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2020-01-01

2017-11-10

[]北海道新聞「現代北海道文学論」に山下澄人論が掲載されました

山下澄人芥川賞受賞作『しんせかい』について書いた原稿が北海道新聞11月1日夕刊に掲載されました。そして、今日ウェブ版も公開されました。

<東條慎生> 【山下澄人】原点としての富良野塾 表現法、倉本聰への返歌:どうしん電子版(北海道新聞)

しんせかい

しんせかい

芥川賞受賞作「しんせかい」は、北海道富良野倉本聰が主宰していた私塾富良野塾での体験を題材にして書かれていたことは周知の話で、拙稿は、山下の表現を、倉本聰の著書と対比させるかたちで書いたものです。

みながみな倉本聰との関係に言及するわりに、言及するだけに留まるので、それなりに面白いアプローチになったかと思います。まあ、富良野塾が舞台になっているので、富良野塾って何だろうと調べてみたら、ちょうど倉本聰自身がその記録を書いているのを見つけたのと、『北の想像力』で倉本の『ニングル』がレビューされていたのを思い出して両著を読んでみたところ、これが絶妙に関係していて面白かったのが原稿のとっかかりになりました。

ニングル

ニングル

谷は眠っていた―富良野塾の記録

谷は眠っていた―富良野塾の記録

なお、「昨日夢で見たことと昨日経験したことは一緒」という文言は佐々木敦によるインタビュー「山下澄人 「測り知れへん領域(ゾーン)」で書く」(文學界2017.3月)からの引用です。

山下は富良野塾卒業後、いろいろあって劇団FICTIONを主宰して、あるときそこに保坂和志を招待したときの公演がじつは「しんせかい」という劇だったりもします。内容はほとんど別物だけれど、知らないところに働きに行く、ということが共通しているとは山下自身が述べている。

その時の保坂和志の観劇記録が以下の文章。

遠い触覚  第三回

保坂和志公式サイトに劇団FICTIONからメールが来たことを記した管理者ブログが以下。

極楽ランドスケープ

2017-09-30

[]季刊「未来」の後藤明生論第五四回「「とつぜん」としての世界」について

今回特に補足することはないですね。註釈もだいたい削らずに入ってかなりの分量になりました。特に長い、拓殖大学に関するものと武道教育禁止令のところは、後藤論ではほぼ言及されないところで、わりと面白い背景知識かな思います。後藤明生論で『拓殖大学百年史』を参照してるのなんて私しかいないだろう、という。平田了三「GHQ占領期における武道の一考察」も面白い論文で、GHQ占領下日本の一コマを差し込んでみたかたちです。

その註釈がなんなのかというと、つまりは『挾み撃ち』において古賀弟は何なのか、古賀弟の位置づけから歴史性が見えてくるところがある。古賀弟の象徴性というか重要性は結構大きいと思いますけれど、踏み込んだものはなかったかと。

同時に、『挾み撃ち』の脱線的な饒舌から、当時の細かい状況なんかも窺えたりして、でもそれが無駄になっていない。グァム島の意味や古賀弟もそうですけど、いろんな無駄話がテーマの変奏だったり、伏線になったり、話題の転換点になったりしているのがやはり面白い。

あと「赤と黒の記憶」という言葉が本当に指し示している場所はこれではないか、というのも前から言いたかったことではあります。

2017-06-28

[]季刊「未来」の後藤明生論第四回「憧れと挫折」について

後藤論連載第四回の掲載された季刊「未来」2017年夏号が出ました。

今回から最終回までの三回にわたり『挾み撃ち』論が続くことになります。冒頭に書いたように、この作品は「夢」の小説だ、とぶち上げてみています。

今回はおおむね『挾み撃ち』の概要を確認したかたちですけれど、これまであまりちゃんと言及されていないところとしては、『挾み撃ち』はゴーゴリとともに、『墨東綺譚』をベースにしている、という点についてでしょうか。『挾み撃ち』の模倣対象としてはつねにゴーゴリばかり言及されて、荷風も重要な模倣対象だよと強調しておこうと。そして『壁の中』との関係を指摘してみましたけど、どうでしょうか。『墨東綺譚』についてはまた出てきます。

