉久保寺健彦宮内悠介角田光代重松清原武史、あるいはウルトラマンなどを例示しつつ、画一性の典型とされるなかの歴史性個別性を見ていこうとする。

また榊祐一論文は、「サブカルチャー」という用語の概念整理を試みた労作で、サブカルチャーという言葉が指し示しているものはなにか、を膨大な資料博捜のなかで位置づけたもので、担い手集団、コンテンツ、その他(いわゆるヴィレバン的「サブカル」)などの分類を試みている。

本誌は石和義之さまに恵贈いただきました。ありがとうございます。

樺山三英「団地妻B」

すばる2018年4月号

すばる2018年4月号

すばる」4月号掲載の中篇。団地住人とも団地そのものともあるいはまた別の何かが重なり合ったような奇妙な一人称「わたしたち」によって語られる幻想的団地史あるいは団地に仮託された戦後日本小史、か。「マダムB」という凡庸な夫人がおそらくは凡庸ゆえに拡散、複数化していく幽霊譚。読む前にこれは『ボヴァリー夫人』ネタかなと思ってたら冒頭は「気の触れた男がひとり、わたしたちの前に姿を現わす」で、この複数人称、『ボヴァリー夫人』の冒頭のあれじゃね、と思ってたら「マダムBはわたしだ」というフレーズが出てくるし、マダムBが蓮實重彦読んでるんだから笑ってしまう。『ボヴァリー夫人』を論じた蓮實重彦を、『ボヴァリー夫人』の数百年後のパロディ的人物がその「凡庸さ」について語った講演や著書を読んでいるんだからたまらない。マダムBも「最初にして最後の団地妻」とか称されるのも。「層」vol10での柳瀬論文、樺山自身の団地論は、この作品の興味深いサブテクストにもなっていて、柳瀬論文での「歴史的な生のありよう」は、マダムBという装置を使ってなにを語ろうとしたのかのヒントになるようにも思う。

牧野修『月世界小説』

月世界小説 (ハヤカワ文庫JA)

月世界小説 (ハヤカワ文庫JA)

すでに世評高く期待してて、確かに面白くはあるけど物足りなさもかなりあって、どう言ったものかと。なぜか敗戦とともに存在そのものが消え去ったらしい「ニホン語」をめぐる謎の探究、反政府活動、公安あたりの展開はなかなか面白いし、世界を物語り改変する異能言語もいい。ただ、記号破壊砲だとかの「言語戦」描写がどうにも物足りなくて、言語による書き換え合戦のメタフィクショナルな描写が最後の最後にしかない。脚注弾とか校正赤色弾とか落丁爆弾とか面白いのが一瞬しか出ない。「言語戦」が普通の戦いの用語を置きかえただけという部分が多い。ラストのリレー小説合戦は盛り上がりはするんだけど。また気になるのが「日本語」をめぐる設定や歴史改変の部分。敗戦後「米国領ニホン列島自治区」となった作中では、70年代の反日武装戦線とかの爆弾闘争が日本独立を目指す国土回復運動に置きかえられているのが大きなところで、それはともかくとしても、日本語が他者を取り入れるシステムを持ち、大和言葉と漢語を同時使用できるメタ言語だから異能がつかえるという設定があって、いや日本語は漢字を使ってるけど漢語ではないのではって。失われたニホン語の文脈で『古事記』が出てくるけど、『古事記』は和化漢文といういちおう漢文ベースの文章なのでちょっと場違いだったり。日本語の特殊性は学術的に否定されているとあるしもちろん設定でしかないけど、そこに日ユ同祖論を引っ張ってきて、ユダヤ人と日本人が多く「魔術師」になれる、という「民族」主義的発想につながってるのがどうも。

「穢れ」云々や原発を防御する展開、本作で意識されているのは震災以後の放射能汚染だとも思える。震災黙示録的に導入しつつ、それとの戦いを組織しハッピーエンドを夢見ることが物語られる祈りの小説でもあるのはいい。ただ、それが言語ナショナリズムに併走している感があるのが気になる。主人公らが神に否定されるゲイだということが、本作の神あるいは運命との戦いの起点にもなっているという多様性をめぐる宗教的闘争でもあるのもいいんだけど、ニホン語を守る戦いが人類の戦いにスライドしているあたりも気にはなる。

會川昇『超人幻想 神化三六年』

昭和ではなく神化の元号が採用され、超人が実在する改変歴史世界を舞台とするアニメコンクリートレヴォルティオ」の前日譚でもある小説で、リプレイ型のミステリSFでもある。アニメと独立しつつも別視点を補完し、なおかつメインテーマは共通していてとても良い。冒頭のテレビ放送黎明期、ドラマが生で演じられていた時代の裏方などは文化部ラジオでゲストの辻真先が語っていて面白かったところだ。起こらなかった226事件、開催された戦前の東京オリンピックなどのパラレルな並行次元、時間を戻せる忍者劇中劇とのシンクロなどなど、別次元のリンクが随所に仕込まれており、またこの作品の主人公自身アニメコンレボに脚本を書いた辻真先をモデルにしているという虚実入り乱れる雰囲気。1961年、GHQの影も生々しく、戦争の傷跡が大きなテーマとなるなかで、正義とは何か、を暴力への抵抗と捉えているのかな、と感じられる。主人公はモデルが辻真先だとして、友人たちのモデルは手塚治虫平井和正らしい。ひとつ、主人公の重大な選択のとき、戦争の拡大と東京焼け野原になると聞いたのにそのことを考慮していない部分がものすごい違和感があった。

大森望日下三蔵編『年刊日本SF傑作選 さよならの儀式』

2013年の傑作選をようやく読んだ。660ページオーバー、これまでで最厚じゃないか。宮内悠介石川博品作品は既読だったので除くと、良かったのはオキシタケヒコ草上仁藤野可織あたり。門田充宏の受賞作もSF的に尖ってはいないけど読ませる。オキシタケヒコの音響ミステリSFは結構気に入ったのでこの短篇集をいずれ読もう。藤野可織も二冊持ってて読んでないのでそのうち。冲方丁のは平安ワードをちりばめて、八〇年代にOVAか劇場アニメになかった?という風合いをあえて、というSFロボット活劇でなにか懐かしい王道感があった。円城塔も良い。藤井太洋も面白いけどエンジニアもので私にはややわかりづらい。宮部みゆきも悪くないけど、という感じで、田中雄一のは人身御供ディストピアもので気持ち悪さが出ている。問題なのは筒井康隆含めた中盤の大家の三作。筒井のはセクシズムジョークを工夫なく書いただけという感じでさすがにこれを採るのは。式貴士の未完作は私家版刊行の歴史性をアンソロジーに含みたいという話ならわかるけども、という。とはいえこれだと傑作選の名には悖るのでは。荒巻作品は、うん。大家の三作はカットしてもう一つの短篇賞受賞作をいれれば、と思ったけど、選考段階と作品選定の時期の関係で、もしかしたら掲載許可を取ったあとに収録見送りには出来ない、と言うことかも知れない。

高島雄哉「ランドスケープと夏の定理」、創元短編賞の傑作選に入らなかった方、電子版を買って読んだけど、宇宙論、知性定理、人格コピーなどなど濃厚なSF設定がギュウ詰めされてていやはやなかなか。SFとしての読み応えは相当だけれど、改稿してあるはずだから、「風牙」とどっちとは言いづらいか。あんまり分かったとは言いづらい濃さだけど、SF的な世界の広がりというか圧倒的なスケール感は良かった。しかしこれボール入ったときの感覚器官ってどうなってるの。あと、これってラノベ的人物造形かなあ。

大森望日下三蔵編『年刊日本SF傑作選 折り紙衛星の伝説』

2014年。宮内が既読でほかに良かったのは長谷敏司、下永聖高、草上仁オキシタケヒコあたり。円城、酉島、短編賞もまあまあ。諸星大二郎は台詞回しが変だなと思ったらそれか、と。いや途中の大ゴマで明らかにネタばらししてるけど。堀晃のはSF作家私小説でもあって以前このシリーズに収録されてた眉村卓のとも並べたい感じだ。ちょっと興味深かったのは、三崎亜記「緊急自爆装置」、このあり得ない設定で平然と話が進んでいく奇想小説とは言え、人が自爆できる権利があるというだけではだから、としか思えずあまり好きではないんだけど、公務員経験者の役所小説として興味深い。納税免除されているだろう貧困者に対して「市民の一人」ではあるけど「健全な市政」を支える市民ではない、という一文は役所の政治性なるものが如実に出た部分にも思えるけれども、さてこれは意図的なものか。業務上の正しさとは正義でも公正さでもなく、手続き上の瑕瑾がないことを意味する、というのはそうだろうと思える。編者も言うようにいろんな制約やらがあるので、600ページあっても半分も楽しめたら良い方だなくらいの感じで年一の雑誌としてとらえるのが良いなこれは今更だけど。選評や年間SF概況あたりが参考になる。これを読むならNOVAも読んどくのがいいんだけど、あれ二巻をまだ読んでないな。

2018-01-10

[]ゴンチャロフ - オブローモフ

オブローモフ〈上〉 (岩波文庫)

オブローモフ〈上〉 (岩波文庫)

年始と言うことで十五年ほど積みっ放しにしてきた長篇を読むことにした。ゴンチャロフの『オブローモフ』、2002年秋の一括復刊されたものを買ったのをいまに至るも読んでいなかった。ゴンチャロフといえば二葉亭四迷が『浮雲』でその文体の手本にしたロシア文学者の一人だけれど、おそらくこれを買ったのは、後藤明生の長篇『四十歳のオブローモフ』の影響のはずで、後藤論を書きつつも読んでいなかった。

というわけでようやっと読んでみたけれど、全三巻にわたる長篇で、波瀾万丈ということはなく、ある一地主オブローモフの特にどうということもない生涯を哀切に語っている。そして親友シュトルツ、下男ザハール、恋人オリガ、そして妻アガーフィヤらの周辺人物を丹念に描きつつ、「オブローモフ気質」という倦怠と退嬰の性質を浮かび上がらせる。

無用者、余計者の代名詞ともなったオブローモフという通り、序盤はベッドから出ることもなく、そして下男ザハールもそれにつられて無自覚の無能者として描写されている。ゴンチャロフ自身が有能な官吏がゆえか、オブローモフ気質を打ち出すのではなく、寝こけて怠惰なオブローモフ空想的退嬰に逃げ込んでいる人間という否定的人間像でもある。

中巻は第二篇、第三篇が収められており、第二篇はオリガとオブローモフの恋愛関係が始まりそして盛り上がるけれども、ここでオブローモフは関係の頂点で私はオリガの幸福のためならオリガを誰かに譲っても良いんだ、と誰か恋人候補がいるわけでもないのに勝手に言い出している。しかしこれはただの空想的自己陶酔でオリガを無視したロマンでしかない。

この空想的恋愛の高揚に対し第三篇では現実的側面が強調されてくる。いざオリガと結婚の約束をしたあと、ザハールからオリガと婚礼の話が飛び出るとオブローモフ恐慌に陥る。結婚資金やら準備が調っていないことに気づいて、見栄から噂の広まりを恐れて会わなくなる。むしろオリガの側は、オブローモフの困窮を聞き知って、自分の土地だか何かを提供すればとも思っているんだけど、オブローモフはただただ噂を恐れ、デートも気が気でなく、会うことすら避けてひたすらおどおどとしているばかりだ。これもまた俗世と見栄のエゴイズムでまったくオリガを見ていない。

オブローモフ自尊心要求につり込まれて、オリガの心に犠牲を強要し、それに陶酔したくてたまらなかった。中巻293P

オリガもこう批判する。

「要りもしない、できもしない犠牲を申し出るのは、それは狡猾な人たちの手よ、要らない犠牲を捧げなくてもすみますからね。」中巻430P

結局オリガとの恋愛は破綻して、オリガの側が自分の恋愛は空想だったと省みるんだけど、もっと空想的なのはオブローモフ自身で、彼の行動がエゴイズム自己憐憫への甘えでしかないことがグリグリと掘り下げられていくのが中巻で、なかなかすごい。

