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2016-04-14

佐々木敦ゴダール原論』書評

佐々木敦氏によるゴダール『さらば、愛の言葉よ』(2015)のスリリングな読解の書『ゴダール原論』(新潮社、2016年1月)の書評を、先日『産経新聞』に寄せたのに引き続いて、今日発売される『週刊読書人』にも書いた。前者のものはウェブ上でも読める

  • 佐々木敦ゴダール原論――映画・世界・ソニマージュ』(新潮社、2016年)書評、『産経新聞』2016年4月3日
ゴダール原論: 映画・世界・ソニマージュ

ゴダール原論: 映画・世界・ソニマージュ

ゴダールの異形の3Dの使用法を読み解くための補助線として、本書ではジョナサン・クレーリーの『観察者の系譜』(遠藤知巳訳、以文社、2005年)に加えて、赤瀬川原平の『ステレオ日記――二つ目の哲学』(大和書房、1993年)と吉村信・細馬宏通編著の『ステレオ――感覚のメディア史』(ペヨトル工房、1994年)が参照されているのだが、特に後者はめっぽう面白い。

コラム形式で、チャールズ・ホイートストンの両眼視の実験から、カイザーパノラマに言及するベンヤミン、近眼の人を「物のさとりがわる」く「常識に欠けて居るといふようなことがある」と強弁する正岡子規を経て、ステレオ写真家としてのハロルド・ロイド伊藤大輔ムルナウに至るまで、思わずさらに掘り下げたくなる興味深いエピソードが満載だ。3D映画を考えるにあたっても、ぜひ再読されるべき本である。

2016-01-30

ジャック・リヴェット「卑劣さについて」を読む

ついにジャック・リヴェットが亡くなった。2010年にはエリック・ロメールクロード・シャブロル、2012年にはクリス・マルケル、2014年にはアラン・レネが立て続けに逝去し、ヌーヴェル・ヴァーグの時代を牽引した映画人たちのうち存命なのは、ジャン=リュック・ゴダール(1930-)や、アニエス・ヴァルダ(1928-)や、ジャック・ロジエ(1926-)くらいになってしまった。

リヴェットの作品で最初に見たのは、たぶん『セリーヌとジュリーは舟でゆく』(1974)だったと思う。その後、『北の橋』(1981)、『美しき諍い女』(1991)なども見て、『ジャンヌ・ダルク』2部作(1994)以降は、日本で封切られたものは封切り時に見た。かつて随分苦労して長編第一作の『パリはわれらのもの』(1960)の米国版VHSや、『アウト・ワン』(1971)の4巻組の仏語版VHSを手に入れて見たことも懐かしい。しかし、どの作品を見ても、その奇抜な着想には魅せられながらも、ほとんど異星人が作った映画を見ているようで、リヴェットがやろうとしていることが腑に落ちたという気は残念ながらいまだにしない。

リヴェットの作品をさらに謎めいたものにしている理由は、彼の作品群のトーンが、1950年代に彼が書いていた切れ味鋭い映画批評と調和していないことではないだろうか。ゴダールは、批評を書くことはすでに映画を撮ることだったと言い、実際、彼の映画批評は彼の映画と類似しており、彼の映画と同じくらい痛快だ。トリュフォーにおいても、批評と実作の連続性は比較的明瞭に見て取れる。しかし、リヴェットはどうか? 「ロッセリーニへの手紙」や「ハワード・ホークスの天才」といった彼のきわめて鋭利な批評は、見終わった後にチェシャ猫の笑いのごとく不思議な感覚だけが残る彼の作品群と同一世界にあるようには思えないのである。しかも、彼は自分の批評が本のかたちで集成され、再刊されることを望まなかったようで、彼が主に1950年代に書いた文章を読むには、いまだに『カイエ・デュ・シネマ』誌などのバックナンバーに当たらなければならないという事情も、彼の映画と批評のあいだの断絶の印象を強めている。

さて、リヴェット追悼の意味も込めて、ここに「卑劣さについて」の新訳を披露したいと思う。「卑劣さについて」は、ジッロ・ポンテコルヴォ(1919-2006)の『カポ』Kapo (1960年、邦題『ゼロ地帯』)のあるシーンにおけるトラヴェリングを弾劾した短評で、『カイエ・デュ・シネマ』の120号(1961年6月号)に掲載された。のちの映画批評家セルジュ・ダネー(1944-92)に決定的な影響を与えたことでも知られていて、その点については「『カポ』のトラヴェリング」(『不屈の精神』所収、梅本洋一訳、フィルムアート社、1996年、17-53頁)に詳しい。「卑劣さについて」には故・梅本洋一氏による既訳があるが(同書の221-225頁に「資料」として訳出されている)、同書は版元品切れ中でもあり、また重要なテクストには複数の訳があってもよいだろうという判断から、以下に試訳をお目にかける次第である(文章中の太字は原文イタリック)。

なお、ダネーも見たことがないという『カポ』は、今ではDVD(海外版)で手軽に見ることができる。

Kapo' [Italian Edition]

Kapo' [Italian Edition]

ジャック・リヴェット「卑劣さについて」(Jacques Rivette, « De l'abjection », Cahiers du cinéma nº 120, juin 1961, p.54-55)

 最低限言いうるのは、このような主題(強制収容所)についての映画を企てるとき、自分に前もってある種の問いかけを課さずにいるのは難しいということだ。にもかかわらず、錯乱しているからか、愚かだからか、はたまた意気地がないからか、まるでポンテコルヴォがそのような問いかけをするのを果敢にも無視したかのようにすべてが進行している。

 たとえば、リアリズムという問いかけがある。容易に理解できるさまざまな理由で、絶対的なリアリズム、あるいは映画でその代わりとなりうるものは、この場合、採用することはできない。この方向でのあらゆる試みは必然的に未完成(「したがって不道徳」)であり、再構成や滑稽でグロテスクな偽装(maquillage)のあらゆる試み、「スペクタクル」という伝統的なあらゆるアプローチは、覗き見趣味とポルノグラフィーに属しているのだ。演出家は〔リアリズムを〕味気ないものにしなければならない。自分が思い切って「現実」として提示しているものが、観客にとって物理的に耐えうるものであるために。その結果、観客は、たぶん知らず知らずのうちに、こう結論するしかなくなるだろう。もちろん、それは痛ましいことだった、あのドイツ人たちは何と野蛮なのか、だが結局のところそれは耐えがたいものではなかった。十分に思慮深くあって、多少なりとも機転を働かせたり辛抱したりすれば、切り抜けることができたはずなのだ、と。同時に、誰もが知らないうちに恐怖に慣れてしまい、恐怖が生活慣習のなかに少しずつ入り込み、やがて現代人の精神的な風景の一部となるだろう。そうなったら、実際、衝撃を与える(choquant)ものではなくなったものに、今度、いったい誰が驚いたり憤ったりできるというのだろうか?

 ここで私たちは、『夜と霧』の力が記録資料に由来するのではなく、モンタージュから来ていたことを理解する。つまり、あるがままの事実――悲しいかな、現実に起こった事実――を、ある動きのなかでまなざしにもたらすような技法に由来していたことを――その動きはまさしく、〔収容所でみられる〕現象を理解し、認めることを承諾しえない、明晰でほとんど非人称的な意識の動きである。レネが取り上げたものよりもむごたらしい記録資料は、ほかで見ることもできたが、人が慣れることのできないものなどあろうか? ところが、『夜と霧』に慣れてしまうことはない。映画作家が自分の示すものを裁き、またその示し方によって裁かれているからだ。

