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粟津征二郎の紀行エッセイ

2017-09-06

第139回 猫小太郎がゆく文豪の「吾輩の猫の実家」

  〜スロー、スロー、クイックの猫歩き〜

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  猫であった吾輩小太郎が黄泉の国に旅たって4年半になる。黄泉の世界は国境もなく自由である。自由であるがゆえに、かつての縛られた生活を懐かしく思うこ ともある。今年の盆に琵琶湖大津の実家に戻り、ベテイ、ボン、元ブンヤの旦那とママの顔を遠くから眺め、旦那の顔から歳月の流れを感じた。頭の髪が極め て薄く、歯は3本残すのみで、やがて生えているものはなにもない顔になるのだろう。想像するだけで怖い。

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  吾輩の納棺のさい、旦那が文豪夏目漱石の小説を入れてくれた。「吾輩は猫である」のタイトルに魅かれて徒然なるままに読むのが日課になった。大津の実家を のぞいたついでに、東京の小説の舞台を歩いてみたくなった。幽霊に足があるのは不自然ながら、飛ぶように歩くと、思ってもらえればいい。

 東京文京区向 丘2丁目20の7。イギリスから帰国した文豪がここで暮らした「吾輩は猫」の舞台である。当時の町名は本郷区千駄木57。文豪は松山、熊本教師生活する も、熊本では4年の勤務で計6回の引っ越しをしている。本郷の家は4年住み、居心地は良かったようである。持病の神経衰弱の気分転換にどうだと、友人の俳 人正岡子規に勧められ、書いた小説が「吾輩は猫」である。旦那もいっていたが、猫のリズムはスロー、スロー、クイックの優雅なダンスの流れであって、犬の ようなせつろしさがない。尾の振り方をみても、犬は団扇を仰ぐように振り、吾輩らはゆっくりだ。それが身体にいい。

  小説の猫の主人珍野苦沙彌先生は後半になると、性格が明るくなり、前半と見違えるようだ。それも吾輩ら猫仲間との交友があったからだろう。小説の猫のモデ ルになった漱石先生の飼い猫は9月13日が命日。主人公の吾輩は漱石先生37歳の歳に夏目家に迷い込み、住み着いた。野良の黒猫。小説が世に出て3年後、小説のヒットにホットしたのか死んだ。

 漱石先生は親しい人に猫の死亡通知を送り、庭の桜の木に埋めた。小さな墓標には「この下に稲妻起こる宵あらん」と一句を添え、随筆「猫の墓」に死亡直前の模 様を書いた。  うちの旦那も吾輩の墓を庭の木の下につくってくれたのはいいが、1月の命日など忘れて遊びかまけている。漱石先生の鼻くそでもかじってほ しい。

 漱石先生は熊本時代、俳句の会を主宰している。うちの旦那も腰折れ俳句を詠むが、年賀状のための一夜づけ。学力試験結果の同様に並みの作に終わっている。漱石先生のレトリックにはかなわない。

  漱石先生は猫の句を数多く残しているが、恋猫を題材にしたのは6作ある。吾輩もあの声ははしたないと、思うが、恋の歌声なので当事者には美しく聞こえるの だろう。昔は猫の恋は春先と決まっていた。ところが、栄養事情もあってか、四季を通じて歌うようになり、もはや騒音に近い。漱石先生が熊本で詠んだ句

  のら猫の山寺にきて恋をしつ 漱石

 これに対してうちの旦那の句は

  屋根のうえ、飛んではねるか 猫の恋 征

 山寺の鐘がゴーンと鳴る木立の中で顔を触れ合う二匹の猫。実におくゆかしい漱石先生に比べて、旦那の句はあまりにも行為を意識したウラビデオ的である。俳句においても煩悩に支配され、美しさがない。旦那の悪口をいいだしたら、きりがないのでこの辺でやめる。

 スローな猫歩きにもどる。漱石先生の母校、錦華小学校前に「吾輩は猫」の記念碑が立っている。現在は千代田区お茶の水小学校前である。家は愛知県明治村に移転保存され、当時のまどりのまま公開され、吾輩は東京へ来る前に立ち寄ってきた。

 家の間取りは玄関をはいると、右側に台所、左の八畳間が漱石先生の書斎。奥に6畳、座敷、茶の間、子供部屋など39坪(128平方叩砲旅さは当時の中程度の家というから現代よりも余裕のある住まいだ。道はさんで北に琴のお師匠さん宅があった。

 お師匠さん宅の美貌の雌猫三毛子が小説2話に登場する。主人の苦い顔をみたあと、異性の盟友を訪れると、心が晴晴する。女性の影響は実に莫大だなどと主人公は語っている。吾輩も旦那にどつかれて駆け上がった2階でベテイの顔を見て、同じ思いをした経験がある。ベテイはほれぼれする顔をしていた。近所の野良が胴長短足の洋猫のスタイルにあこがれ、誘惑にきたが、吾輩が追い払った。小説の二匹は近所の縁もあり

 「三毛子さん」

 「あら先生、おめでとう」と声かけあう間柄のガールフレンドで、主人公の片思いに終わった。三毛子は風邪をこじらせてあっけなく死んだ。主人公はショックで部屋にこもり、三毛子をしのんでいる。

 三毛子とは逆に近所の車屋の黒猫はべらんめえ調の口をきき、乱暴もので知られ、主人公猫は恐れている。小説の猫はこの2匹で、残りは珍野先生一家をはじめ、23人の人間が登場する。漱石先生の知人のモデルもいれば、創作の人物もいる。研究者はあれは誰といや違うなどにぎやかで、本筋を横に推理小説を読んだごとくさわがしい。

 珍野先生のモデルはいうまでもなく漱石自身、珍野の教え子の理学士水島寒月は五高の弟子寺田寅彦。10話で寒月は故郷で結婚するが、哲学者八木独仙、寒 月、、寒月友人の詩人越智東風ら4人による夫婦論、女性論はギリシャ哲学などからの引用が中心であるが、珍野の先生がまとめ役になり、座談をリードしてい る。漱石先生のノイローゼも小説を書きながら良くなっていくようだ。

 最後は猫の主人公が机のビ−ルをなめて、よっぱらい、目の淵を赤くして庭にで水がめに落ち、もがきながら吾輩は死ぬーと、つぶやくところで幕になる。漱石先 生は小説の猫が死んだとは書いていない。水がめから這い上がり、命は助かるか、それとも黄泉の国へ突進するのか、後世の研究者や作家で諸説にぎやかであ る。

 猫を水がめから救いあげた作家のひとりに漱石の弟子内田百聞がいる。「贋作吾輩は猫である」の中で、救われた猫は別の家にもらわれ、人間観察を繰り広げる。 このほか熱烈な愛国者になって渡米した猫もいれば、社会主義者になったものもいる。しかし、漱石先生は読者の判断にまかせたのではなく猫は死により、空高 く飛ぶ自由を与えたというのが経験者である吾輩の考えだ。

 ラストを再録すると、その真意がよくわかる。

 ―天地を粉虀(せい)して不可思議の太平に入る。吾は死ぬ。死んで太平を得る。なみあみだぶつ。ありがたい、ありがたいー

 吾輩も旅立つ直前、体がふいと浮き、そのままのぼっていった。漱石先生は猫を通じての死生観を描いたのにちがいない。吾輩も猫だ。自由だ。

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