「オリガ、なんだってあなたはそう自分で自分をさいなむんです? あなたはぼくを愛しているんだから、とても別れてはいられないでしょう? あるがままのぼくを受け入れてください、ぼくのなかにあるいいところを愛してください。」中巻469P

オブローモフ気質というのがキーワードだけど、オブローモフのこの性格、いらつくと同時に、ある種の自分自身でもあるので、身につまされる面白さもある。さすがに酷すぎるだろと思いつつも、シュトルツに連れられないとどこにも行けない引きこもりぶりとか思い当たりすぎる。

下巻においてオリガとの恋愛が破綻したあとに見いだした、借り家の女主人は、家事を万端如才なく差配する有能な人物だけれど、自分の感情については無自覚な、無私の奉仕をこととする女性で、ある意味で旧時代的な主婦の理想像のような人物だ。このアガーフィヤの無私のオブローモフへの愛情は、オブローモフ自己憐憫自意識の恋愛との対比ともなっており、進取の気性にとんだオリガとも対比的な人物だ。

じつはザハールの無能さとその妻となったアニーシャがきわめて有能に用事を全うするあたりにも、オブローモフとシュトルツの関係の似姿が埋め込まれていて、ラストにシュトルツが出会うのがザハールだということの意味がここにもある。

オブローモフ気質とは、怠惰と破滅の柩に入っているような生、という否定性のワードなので、オブローモフが終盤築いた何も変わることない「完全な幸福」はすぐに崩壊してしまう。もっと『怠ける権利』を主張したいところだ。働かないで生きていきたいよな。

怠ける権利 (平凡社ライブラリー)

怠ける権利 (平凡社ライブラリー)

しかし、オブローモフの怠惰が成立するのは農奴制の地主だからでもあるので、もちろんそれを擁護するわけにも行かない。オブローモフ気質、というのも、近代化も進み発展していく現実において、まどろみのごとき農村での安穏とした暮らしなどもはや成立しないという旧時代への鎮魂歌でもある。

空想的ロマンにたゆたうオブローモフと対比されてる「ドイツっぽ」シュトルツの有能さ、勤勉さは近代資本主義社会のそれで、妻となる女性とのお互いに知性を高めあう関係と、オブローモフの日々変わる事なき生活およびその家主アガーフィヤが何の知識もないながら家事労働をきわめて有能に差配する様子の保守性とが、未来と過去として描かれるわけだ。

オブローモフ気質が否定性としてあるとしても、オブローモフの優しさ、人間的魅力については称揚されていて、特にアガーフィヤにとって太陽だったという件はなかなか泣かせるところがある。とはいえ、中巻あたりのエゴイストぶりが目立つので、その人間的魅力の真実性が感じられるかというと個人的にはやや疑わしい。未開人は心優しい、という類いのオリエンタリズム、というか、近代化しゆく時代において、滅び行く懐かしいロシア典型としてオブローモフがあるようにも感じられる。過ぎゆく過去へのノスタルジーというか。柩に入っているようだ、とか、オリガにあなたは死んだ人だ、と言われる場面だとか、オブローモフはそういう象徴性を持っている。

それゆえにこそ、オブローモフ主義、というある種の典型を描き出したとして時代に名を残すことにもなったんだろう。ドブロリューボフの評論はそのうち読んでみたい。

しかし、アガーフィヤやアニーシャ、オリガなど、時代性はありつつも特に女性に対しては書き方がとても肯定的な感じがあるのはこの人の特質だろうか。オリガのオブローモフへの批判はいずれも的確で正しい。

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中身も十五年の年月を感じさせるように、紙面が焼けていた。はじめて読むのに古書のようだ。

2017-12-31

2017年見ていたアニメ

今年見ていたアニメの感想まとめ。去年長すぎて記事分割になったので、今年は頑張って短くした。だいたい60作超。おおむねツイッターに書いていたことのまとめなので、それを見ていた人にはさほど新鮮みはないかも。
https://twitter.com/inthewall81

2017・冬

けものフレンズ
今年ベスト級の作品で、ここ数年でも個人的にもかなり上位の作品だった。最初見た時はAパート途中でくじけたんだけど、いや、と思って一話を最後まで見たらコレ面白くなりそう、と思い、そして二話で今期最注目作品だと言っていた時点では、その後の爆発的盛り上がりはまったく予想できなかったし、こうまで記録的な感じになるとびっくりするし、その後の監督降板による激烈な冷えにはさらに驚いた。激動の一年すぎる。このプロジェクト自体はウェブ配信されていた漫画版を読んで知っていたんだけど、漫画を読むとどう見ても少女の存在が、飼育員など人間とは別の存在として扱われるので、家畜などを擬人化して地獄絵図が現われ炎上する擬人化の罠に足突っ込んでる感じがあったんだけど、アニメは人間がその特権性をあらかた剥奪された形で登場しており「批評」を感じた。記憶を失い自分がなんの「動物」かわからなくなり、持ち物から「かばんちゃん」と名付けられ、動物たちから「何もできないのね」と言われ、「ぼくって相当だめな動物だったんですね」と嘆息する主人公は、「人間」の特権性をまったく剥奪されている。フレンズという存在はサンドスターというもので動物が人間の姿になったもので、また彼等が探検するのが既に人のいなくなったテーマパークだというから、ポストアポカリプス的な感触もある非常に面白い世界設定がされている。擬人化された動物のなかに人間が放り込まれたとき、人間の人間性や個性、特徴とは何なのか、というのは第一話から提示されており、人間性が相対化されているのと共に、動物の動物性もまたフレンズの体を得ることで変質しているので、人間と動物の境界が融解してすべて並列されている。そしてけものフレンズにあるのは、主人公が何者であるかにかかわらないサーバルの友愛で、友達には相手が何なのかなんて関係がないということで、これはかばんとその他フレンズとのかかわりが最終話に援軍として現われ、タイトルロゴが作中にバーンと出る珍しい演出をしたことでもわかるように、友達、ということが重要なテーマだったのが良い。二話で橋を作ったのも良かったし、三話の鉱山、空を飛んで、トキとアルパカと道を作って、出会いをもたらす三話で本当にこれは良い作品だと思った。その路線をずっと貫いていた。ドラえもんの長篇的な、偶然出会った友達との意外な大冒険という王道路線を進んでいたのが本当に良かった。ドラえもんだと最後は必ず別れが来るんだけれど、これは作中では別れなかった。作品外では。

この素晴らしい世界に祝福を!2
二期も安定感は相変わらずで、面白かったんだけど逆に書くことがないな。八話、遠景で洞窟入り口にダクネスが落ちてその上を通り過ぎていく鳥と、よし、とやってめぐみんに指示を出す近景でピントがぼけたカズマの構図がなんか良かった。いい絵だ。宗教都市の攻めまくる勧誘と異教徒への冷たい扱いには笑ってしまった。契約書を引きちぎる3カメからの止め絵完全に勢いで飛ばしてるんだけど一番笑った。しかしモブが藤田咲、稲田徹、小倉唯、渡辺明乃、小澤亜李、南央美っておかしすぎる。モブが大事な場面だけどもだいたい主役級じゃないか。八話ラスト、契約書を破り捨てる3カメの叫びに笑った。

●霊剣山 叡智への資格
中国のネット小説を原作にした霊剣山の二期。監督その他スタッフを入れ替え、見た目ががらりと変わって、作風もかなりシリアスよりになったけれど、やはりこの外道主人公の外道ぶりがよい。悪徳商法に騙されてて、それに従わない人間を村八分にする村、とかまあ飛ばしてた。その村人に対して「おバカ税を取る!」「愚民たちの、俺たちによる愚民たちのための税」として「智力税」を提唱したり、ぐだぐだな統治を批判し「オレに管理される優位性」を滔々とまくしたて、新教を創設する主人公、まあいわゆるピカレスクというかアウトロー主人公もので殺伐感は上がってるけど、霊剣山らしさは全然消えてない。11話では試験に対し、「問われる前に問うものを倒せばそれで試験は終わる」ってそれダメだろって手をいきなり打ってきて吹き出した。ほんと外道主人公だけど、実力勝負の世界という前提があるから、これも一つの正道っていう位置づけになっている。外道な手練手管を駆使しても最後は意地や信念になるあたり、少年漫画的な核がある。最終話、人縁を絶つ修行として下界に降りた主人公王陸が、母親の「最高の料理」を延々食べ続ける描写から父との思い出を回想する時の馬の作画、ローブを置いていく一連の場面描写は二期らしい雰囲気で秀逸だった。ギャグよりシリアスさを重視した作風は、この別れの描写に帰結する点が良かった。

●AKIBA'S TRIP -THE ANIMATION-
原作ゲームは吸血鬼的な敵の服を脱がして倒していく、というエルフを狩るモノたちみたいなお色気ゲームらしいけど、今作はその設定を引き継ぎつつ、アキバ文化ツアーといった感じで毎回いろんなネタを詰め込んだ楽しい作品になっていた。三話など、アイドルを起点にして、主人公はアイドルピュアオーディオ→生歌、という軸に、女性陣は街中スカウト→AV出演強要、のサブプロットを走らせながら、主人公が助けた女性陣はその声優が他作で組んでたイヤホンズ曲のライブで締める。主人公が機器の借金で清掃していたのがその強要現場で、というのもだけど、オーディオ(AV)とアダルトビデオが掛かっているのと、アイドルの客側と演者側の落とし穴を絡ませてて面白かった。10話では、秋葉グルメガイドしながら丁寧にラブコメやった挙句のトンデモ大食いバトルで、食事を堪能するヒロインの好きなものをただ楽しむことが肯定的魅力的に描かれていることに、この作品の思想を見る思い。13話、アキバを浄化させようとする地下の破族に対して、趣味と欲望の街秋葉をエロスと暴力の描写において擁護するまさにオタクアニメ、って感じだけど、秋葉の浄化って現実の案件でもあるから、それを意識してはいるんだろうか。クライマックスOPをながしそうなところにクラシックマッシュアップしたオリジナル曲突っ込むのは面白い。ロボットガールズ監督らしい、恬淡とした暴力とエロスの作風。服脱がして下着姿によくなるんだけど、スカートの下から下着が見えそうなアングルでも見せてこないの、盗撮は良くない的な独特な倫理感があるように見えて興味深い。

小林さんちのメイドラゴン
ラブコメモノの定番として、助けた相手が押しかけメイドとしてやってくる、という話なんだけど、そのメイドが実体はドラゴンで、しかも女性プログラマのところにくる、という百合に変奏されている。ものすごくフェティッシュで性癖満載の作品で、小学生百合、成人百合、BL、おねショタ、だけど全部竜と人とで仲良く暮らしていくことが語られる健全感がある。メイドだとか要素はオタク的なのに内輪感がわりと薄いのは、異種間コミュニケーションという形で外部性があるからだろうか。ゲーム好き同士で暮らしている感あふれる男友達同居風景は良い雰囲気だった。