 話は変わるが、ムレの「道徳とはトラヴェリングに関わる事柄である」という文章(またはそのゴダール版の「トラヴェリングとは道徳に関わる事柄である」)は、あちこちで大いに引用されたが、たいていの場合、かなり愚かな仕方で引用された。人はそこに形式主義(formalisme)の頂点を見て取ることを望んだのだ――〔ジャン・〕ポーランの用語法を借りるならば、むしろその「恐怖政治」的な行き過ぎを批判することもできるのに。しかしながら、『カポ』で〔エマニュエル・〕リヴァが電気の流れる有刺鉄線に身を投げて自殺するショットを見るがよい。その瞬間に、死体を仰角で再び画面に収めるべく前方へのトラヴェリング(travelling-avant)を行い、挙げられた手が最終的なフレーミングでちょうど角に刻まれるように気を配ることにしたこの男は、最も深い軽蔑にしか値しまい。私たちは数ヶ月前から、形式と内容とか、リアリズムと夢幻劇とか、脚本と「演出」とか、自由に演じる俳優か制御された俳優かとか、その他のたわごと(balançoire)といった偽の問題にうんざりさせられている。あらゆる主題は権利上、生まれながらにして自由かつ平等であるのかもしれないが、重要なのは、色調(ton)、あるいは語調(accent)、ニュアンス――どれでも好きなように呼べばよいだろう――であり、すなわち、ある人間――作家という必要悪――の視点であり、その人間が自分の撮るものに対して、したがって世界と森羅万象に対して取る態度なのである。それは状況の選択や、筋書きの構築や、台詞や、俳優の演技や、純然たる技法(technique)のうちに、「一様におなじだけ」(indifféremment mais autant)表れうるのである。恐れとおののきを抱きながらでしか取り扱うべきではない事柄というものがある。おそらく、死はその一つであろう。これほど神秘的な事柄を撮影する瞬間に、どうして自分が詐欺師だと感じずにいられるだろうか? ともかく、自分に問いを課し、その問いかけを何らかの仕方で自分が撮るもののなかに含める方がよいだろう。だが、疑いこそ、ポンテコルヴォやその同類に最も欠けているものなのだ。

 一本の映画を作ることは、ある種の事柄を見せることであり、同時に、同じ操作によって、それらの事柄をある一面から見せることである。この二つの行為は、絶対に切り離すことができないのだ。演出のなかに絶対的なものがありえないのと同様――というのも、絶対的なもののなかに演出はないのだから――、映画は決して「言語活動」(langage)にはならないだろう。記号(signe)とシニフィエ(signifié)の関係はここではまったく通用しないし、ザジ少女と同じくらい悲しい異端にしか帰着しない。総合の代わりに付加、統一性の代わりに分析で済ませようとする映画的事象のアプローチはどれも、私たちをただちに映像のレトリックに差し向けるのだが、それは機械図が絵画的事象と関係するほどにしか映画的事象と関係していない。「左翼の批評家」を自称する者たちにとって、なぜこのレトリックがかくも貴重なものであり続けているのだろうか?――おそらく、結局のところ、彼らは何よりもまず筋金入りの教師なのだろう。だが、私たちがつねに、たとえばプドフキン、デ・シーカ、ワイラー、リッツァーニ、それにIDHECの旧従軍兵たちを嫌ってきたのは、この形式主義の論理的な帰結がポンテコルヴォと呼ばれるからである。拙速なジャーナリストたちがどう考えようと、映画史は毎週、革命の状態に陥るわけではない。ロージーのような人物の力学や、ニューヨークで行われている実験は、砂浜に打ち付ける波が深海の静けさを揺るがさないのと同様、映画史を揺さぶることもない。なぜか? 人は一方で形式的な問題だけをみずからに課し、他方でそうした問題すべてをいっさい提起することなく、前もって解決しているからだ。だが、真に歴史をなしており、「その道の専門家」(hommes de l’art)とも呼ばれる人々は、むしろ何と言っているのか? レネは、今週のある映画が観客としての彼の興味を惹くとしても、アントニオーニを前にしては自分がアマチュアでしかないと感じると告白するだろう。トリュフォーならルノワールに関して、ゴダールならロッセリーニに関して、ドゥミならヴィスコンティに関して、おそらく同じことを言うだろう。さらに、あらゆる記者や時評家に逆らって、セザンヌが少しずつ画家たちによって押しつけられたのと同様、映画作家たちもムルナウや溝口を歴史に押しつけるのだ…。

2015-09-16

ゴダールの「反ユダヤ主義」?

今日、ウェブ上に公開された表象文化論学会のニューズレター『REPRE』の第25号に、4月の上旬にミネルヴァ書房から刊行された論集『映画とイデオロギー』(加藤幹郎監修・杉野健太郎編)の紹介文を寄せた。ほぼ同時期に同じ叢書で刊行された『映画とテクノロジー』(加藤幹郎監修・塚田幸光編)も紹介されている。さらに、同じ号には、わたしも寄稿した『クリス・マルケル 遊動と闘争のシネアスト』(金子遊・東志保編・港千尋監修、森話社、2014年)の東氏による紹介文も掲載されている。

論集『映画とイデオロギー』には、わたしはゴダールと「ユダヤ人問題」についてまとめた論文を寄稿している。書誌情報は以下のとおり。

堀潤之「ゴダールの「ユダヤ人問題」──歴史のモンタージュとの関わりを中心に──」、加藤幹郎監修・杉野健太郎編『映画とイデオロギー』、ミネルヴァ書房、2015年4月、247-275頁

編者の「はしがき」から、拙論の概要を記した部分を引用させていただく。

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堀潤之「ゴダールの「ユダヤ人問題」――歴史のモンタージュとの関わりを中心に」(第8章)は、ゴダールのユダヤ人問題を取り上げる。

本章の出発点となっているのは、映画作家のジャン=リュック・ゴダールが、2009年から2010年にかけて、アメリカとフランスのジャーナリズムで反ユダヤ主義の嫌疑をかけられたという出来事である。そうした告発がなされる背景としては、ゴダールが特に『映画史』(Histoire(s) du cinéma, 1988-98)以降、ナチスによるユダヤ人大虐殺をはじめ、20世紀にユダヤ人がたどった歴史に強い関心を示す一方で、特に1975年に完成したパレスチナをめぐる実験的作品『ヒア&ゼア・こことよそ』(Ici et ailleurs, 1975)では、激烈な反シオニズム・親パレスチナのイデオロギー的立場を表明していたという、いささか込み入った状況がある。

本章では、まずアメリカのジャーナリズムによってゴダールに対してなされた「反ユダヤ主義」の告発の言説がいかに杜撰なものにすぎないかを指摘し、その過程でとりわけ、『ヒア&ゼア』で公開当時から物議を醸したあるシーンを再検討する。

次いで、主にフランスで問題視されたゴダールのある発言――ガス室に連れて行かれるユダヤ人犠牲者たちを、パレスチナにおける自爆テロリストと比較するショッキングな発言――を取り上げて、「モンタージュ」によって歴史にアプローチしようとするゴダールの方法論が迷走してしまった事例として批判的な検討を加える。

最後に、ユダヤ系の哲学者・作家ベルナール=アンリ・レヴィによるゴダール擁護の試みを引き合いに出し、彼が報告するいくつかの未実現の企画の紹介を通じて、近年のゴダールがどれほど「ユダヤ人」という形象に対して真摯な関心を抱き続けているのかを確認する。

本章は全体として、ホロコーストやパレスチナ問題という、異なったイデオロギー的立場が鋭く対立している歴史のトポスに対して、独自の映画的表象がどのように向き合うことができ、またそこにどのような陥穽が潜んでいるかについての興味深い事例を提供している。

(杉野健太郎氏による「はしがき」x-xi頁より抜粋、改行は適宜加えた)

右上に掲げた図版は、2010年11月2日の『ニューヨーク・タイムズ』紙の一面。論文中でも触れた、ゴダールの反ユダヤ主義についての記事(Michael Cieply, “An Honorary Oscar Revives a Controversy,” The New York Times, November 2, 2010)の冒頭部分が赤枠で囲った部分に載っている。参考までに、赤枠部分を拡大した画像も載せておこう。

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ヨーロッパには、パレスチナ側に加担した途端に反ユダヤ主義のレッテルを貼られるという「空気感」もあるのだが、ことゴダールをめぐっては、モンタージュによる歴史叙述という彼の方法論がはらむ根本的なイデオロギー的曖昧さが、さらに事態を複雑化しているように思う。肝心なところで腫れ物に触るような感じになってしまった反省はあるが、いくつかの「論争」(というほどのものでもないのだが)の事実関係と基本的な構図に関しては、この論考で多少とも明瞭になったのではないかと思う。