この関係についての言及としては、坪内祐三が坂本忠雄の座談集『文学の器』で、『挾み撃ち』を「現代版『墨東綺譚』みたいなところがある」と言っています。再読に耐える、という理由以外はいわないものの、別の文脈で『墨東綺譚』の都市小説性やジイドの後期作品を念頭に置いた批評的作品だとも言及していて*1、このあたりを踏まえてのことでしょう。

文学の器

文学の器

出典は挾み撃ちばかりでそれはおおむね頁数を併記してあるので、削った出典注は今回はなし。

*1:267-271P

2017-06-13

[]朴裕河 - 引揚げ文学論序説

引揚げ文学論序説 - 株式会社 人文書院
人文書院のサイトには各種書評へのリンクがある。

2008年以来朴裕河が発表してきた引揚げ文学に関する論文や講演を一冊にまとめたもの。著者の言に従うなら「引揚げ文学」についての始めてまとめられた書籍になるだろうか。

著者は十人に一人が引揚者だったという体験の膨大さに比べてその記憶はあまりにも忘れられていることを指摘する。引揚げが日本において「国民の物語」、「公的記憶」にはならなかった理由を、植民者たちという「加害者」のものだったこと、また引揚者は戦後帰還した内地において、差別蔑視されたことなどがあるとしている。そして引揚げが文学事典の類いに記載がないことを指摘する。

しかしながら、「帝国」と「帝国後」をとらえる引揚げ文学の存在は、「内地」中心の文学観をアジアに広げる視点になりうるのではないかと著者は言う。引揚げ文学の研究は「「内地」中心主義と混血文化の切断と「定住者」中心主義の上に築かれた、「日本近代文学」と「日本現代文学」の組み替えさえ迫るかもしれない」という。そうして戦後国内における「異邦人性」を持ち続けた存在としての引揚作家たちが本作で論じられる対象となる。

著者の引揚げ文学の総論部分は、原型が立命館大学のサイトに公開されているので、まずはそこから読んでみるのがいいだろう。

「引揚げ文学」に耳を傾ける - 立命館大学

本書には漱石『明暗』に出てくる小林が朝鮮行きになっていることについての講演や、小林勝の諸作、湯浅克衛「移民」についての論考などがあるけれども、とりわけ丁寧に論じられていて、本書の核となっているのは後藤明生論だろう。

著者は、「植民地や占領地以外には「故郷」がないと感じていたひとたち」、つまり典型として「敗戦当時の少年少女たちこそが、「引揚げ文学」の主役なのである」(15-16頁)と言う。この場合、漱石はもちろん、植民地で育ちながらも引揚げを経験していない湯浅よりも、敗戦まで内地体験のほとんどない後藤明生が「引揚げ文学」の恰好のモデルケースになる。

その後藤明生『夢かたり』(76年刊)についての二つの論考は、子供の目から見た植民地の光景における、植民者と被植民者の関係を丁寧に取り出した「内破する植民地主義」と、植民地で育った者の戦後の身体感覚について論じた「植民地的身体の戦後の日々」。二つ合わせて朝鮮にまつわる過去と現在から照射したかたちだ。

いずれも、作品の語りのなかから、植民者が必ずしも優越的地位に安住できたわけはなく、その優越意識が不安にさらされていること、朝鮮と日本の境界相互浸食されている状況を取り出す。子供故にその禁じられた境界を越え出て行く場面や、植民地育ちの人間にとって気づかないうちに日常語に朝鮮語が入り交じっていることなど、植民地の日常においてはどうしたってお互いに影響し合う。これは当時においてもそうだし、そして数十年経った現在時においても引揚者が自分の日本語にどうも自信がない、というような状況をもたらすアイロニー、「内破する植民地主義」を指摘する。

そもそも中期後藤明生について長い論考はほぼないので、この論はそれだけでも貴重だし、引揚者後藤明生についての論としても拙稿の重要な先行研究となっている。国会図書館の関西館にしかない「日本學報」という韓国学術誌に載っていて参照が難しかったのが一般書として刊行された点、とても意義がある。