アイドル事変
アイドル議員という無茶な設定で始まるアプリゲームも絡んだメディアミックス企画?のアニメでOPはつんく作曲という。一話の圧倒的な展開速度、アイドル議員とかいう設定をいちいち説明しない割り切りはかなり興味を惹かれるものがあり、政治をネタにしつつ、問題解決をアイドルのオーラで全部ぶっ飛ばす明らかにバカアニメのフォーマットで序盤が描かれていたのが、五話では作中、ちゃんと敵対議員を説得していて驚愕。それも保育園を舞台に女性の社会進出を阻害する保守イデオロギーに正面から批判を向けていてびっくり。そういう風にはしないと思っていただけに。保育園という子供達のアジールを守る戦いに13歳のアイドル議員が加勢する、という展開はしかし、女性アイドル議員を主題にした作品な以上、若年・女性の主体性、社会進出はそもそもが前提となっている設定ではあることを思い出す。そして八話、中盤で定型を変えてきたと思ったら、序盤のバカ展開を真面目に回収する後半。アイドル議員なんてただのポピュリズムだ、という初見の疑問をここできちんと作中に提示する。だからライブの動員数に比べればと言う主人公勢には伝説のアイドル議員が敵として出てくる。この構成。バカアニメとして視聴者の懐に入り込んでおきながらまんまとそれを覆す展開を重ねてくるの、かなり侮れない。伝説のアイドル陣、田村ゆかり植田佳奈、丹下桜に豊口めぐみ、確かにかなりレジェンドだ。中で悪役になっているのは保守的な「桜凱党(老害党)」で、メディアでのバッシングなどデマを使って与党が野党潰しをしている、といういわゆるまとめサイトの現在を匂わすネタながら、漢字読めないネタで野党とも思わせる点、考えられている。それとこれ、野党共闘ネタだよね。しかし、現職総理がデマで敵対議員を貶めるってそれどっかで聞いたことあるね、わざとか。バカアニメと思わせて女子供と政治っていうのをすごい変化球で投げてきた感じがある。正論を言いつつ、卑怯な手段しか使ってこない政治家とライブで人を惹きつけるアイドルという対比軸は確信的だろう。アイドルが人の動機の発火点にすぎないという制約にして最大の武器を描いた、かもしれない。上からの政策論を押しつけるパターナリスティックな老害党に対して、アイドル的な支持を受けるけれども政策面が薄いアイドル議員の対立だけれど、これは双方あってこそ、という相補的な関係を狙っている、のかな。なんか、なにげに理解が難しい作品な気がする。痛烈なブラックジョークのようでもある。

●スクールガールストライカーズ Animation Channel
ラノベスタイルRPG、とかいうプレイしてても意味がまるで分からないキャッチがあるゲーム原作アニメで、三話までは地味すぎる気がしたけど、それ以降はたががはずれたようにトンチキな話を展開するおもしろアニメになってきたので楽しい。ただ、着せ替えゲームたる原作の最大のインパクトをしめるオブリのコスプレが足りない。カレーパンの字幕が好き。ラストバトルの最中でもモルガナの叫び声とかどっかで見た必殺技とか、茶番らしさを忘れない茶番アニメの鑑。EDがいい。

●幼女戦記
一話はどうも退屈だったけど二話でサラリーマンから異世界で少女に転生した主人公が、適当に後方に行こうとしたら活躍しすぎて幼くして英雄扱いになっちゃう皮肉、ギャグ的なコンセプトだとわかるとなかなか面白い。決めぜりふ「どうしてこうなった!」が出てくると喝采をしたくなる。しかし、一部ファンが「ラノベ的」なその基幹アイデア以外を評価して欲しそうで、ファンがラノベなんかじゃないと担ぎ上げるのを原作者がいえいえラノベなんですとたしなめてるの、作中展開っぽくて悪いけど笑ってしまう。重厚な戦記的描写というのは、リーマン転生幼女と掛け違えギャグとのコントラストのための舞台作りでもあると思うんだけれど、幼女でなければ、と作品コンセプトを全否定する人とか、それってファンか?って感じの人もいて、ますます作品周囲の状況が作品内展開の実演っぽくて面白かった。悠木碧の中身リーマン幼女の振り幅のある演技も面白いけど、なんか色物役が多くなってきたな。ただ、コント色が薄れる終盤はちょっと興味が続かなかった。

●ガヴリール・ドロップアウト
天使が地上に来たらネトゲにはまって堕天した、というギャグアニメだけど、外の人がオタクあるいは日本文化にはまってどうこうネタって多いな。しかし、あの犬、原作だと一回しか出ないと聞いて、原作を読むと確かに見ない。このスタッフ、こういうあまり面白くないいじめギャグを執拗に繰り返すのゆるゆりから一貫してる。そういうやり方でキャラ立てするのやめた方が良いと思うんだけど。安易で雑。そういう太田監督特有のキャラいじめギャグが、という傾向はあるにしろ、動画工房は絵をやわらかく動かすのがとてもよい。しかし八話の料理部のサブキャラが面白すぎた。このパート、素直な欲望が噛み合っているだけでコメディになっていてとても雰囲気が良い。

●セイレン
アマガミ、キミキスといった作品のスタッフが作るオリジナルアニメで、恋愛ものに頭のおかしいギャグが随所に挾まってきて面白い。趣味は無限大だな、みたいな変態主人公のもろもろもそうだけど、二話のサブキャラの自販機にエッチなことしてたんでしょ、とかいう予想を超える発言とか。

政宗くんのリベンジ
裏切られたヒロインを惚れさせて振るために、たゆまぬ努力で肥満を克服し、別人として彼女に近づく、というラブコメ。アイドル事変に続くtiv原案アニメ。主人公が筋トレ食事制限とモテのために努力を惜しまぬキャラなの、女性のそれを男性に移植した感じあるけど、異性の豊満な体にメロメロになっている、を女性に置き換えたら肥満体にうっとりする「デブ専」メインヒロインになるのが面白い。

テイルズ オブ ゼスティリア ザ クロス
主人公を失った二人の人間ヒロイン同士でいちゃつく百合と、どうやら人間スケールを越えた時間が経ったあとに、復活した導士と天族とが再会を果たすBLのダブル同性エンドの大技をキメてきて唸る。なんという。ラストの美しい背景もすごかった。

BanG Dream!バンドリ!
ラブライブのバンド版、みたいなものをやりたいんだろうというのが感じられる声優アニメゲームミックス展開のガールズバンドアニメ。マイペース同士のズレながら噛み合う会話とかがよくて、萌え要素の塊みたいなアリサがすごいラフな口調と態度なのと、たえの静的変人感は良い。良いとは思うんだけれど、なんかいろいろ物足りないところもあるような。制作の遅れか作画が全体的に粗く、瞳孔が星の特徴的なデザインが異様に見えてしまうところがちょっと難。

●機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ
二期が年をまたいで今年完結したけど、ずいぶんいろいろ荒れていた。いろいろ難点もあるけれど、なかなか興味深い作品だった。デブリと呼ばれた教育も受けていない孤児たちにできることは暴れ回って一矢報いることだけで、孤児の出身だったマクギリスもバエルを獲ればと短絡的な思考に陥り、鉄華団の火星の王という夢もそれと同じで、政治ができない子供の孤児たちは徹底して不器用にぶつかって負ける。そのオルフェンズ=孤児たちの一矢が彼ら亡き後の世界に何かしらの動きをもたらすことはできたというのは、宇宙の屑といわれた者たちに何ができるのか、ということの一つの形でまあそうなるよなという。やくざもんの革命と政治の話。まあ敗北者のドラマだ。ダインスレイブと暗殺を叩く人が多いけど、両者ともに政治あるいは汚い手段そのものつまり「大人」のやり方。エピローグで鉄華団の生き残りは多くは無事に生活していて、その一方で政治家と暗殺者の両極を描くのは、オルフェンズが「大人」になったということだろう。あるいは、法外の者、まつろわぬ民たるヒューマンデブリの法への回収と、ガンダムバエルという玉(三種の神器)の無化は同じ事態の裏表でもある。ラストシューティングによって始まったガンダムというロマンはバルバトスの首によって贖われる。ガンダムというロマン、伝説、神話の解体という水準が同時進行していて、二重の意味で敗北のドラマだった。これはヤクザという存在をベースにしていることとも同じで、ヤクザにはある種のアウトローのロマンがあったのが、現在ではそのロマンは消え、法の内部へと解消されつつあるわけだ。アンチガンダムとしてのガンダムガンダムという英雄の時代の終焉としてのガンダム、でもあるのかな。悪魔の名前をつけられた白いガンダムつまり白い悪魔だ。それが身も蓋もない兵器ダインスレイブによってぼろくそにされる、という(とはいえ兵器名は神話だけど)。名乗りを上げる前時代的なイオクが死ぬのも、アウトローから王権へとたどり着いたマクギリスの破滅の必然性もその線か。英雄譚の源が秩序と政治に回収される話、という説はどうか。でもやっぱMAとMSの話というか、悪魔の名を冠したMSと阿頼耶識の話、ほとんど出てこなくなっちゃったのはなあ。阿頼耶識とかガエリオのあれ、悪魔に魂を売った、という比喩なだけ? エイハブリアクター、という『白鯨』モチーフのMA狩りのあたりがすごい面白かっただけに、それ本筋じゃなかったのが個人的には惜しかったなあと。

2017春

フレームアームズガール
意思を持った小型ロボットに主人公が感情のさまざまを教えていくという作品コトブキヤによるフィギュアをベースにしたオリジナルアニメ。春クールベストの作品。ロボットに感情を教えるお話の導入に、主人公の子供の頃のアルバムを見せてそれぞれの表情の意味を思い出しながら教えていく手際がよい。七話は初黒星の轟雷に生まれた悔しいという感情の話から、強くなりたい→じゃあFAGの制作工程の勉強だっつって教育番組構成になるの笑った。どんぐり→どんぐりこ→グリコ→森永→森永千才ってそんな配役ありかよ。こういうキャラと阿波根役の振り幅すごい。お金大好き主人公の手紙読んでレジスターのSE鳴らしまくるの、音監飯田里樹だしマジカノだった。九話、前半これまで轟雷に対して母親のように接していたあおが、看病してくれる轟雷に母親を感じるのもだけど、その病床でFAGが人間になって楽しく友達やってる夢を見るの、人と機械、その垣根がない夢の世界だった。FAGも同じ「夢」を見てたけど、さらっとロボが夢を見ている。現実で直接口にしないものの夢という形でずっといっしょにいたい、というささいな願いをそんな奇跡のなかで描いている。夢の混信という魔法、放課後のプレアデスだな。最終話Bパートのキャラソンライブも本篇と全然違う演出でライブやってて、手の入れ方が普通ではない。他のFAGたちが轟雷にとってのあおのような自分だけのマスターを求めて旅立つ、という自立の話にもなっていたのが面白い。日笠陽子の主人公、あとバーゼラルドの能天気さもいいけど、フレズヴェルクの人の声がとても良かった。この人のソロバージョンのEDが欲しいけど、単品では配信されていない。

アリスと蔵六
超越的な能力を持つ少女紗名、が研究所を脱走して花屋の老人蔵六の元に暮らすようになるSF漫画のアニメ。能力バトルを老人が一喝する序盤にどうかなと思ったけど、人間でないものが人を真似て、人のようになろうとする話で、紗名という人間でないものの成長の物語でもあり、フレームアームズガールとも通じるものがある。特に良いのは子供達同士の話になる後半で、能力を持ってしまった少女羽鳥が家庭の不和から、つい家族を思い通りに操ってしまうことに怯えて逃げ出してしまうエピソードは非常にいい。十話では、家庭が崩壊した羽鳥の迷い込む、幻想・物語の世界がいかに輝いて見えるか、ということが描かれていてとてもぐっときた。嘘で出来た家庭と、フィクションの世界。現実に幻想への扉を開くイメージが繰り返し現われている。11話はとくに素晴らしい。親との関係に困難を抱えた子供達の居場所を探す旅で、紗名と蔵六の話は大人と子供だったけど、ここで子供同士の話になって同じ目線で悩みを共有できる。蔵六や早苗には言えないことがある、というのはほんと死角だった。親がいなかったり、親との関係が壊れたりしていても、それが愛情表現だということは理解していて、きちんとそれを相手に渡すことができる、というあの場面は良い。そして能力の源のワンダーランドの設定、これは『ソラリス』の海だ。能力発現の印、配信されてた原作では「鏡の門(ルッキンググラス)」って呼ばれてて、これ『鏡の国のアリス』の原題から来ているだけじゃなく、紗名も含めて外を覗くための鏡だという意味だろう。外の世界への窓が紗名で、さらに人間にとってのワンダーランド=未知の世界への窓ともなっている。現実と鏡の世界の鏡面そのものが紗名という存在。ルッキンググラス=姿見だから、人間の似姿として紗名が人の形を採る。人間を映し込む鏡に何を映すのか、という話だろうか。レムの『ソラリス』を、『不思議の国のアリス』、『鏡の国のアリス』のイメージと掛け合わせたSFファンタジー。