ついでに、少し前のアウトプットについても触れておく。まず、7月上旬にゴダールの『さらば、愛の言葉よ』のBlu-rayディスク(およびDVD)が発売されたが、そこに含まれている「新規解説書」はわたしが執筆したものである(わたしの名前はアマゾンなどのウェブ上にも、パッケージにも書かれていないので、購入して実際に解説書を開いてみるまで判らないのだが……)。

内容的には『ユリイカ』2015年1月号に載せた拙稿(このエントリーを参照)に加筆し、再構成したものである。

その加筆部分に書いたことだが、『さらば、愛の言葉よ』の原題である「さらば、言語よ(Adieu au langage)」は、もしかしたら、パレスチナ問題についての、あるいは「ユダヤ人であること」についてのマルセル・オフュルスとの共同企画のタイトルになったかもしれないものなのだ。そのことはゴダールとマルセル・オフュルスの対談本であるDialogues sur le cinéma (Le bord de l'eau, 2011)に書かれている。

この本が収録している2つの対談のうちのひとつ(2009年にジュネーヴで行われたもの)を元に作られたドキュメンタリー映画『サン・ジェルヴェ劇場での出会い』La Rencontre de Saint Gervais (2011)は、今年の2月に日本語字幕を作成して、神戸映画資料館でレクチャーとともに参考上映させていただいた(概要はここ)。ゴダールが79歳、オフュルスが82歳になる年に行われたこの対談は、闊達なユーモアを交えながら(若い頃、周囲と口論ばかりして、大量のファックスを送りつけるのが常だったので、喧嘩相手から思わず(マックスとかけて)「ファックス・オフュルス」と呼ばれたことがある、とか)、潰えた共同企画の思い出を巡って、次第に狐と狸の化かし合いのような様相を呈していく……。

上映時のレクチャー「ゴダールとマルセル・オフュルス――戦争の記憶と映像の世紀」は、『哀しみと憐れみ』(1969)から、ゴダールが絶賛している『ホテル・テルミニュス』(1988)を経て、最新作の『ある旅人』(2013)に至るまで、マルセル・オフュルスの経歴とその第二次世界大戦の記憶に対するアプローチの仕方をざっとたどるのが主な目的で、オフュルス/ランズマン/ゴダールの三つ巴の絡み合い(人生の上での、および歴史に対するアプローチの上での)については簡単に触れるだけで終わってしまったが、その点は今後さらに探究すべきであろう。

2015-06-03

日本映像学会第41回全国大会のシンポジウム

去る5月30日(土)・31日(日)に京都造形芸術大学で開催された日本映像学会第41回全国大会で、シンポジウム「映画批評・理論の現在を問う――映画・映像のポストメディウム状況について」に登壇したので、忘れないうちにその感想を概要とともに記しておく。なお、ここでのまとめは、登壇者の発言を忠実に再現することを目的とするものではなく、わたしにとって強く印象に残った部分だけをごく選択的に拾ったもので、しかもわたし自身の感想とすでに混じり合ってしまったものなので、思わぬ誤解もあるかもしれないことをお断りしておく。

およそ3時間におよぶシンポジウムの前半では、北小路隆志の司会のもと、パネリストのうちの4名がおのおの20-30分程度のプレゼンテーションを行った。

まず、プロデューサーの岡本英之氏(わたしにとっては、彼がミュージシャン・俳優として出演した濱口竜介の『親密さ』でのしっとりとした歌唱シーンが鮮烈に印象に残っている)が、自身が運営するLOAD SHOWの紹介を軸にしながら、現在の映画の興行・批評を考えるにあたってヒントとなるようないくつもの事例を提供してくれた。LOAD SHOWはストリーミングやダウンロードで自主製作映画の配信を行っているが、とりわけ印象に残っているのは、「これからは配信だ」というような考えで事業を展開しているわけではないという氏の留保である。LOAD SHOWで過去開催したという映画祭の事例――受賞作だけでなく、エントリーされたすべての作品を視聴できるプラットフォームとしても機能する映画祭――にもみられるように、デジタル・プラットフォームは限りない可能性を秘めたものにも思えるのだが……。

もうひとつ印象づけられたのは、批評の不在という話で、映画批評から食べログ的なレビューへの移行がみられるという点。LOAD SHOWのカルチャーサイトには映画をめぐる先鋭的な情報が集約されているが、それと並行して、現在の状況に対するささやかなオルタナティヴを開拓しようとするのが、おそらく、もうすぐ創刊される小雑誌『映画横丁』(編集人は『映画酒場』を発行されている月永理絵氏)なのであろう。一歩間違えば趣味的な自閉に陥ってしまうかもしれない危うい地点での新たな試みに期待が高まるところだ。

続くパネリストの渡邉大輔氏は、ご自身が批評家としてくぐり抜けてきた「ゼロ年代」の批評を振り返りつつ、批評とは何かを考察する。「物語」よりも「構造」が前景化し、たとえば『レザボア・ドッグス』(92)などにその典型が見出される「キャメロンの時代」(安井豊)、東浩紀が『動物化するポストモダン』で提唱した「動物の時代」を引き合いに出しつつ、ひとつには「ネタ化」に自覚的に適応することを特徴とするゼロ年代の批評のあり方を抉り出す内容だったと理解している。

氏が柄谷行人を引いて言うように、みずからの存立基盤そのものを問い直すことが「批判」ならぬ「批評」であるならば、デジタル以降の映像の根本的なアーキテクチャにも氏の関心が向かうのは当然のことだろう。具体的な事例として、実際の都市空間とのフィードバックが作品そのものに組み込まれている瀬田なつきの『5windows』や、濱口竜介の『親密さ』の上映形態が俎上に載せられたことにも、一貫しているという印象を受けた(後者のオールナイト上映の事例はいささか強引であるような気もするが)。

3番目のパネリストの三浦哲哉氏は、最近、岩波文庫で新訳が出たアンドレ・バザンの今日的な可能性を探るべく、彼の長大な論考「演劇と映画」の勘所を読み解く。なかでも、映画の出現以前、ある種の演劇は「幼形成熟」していたにすぎず、たとえば古典的な笑劇がバーレスク映画へと形を変えて復活を遂げたように、演劇は映画という新しいメディウムの登場によって別様の進化の可能性を持ったのだというバザンの着想を受けて、「映画」もまた「幼形成熟」しているのかもしれないのであり、仮に「ポストシネマ」と名付けうるものの潜在的な状態にとどまっているのかもしれないと述べる三浦氏の見立てはたいへん魅力的なものにうつった。

また、わたしが討議でも指摘したように、バザンが「映画」という場を演劇、小説、絵画といった他芸術を(それらの諸芸術の形式もろとも)内包するものとみなしたことは、レフ・マノヴィッチの「ハイブリッド・メディア」という概念と通底していると考えられるし、いずれにせよバザンの「不純な芸術」としての映画という着想がもっている可能性はまだ汲み尽くされていないような気がする。

最後の登壇者であるわたしのプレゼンテーションでは、「映画と他の諸メディウム――テレビ、ヴィデオ、コンピュータ」と題して、映画と他のメディウムとの交渉の歴史を振り返ることで、とりわけレイモン・ベルールを導きの糸としながら、自律した芸術としての映画の観念を相対化することを試みた。まず、「テレビ」に関しては、ダドリー・アンドリューが昨年に編纂した『Andre Bazin's New Media』(バザンのテレビ論、ワイドスクリーン論、3D映画論などの英訳による集成)に触発されつつ、バザン、『カイエ・デュ・シネマ』誌、ヌーヴェル・ヴァーグへの「テレビの美学」の影響をスケッチした。初期ヌーヴェル・ヴァーグへのテレビの影響はことのほか大きく、この議論はさらに発展させてみたいと思っている。