 

『夢かたり』のほぼ前半について論文二本を費やして論じたことで丁寧な読み取りがされているけれども、反面、『夢かたり』論としては作品後半への踏み込みがされていない憾みがある。朝鮮在住時を主に描いたのは前半なので妥当ではあるけれど、後半は同郷ながらも語り手とは違うスタンスの人たちが出てきて、語り手の認識を相対化していくからだ。従姉や特に母の存在等、この別視点は三部作にかけてのテーマとなるわけだけれども、本書では母や従姉や同郷の友人らが語り手に対して持っている意味があまり意識されていない。

それともかかわるけれども、たとえば本書のなかで気になったのは、148Pにある「チョコマンナノーソク」のくだりだ。朝鮮人の子供のつたない日本語を日本人少年が笑いものにした場面があると述べた後で、「チョコマン」が朝鮮語だったことでそれが言葉の混交の場面だと著者は言うけれど、この場面はもっと別の意味がある。

「カミサマニ、タテマツル、チョコマンナ、ノーソクハ、アリマセンカ?」(小さいロウソクのこと)

という朝鮮人の子供の不慣れな日本語を節回しや手真似をして「大笑い」したこの場面は、語り手もまた「コウゴグシンミンを笑ったコウコクシンミン」にほかならなかったことを示しているはずだ。そしてこのことを語り手はまったく覚えておらず、何十年ぶりかに再会した田中から聞くことで知る、という過程が重要だ。自身もまた無邪気に差別構造に乗っていたわけで、その「笑った」ことが無意識にされたものだったからこそ、加害者としての意識が容易に忘却されていたことを露呈した場面だからだ。

もっといえば、「朝鮮人くさい」という父の言葉が分からない、と語られたりして、積極的には差別に荷担したことがなかったかのような叙述が続いたなかにあって、語り手もまた植民地における差別的振る舞いとは無縁ではなかったことがわかる場面だ。著者は「少年がまだ差別意識に汚染されていない」と言うけれども、これは語り手を無垢に見ようとしすぎている。小学生ころの少年が差別意識と無縁なわけがあるだろうか。植民地差別構造をまだ内面化していない子供、という書き方をしているところもあるけれども、子供こそ無邪気にその、周囲の環境にある差別構造を体現してしまうものではないか。

著者は「内破する植民地主義」で触れたこの場面について、「植民地的身体の戦後の日々」のほうで、きちんと加害体験に気づく過程だと指摘している(176P)けれども、これがノーソクのくだりと同じ場面についての指摘だとはわかりづらい。笑いものにした加害の場面だということはきちんと指摘してはいるけれど、この場面についての著者の言及の仕方は私には少しばかり違和感がある。

それと、著者は『夢かたり』について、後藤の個人的な体験が時空間の領域を広げて「国家」や「世界」の体験となり、結果として「歴史」となることを目指している、と書いている(136頁)けれど、これは明確に違う、と思う。むしろ後藤としてはこれは歴史あるいは政治とは違う、あくまでも個人的な体験として局限して語っている。ここらへんは私の後藤論の第二部のテーマになるので、ここでは書かないけれども。

もう一点細かいところだけれど指摘したいのは、159Pの注11において、川村二郎が後藤を批判したという記述だ。「植民地に対して日本人がどういうことをしたか」を「問題的に書こうということは、一切しない」と川村が批判し、坂上弘が擁護したと著者は書いているけれども、川村は先の一文に続けて「だから、しないことによって、個々のイメージ、あるいは風景というのは、とても鮮明に出てきています」として、「その鮮明さが僕には好ましい」とむしろ好意的に評している。川村はこのアンビバレントな事態について、それでいいのか、とはいうけれども、川村と坂上は順接して話している(「文藝」76年6月号)。川村のこの発言は私も好意的なものとして引用したのですぐわかったけれど、これはややアンフェアな引用ではないか。

 