アイドルタイムプリパラ
仕切り直して新シリーズがはじまったプリパラは、新舞台にらぁらが訪れるんだけれど、プリパラは男子のもので、女がするなんてはしたない、と女子プリパラが禁止されていて、ライブをするために地下トンネル掘って侵入って、どこの革命運動なんだこれは、という導入で、男子のプリパラというものを出してくるのが面白い。アイドルもファンも男子のアイドルライブ、かなり面白い絵面。というかプリパラ一期やひびきの話とか、プリパラは革命モチーフ多い。13話、総集編と思わせて、ガァルマゲをパパラ宿に持ってくるために前作の舞台を盛大におもしろおかしくぶっ飛ばすパンクな展開。三年間の総集編に懐かしさしきりだと思ったら全部爆破とか、キッズの無邪気さに最適化した展開がすごかった。夢を奪う夜の存在から夢を取り戻す展開大目標が出てきたけど、ニノのエピソードでは、特撮もの的ヒーローになる夢を取り戻す話で、大人すらもが特撮は男のものとかいいたがるなか、アイドルもの女児向けアニメでそれをやるのすごい。ヒーローアイドル、プリパラは男子がするものとして女子のプリパラが抑圧されていた場所で、女子らしさからは外れる男の子的なものを回帰させてくるの、男子と女子、的なものをかなり意図的に崩し、ずらしてくる。みちるの夢を取り戻すエピソードも良かった。それでいて、随所にカオスなギャグが展開されていて、さすがという感じ。

有頂天家族2
森見登美彦による小説原作のアニメ化第二期。非常に出来の良い作品で、おそらくは原作の小説を丁寧に映像化しているんだろうと思わされる堅実さと、原作自体が持つ面白さゆえだろうという魅力がある。普通に見るばかりで全然感想を書いてもいなかったのでここに書くことがないけど、とても良かった。

●スタミュ二期
ミュージカル学校の男子生徒たちを描くアニメの二期。特に四話、劇中劇と本篇とED歌詞で三重に「贈り物」のテーマを重ねて、本気で視聴者の感情に殴りかかってくるのでかなり来た。幼少期からプロの道を歩んできたことで孤独だった天花寺が星谷を支えてやるっていう。演技指導の具体性も面白かった。最終話のEDの演出がとても良かった。オールキャストで公演後の風景の口パクに歌をはめていくのすごい。全体を通しても非常に安定して良い作品だった。

月がきれい
岸誠二監督による中学生青春恋愛オリジナルアニメで、いろいろありつつも非常に爽やかに出来上がっていた。一話の、異性の同級生とファミレスで遭遇の気まずさ、とか思春期あるあるを詰め込んでて、LINEでのコミュニケーションが現代的ツールとして非常に重要なのが描かれていて面白い。千葉翔也にしても小原好美にしても、あまり見ない人だなと思ったら千葉さんは十年キャリアあるけど小原さんは主役級は今年からか。小原さん大沢事務所であー、って納得感が。しかし、「月が綺麗ですね」ネタ、花言葉以上に好きじゃない。

エロマンガ先生
俺妹の原作者によるラノベ作家主人公のライトノベルのアニメ化。ラノベ作家を主人公として、その義理の妹が実は兄のラノベのイラスト担当だった、という関係。こう、キャラをかわいく描くことにすべてを投入している感じがすごい。表情、仕草の細かい動きをさらっと丁寧に動かしている。七話では作者自身の百点満点に平気で百万点をつけてくる読者がでてきて、人は必ず他者を必要とする、という話だったけど、ヒロイン沙霧が特権的なのは他者としての読者による出力が絵になることで、文と絵の共作としてのラノベを構成するからか。だから義理の妹という他人と生活するわけだ。そして主人公が欲しいのは姉や妹という血縁家族で、沙霧らが望む恋人や妻という他人ではない。家族を失った義理の兄妹同士だからこそ家族観がすれ違う。作画面でも何でもやたらにレベルの高い萌えアニメ。この作品、学校の図書室にあったのが撤去されたとかで話題になったけど、エロマンガ先生とネトゲ嫁、アニメを見るかぎりいずれもひきこもりの子が打ち込む趣味――ゲーム、ネトゲなどが外との回路になっており、恋愛が失われた世界での恋愛をテーマにしたらしい別作品も含めて、コミュニケーションの阻害とその回復が主題として共通していて、どうも無作為には思えない。人気作をとりあえず、ではない。ひきこもりとその外部へのコミュニケーションを主題としており、ここには無作為ではない意図があるとしか思えない。

ツインエンジェルBREAK
無印を見てない。変身して敵と戦う魔法少女ものに近いフォーマットだけど、最初に倒した敵が「我ら四天王のうちの最強」だったのはかなり笑った。四話も、女性目当てに大学入った自称天才が「あの人理系の天才なんだって。えー、うち文学部しかないのに?」って言われるモブ台詞が面白すぎた。その上純粋な心の少女を求めて中学校に入るトンデモ展開を重ねた上に、ピュアな女装男子と恋人になる展開が決まっている。女装男子がビキニ水着を着て普通に女子水着集団に混じっていることには一切言及されないけど、肩幅なんか体格的にちょっと男子っぽくは書いてあるという自然な表現。ネタ、ギャグを繰り出しつつじつは中盤のシリアスさはかなりのもので、敵勢力のキャラと知らずに仲良くなって、人間の感情のさまざまを教えていったりするんだけど、それは当然粛正のフラグで、という展開が丁寧に描写されててとても悲痛だった。なかなかの佳作。

サクラクエスト
PAワークスのお仕事ものアニメシリーズと銘打たれた、過疎化する地域活性化にいそしむ女性たちを描くオリジナルアニメ。就活に失敗した主人公由乃が、ある勘違いで間野山(マン『魔の山』?)という町の観光大臣こと「国王」と呼ばれる一年限りの仕事をすることになって、という導入で、夢も意欲も才能もある人たちが苦難を乗り越え東京のアニメ産業で夢を叶えていく様子を描いたSHIROBAKOのあとに、就職に失敗したり東京で夢敗れた人たちの地方での活動を描く地味な作品を作ってくるのは面白い。自己実現の夢と結びついた労働だったSHIROBAKOに対して、そもそも就職とは仕事とは、という入り口時点でのつまずきがあり、偶然と勘違いでの国王という仕事の意味はそこにもある。就活の失敗と地域の過疎化、というのは、選ばれなかったということでリンクしており、そして町おこしも就活も、自己をいかにPRしていくかということなので、メタ就活の構図がある。しかし、よそもののテーマからすると、外国人の話はもうちょっと本筋になるべきだった気もする。八話の、しおり祖父母が天然な性格で笑いを取ったと思ったら、独身男にうちの孫の好きな方ほれ、としおりとその姉を示すなど、その天然さが無神経さと裏表なことを描くのなかなか戦慄させる「田舎」描写だった。しおりもさして怒るでもなく、家父長制に違和感を持っていなかったりして、そこらへんかなり意識的。四ノ宮しおりには俺妹の和菓子屋みたいな圧倒的「強み」を見せて欲しいところはあった。地味ながら真面目な作品で、出来も良いとは思うんだけれど、その生真面目さゆえに物足りないというところもある。難しいことをやったな、という作品だ。まあしかし、「AランチハンバーグセットBランチ生姜焼き定食おすすめはカレー」、この台詞の感情な。これ黒沢ともよだった。『魔の山』読んだことないけど、あらすじから見るに間野山がおおむね『魔の山』のサナトリウムの見立てっぽいけど。

ゼロから始める魔法の書
獣人主人公が天才魔法使いのヒロインに懐かれる異類コンビをメインとするファンタジーライトノベルのアニメで、原作一巻をオリジナル要素を交えて丁寧にアニメ化している。EDの絵本的なアニメなど雰囲気も良く、地味だけれどわりといい。

ロクでなし魔術講師と禁忌教典
これもファンタジーライトノベルのアニメ化だけど、ちょっと珍しいのはこれはよくアニメ化されてたファンタジー学園バトルものというよりは、主人公が教師の変人教師もので、落ちこぼれクラスの生徒の個性を生かして優位者を覆していくみたいなジャンルに近い。わりと堅実なエンタメっぽい原作に対して、アニメはかなりかっとばして戦闘の過程の面白さが飛んでるけれど、派手さとスピードを強調して駆け抜けた感じ。しかし、漫画読んでるとさほどでもなかったけど、色が付くとこの腹出し制服の頭のおかしさが如実に出てしまってすごいな。

武装少女マキャヴェリズム
少女が武装してる学校に素手の男子が転入してくる格闘アニメ。日本刀と素手の対決、ガンカタ的で面白い。畠中祐ってうしとらとかの演技はすごい苦手だったけど、こういう不良的な役柄だととても良い感じに聞こえる。七話、全裸でかかってくる相手に対して、異性の全裸は男女とも直視しがたいとして自分も裸になって戦う展開、理にかなってるけどバカ、って感じでギャグアニメとして正しすぎる。

ひなこのーと
きららではなくコミックキューン連載の演劇ネタ四コマ漫画のアニメ化。OPEDの変拍子転調決めまくる楽曲が素晴らしい。作風は基本きらら系っぽい日常四コマのノリなんだけど、エンドカードのイラストとか、エロ描写をこれでもかとぶち込んでくるのが異色。デフォルメを多用した軽妙さと風呂などの身体描写のフェティッシュさの振幅の枠内にいろいろ突っ込んでOPとEDで全部OKってなる。これ演劇がネタになってるのはいろんな着せ替えできるからじゃないかと。特に十話大家さんずっとナース服で場面が展開してるの控えめに言って頭おかしくて笑ってしまう。

終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?
世界が獣に蹂躙され、幾つかの種族が浮遊島に暮らしているという世界観。主人公は五百年前に戦った英雄で石化されていたけれど、五百年後に眠りから覚めると人類が滅亡していたことを知らされ、鬱屈していたところに武器管理の仕事を任されるんだけれどその武器とは妖精という種族の少女たちのことだった、という。一話、スカボローフェアがかかるのが非常に良い。少女たちが死を怖れぬ兵器として育てられてる設定でしかも妖精の種族名がついているの、扱い方は違うけど仁木稔の連作を思い出させる。そして最終話、一話のリフレイン、スカボローフェア。元々これは別れた恋人への伝言という点で意味が重ねられているうえ、よく知られたサイモン&ガーファンクル版は反戦歌を組み込んでるから、それを意識してもいるか。ベタっちゃあベタだけどいい。兵器としての妖精、自我を失いゆくヒロインと、最初はなんの最終兵器彼女だよとは思ったけれど、自己憐憫の感傷性に回収するような嫌さはあまり感じなかったのでちょっと不思議で、しかし、悪い意味ではなく何を語ろうとしているのかが掴みづらいという印象。死亡フラグを立てまくってじわじわと回収したりしなかったりする薄氷のスリリングさは嫌いじゃない。田所あずさメインが良いのと、井上喜久子全然メインヒロイン行けるじゃんという発見。