続いて、「ヴィデオ」に関しては、ゴダールの1970年代以降の実践を振り返りつつ、それが60年代ゴダールの「テレビの美学」からの影響と地続きであることを指摘し、ゴダールの他のメディウムとの本格的な格闘は「ヴィデオ」の終焉(具体的には『映画史』)でもって終わったのではないかという問題提起をした。

それ以後、映画と競合する(広義における)「メディウム」は、「コンピュータ」と「美術館」である。マノヴィッチのいうように、過去のあらゆるメディウムは「メタ・メディウム」としてのコンピュータ上のデータに一元化されるという面があるにしても、そうであるがゆえに、かえって、そのデータをどのように出力するかという装置(インターフェース)が無限に多様化するというパラドクシカルな状況があるのではないか。そして、また別の水準において、私たちは現在、「美術館」をはじめとする多種多様な映像の形態に「映画」がかつてなく脅かされているようでいながら、むしろメディウムとしての「映画」の強固さが再認識させられるような状況にいるのではないか。おおむね以上のようなことを指摘した(参考までに、このブログの末尾に発表の際に使ったパワーポイントのスライドを掲げておく)。

その後、休憩を挟んで、青山真治監督藤井仁子からのコメントがあった。その内容を再現するのは難しいが、青山監督のコメントでは、トニー・スコットの投身自殺のニュースを聞いたときにご自身にとっての「映画は終わった」(「死んだ」ではない)と強く感じ、現在は東京と京都を毎週何度も往復しながら教育にも多大なエネルギーを注いでいること、ここ数年間の演劇の演出の仕事を経て、WOWOWの全4話のドラマ『贖罪の奏鳴曲』でかつて映画だったものをやり直すという体験をしたこと、『ユリイカ』(2001)がフランスの批評家フィリップ・アズーリによって当時すでに「ポストシネマ」と形容されたことなどが印象的だった。

藤井氏のコメントは多岐にわたる充実したものだったが、まず、デジタル以降の出来事は映画にとって本当に新しいのか、量的な差異を質的な差異と見誤っていまいかという根本的な問題提起がなされた。その他の指摘のうち、映画のアイデンティティが揺らいでいると言っても、それは今に始まったことではなく、もともと映画は猥雑なものであって(商業でも芸術でもあるという点に明瞭に現れ出ているように)、メディウム・スペシフィシティを追求するようなモダニズム的言説とは相容れないという指摘や、画面の細部に偏執狂的な視線を注ぐシネフィリア的な映画の見方は、一方では映画の本性をインデックス性に見て取ることに、他方では作家性の顕揚に向かうという指摘にはとりわけ強い印象を受けた(なお、シネフィリアに関しては、そのテーマを主題的に論じている数冊の本のほか、藤井氏も言及していたポール・ウィレメンの『Looks and Frictions: Essays in Cultural Studies and Film Theory (Perspectives S.)』所収の論考が大変参考になる)。

以下、わたしの発表のパワーポイントのスライド画像を掲載しておく(クリックで巨大化します)。

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2015-05-23

ゴダールの最新インタヴュー

2012年創刊のフランスの映画雑誌『Sofilm』の最新号(Mai 2015, nº30)にゴダールのロング・インタヴューが載っている(p.48-60)。インタヴュアーは、編集長のティエリー・ルナス。映画の製作・配給・出版を精力的に手がけているCapricciの創設者のひとりである。

ところで、前エントリーで書き忘れたが、映画の出版物に関しては、Capricciのコレクションからも目が離せない。出版活動が始まってからまだ十年も経たないはずだが、邦訳のあるモンテ・ヘルマンのインタヴュー『モンテ・ヘルマン語る---悪魔を憐れむ詩』や、編集者ウォルター・マーチの『映画の瞬き―映像編集という仕事』にとどまらず、リュック・ムレやルイ・スコレッキやミシェル・ドラエといった「古参兵」たちの評論集、ジョン・フォードヴィンセント・ミネリジョージ・キューカーオットー・プレミンジャーらの古典的映画作家からガレル、デュラス、ブラッケージ、アドルフォ・アリエッタらの前衛に至る作家論、さらにはジャック・ランシエールのベラ・タール論、ペテル・サンディ(Peter Szendy)のアポカリプス映画論や、フレドリック・ジェイムソンやスタンリー・カヴェルの翻訳まで幅広く刊行しているので、いつの間にか、わたしの書棚でCapricciの本がだんだん目立ってくるのも当然だろう(ちなみに、ピアニストのフィリップ・カサールが映画について語り下ろした『二拍子、三楽章』というとても面白い本もあり、彼がもっと有名だったら訳してみたいところなのだが……)。

さて、肝心のゴダールのインタヴューに戻って、いくつか読み所を紹介しておこう。まず、気が早い人のために末尾で明かされている情報から紹介すると、次回作のタイトルだけは決まっているようで、『映像と言葉:青の試み』Image et Parole: Tentative de bleu、あるいは『青の試み』となるそうだ。ただし、このところ企画をスタートする際の一種の導きの糸としてタイトルだけ先に決めるという傾向があり、このインタヴューでも内容に関する説明はいっさいない。

ゴダールは2015年3月に、スイス映画賞の名誉賞を受賞した。インタヴューは、その賞金3万スイスフランを、ニヨンの動物保護団体とエトワの野鳥保護団体とアムネスティ・インターナショナルと自分とで四等分したという話題から始まる。授賞式に行かない代わりにゴダールが作成した5分たらずの短篇が、現時点でのゴダールの最新作だ(YouTube等で手軽に見られるこの作品の理解のためには、このサイトの採録が有用である)。杖をついて歩く84歳のゴダールが、『右側に気をつけろ』のスラップスティック的で奇矯なパフォーマンスを年齢相応に演じ直しているかのように(ちなみにインタヴューによると、ゴダールはシャルリ・エブド襲撃事件の後、「脊柱に発作のようなもの」が起きて、一ヶ月半にわたって入院していたらしい)、床に寝そべり、最後に起き上がる身体動作が印象的なこの作品の主題は、ゴダールもインタヴューで語っているように、かつてフランス映画、ドイツ映画、アメリカ映画が存在したようには「スイス映画はもはや存在しない」ということ、そして「慎ましやかな腐敗」(パゾリーニの詩集『グラムシの遺骸』からとったという)としてのスイスである。

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ゴダールは『リベラシオン』と『シャルリ・エブド』の長年の愛読者である。『ゴダール・ソシアリスム』に出演している経済学者のベルナール・マリスは、惜しくもシャルリ・エブド襲撃の犠牲となったが、彼を起用したのも『シャルリ』のコラムを読んでいたからだという。ゴダールは、「わたしはシャルリ」という標語にも手厳しく、同じ「Je suis Charlie」でも「suis」を動詞suivreの活用形として読んで「わたしはシャルリを追う」という方がいい、実際に自分は40年間シャルリを追いかけてきたんだから、などと言う(ただし、『勝手にしやがれ』にすでに前身の『アラキリ』Hara-Kiriの売り子が出てくると語っているのは、『カイエ・デュ・シネマ』の売り子との記憶違いだろう)。êtreという動詞(英語でいうBE動詞)を使うとろくなことはないというのは、近年のゴダールがよく強調していることだ。

ギリシャの財政問題についてもゴダールはユーモラスな見解を述べる。クリス・マルケルの13話からなるテレビ番組『フクロウの遺産』L'Héritage de la chouette (1989)を見れば、私たちが「すべてをギリシャの思想に負っている」ことがわかる。この作品を見さえすれば、「ドイツ、ヨーロッパ、ギリシャの間の問題は解決する」、と。さらにゴダールは言う。「文章を作って、「ゆえに」と言うたびに、ギリシャ人たちは著作権料として10ドル受け取るべきであって、そうすればもうギリシャの負債などなくなるだろう」。三段論法もギリシャ人が作ったのだから、ということだろう。