本書に収められたのは『夢かたり』論だけれども、当然後藤の引揚げ体験としては『挾み撃ち」やその他の諸作も重要で、特に『挾み撃ち』での土着からの疎外体験は「定住者中心主義」を批判する著者にしてみれば重要な論点になるはずだ。また後藤はずっとマンションアパート住まいの、根っからの非定住者だったことなど、著者によって書かれるべき本論はまだまだあると思われる。

私は私で初期からの後藤を引揚げの視点から通時的に検討した拙稿でカバーしたつもりなので、挾み撃ち以後を論じる第二部をそのうち発表できればな、と。そこで同郷の友人や母の存在について引揚げ三部作を通して扱ったので。

全体についていえば、『明暗』の小林がそうだったように、貧困故に移動していった人々の存在を指摘し、植民地という場所は内地の増えすぎた人口を放出するための帝国日本の棄民の場所だったと論じ、その記憶が見落とされていたことは、最初の棄民に続く〈記憶の棄民〉になっていたとする指摘は重要だろう。この二重の忘却は後藤明生の論じられかたを見るにつけ、正しいと思う。後藤の引揚げ体験は論及においてほとんど中心に捉えられることがなかった。

この忘却の問題として、本書で扱われた小林勝や湯浅克衛は、短篇がアンソロジーで読めるくらいで、著書が現行きわめて入手困難なのは一例だろうか。

渡邊一民や磯貝治良などによる、日本文学のなかの朝鮮を探る試みなどはあったけれども、それとはまた違い、植民地から本国へ移動した引揚者による引揚げ文学という視点はまだこれからだろう。その意味で小著ながらも重要な一冊。

また、著者は「日本學報」2012年11月号に、「「引揚げ」と戦後日本の定住者主義」という論文を発表している。文学論ではないので本書未収だけれど、今めくってみたところ、本書のなかで見た文章が散見されるので関連のある部分を引っ張ってちりばめてあるようだ。

なお一点、「植民地的身体の戦後の日々」の註16、「植田康夫書評クリニック」の出典は、「諸君」1979年3月ではなく、79年7月。

 

そういえば本書でも引かれる成田龍一の論考は「引揚げ」と「抑留」を論じたものだけれど、抑留文学、というカテゴリはあるのか。抑留者の文学、というと石原吉郎が浮かぶけれど(拙稿と同じ季刊「未来」に現在郷原宏の石原論が連載されている)、石原は帰還したとき、両親を亡くしていたため親族の元にむかったら、まず「赤」でないことをはっきりさせ、「赤」ならばつきあえないこと、精神的な親にはなれても、物質的な親にはなれないこと、祖先供養をしなければならないことを最初に言われたという話があり、引揚者のそれにくわえ政治的な排除も受けていた。石原論のように、個々の作家の抑留体験を見るものはあるとして、抑留者の文学を横断的に見たような研究はありそうだけれど。

シベリア抑留者たちの戦後 - 株式会社 人文書院

これはちょっと違うか。

渡邊利道/J・G・バラード『ハイ・ライズ』(村上博基 訳)解説(全文)[2016年7月]|Science Fiction|Webミステリーズ!

また、この植民地上海出身のJ・G・バラードの解説で渡邊利道が書いている、朝鮮出身の後藤と満洲出身の安部公房、そしてヌーヴォーロマンの作家が植民地出身だったりすることを指して、「みな戦争や植民地での体験によって古典的な人間性に強い懐疑を抱き、十九世紀風のオーソドックスな小説技法に積極的に揺さぶりをかけ続けた作家たち」だとする指摘は興味深い。

しかし、本書を読んでも、著者がなぜ慰安婦問題で大きな事件を抱え込んだのか、ややわかりづらいところがある。右派的な植民地主義肯定者ではないし、ジェンダー問題についても踏み込んで論じており、問題意識もある。ただ、この記事を書きながらぽつぽつ読み返してみるとき、日本人と朝鮮人のあいだの境界がくずれ、言葉が混交し、またお互いに助け合った人たち、あるいは日朝の子供同士のほほえましい場面、といった支配関係を越え出る瞬間に着目する方向性は、行きすぎれば注意を要する議論ではある。当該書籍は読んでいないので触れるべきではないかも知れない。とりあえずのメモとして。