●sin七つの大罪
七つの大罪の悪魔の美少女化メディアミックス企画のようで、裸を魔方陣で隠してたら画面一杯魔方陣になってなんだこれ、というエロアニメ。ホビージャパンだしビキニウォリアーズの30分版かとおもうとわりとシリアス寄りだけどやっぱりギャグ枠か。悪魔繋がりでEDがデーモン小暮作詞作曲という驚きの一曲。特に面白いのは、五話、アスタロトが貧相な生活しながらネットアイドルで信者を稼ぐし、出会った相手にラップで話し掛けるし、その次のシーンでいきなりルシファーレコーディングしてるしアイドル対決回になってて、いきなり面白くなった。そして梅津泰臣MVとかいろいろすごい。挿入歌六曲とか、ラップ台詞監修ZAQとか、かなり手が掛かっているバカ回。総集編では、元々のギャグが堅いナレーションで濃縮・炸裂していてかなり見物。低い声で「変態にはなりたくない」とか言い出すし、「続けたまえ」とか、おまえ誰だよって笑う。そして七話は、暴食の回だから大食い対決は予想できても、即ルシファーウィルス性胃腸炎で入院して病院食のリアルな描写から喉からものを食べることの大切さを再確認させるという、暴食の罪過としての入院から、トンチキ展開と思わせてきっちり食のテーマを描いてみせるのかなり面白い。見ている最中はこれぜったい脚本家が入院した体験の元をとろうって書いた話だよね?とか思ったけど。「暴食の魔王が胃拡張で入院」とか笑うわ。

●つぐもも
レトロ感溢れる絵柄、幼馴染み委員長の何十年前のセンスだみたいなキャラデザで独特の存在感がある。バカ、エロ、アクション。六話では、幼馴染みがギャルゲーのシステムに取り込まれ、選択肢次第で好感度が乱高下する攻略キャラと化す、人がモノになる瞬間の怖ろしさを考えさせられるけど、元ネタがときメモに東鳩というかマルチパロ。瀬戸の花嫁ギャルゲ回の元ネタより古くてすごい。月がきれいがおっさんを中学生に甘酸っぱく引き戻すけど、つぐももは暗い情熱の高校生に引き戻す。九話なんかは姉の自殺の真相が自分にあるというキツい話で、バカエロバトルみたいな作品にこう真面目な話が来るとなかなかくるものがある。バーチャを思い出すドラゴンスクリューとか、アクション作画がなかなか頑張っていて、布で戦うというギミックが面白い。製作委員会が全部どの会社の誰かクレジットされてるのすごい珍しい。

ラブ米 -WE LOVE RICE-
ラブライスと読むとおり、タイトル自体がラブライブのパロで、キャラが米の品種の擬人化で、作付面積の拡大と米の人気拡大のための学校に通うとかいう無茶な設定で米にちなんだギャグを連発していく最高にくだらないショートアニメのみならず、一話は十分くらいの声優インタビューの茶番さが輪を掛けてアレだったのですてき。クックパッドTVの動画を映しながら米米CLUBの浪漫飛行をながすED、原作がけものフレンズヤオヨロズで、脚本がポアロあるいは伊福部昭の親族こと伊福部崇で、校長がマフィア梶田とか、もうなんだこれって。津田健次郎の演技も面白くて、ベッタベタなネタをこれでもかと押されてしまうとどうしたって笑ってしまう。

拡張少女系トライナリー
スマホアプリゲームとのメディアミックス企画で、十分以下のエピソードを毎週配信という形式で公開され、ゲームとも絡むためか話がわりとわからないんだけど、キャラデザが良いのと、ガストがかかわっていて音楽面がよく、各PVとか、特にOPEDが非常に秀逸。中盤の友情をこじらせた重い百合あたりとか見所もあるよ。

グランブルーファンタジー
原作がゲームなのが如実に分かる展開はともかく、ワンクール男主人公で展開した後、カブトボーグのマンソン回を感じる視聴者の知らない回想で始まる女主人公篇、ちょっと面白すぎた。今までの12話をフリにするボケ回。原作がいつでも主人公を切り替えられるらしいけど、グランで仲間にならなかった前回のようなメンツが大勢仲間になってて、戦力格差がひどい。ジータがよそ見しながら片手で敵をぶっ倒すシーン笑う。オートカウンターだ。聖戦ケルベロスの対極たる最強主人公ファンタジーずっとやってほしい。王道ファンタジー感あった作品が完全な百合ハーレムアニメになってたのも面白い。

覆面系ノイズ
バンドモノの少女漫画原作アニメで特に早見沙織にNARASAKI曲のかなりハードなロックを歌わせるのがとても面白い。

サクラダリセット
町のかなりの人間が特殊能力を持っているサクラダという街で、リセット能力を持つヒロインと、完全記憶能力を持つ主人公による、能力バトル的ライトノベルのアニメ化。主人公のどこの村上春樹だよみたいな台詞センスのアレさとか、明らかに非定型発達者っぽいヒロインが主人公に依存してる感じのとことか、いろいろうん?と思う部分はあるけど、さまざまなこれまでの能力者たちをパズルのように組み合わせて知能戦を戦わせていく終盤の伏線回収ぶりは良かった。

2017夏

●アクションヒロインチアフルーツ
ご当地ヒロインショーにいそしむ女子高生を主人公にしたオリジナルアニメで、ローカルアイドルを特撮ネタでやる、ろこどるミーツ荒川稔久という趣。第一話は、妹一人のためのヒーローショー、手作りでチープでも度重なる練習の成果で観客を引き込む熱気を生み出すことと、リッチではない作画での面白さが噛み合いすぎてた。ショーの中止に泣く妹だけのために自前のショーをやろうとして一週間準備に明け暮れてやりきる、このくだりはとても良い。特に良かったのは、中盤の青山姉妹のあたりで、青山妹はメガネ、車いす、杖とハンディキャップの塊で、子供の頃一緒にアイドルに憧れた姉は、その妹の夢のためにもアイドルを目指して上京するんだけど、妹の障碍をネタにすることを拒否して姉はアイドルをやめてきてしまう。そして裏方の妹とともに、子供の頃の夢を違ったかたちでヒロインショーとして実現しているのが感動的で。妹のためにというのは、妹を利用するということではない、という青山姉の倫理。良いと思ったのは元気が「家族に負担掛けてると思う」、といっていて「迷惑かけてる」とは言わないところで。電動車いすがない旅先の温泉で出入りするのに勇気の手助けが必要な場面を描きつつそう言う。背負ったり担いだりの負担は掛ける、でもそれを悪いこと、だとはしていない。逆に「迷惑」だからと何かを辞めたら、それこそ他人に理由を押しつけていることにもなる。勇気が足の故障でアイドルの夢を諦めた元気のために、とアイドル目指して上京し、元気の障碍をテレビでネタにすることを拒否して帰ってきた、ということを一切元気に言わないのはそういうことだろう。そしてミサキも勇気も、挫折によって敗者の気分にあるところを、励ましと応援を受けてみんなのためにステージに立つ、という話を繰り返していて、これは地方の応援という全体コンセプトを個々のエピソードに埋め込んでるからだろうか。とても良かったのは最終話がちょっとびっくりするぐらい完璧だったこと。運命を呪いに置き換え解放する劇中劇のフィクションによって、呪われた私という物語=フィクションを解呪する構造。ショーという虚構を主軸にした今作らしい筋書きで、自らの不運を呪うミサキをまさに応援する物語だ。

プリンセス・プリンシパル
ドイツならぬ東西に分割されたロンドンで王女率いる少女スパイグループを描くオリジナルアニメ。アンジェと王女プリンセスが、一蓮托生、絶対の秘密を共有した同志という強烈な百合濃度で、二人一緒にいるために壁を壊すことを目指す、スパイものの枠組みを使って百合アニメを作ろうって作品。五話は江畑諒真コンテ作監ほぼ一人原画という回、子供と大人の殺陣でのいろいろな動き方、細かい仕草のそれぞれがどれもこだわりがあってやってるんだろうなってのがみなぎった感じ。刃こぼれをちゃんと映しているから、刀の背に手を乗せて相手の刀を折る場面に説得力が出てくる。そして六話は動きの五話に対し、話と演出の緊張感で見せる話数になっており、アル中になって暴力を振るってしまう弱い男の父と、その父を憎みきれないドロシーの人の良さ。ドロシーの明るい表情と対比的な父の悲劇が同時進行している演出が心を抉ってくる。そしてアンジェとプリンセスの過去を描いた八話が素晴らしい。お互いを阻む壁のありようをもっとも理解している者同士の関係があり、姫が手に入れた自由は過酷な生活で、姫の暮らしは一歩間違えれば殺されかねない極限の不自由のアイロニー。そしてそれが現在の相手への理解と敬意になる。10話は酒場のシーンの細かい動きとかもあわせて、前半ドロシーがとても魅力的に描かれていて、良いキャラだなあと思ってたら、というたいへん強い悲恋百合エピソードだった。しかし、製作者ドロシーにキツすぎる、ドロシーを愛する人間は必ず死ぬ。ひどい。ラストではとりあえずの決着という感があるけど、スチームパンクロンドンでの美少女百合スパイアニメとしてかなりよかった。

ノラと皇女と野良猫ハート
主人公が猫にされてしまったという設定のエロゲー原作ショートアニメなんだけど、実験ぶりと振り幅の大きさはすごい。各回何度も見たし、特に大地葉の独演会だった三話の「肘が確定するっ」はかなり好き。毎日何度も見ていた。そして驚愕の六話、全篇水戸市森林公園のふれあい牧場でのヤギの実写にキャストが声を当てている映像が流れており震える。主人公が猫になる話だからって、実写のヤギになったていで一話やるの、想定の斜め上とはこのことか。音声がまったくなくてももちろんアニメだけれども、全篇実写にキャストがアフレコしたものでもアニメだということがわかり概念が拡張された。この回の説明文、「ホウレンソウが食べたくて、大自然に出かけるパトリシア。ついに見つけたホウレンソウ!やっぱり、仲間たちと見つけるホウレンソウは最高!」の文章もかなり狂ってる。九話はヤギは怒られなかったのにこれは怒られたらしい本篇にいっさい顔が出てこない下半身回。つねにパンツが見えているという酷い回なんだけど、全部修正で隠されててもう何が何だか。10話では殺人事件ものADVゲームの画面になってる。「戻る」ではなく「戻す」と猫が吐いているアイコンが良い。そして11話では、冥界で亡き母と出会う、しかも主人公が猫になっていて何も話せない。この生死と人猫の二重の断絶があるうえに、母親の「さっきからずっとこっちを見ている」とか瞳とか啼き声とかで間接的にのみ感情が描かれるのが絶妙。製作HARUKAZE単独の自己出資アニメで、脚本すら原作スタッフで、ほんとやりたいようにやってる。近年のショートアニメでも傑作だと思う。

ゲーマーズ!
ゲーム好きのキャラたちを据えた、勘違いコントを多層的に加速させていくラノベ原作ラブコメアニメ。勘違いに勘違いを重ねていくのと、他人に介入したがるお節介さんとか、勘違いシチュエーションを支えるための不自然さと、恋人同士がすれ違わされていく展開なんかに結構不満があるにはあるけれど、わりと面白い。特に前半の締めの六話は、パズルみたいに全員の思惑が綺麗に裏目に出て、モブヒロインだった天道に最高の結末がきてあざやかだった。