他者の言葉、他者の映像を使ってみずからの作品を作るゴダールは、基本的に知的所有権なるものを認めていないが、それでもよく著作権のことを話題にする。彼は「興味を持った抜粋を、権利のことを気にかけずに使」ってきたが、これまで訴えられたことはないと述べ、判例を得るためだけにでも、ミエヴィルにわざと訴えてもらおうかと思っている、などと語る。しかし、ゴダールは『ゴダールのリア王』(1987)でヴィヴィアーヌ・フォレステルのエッセイ(確か『La violence du calme』)を無断で使用したことで本人と出版社から2004年に訴えられ、罰金を支払わせられたはずなのだが、忘れてしまったのだろうか……(訴えられたのが2004年なのは、本作がフランスでは2002年まで封切られなかったからだろう)。ともあれ、法廷で判事が「エヴァン法」と言うたびにエヴァン氏に権利料を払わなければいけないのではないかとか、テレビなどで写真が使われるとき、写真家にだけお金が支払われて、被写体には決して支払われないのはおかしいとか、ゴダールは一見すると突拍子もない例を挙げつつ、権利料の欺瞞に注意を促している。

後者の例は、ただちに、ゴダールが『フォーエヴァー・モーツァルト』(1996)以来、たびたび取り上げている写真家リュック・ドラエが1992年にサラエヴォで撮った、爆発物によって血まみれになって地面に横たわるビリャナ(Biljana)という名の少女の写真のことを思い起こさせる(写真はこのページなどで見られる)。ゴダールは『フォーエヴァー・モーツァルト』で一瞬この写真を画面に出しているが、その際、写真家ではなく、この少女に許諾を求めたという。ちなみに、ゴダールは『映画史』(1988-98)の3Aや『アワーミュージック』(2004)でもこの写真を使っており、さらに『真の偽造パスポート』(2006)ではビリャナ本人が(エステル・フレイの2004年のドキュメンタリー作品『ビリャナ』からの引用で)登場する*1。イメージの流通をめぐる問いかけは、少なくともここ20年にわたってゴダールの主要な関心事であり続けている。

その他にも、ケルアックの『オン・ザ・ロード』を映画化したかったとか(奇妙な名前の村として知られるトゥルース・オア・コンシクエンシーズからクレイジー・ウーマンまでの道のりを描きたかったらしい)、ダニエル=コーン・ベンディットがブラジルのワールドカップに行ったときにスラム街の貧民たちに取材して撮ってきたルポルタージュはひどいとか、コッポラとの共同企画として存在したロサンジェルス・オリンピックの撮影はぜひ実現させたかったとか、パウロ・ブランコとの企画もかつて存在して、資金を前借りしたのだが、彼の母親の病気の療養費のために企画を中止してお金を返却したとか、自分は予算を超過することは決してないとか、月に600ユーロの年金しか受け取っていないとか、このくつろいだ雰囲気のインタヴューには雑多な話題がちりばめられている。

だが、インタヴュー後半で最も興味深いのは、ゴダールがアトリエの窓のない奥まった部屋*2にティエリー・ルナスを連れて行き、3つのディスプレイが配置されているのを見せるところだろう。『にがい米』が映し出されていたというその3つのディスプレイが、正確にどのように配置されているのかまでは残念ながら文章からは読み取れないが、ゴダールがその文脈でアベル・ガンスの『ナポレオン』の三面スクリーンの試みを引き合いに出しつつそれとは違うと述べていることからも、おそらくは見る者を取り囲むようなかたちで置かれているのだろう。彼はさらに、実際にこの3つのディスプレイで編集作業を行ったと述べ、その作業を「彫刻」と比較する。ここには『さらば、愛の言葉よ』の3Dを考えるにあたっての大きなヒントがあるのではないだろうか。

*1:この顛末については、Jean-Christophe Ferrari, « Histoires de Biljana: Droit des images, devoir de reprise », Jean-Luc Godard: Documents, Centre Georges Pompidou, 2006, p.372-375を参照。

*2:ちなみに、このロールのアトリエは、ゴダールとミエヴィルが長年使用していた住居兼アトリエとは異なり、製作会社のワイルド・バンチに最近になって借り上げられた「前哨地点」(ゴダール)である。ちなみに、この奥まった部屋をゴダールは「イギリス人たちのところ(Chez les Anglais)」と呼んでいる。ワイン貯蔵庫として使われていた部屋で、戦争中にこの手の場所にイギリス人飛行士をかくまったことを想起させるからだという。

2015-05-18

最近執筆した書評

今日、公開された表象文化論学会のニューズレター『REPRE』の第24号に三浦哲哉氏の『映画とは何か フランス映画思想史』の短評を寄せた。

なお、本号では小特集「人文系出版の現在」が組まれており、特に3名の独立系編集者による座談会がとても面白い。同じく面白い読み物の「各国の出版事情」ではフランス語圏が取り上げられていないが、どなたか適任者によるレポートを読みたかったという気もする。

映画・芸術分野に話を限れば、たとえばSeuilとかMinuitとかFayardとかの著名な版元よりも、Presses Universitaires de Rennesの叢書や、『カイエ・デュ・シネマ』の発行元のCahiers du cinémaや、セルジュ・ダネーやレイモン・ベルールが1992年に創刊した映画雑誌Traficの版元で、より一般的には小説の出版で知られるP.O.L.や、教科書的な書籍を多く出しているArmand Colin、さらにはベルギーのYellow Now、ローザンヌのL’Âge d’Homme、ディジョンのles presses du réelといった地方の出版社などに個人的にはよく注目している。

なお、このブログで報告する機会を逸したが、少し前に、ランシエール『平等の方法』(航思社、2014年)、およびエリック・ロメールクロード・シャブロルヒッチコック』(インスクリプト、2015年)についても書評を書いたので、まとめて書誌情報を挙げておく。

また、これもやや旧聞に属する話になるが、一昨年刊行した訳書『ニューメディアの言語』(このエントリーを参照)の渡邊大輔氏による書評が日本映像学会の学会誌『映像学』93号に、昨年刊行した編著書『越境の映画史』(このエントリーを参照)の門間貴志氏による書評が、日本映画学会の会報40号(PDF)(2014年9月17日、7-9頁)に、それぞれ掲載された。『越境の映画史』については、まもなく発行される『映像学』94号に応雄氏による書評が掲載されることにもなっている。書評をお書きくださった先生方にはこの場を借りて厚く御礼申し上げたい。

2015-02-28

2014年の仕事

いまさらながら、2014年に発表した仕事を備忘を兼ねてまとめておく。昨年、エントリーを立てて報告するのを怠ってしまった事柄としては(それぞれについて、詳しいエントリーを書こうと思っていたのだが、書きかけのまま放置しているうちに年が変わってしまった)、まず1月には3年前に参加した学会から生まれたゴダール論集(The Legacies of Jean-Luc Godard)が刊行された。このエントリーで紹介した発表のほとんどは論文化されて収められている。

4月に刊行された『表象08』では、特集「ポストメディウム映像のゆくえ」の共同討議に参加するとともに、レイモン・ベルールの翻訳とその解説的な記事を寄せた。ほぼ同時期に出たせんだいメディアテークの『ミルフイユ06』でも、「ポストメディア時代の映像」と題して、門林岳史氏(上記の特集の仕掛け人)と三浦哲哉氏が討議を行っている。表象文化論学会のニューズレターRepreの21号でも、「ポスト・ミュージアム・アート」という小特集が組まれており、とりわけ古畑百合子氏の非常に見通しのよい研究ノートは『表象08』の特集とも密接に関連する。

11月にはこのところ熱中していたクリス・マルケルについての二本目の論考を収録したマルケル論集(金子遊・東志保編『クリス・マルケル 遊動と闘争のシネアスト』、森話社、2014年)が刊行された(マルケルについてのもう一本の拙稿は『越境の映画史』に含まれている。またマルケルに関してはこのエントリーも参照)。

ところで、一昨年は勤務校の関西大学表象文化論学会の第8回大会を開催したが、昨年は学会誌『表象』の編集委員長を仰せ付かり、その編集作業に随伴することとなった。執筆者の皆さんと編集委員の尽力によって、4月刊行予定の『表象09』は目下のところ、最後の詰めの段階を迎えており、遠からず目次も公開できるはずだ。