ひなろじ 〜from Luck & Logic〜
タイトル通り以前アニメ化されたカードゲーム原作アニメラクエンロジックの別展開だけど、話的にはラクロジの後の世界ということで、多少共通する人物もいて五話では過去キャラがたくさん出てくるけど見ていなくても特に支障はない。平和になった後の世界での能力を持つ人物たちの学園もの百合日常アニメ。10話で主人公リオンとニーナの話が決着してどうなるのかと思ったら、11話でこれでもかと濃厚な百合回を入れてきて驚く。教師陣も含めて全員百合でしたオチの豪腕ぶり。バトルアニメの続篇として、普通の学園ものの枠組みで戦場こそ我が居場所という帰還兵がいかにして年齢相応の子供に戻れるか、という話だったのが面白い。レイピアと弓を武器にするニーナを、花・植物の力と治癒能力を持つリオンが受けとめ癒やす、という話なわけだ。中盤リオンは花を咲かせるために変身して、そういう能力の使い方するのか、と思ってたけど、ラストでもニーナに応えて桜を咲かせる。で、一話や十話のリオンの暴走を止めるのが力のコントロールができるニーナになっていて、役割が相互的でもある。植樹を刈り込む園丁のハサミとして用いられる武器。父の娘への過剰な愛がリオンのニーナへのそれと重ねられており、家族関係の描写が豊かなリオンに対して、ニーナのそれがほぼないことは、五話の熊をめぐるところでも感じていた。家族の愛というバックボーンを持つ際限のない愛情の権化としてのリオン。ラクエンロジックは、ハーレムものにおいて誰にも選ばれなかった友人位置のオルガがラスボスになる話だったわけで、ひなろじともども、作品が準拠しているジャンルの枠組みに意識的な話になっているのは興味深い。

セントールの悩み
漫画が原作で、作品名は知ってたけど、別の進化をたどり、六肢生物から派生した四形態の人類がいる世界で、なおかつ、差別者は矯正所に入れられるとか、人権や生命より平等が尊い、という統制管理社会SFアニメだったのに驚いた。いろんな人たちがいる、ということを何もおかしくはないこととして描いていて非常に面白いけど、この社会背景、平等のコストということなのかな。多種族共存環境が普通のところに、作中人物からも異質な蛇型種族の登場が面白くて、一見グロテスクな外見と交流の少なさから来る怖れや誤解を解きほぐしていく流れは良い。友人同士で自然にそれは差別になるよ、という指摘がなされている空間。ただ、蛇型の南極人への態度が差別と取られるぞ、と言うんだけれど、それが相手を傷つけるか否かではなく、制度的なチェックにかからないかだけを気にしているような皮相さがあって、これは意図されたものなのか、いかなる意図によるものか気になっている。南極人が南極でアメリカの船が撃沈されたニュースにショックを受け、翌日目立たないよう変装して外出するって、日本で言えば在日朝鮮人の境遇にも近い。七話の人馬が水着に着替える作画とか、かなりレアなものが見られる。10話は、第二次大戦、おそらくナチス強制収容所の生き残りを大枠にして差別の歴史と現在未だ残る差別について描いていた。フランスで育った両棲類人が人間からも、両棲類人からも排除されるダブルアウトサイダーになっている。で、強制収容所で迫害された者同士でのさらなる差別に直面した過去を持つ会長が、両棲類人への差別の象徴の手袋を脱いで握手する、というのはいい話。差別主義の帰結としての歴史を省みて、言論の自由よりも差別を法的に禁じることを優先した社会というifを、形態差という大きな差異がある社会を構想して描く感じだろうか。最終話、いちばんどうでもいい話で終わらせることに日常ものとしての矜持を見た。端的に言えば異種族交流百合アニメ

RWBY Volume 1-3: The Beginning
youtubeで公開されてたアメリカCGアニメの日本版再編集吹き替え版で、かなりカットされていたようだけれど、アメリカドラマのセンスで日本の学園バトルものフォーマットを展開した感じ、なかなか面白い。特にCGでのアクションシーンがすごくて、スピード感、動きのアイデア、遠近を視野に入れるアングルその他、圧倒される。ガンカタヌンチャクとかどういうアイデアだよって感じで、非常に良い。最後はほんとにここからスタートって感じで終わった。中盤からすると、すごい厳しいストーリーになった。いろんなキャラがわりとあっさり死んでいく。日本のアニメの影響あるらしいけど、そういう甘さがない。大元の主要スタッフが若くして亡くなっている。

●天使の3P
ロウきゅーぶの原作者の女子小学生バンドラノベを、ネトゲ嫁の監督がアニメ化するという作品で、全体にロリネタ強すぎる感じあったけど、居場所、ひきこもり、擬似家族の話、ネトゲ嫁とも通じるテーマで、だからこの監督だったのかと思わせる。子供達に一言いう資格を得るために不登校を辞めたうえに教室で弾き語りする主人公の覚悟に焦点が合わされた四話で響の物語が立ち上がってくるところが良かった。後半でも天岩戸ネタで、島の風習によって島に閉じ込められている子供を外へ連れ出す話だったけど、ひきこもりと外、居場所の構図をその都度変奏して描かれている。バンドの三人の子供に対して桜花が完全に妻ポジションを確立していて、ロリコンものに見えつつも構図の安心感がある。

徒然チルドレン
群像劇ラブコメ四コマ漫画のアニメ化で、10分尺で小気味よいテンポで展開していてとても良い。二話のブラコン妹が兄の女に噛みつくネタがとても面白い。この回の妹が「おかーさん、お兄ちゃんが子供作ったー」という名台詞、作者ブログで見た原作になかった。最終話、サッカーに参加する女子を入れてくるのが面白くて、サッカー男子と応援女子っていうそれ自体はありがちな構図、これをちょっと崩してみよう、という感覚は信じられる。

境界のRINNE
三期も安定して面白いんだけれど、りんね父が息子のモノを平気で盗んでいくような、生々しい嫌な描写がだんだんと辛くなってきている。最悪な人間でも親だったり身近にいても、どうしようもないし、その時その時で対症療法的に対処するしかできない、みたいな閉塞感がつらい。

魔法陣グルグル
ほぼ二十年ぶりの再アニメ化で、第一作はリアルタイムで見ていた。アップでドット絵風になる演出とか、作画の細かさなど、非常に丁寧に作られており、初アニメ化になる話数、特に20話のレフ島篇はループ展開のときに元々のデフォルメ効いた画面と差異化するために、映画みたいなリアル寄りの背景、逆光演出なんかを入れてくるのが面白く、この夢ととまどいの繊細さをループ展開で表現して、子供達の一歩を描いていて、とても綺麗な回だった。23話では原作でギャグキャラで終わったというレイドをちゃんとニケと対決させ、ククリもカヤとの対戦という展開はこれアニメオリジナルらしい。ファンシーファンタジックメルヘンな冒険物語をドラクエ的CRPG風に展開しつつ、照れ隠し的なギャグ要素としてメルヘンの対照物につねにむさいオヤジ、を持ち出して笑いにするあたり、「オヤジ」に対する微妙な感じもあるんだけれど、逆説的につねにオヤジがいないといけない作品になっている。キタキタ親父の不死性はそういうことで、また原作ではホモ呼ばわりされるという爺ファンタジーのメンツも、結果的に老人四人の同性愛者、という希有なものを登場させることになっていて、これはこれですごい気がした。最終話、初代アニメのEDが流れてくるところ、とてもぐっときた。この作品、既にアニメ化されたことがある序盤をすっ飛ばして、後半を初アニメ化だけれど、続篇ではなく、最初から最後までをアニメ化していて、作品として前作に依存していないけれど、もちろん二十年前に完結できなかったアニメの続きでもある、ということをEDの再使用というメタ的な演出だけで表現していて、そこがすごい。最終回が同クールだったUQ HOLDERが、OPからして前作のものそのもので、最終的にUQがネギまにのっとられてしまったかのような印象を残してしまうのと対照的な、素晴らしい使い方だった。ついでに、ドゥルーズを思わせる「プラトー」教、ガタリさま、戦士バルト、魔法つかいデリダ、とフランス現代思想ネタのネーミングが多い。

●18if
ゲーム原作、毎回監督が違うというオムニバス実験アニメ。作画がわりと不安定だけれど、毎回趣向が違う面白さがある。眠り姫症候群で眠り続ける「魔女」たちの悩みを解消することで目覚めさせる、という設定を共有する。突出していたのが七話、テレビシリーズに唐突にアニメ芸術祭とかの受賞作品が出てきた感じで驚いた。絵柄や等身の暖かさに対して、親友までをも処刑する独裁者の破滅を国外から見るしかない旧友に去来する喜怒哀楽と怨、がオズの魔法使いをベースにして描かれる。非常に興味深い回だった。しかし、ポル皇太子と親友ポトという名前がまた。ギロチンの下には無数のメガネ、知識人を殺しまくったという話から来ているアレだ。しかしなぜポルポトネタなんだろう。八話では台詞が文字として画面に出てきて何だ、と思ったら今回の魔女は聾者、それも手話のバンドをやっているという面白い設定で、机を叩いて会計、タブレットの筆談、来客チャイムは照明の点滅、といった聾者の日常生活の細部や、緊急警報や電車内の遅延情報に気づくのに遅れたり、災害時、瓦礫のなかで音が聞こえず声も出せず一週間閉じ込められていた場面もあり、聾者の危機に際する不安を描いていて興味深い。買ったブルーレイやテレビに字幕がなかった描写もあって、字幕があったら嬉しい、という台詞があるとおり、この話数で聴覚障碍を扱うからか、ブルーレイDVDともに日本語字幕付とサイトに載っている。そして九話では夢の世界でアイドルが鬼教官となって、アイドルも、アイドルセクハラしてたりした男たちも全員女になって訓練をやらされるすごい展開。おじさんの顔に女の身体がついてるキャラが走り回り、下ネタの応酬がなされるひどい回で、新田恵美をスキャンダルに晒されながらも自分の夢に向かって改めてスタートを切る、というキャラにキャスティングするの、これ以外にない、という感はあるけど、大丈夫なのかなと。激励的な配役だとは思うけど。しかし、当人は否定しているので以下は便宜的な話だけれど、私はあのスキャンダルを週刊誌にたれ込んだのはメーカーの自作自演だと思っているし、オタクはあれをネタにするのをやめろとずっと思っている。なんにしろリベンジポルノに乗っかる連中が多すぎる。10話、総監督直々の監督回、原画に動画枚数その他が追いついてない感じもあるけど、背景、美術などのセンスで画面を成立させている。キャラの顔にほとんど頓着しないけど面白く動く作画スタイルで、まさに夢みたいなシーケンスをどんどん繋いでいく。見てて面白い。実験アニメながらも作画のチープさがある種の俗っぽさをまとっていて、決して高尚さを漂わせないスタイルだった。各回違うEDも面白くて、米良美一が出てきたり。

●異世界はスマートフォンとともに。
小説家になろう、で書かれていたネット小説のアニメ化。異世界チートハーレムとも呼ばれるジャンルのテンプレートを思いっきり取り込んで書かれているのか、ものすごい淡々と物語を「消化」していく。元の世界への未練やら、不安やら、情緒的な動因があらかた存在していないのが逆に凄い。お話の骨組がシンプルでいてとんとん拍子で二話にして貴族の後ろ盾ゲットの速度感が面白くて笑ってしまう。捻らないぶん嫌なところもないのでやはり水のような味わい。転生で得た能力でどんな人でも助けていく水戸黄門的話形、民話的というか物語の原型を見るようだ。たぶん一番異様なのは主人公で、未練もなく、こだわりもなく、淡泊な性格のまま万能の能力を持っていて、異世界転生ものの話を進めるための装置以上の設定がないかのような無味無臭さ。四話では王様即治療して即姫に惚れられて婚約がその場で決まってパーティ加入して実戦参加、神獣契約という展開の速度感終始楽しい。ご都合主義も極めると気持ちよい。チープだしテンプレだし美少女ハーレムだし17歳ネタやっちゃう内輪感だし、マイナスポイントはいろいろあるんだけれど、そのどれもがなんというかアニメらしさそのものだなって感じがして、嫌いにはなれない。叩いて喜んでいる人たち、たぶんワルブレの頃のバトル系ラノベアニメ四つをクソアニメ四天王とかいって叩いてただろうし、けものフレンズ一話とかもネタにしていたんだろうって感じしかしない。10話のポーラ流される場面は随一の名場面。

スタイリッシュトランプバトルと劇伴が魅力の台湾出身作家による漫画原作の時間の支配者も楽しかった。

2017秋

●つうかあ
ニーラーレース、というレース用サイドカーによるレース競技を描いたオリジナルアニメだけれど、サイドカー、というドライバーと重心移動で運転を補助するパッセンジャーという二人でひとつのマシンを走らせる競技の性質を、百合として描くアニメ。発想の時点で勝利している。去年の傑作アンジュ・ヴィエルジュと同スタッフで、アンジュも原作のゲームを百合アニメとして再構成する手腕がかなりのものだったけど、ここでは二人で走ることの意味性をさまざまなコンビの関係性を通じて描いており、純度を上げてきた感がある。同じことが好き、同じものが好き、同じ男が好きな二人、という喧嘩カップル百合の主人公三宅島組を中心に、お嬢様と一匹狼、外面は普通なのに相手に対してはDV的になるコンビ、見分けが付かない双子組や、解説実況といったサブキャラなど、さまざまな百合関係を描いている。二話三話でのちゆきみさき組は、一緒に走っていたパッセンジャーが落車して怪我した過去から、相手のことをどうでもいいと思ってたから踏めたアクセルが踏めなくなる話。シミの付いたハンカチを捨ててしまえという友人たちは、怪我したパッセンジャーを平気で排除してしまう。その怪我とも重なるシミを綺麗に洗って返すみさきの行為は、怪我をしても友達だというメッセージでもあるというハンカチの小道具が良い。四話五話のいずみなぎさのSM組、スワッピングだとかテクニシャンだとか、走ることが完全に性的なメタファーになっているの、卓球娘を思い出す。Sだと思ったキャラがじつはMキャラに依存していて、MのほうがじつはSを追い込んで高揚してしまうという関係性の逆転が描かれつつ、紅潮した顔が被ったメットの下にあるのも、攻め受け逆転のSMの夢を見ているのも、外からは計り知れない内面のドラマが動いていることが示唆されていて面白かった。六話七話の双子組、似すぎた双子が、ある切っ掛けからそれぞれ差異化して「私は私になる」ことを目指す、というベタな展開を見事にひっくり返してくる。個性化の目論見は、自分しか見ないことだというひねり。ダイアローグとモノローグが溶け合う自問自答に似た観念性が高まっていて、非常にスリリング。見てほしい自分のことをもっとも見てくれる人がすでにいる、わたしはわたしたちになる、みたいな。一人称が二人称にもなる1.5人称の関係が強い。八話では実況解説組の、レースを走らない二人の関係が描かれていて、レースという憧れながらも参加できないものへの羨望が、饒舌の奔流によって主役を主役たらしめる物語化として演じられるとき、ねねは「盛る」という物語化によってあいを主役の場に押し出し、ニーラーの隣で物語るというあいの選んだあり方を反復し、肯定する。身体が弱くて乗りたくても乗れない、という話がこう語られる。九話、本篇再編集動画に後付け他人物真似アテレコ、てさ部のあの回並みのひどいものを見た。そして10話になってようやく第一話の時間軸に戻るんだけれど、そこで微妙に差異を入れて各場面の意味が明確になる構成がうまい。走る目的を見失った二人がそれでも走ることの原初的な意味を見いだして走り出す最終話、怪我したレーサーが技術と改造で義肢の延長としてのマシーンに乗り込み、そしてマシーンを通じて二人がつながるわけだけれど、そうした身体拡張のテーマを百合として表現する作品性をすべて台無しにするゆりの性格のひどさがもうとんでもなくて笑った。あんたなんか嫌いだといったのに、私こそあんたが嫌いだ、と言い返されると嫌いってほんと?って捨てられた犬のような目で聞いてくるシーン、最高の面倒くさ百合だった。TLもゆりの最悪な最高ぶりで沸いていて笑った。殴り合いで始まり殴り合いで終わるけれども、コーチを諦めたとしても優勝を勝ち取ることができる自分たちを経た後で、いつも通りプラスアルファとして元に戻ることができているはずだけれども、すべてを台無しにするゆりが常に始まりに引き戻し、そしてそれゆえに強いのかも知れない。

●宝石の国
年刊SF傑作選に面白い短篇が載ってた市川春子の漫画が原作。人類の世ははるかな過去らしい世界で、意思を持つ人型の宝石が、月からやってきて彼等を捕獲しようとする月人たちと戦っている、という世界を描いた漫画をCGアニメ化。きらびやかな宝石の輝きを再現するCGのできがなかなかにすごくて、夜をダイヤが駆け抜けていく場面などCGならではの見せ場もすごい。宝石人間の性のない物としての生命、中性的容姿、女性声優陣の中性的演技、趣味を詰め込んだ濃厚な設定。ユーフォの久美子を思わせるすねた子供、フォスフォフィライト役を演じる黒沢ともよのパフォーマンスもまた鮮烈。欠けた身体を別の鉱物で補完していくことでフォスが強化されていくけれど、同時に身体に宿る記憶を失っていくという展開。シリアスで重い展開もあるんだけど、漫画的なギャグをよく入れてきていて、重さ一辺倒にはならないバランスがいい。10話、月人登場の戦闘シーンから建物内でのホラー的場面へのカメラワーク、CGをフル活用した感じですごかった。最後、対話できない相手との対話の可能性を探るって、ストライクウィッチーズ一期最終回を思い出すけど、そういえば敵と思ったものが自分たちのなれの果てっていう虚淵テーマ、これの悲観的変奏にも思える。続いている原作があるので物語は終わっていないけれど、毎回魅力的な引きで面白くて、少年声に定評があるような女性声優総出演みたいなキャスト陣もすごい。

ラブライブ サンシャイン!!
「自分のことを普通だって思ってる人が諦めずに挑み続ける」とか、ライブが成功しても閉校が決まったり、負けるって言うと違うけど、この感じがサンシャインというか。閉校が決まることで、ラブライブをやることが手段としてではなく、それ自体が目的となった仕掛けが良い。目的が校名を歴史に残すことへの転換、輝くという意味性がより純化していて。まなびストレートを見た後だったので、一話でおお、と思ってたら最終話の校舎に落書き。最終話での一期OPが優勝ライブだったという演出にぐっとくる。現実的な手続きを省略してライブを繋げたり、最終話の全部、エモーショナルなものを叩きつけてくる圧はトップクラス。というか、退場しながら順番台詞の作為性もだけど、Bパートの開いている校門、消えた落書き、いないはずの皆とのライブ、これ全部現実性が揺らいでいて、そしてそもそもこの作品自体のリアリティが揺らいでくる感じ、観念のドラマ性が前景化していてエモーショナルなものだけが抽出されている。

ネト充のススメ
疲れて会社を辞めたアラサー女性がネトゲで男キャラを使って、女性キャラを使う男性と出会うラブストーリーなんだけれど、非常に出来がいい。悶える三十路能登麻美子と真面目な胡散臭くない櫻井孝宏のメインキャスティング、特に能登さんの「ジャージ感」というワードで語られていた現実世界での砕けた演技がとても面白いし、現代におけるトレンディドラマ的ラブロマンスの障壁として別性ネトゲキャラ、あるいはアラサーニート、というところに置かれていて、そうして現代的ながらピュアな話を上手く展開している。リアル世界での心の傷をネトゲの仲間が癒やしてくれて、その相手に相応しくあろうと現実世界へ踏み出そうとするの、ニートの否定という筋を回避していて、うまい。そこで森子が一歩踏み出そうとするときに転びかけてて桜井が手助けするシーンの象徴性。ここで冒険じみた勇壮さのゲーム的曲がかかるのが、ネットとリアルの重ね合わせになっていて面白い。

少女終末旅行
終末世界と巨大構造物のポストアポカリプス二人旅漫画が原作。一言で言うと百合BLAMEだけど、けものフレンズ的な現代文明を未来から無知の人が追想するSF感覚もある。第一声が「うるせえ」の水瀬いのりのラフな言葉遣いが良い。一話、光を求めて外に出たら夜で、夜空の星の明るさに感動するところがいい掴みだった。五話ラスト、劇中の雨音を伴奏に特殊EDが始まったのは、なかなかうまく締めたもんだと思った。冒頭から水の音が流れ続ける話数だったのはこのためか。八話、とつぜんの飲酒からのいちゃつき展開、ひなろじを思い出す百合アニメぶり。いや、月光の夜、空、イゼッタか。ヌコ・花澤香菜のマスコット演技が面白い。最終話、人類の走馬燈を眺めながら、人類の武装を分解する菌類のエリンギと出会う最終話、島本須美だしナウシカすぎる。しかし、よだれに始まり、よだれに終わったアニメだ。まあよだれすなわち風向き、だから風任せの旅、か。

このはな綺譚
一話で三回風呂シーンを入れてくる日常系百合コメディだと思ってたら、じつは神や幽霊などの超自然的な存在を扱ったいい話、が多いのは意外だった。狐耳の娘たちの百合カップルの日々を基盤に置いているんだけれど、幽明の境にあるというこのはな亭を訪れるさまざまな怪異的存在とのエピソードを、演出やギミックで見せる、なかなかのダークホースだった。血縁でない家族の結びつきを描いた話やタイムスリップもので祈りの相互性を絡める最終話などもいいけれど、私が特に印象的なのは五話、梅雨のエピソードだ。Bパートに入ると画面が梅雨の暗鬱さを反映するように極端に彩度を落とされて、しかし傘の赤とあじさいの青・紫だけが映える独特の画面になるのと、空から降る糸のような雨をまさに糸として手繰って生地を織るメタな場面がなかなか驚かされる。そして織機は虹を織っていたというオチでの画面が鮮やかに色づく場面の鮮烈さ。つまり、彩度を落とした画面で傘とあじさいが映えるのは、赤と青・紫という虹の両端の色だからで、最初から不在の虹が描かれていた。同じく、傘とあじさいの雨のモチーフも、機織りが織るものも、雨がつねに晴れを意識させ、作り出している仕掛けになっている演出が見事だった。

●Just Because!
ゲーマーズの制作会社パインジャムによる青春恋愛オリジナル?(原作?ラノベが放送中に刊行)アニメで、制作が遅れているのか作画が荒れ気味なのも、作品自体はとても良いのも似てるんだけど、なかなか難儀なスタジオだな。高校三学期を舞台にしていて、主題歌がOPがoverでEDがbehindなだけはある、終わってからのビハインドの戦いという雰囲気。ハルトは一度告白を断られ、夏目はハルトへの思いを伝えられずに告白の進行を見守り、泉はその思いを知りつつ同学受験を試み、小宮は気持ちを知った上で告白をするつもりだと宣言する構図。それぞれ相手の好きな人を知ってる状態。青春を走りきった感じが良い。EDがとてもよく、カップリング曲も良い。

アニメガタリズ
アニメガタリ、という先行作品があるものの、アニメ好きの人々を描いたオリジナルアニメで、オタク生態アニメ、わりと辛いことも多いのでどうなるかと思ってたら突然のタイムトラベル少女の引用で好感度が上がる。制作会社が同じだ。キャラデザ、画面の色彩感とかがわりと好きだけれど、中盤のアニメオタク入門みたいなのが微妙だなと思ったら後半はわりと面白くて良かった。七話、一話に凝縮したSHIROBAKOといわんばかりの要点をダイジェストしたアニメ制作あるあるネタ、なかなかのテンション。八話、ニコ動の東方手書き動画でももっと動くのではみたいな劇中アニメほんとひどくて笑った。らきすたEDのパロも懐かしい。九話、アニ研がやたら活躍しだして、ぐっちゃぐちゃにリアリティレベルを破砕しながらひたすらにアニパロをぶっ込んでいく奇怪な味。10話、この怒濤のアニパロをぶち込むアニメで、既存アニメのパッチワークのごとき作品が酷評に晒され、黒歴史化し監督自身に封印されたけれども、それへの愛を語るミノアがいることというのは二重に意味深い。そしてクライマックス11話、やはり出てきたメタアニメ展開。ことぶきつかさ風作画、省略技法、漫符、アスペクト比デフォルメ、字幕に作中キャラが言及するメタ展開に、巻き戻しまでしてしまうアニメの歴史的な小ネタの数々。予告でまでOPを実況しながらリプレイするの笑った。最終話、虚構が現実化する狂騒のなかで、愛したアニメ、作ったアニメに助けられる展開はチープさゆえにか感動的。終盤の怒濤のメタアニメ芸そのものがアニメ愛の表現でもある仕掛けは良かった。URAHARAでの想像=虚構への感覚に釈然としない感覚がここで解消された気がした。