すでに概要にも出ているとおり、メイン特集は「音と聴取のアルケオロジー」。福田貴成氏の司会による共同討議や彼自身の論考に加えて、ジョナサン・スターンやスティーヴン・コナーの論考も掲載する。小特集は「マンガ「超」講義――メディア・ガジェット・ノスタルジー」で、タイトルから予想できるように、石岡良治氏の『視覚文化「超」講義』の番外篇としてマンガを論じたもの。昨年秋の新潟大学での研究発表集会での書評パネルを元にした共同討議を収録している。

厳正な査読を経た4本の投稿論文、および9冊におよぶ書評とあわせて、充実した誌面になっていると思うので、刊行の暁にはぜひ手にとっていただきたいと願っている。

編著書

『越境の映画史』、編著(6人)堀潤之(編著)、菅原慶乃(編著)、西村正男、大傍正規、韓英麗、竹峰義和、関西大学出版部、2014年3月

担当:「はじめに」5-14頁、「「東洋」から遠く離れて――クリス・マルケルによる中国・北朝鮮・日本」211-260頁(総ページ数274頁) 【関連エントリー

論文など

  • 「ベルールの反時代的考察――「35年後――「見出せないテクスト」再考」の余白に」、『表象08』、表象文化論学会、2014年、94-99頁
表象〈08〉

表象〈08〉

解説・書評・短評など
  • ゾエ・ブリュノー「ゴダールを待ちながら」(訳=長野督/解説=堀潤之)、『ユリイカ』2015年1月号、112-128頁
口頭発表など
  • ヒッチコック映画の演出――サスペンス、階段、ロマンス」、市民講座「木曜講座」、於西宮市立西宮東高等学校(なるおホール)、2014年1月23日
  • 共同討議「ポストメディウム理論と映像の現在」(加治屋健司/北野圭介/堀潤之/前川修/門林岳史)、『表象08』、表象文化論学会、2014年、18-45頁
翻訳
  • レイモン・ベルール「35年後──「見出せないテクスト」再考」、『表象08』、表象文化論学会、2014年3月、78-93頁
  • アルチュール・マス/マルシアル・ピザニ(堀潤之訳)「ほとんど無限の対話――『さらば、愛の言葉よ』について」、『ユリイカ』2015年1月号、179-192頁

2014-12-31

ゴダールの『さらば、愛の言葉よ』覚書(3) 『ユリイカゴダール特集号

さらば、愛の言葉よ』(Adieu au langage, 2014)が2015年1月31日から公開されるのに先だって、「ゴダール2015」特集を組んでいる『ユリイカ』2015年1月号(目次)が先週末に出た(ほとんどの論考が、やはり映画を見てから読むべきものであることを考えると、出るのがいささか早すぎたという気はする)。わたしは論考とフィルモグラフィを執筆したほか、いくつかの海外文献の翻訳にも関わった。書誌情報は以下の通り(掲載頁順)。

  • ゾエ・ブリュノー「ゴダールを待ちながら」(訳=長野督/解説=堀潤之)、『ユリイカ』2015年1月号、112-128頁
  • デヴィッド・ボードウェル(滝浪佑紀・堀潤之訳)「2+2×3D――『さらば、愛の言葉よ』のナラティヴ構造」、『ユリイカ』2015年1月号、129-140頁
  • 堀潤之「ゴダールのデジタル革命と動物のまなざし――『さらば、愛の言葉よ』の3D映像をめぐって」、『ユリイカ』2015年1月号、141-149頁
  • アルチュール・マス/マルシアル・ピザニ(堀潤之訳)「ほとんど無限の対話――『さらば、愛の言葉よ』について」、『ユリイカ』2015年1月号、179-192頁
  • 堀潤之「21世紀のゴダール・フィルモグラフィ」、『ユリイカ』2015年1月号、225-237頁

わたしの論考は、『さらば、愛の言葉よ』の3D映像と、分身および動物のモチーフとの接点をさぐったもの。そこで触れたリルケの『ドゥイノの悲歌』第8歌からの「動物のまなざし」についての引用には、四方田犬彦氏もより詳しく言及している。また、拙稿では特に『ゴダール・ソシアリスム』(2010)以降のデジタル・ゴダールによる新たな映像のテクスチャーを「触覚性」というタームである程度まで説明しようと試みたが、本作の3D映像に関しては平倉圭氏の「新しい種類の透明性」(p.152)を追求しているという指摘に膝を打った。

出演女優のゾエ・ブリュノーによる撮影日誌『ゴダールを待ちながら』については、前エントリーで詳しく触れたとおりだ。

ボードウェルの論考は、彼とクリスティン・トンプソンによる膨大な情報量を誇るウェブログ「Observations of film art」の2014年9月7日のエントリー「ADIEU AU LANGAGE: 2 + 2 x 3D」の抄訳。4つのセクションのうち、「後期ゴダール」のナラティヴ一般について語った最初の部分と、本作の3Dの使用についての所感を記した部分を割愛し、『さらば、愛の言葉よ』のナラティヴ構造を具体的に分析している残りの2セクションを訳出した(そのため副題を付けたのだが、タイトルの「2+2×3D」のうち「×3D」の部分が結局のところ邦訳には存在しないのはご愛敬だ)。このエントリーへの追記もある。

なお、Twitterで葛生賢氏も指摘しているように、本号の対談で蓮實重彦氏が「ボードウェルなど、『さらば、愛の言葉よ』を「美しい作品」と言って論じ始めている」(p.84)としているのは事実誤認である。そもそも、一読すれば分かるように、ボードウェルは本作のナラティヴをもっぱら話題にしているのであり、「美」という言葉こそ二度ほど使っているものの(確かに、割愛した箇所で、一度はやや不用意に)、「「ゴダールは美しい」と言うことの無邪気な犯罪性」を体現している典型例とするのは行き過ぎのように感じる。

3Dについての部分を割愛したのは、他の論者がもっと鋭いかたちで触れるだろうと思ったからだが、実際、先にも触れた平倉氏だけでなく、鈴木一誌氏も本作の3D体験を粘り強く考察している。そこでも、3Dの立体像が「平面層の林立と質感の喪失」(p.101)をもたらすとされており、やはりそうした観点から本作の3D映像がもたらす異次元の体験を考え直さなければならないと(早くも)感じている。また、『フラッシュバック・メモリーズ3D』という創意工夫に充ちた3Dドキュメンタリー映画を撮っている松江哲明氏と、『2012』で抽象映画をプルフリッヒ効果(減光遅延方式)を使って3D化するという驚くべき体験を観客にもたらした牧野貴氏もそれぞれの観点からゴダールの3D使用を論じている。

とりわけ、「視神経や網膜を多分に刺激する「危険映像」」からは「新しい表現は出ないし、出したくもない」(p.109)という倫理的態度を明言する牧野氏が(そのことは、『2012』でプルフリッヒ眼鏡をかけてもかけなくてもいいし、どちらの目を減光させてもよいという比類なき自由を観客に与えていることからもうかがえる)、『さらば、愛の言葉よ』の3D映像による「激烈な視覚攻撃」にほとんど肉体的なダメージを受けながら、「ノーマルな現行の手法を採用し、そのシステムを思い切り破綻せせる」ゴダールの試み、しかも「技術的にはあまりに簡単」で、「劇映画の文脈の中で撮ったからこそ多くの聴衆が目を向けた」試みに、それでも大いに触発されている情景には心を動かされる。

もうひとつ訳出したのは、フランスの映画批評サイトIndependencia同人のアルチュール・マスとマルシアル・ピザニによる「ほとんど無限の対話――『さらば、愛の言葉よ』について」。この架空の対話篇は、身も蓋もない言い方をすれば、ゴダール作品の細部にまで通暁したゴダール・マニアによるいささかペダンティックな連想ゲーム的おしゃべりにすぎないかもしれないが、わたしはそもそもこういう蘊蓄が好きなのだ。『ゴダール・ソシアリスム』の際にも細部まで目を配ったエッセイを発表していたこの著者たちについてわたしは何も知らないが、今回も作品の細部に向けるまなざしが光っている。原文は「1 対話の形式(裏面、分身、反映、影)」がここで、「2 「これはいったいどういうことだ?」(想像上の自伝、既視感、夢の物語」がここで読める。続きとして、アレクサンデル・ジュスランによる「3 犬、領土、テレビ画面(想像上の会話)」もあるが訳出はしなかった。

「21世紀のゴダール・フィルモグラフィ」では『愛の世紀』(2001)以降の全作品を解説した。といっても、いわゆる通常の長篇作品は『愛の世紀』、『アワーミュージック』(2004)、『ゴダール・ソシアリスム』(2010)、『さらば、愛の言葉よ』(2014)の4本しかないので、あとはすべて短篇である(『映画史特別編 選ばれた瞬間』を除けば)。現時点での最新作『溜息の橋』Le Pont des soupirsだけ未見なので、フィルモグラフィの解説が尻切れトンボ気味になってしまったのは許してほしい。

ところで、ゴダール作品を見慣れている人なら以下の写真に見覚えがあるだろう。『映画史』3Bや『古い場所』The Old Place、そして短篇『時間の闇の中で』に出てくる、機械仕掛けで激しい動きをみせる白い布である。小沼純一氏は論考の中でこれをジャン・ティンゲリーのものとしており(p.199)、わたしも長らくそう思っていたのだが、フィルモグラフィの『時間の闇の中で』の項でも触れたとおり(p.228)、これは1997年にル・フレノワでドミニク・パイーニが企画した展覧会《Projections. Les transports de l'image》に出品されたピッチ(Pitch)の作品に違いないだろう(このブログでも実は4年前に、このエントリーの註3でそのことを示唆した)。アラン・フレシェールのドキュメンタリー『ジャン=リュック・ゴダールとの会話の断片』を見てもわかるように、ゴダールの「現代美術」に関する知識は、今も昔も、ほとんどもっぱらル・フレノワとの数少ない関わりに由来するものなのだ。

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2014-12-24

ゴダールの『さらば、愛の言葉よ』覚書(2) ゾエ・ブリュノーの撮影日誌

ゴダールの新作『さらば、愛の言葉よ』で映画に初出演した女優ゾエ・ブリュノーが、出演に至るまでの過程も含めて、ゴダールとの撮影がどのように進んだかをつぶさに記した『ゴダールを待ちながら』という本を出している(Zoé Bruneau, En attendant Godard, chapitre I, chapitre II, Editions Maurice Nadeau, 2014)。

フランスの高名な批評家・作家モーリス・ナドーの孫でもあるブリュノーの筆致は軽妙で、彼女にとっては祖父母の世代に近いゴダールは、ヌーヴェル・ヴァーグの神話的な映画作家というよりは、芸術的な意味では称賛に値するとはいえ、いたずらっぽい好々爺にすぎないかのようだ。

ゴダールを待ちながら』の一部は、今月末に発売される『ユリイカ』2015年1月号の「ゴダール2015」特集に抄訳されることになっている(訳は長野督氏による)。その「予告篇」のようなものとして、ここでは本書の読後感をいくつか記しておく。

ゴダールはときどき俳優に突飛なトレーニングを要求する。たとえば、『彼女について私が知っている二、三の事柄』(1967)の主演女優マリナ・ヴラディに「何をすればいいの?」と聞かれたとき、撮影現場までタクシーではなく徒歩で来いと真剣に答えたり、アンナ・カリーナにも、新聞の社説を音読せよ、と言ったりしている。

ゾエ・ブリュノーに対しては、聾唖者の真似をしてシナリオの一部を朗読するという課題が与えられたようだ。ニコラ・フィリベールのドキュメンタリー『音のない世界で』を参考のために見るように言われてもいる。聾唖者という設定は、最終的な映画では、吃音に姿を変えていて、しかもその要素もかすかな痕跡が残っているだけだ。

しかし、2012年の末頃から2013年の上半期の間に作られたとおぼしき『さらば、愛の言葉よ』の最初の予告篇には、聾唖者の真似をして「「われ思う、ゆえにわれあり」において、「われあり」の「われ」はもはや「われ思う」の「われ」と同じではない」というゴダールがよく引く文章を口にするゾエ・ブリュノーのテスト映像が挿入されている(ブリュノーの撮影初日は2013年5月20日であり、それ以降に撮られた映像はこの予告篇では使われていない)。

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ちなみに、この予告篇は2013年の夏頃には誰でもYouTubeで見ることができたが、残念ながら、今ではネット上では流通していないようだ(ダウンロードしておいてよかった)。予告篇の冒頭には、撮影を担当したファブリス・アラーニョがキャノンの一眼レフカメラを二つ組み合わせて自作した装置も出てくる(『3×3D』のゴダール篇『3つの災厄』のあるパートでは、このカメラがほとんど主役級の扱いで出てくる)。

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本書を読むと、製作担当のジャン=ポール・バッタージャと撮影担当のファブリス・アラーニョ(『さらば、愛の言葉よ』のスタッフはこの2人ですべてだ)の功績がいかに大きいか、改めて認識させられる。

パリでのゴダールの拠点は、北駅付近にあるバッタージャのアパルトマンであるようだし、そこでゴダールぬきでカメラテストが行われたり、ゴダールからの指示が彼を経由して俳優たちに伝えられたりする。ゾエ・ブリュノーに言わせれば、バッタージャは「ジャン=リュックのどんな小さな欲望、期待、あるいは気まぐれを満足させ、さらにはそれらの先を越そうと一生懸命」(p.77)であり、「彼のベビーシッター」(p.83)でさえある。ついでに言えば、『ゴダール・ソシアリスム』の第2楽章でフロリーヌを演じるマリーヌ・バッタージャは、たぶん彼の娘なのではないか。

ファブリス・アラーニョは、『アワーミュージック』(2004)の《天国篇》の制作担当として、エキストラを集め、ロケハンし、米兵のひとりとして出演もしたのが、ゴダールとの最初の関わりであるらしい。彼は続く長篇作品の『ゴダール・ソシアリスム』(2010)と『さらば、愛の言葉よ』の撮影監督として、デジタル・ゴダールの映像のテクスチャーを定めるのに大いに貢献することになる(これまたついでに言えば、彼の子供たちもオリーヴ畑をどんどん歩いて行くのを後ろからGoProカメラでとらえたシーンに登場する)。

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『さらば、愛の言葉よ』の斬新な3D撮影をきっかけに、いくつものアラーニョへのインタヴューがなされている。アダム・クックによる2012年の先駆的なインタヴュー、『フィルム・コメント』誌の最新号に映画評とともに載っているポール・ダラスによるインタヴュー、『カイエ・デュ・シネマ』誌に載ったインタヴューを元にした記事(Fabrice Aragno, « Le lac et le désert », propos recueillis par Gaspard Nectoux, Cahiers du cinéma nº 702, juillet/août 2014, p.22-23)などが比較的アクセスしやすいだろう。

下の写真は、ゾエ・ブリュノーが撮影中に撮ったもの(p.93)で、ゴダールがカメラを意識して、アラーニョの頭に蹴りを入れるふりをしている。撮影時の良好な雰囲気を伝える魅力的な一枚だ。

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(Zoé Bruneau, En attendant Godard, chapitre I, chapitre II, Editions Maurice Nadeau, 2014, p.93より引用)

ゾエ・ブリュノーの本には、『さらば、愛の言葉よ』のもうひとりの主演女優エロイーズ・ゴデもたびたび登場する。映画では、わざとふたりの区別がつきにくいように撮影されているように思えるが、実際、ブリュノーが最初に彼女に会ったときにも、自分と似ていると感じたそうだ。

主に英語圏の雑誌やウェブサイトなどでのスチル写真のキャプションで、ふたりが混同されていることが非常に多いのも無理はないのかもしれない(たとえば、Artforumの映画評では、鉄格子の後ろにいるイヴィッチ(ブリュノー)の写真に、しっかり「ジョゼット(エロイーズ・ゴデ)」と書かれている)。わたしは何度も見るうちに完全に区別がつくようになったが、そうなると、かえって見分けがつかずに混沌としていた頃がなつかしい。