魔法使いの嫁
漫画原作アニメで、OPのJUNNAもいいし、そしてEDが急逝した吉良知彦の未発表曲を二十年前に脱退した元メンバー上野洋子が編曲協力してできた楽曲で、幻のZabadak楽曲のようになっており感動的。本篇自体は自己肯定感に乏しい少女が魔法使いとして修行していくなかで、自分を引き取ったエリアスという人でないものとの家族を作ることで尊厳を回復していく。

妹さえいればいい。
僕は友達が少ない、の原作者による新作のアニメ化。ラノベ作家を主人公にした点、妹ネタなのもエロマンガ先生とかぶるアニメが同年アニメ化というミラクル。しかしこちらは、一番欲しいものこそ手に入らず、そばにいる他人がそれを持っている、という鬱屈の連鎖があったり、ひどいギャグと真面目さが同居している。基本いろんなゲームを作中人物が遊んでいる、というゲームネタでもある。大野アシュリーがすごい存在感だった。すぐ裸になるヒロイン那由多と、取材と称して裸にさせられてしまう京のやたら裸でスキンシップとってる百合関係、さすがはがないの作者って感じ。

EVIL or LIVE
ネット中毒者を収容する戸塚ヨットスクール的施設にいれられた子供達が、いろいろサバイバルするっていう中国アニメ。さまざまな暴力と性が混濁した空間、ゲスいエンタメ性に素直でいい。特に二話、主人公が花を舞わせてヒロインみたいに押し倒されてんじゃねーよ!って思った。「万物の始まり」からの嘔吐キス、このあたりの場面、演出、クソ面白い。暴力、醜さの露悪趣味と所構わぬ中国アニメ的ギャグが噛み合ってて、わりといい。

●URAHARA
原作はオタクのアメリカ人による小説らしい。原宿を舞台に、三人の少女がそれぞれ、イラスト、服飾、発明家が自身のクリエティヴィティを見つめる話になっている。異星人スクーパーズは、創作ができずに盗むことだけをしている存在で、彼らから原宿を守るために戦う。絵柄やラフな美術が良いんだけれど、前半、なにか異様に淡々としていて平坦な印象。後半承認欲求の暗黒面に踏みこむなど、急展開してからはそれなりに引きがあった。スクーパーズの存在と合わせてデジタル時代、SNS時代の創作がテーマでもあるように思う。しかし、これまでが現実じゃないとしても感じたことは嘘ではない、と締めたけど、現実じゃないなら意味がない、本当じゃないと意味がないと強弁したままになるの、今作ではフィクション作る人がいないせいなのか。アニメという虚構のなかで現実じゃないなら意味がないと強調する意味が釈然としない箇所だった。

Infini-T Force
ガッチャマンテッカマン、ポリマー、キャシャーンのタツノコヒーローが結集するフルCGアニメ。映像、そして重い効果音の迫力がなかなかで、結構面白いし、敵が玄関ピンポン押してやってくるとか好きだけど、差別だとか正義だとか、父と子だとか、仲間だとか言葉がどうも皮相に感じる。それぞれの元作品知らないで見てるせいもあるんだろうけど、話が解決に入ると途端に興味が薄れる。とりわけ父権的キャラだった健がメインになるの、序盤のエミとの確執ぶりから言っても妥当ではあるけど、パターナリズムだなあって感じ。そして主人公のパパ大好き娘ぶり。ちょっとなって思う。主軸が親離れなのに新しいパパみつけてどうすんだ。ネト充のススメも桜井のモデルは櫻井孝宏じゃないかって話でキャスティングしたらしいけど、これの櫻井孝宏キャラがどうみてもリアル櫻井孝宏で見てて笑ってしまう。櫻井孝宏に櫻井孝宏をキャスティングするアニメが今期は二つあるな。

あとガーナの神様を題材にしたカオスショートアニメおにゃんこポン、最後にちゃんと主人公のゲスさを出して終わったうまるちゃん二期、きらら系ラブコメアニメ、ブレンド・Sなども。血界戦線二期も悪くないけど、一期の印象が強いのは最終回と通した軸があったせいだろうか。

どうかと思ったもの
●キノの旅 -the Beautiful World- the Animated Series
電撃文庫のラノベを十何年ぶりの再アニメ化。全話見たけど、キノにはずっと悪い意味で違和感がぬぐえなかった。そもそも一話冒頭、たまに自分が愚かで矮小な汚い人間に思える時がある、という台詞が違和感あって、キノは冷静な自己認識としてそうではないと? えらい人だなと思ったんだけど、その後の話を見ていくと、この違和感が裏書きされていく。言ってみれば、訪れる国の人々は大概が愚かで奇怪な制度システムになっていて、バカな人々を見て回って溜飲を下げる物見遊山の旅、という悪趣味な構造でできてるように見える。一話や船の話、歴史のある国や大人の国あたりの直截にアレな人々の話はもとより、嘘つきや無理心中のあたりの美談風の話で特に違和感が強くなる。その話、感動的か?という。内容が政治的かどうかよりも、愚かな彼等と賢明な我等、というこの構図そのものが政治性って感じ。

映画

●BLAME!
プレアデスの一挙上映を別として千と千尋以来に劇場でアニメを見た気がする。縦の話としての原作を横に広げた形のサイドストーリーを展開していて、これはこれで良かったかなと。まあすごいありがちな話に落とし込んだ感じはしたけど。ある村落を中心にして、旅人の話ではなく、旅人が立ち寄った村の話ということでまとまりをつけてある。まあ原作通りだと劇場版にはならない感はすごいあるので、なるほどな、と。事前に百合だとか回るシボだとか聞いてたけど、確かにちょい百合だったし、シボはなぜかくるくる回ってて笑えた。モデル歩きみたいなことさせたかったのかな。fate/zeroか。ただ、ある階層での話ということで上下移動がなく、超構造体のスケール感が薄い。過去回想の都市を俯瞰した風景が一番あったような。重力子放射線射出装置のSE、もっと違う音が欲しい気もした。花澤香菜が長い眠りから覚めたので、おや、凪のあすからからな、と。

以下ウェブ配信されていたもの。
●劇場版 魔法少女まどか マギカ[新編]叛逆の物語
映画の前後篇は見てない。序盤の調子に乗ったスタイリッシュ二次創作みたいなの面白かった。全体に杏子さやかをすごく手厚くフォローしてあって素晴らしい。私のなかで、TV版って四話から始まって九話で終わった感あったので。まどかとほむらの対立によって均衡していく世界になったのかな、と思ったらリボンを渡して決別して最後の飛び降りであれ?とは思ったけど、これで終わっても良いし、続きも作れそう。作ってるんだっけ?さやかに「ちょっと考えればわかる」とかいわれてたほむら、わりと短慮と思い込みの人なんだな。まあ一回見てどうこうってほどわかりやすくはないけど、美術、アクション、演出その他、かなり見応えあった。

ガールズ&パンツァー劇場版
重量感のある戦車のスピーディな戦闘の迫力はすごい。初見ではチームの見分けが付きにくかったりわかりづらいところもあるけれど、そんなんありかよってアイデアがぶち込まれた戦車戦の息もつかせぬさまが圧倒的。廃校再燃の物語のネタを無理矢理作った感じはあるけれども、途中の山での待機生活の雰囲気は悪くない。政府行政のメンツと世界大会に向けての体制づくりでの仕立てられた弾圧への抵抗、おお反体制アニメじゃないか。しかし、「蝶野さまがお見えです」で違う人が浮かぶ。

ラブライブ!The School Idol Movie
ラブライブスクールアイドルというものの現実的基盤が描かれないので、連呼されるたびにそれが何なのかわからなくなってくるんだけど、その概念=フィクションの力で秋葉と世界を塗りつぶすのに圧倒される。もともとミュージカル的な観念性がある作品だったと思うけど、ラブライブって虚構と現実でのヒットの重なり具合が凄かった作品でもあって、こうやって終わることで伝説になったか、と。この伝説の英雄に対する、サンシャインなんだよなー。

番外

まなびストレート
ニコ生一挙放送を見た。確かに名作。そして五人の放課後アニメだ。小気味よく凝ったアングル、よく動く作画、丸いキャラデザリアリスティックな表情の描線を入れる画風、一見柔らかそうでその実、政治的なものを問いながら描かれる「わたしたち」の力強い物語。中心になるのは自分たちの居場所、ということで、転校続きのまなび、園長先生の廃寮の思い出が、廃寮を改装した新生徒会室において交差していて、これは生徒会や部屋がなくなっても、五人の関係性という「居場所」はなくならない、という結末を繰り込んだもの。学生運動アニメだと聞いていたけどほんとにそうだった。というよりは、決められたことになあなあで従うのではなく、自分たちが自分たちで何ができるか、ということを、廃止される学園祭復活運動の展開のなかで描く。ゲバ棒、ヘルメット、火炎瓶。園長や下嶋といった先生たちの学生運動のバックボーンは、学園祭復活署名運動という運動で、理念を自分たちしか理解していないのではないか、という身内意識への反省や論題の設定でのラインの引き方など、運動の仕方の議論なんかとも繋がる。民主主義って何だという考えが背後にある、か? 職業訓練校化していく学校への批判も。とはいえ、特に好きなのは四、五、六話あたりの、友達の話や友達の友達の話で、メイ、ミカ、むつき、と友情を深めていくあたりがやっぱりとても良かった。そしてここらでミカがメインの話なんだということがわかってきて、まなびの勇気をミカが受け取る物語なんだな、と思った。学校のなかにある居場所、五人の卒業の最終回、いろいろ放課後のプレアデスを思い出す。夜の街、夜の学校、二人で、みんなで見る月、星、旅立ち。うーん、とっても叙情性あふれる場面がたくさんあった。アングルの恣意性や盗撮感はやっぱりももが背後に想定されてると考えていいのかな。

年間、話数、アニソン10選

今年の10作を選ぶなら、

けものフレンズ
このすば2
霊剣山二期
フレームアームズガール
アリスと蔵六
チアフルーツ
プリンセス・プリンシパル
つうかあ
宝石の国
ラブライブ・サンシャイン
ショートアニメ部門ではノラと皇女と野良猫ハート

話数10選では、

けものフレンズ三話
野良猫ハート三話
ひなろじ11話
18if七話
アリスと蔵六11話
チアフルーツ五話
プリンセス・プリンシパル八話
このはな綺譚五話
魔法陣グルグル20話
アニメガタリズ11話

アニソン10選はかなり難しい。OP、ED両方良かったのも多くて、絞れない。OP、ED両方良かったものとしては、少女終末旅行ネト充のススメ魔法使いの嫁拡張少女系トライナリーひなこのーとがある。

けものフレンズED「ぼくのフレンド」
恋と嘘OP「かなしい うれしい」
プリンセス・プリンシパルOP「The Other Side of the Wall
トライナリーOP「テクトラ!」
アリスと蔵六ED「Chant」
ひなこのーとOP「あ・え・い・う・え・お・あお!!
少女終末旅行ED「More One Night」
Just BecauseED「behind」
ネト充のススメOP「サタデー・ナイト・クエスチョン
魔法使いの嫁ED「環-cycle-」
宝石の国OP「鏡面の波」

セントールの悩みEDや、境界のRINNEED、フレームアームズガールED、バトルガールハイスクールEDなんかも良い。

今年もお疲れ様でした。ご覧頂きありがとうございました。