ところで、エロイーズ・ゴデの口元には、何らかの傷跡が特殊メイクによって付加されている。これをゴダールは「兎口」bec-de-lièvre(おそらく「口唇裂」と呼ぶ方が一般的だろう)と呼んでいて、ふたりの女優のどちらにそれを付けるか考案していたらしい。ゴデが『カイエ・デュ・シネマ』誌に寄せたより短い撮影日誌を読むと(Héloïse Godet, « Journal de bord », Cahiers du cinéma nº 701, juin 2014, p.28-32)、わざわざ特殊メイクのプロをパリから呼んで、この「兎口」を付けさせていることが分かる。下のクロース・アップのシーンは、せっかく付けた「兎口」がどうもあまり目立たないので、わざわざ撮り足したものなのだという。なぜそこまでして「兎口」の傷跡らしきものを付けたがったのか、おそらく何らかの言語障害を示唆しているのだろうが、そのことは『パッション』(1982)のイザベル・ユペールという先例がある吃音以上に謎めいている。

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本書で最も滑稽なエピソードは、企画の立ち上がりの段階の2011年6月初旬に、パリのバッタージャのアパルトマンで面会したときのヌード撮影をめぐるやり取りかもしれない。

ゴダールはゾエ・ブリュノーの身体を見たいと言い出し、彼女も隣室に行って脱ごうとするが、ゴダールはそれを制止し、写真を送ってくれればよい、というようなことを言い出したりもする(それもどうかと思うが)。そのあとに続くやりとりを少し引用しておこう(ちなみに、この個所は『ユリイカ』の抄訳には含まれていない)。

彼〔ゴダール〕はわたしが脱毛しているかどうか尋ねる。そう、たまたまわたしは脱毛していた。彼は女性について、世界の起源について、世界そのものについて、長々と話をする。

——アパッチ族は世界を何と呼んだか? 森、と呼んだんだ。それから《世界の起源》というあの〔クールベの〕絵は、まさに女性の性器を描いているだろ? 世界、茂み、森——まさしく体毛だ! 君のヌードを見たいというとき、つまり「素っ裸の=体毛をあらわにした」〔à poil〕状態で見たいんだよ。そうだろう?

私は譲歩して、ええ、と答えて、はっきりこう言ってしまう。単刀直入に言えば、生えています、毛は……。ああ、よかった! 彼はほっとする。

——また生えさせることができるね? 茂みのように?

——いいえ、レーザーを使ったので……。

——そうか、付け毛を使えるかどうか考えてみよう。

——……。

——それにしても君たちの世代の人たちはまったく問題を抱えているよ……。なぜ何もかも殺菌するのか? 毛もなければ臭いもない。皺もない。理解できんよ。愛し合うとき君たちはどうするんだね?

オーケー、脱毛のせいで役が危うくなることはないのね……。それどころか、わたしの方では、この陰毛かつらのイメージは、友人たちのあいだで一番ウケる冗談話になった。いま思い出しても赤面してしまう。(p.30-31)

ゴダールにおける裸体に関しては、松浦寿輝の『ゴダール (リュミエール叢書)』でもアラン・ベルガラの『Nul mieux que Godard』でもすぐれた表象分析がなされているが、ゴダール作品における「茂み」に注目したことがあるのは、わたしの知る限り、アルベルト・モラヴィアの『カルメンという名の女』(1983)評だけだ。この『軽蔑』の原作者は、ゴダールが「カルメンの太股と腹部のあいだにふさふさしている黒々と生い茂る盛り上がった恥毛」(Alberto Moravia, Trente ans au cinéma, de Rossellini à Greenaway, Flammarion, 1990, p.298)に執着していることを喝破していた。

最後に、犬のロクシーについて。『さらば、愛の言葉よ』には孤独に散歩中の犬のロクシーの姿がふんだんに映し出される。覚書(1)でも記したように、どれもゴダール自身が実際の散歩の際に撮りためた映像だ。

作品中、二組のカップルが実際にロクシーと「共演」することはない(前半、ガソリンスタンドに立ち寄ったときに、乗り込んできた犬を追い払おうとする箇所があるが、画面には犬は映らない)。が、ゾエ・ブリュノーによると、撮影の最終日には犬とのシーンが予定されていたという。映画の後半で、ミエヴィルの声で、ロクシーを家の外に追い出す箇所がある。それに相当するシーンを役者たちを使って撮ろうとしていただけなのか、あるいはより本格的な「共演」を構想していたのか、興味は尽きない。

2014-11-27

『思想』のデリダ没後10周年特集

今年は没後10年になるということで、ジャック・デリダの研究書や訳書が続々と刊行されている(ちなみに、ゴダールの最新作『さらば、愛の言葉よ』には、先月日本語訳が刊行された『動物を追う、ゆえに私は〈動物で〉ある』〔鵜飼哲訳、筑摩書房〕の一節も引用されている)。私もささやかながら、『思想』2014年12月号の特集「10年後のジャック・デリダ」に、下記のインタヴューを訳出する機会を得た(この号全体の目次はここ)。

ジャック・デリダ「映画とその亡霊たち」(聞き手:アントワーヌ・ド・ベック、ティエリー・ジュス)、『思想』2014年12月号、312-332頁

思想 2014年 12月号 [雑誌]

思想 2014年 12月号 [雑誌]

本インタヴューは、没後も続々と刊行される(まさに亡霊的なロジックに従って?)デリダの著作のうち、1978年に『絵画における真実』の刊行以来デリダが継続的に取り組んできた視覚文化関係のインタヴューや講演等を集成した以下の書籍に収録されている(Jacques Derrida, Penser à ne pas voir: écrits sur les arts du visible, 1979-2004, textes réunis et édités par Ginette Michaud, Joana Masó et Javier Bassas, Editions de la Différence, 2013, pp. 315-335)。

Penser à ne pas voir

Penser à ne pas voir

このインタヴューはデリダが直接的に映画を話題にした数少ないテクストの一つであり、自身の映画との関わりから、映画の亡霊性、映画における信の様式、映画の大衆性、映像による証言と『ショア』、記憶とアーカイヴ、そしてサファー・ファティの撮ったドキュメンタリー『デリダ、異境から』D'ailleurs Derrida (1999)の撮影体験に至るまで、多岐にわたるトピックについてきわめて率直に語られている。

初出は『カイエ・デュ・シネマ』誌の2001年4月号(Jacques Derrida, « Le cinéma et ses fantômes » (recueilli par Antoine de Baecque et Thierry Jousse), Cahiers du cinéma, nº 556, avril 2001, pp. 74-85)。当時は、『デリダ、異境から』の記憶も新しく(いまではこのドキュメンタリー映画は『言葉を撮る―デリダ/映画/自伝』の付属DVDで手軽に見ることができる)、デリダの映画についての考えはいかなるものか、と心躍らせて読んだことを思い出す。

特に、「映画の経験」を「徹頭徹尾、亡霊性に属してい」るとする発想、つまり、映画的イマージュは「生きているのでも死んでいるのでもな」く、可視性と不可視性の、現象と非現象の、現前と不在のあいだを漂うものであるとする発想、そしてそれを精神分析と結びつけていこうとする思考の構えは、とりわけ魅力的なものにみえたものだった。まぎれもなく映画館におけるフィルム体験から紡ぎ出されたに違いないこうした着想は、画像体験のデジタル化が一般化したいま、急速に忘却されつつあるものなのかもしれない。

訳者解題にも記したように、映画理論の領域においては、ピーター・ブルネットとデイヴィッド・ウィルズの共著による『Screen/Play: Derrida and Film Theory』(1989)のような、いくつかの孤立した事例を除いて、デリダの着想はほとんど等閑視されている状況だ。それだけに――訳者の非力により解題では触れる余地がなかったが――、リピット水田堯の『原子の光(影の光学)』のような、大胆な着想に基づくデリダの思弁の展開には瞠目させられる(『思想』の特集には、リピット水田堯による論考「さらに剰余の愛」〔小澤京子訳〕も掲載されているのでぜひとも併読されたい)。

原子の光(影の光学) (芸術論叢書)

原子の光(影の光学) (芸術論叢書)