「憲法の精神、広げよう」 施行71年で集会 - 東京新聞(2018年5月4日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201805/CK2018050402000146.html
https://megalodon.jp/2018-0504-0948-41/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201805/CK2018050402000146.html


日本国憲法の施行から七十一年となる三日、改憲の動きに反対する「5・3憲法集会」が東京都江東区有明防災公園(東京臨海広域防災公園)で催された=写真、本社ヘリ「おおづる」から、坂本亜由理撮影。参加した約六万人(主催者発表)が「九条改悪反対!」と声を上げた。
登壇した憲法学者の山内敏弘さん(78)は「安倍首相は九条に自衛隊を明記しても、任務は変わらないとウソをついている」と批判。「自民党案からは『必要最小限度の実力組織』との文言すら消え、全面的な集団的自衛権の行使が狙いなのは明らかだ」と訴えた。
NPO法人「日本国際ボランティアセンター」スタッフの加藤真希さん(31)はトークイベントで、支援活動をしているアフガニスタンでの体験談を説明。小学校を訪れた際、「銃を持った兵に父を殺された小学生の兄弟の目に復讐(ふくしゅう)の決意が宿っていた」と述懐し、「次の世代に憎しみが続く。武力では紛争を解決しようとしない憲法を守り、広げていきたい」と語った。安倍政権下での九条改憲に反対して昨秋から全国で集められている署名の中間報告もあり、千三百五十万筆に達したと発表された。 (辻渕智之)

「憲法の希望 実現するのは国民」 宇都宮 護憲派3団体が集会:栃木 - 東京新聞(2018年5月4日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/list/201805/CK2018050402000159.html
https://megalodon.jp/2018-0504-1011-43/www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/list/201805/CK2018050402000159.html

憲法記念日の三日、「九条の会栃木」など県内の護憲派三団体が宇都宮市立南図書館で集会を開いた。安倍晋三首相が改憲への意欲を鮮明にする中、市民ら約四百五十人が医師や学者の講演を聴き、現憲法の尊さに思いを巡らせた。 (北浜修)
生協ふたば診療所(宇都宮市)の医師、天谷(あまがい)静雄さん(66)が「医師の眼から見た日本国憲法」をテーマに講演。憲法の前文に「われらは、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」とあり、二十五条で「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定していることに触れた。
天谷さんは「『全世界の国民』とあるところが優れている。(憲法が)戦争と貧困をなくし、健康と福祉の国づくりを訴えていることを確認したい」と呼びかけた。また、昨年自身が初めて沖縄を訪れ、平和祈念公園へ行ったことも紹介し「戦争は繰り返してはならない」と語った。
東大の広渡(ひろわたり)清吾名誉教授(ドイツ法)も「約束と希望としての日本国憲法」と題して講演し「立憲主義、民主主義、平和主義は三つ一緒に守るべき原理。憲法に託した希望を実現するのは自分たち、日本国民だ」と訴えた。
安倍政権が改憲を推し進めようとしていることには、安全保障関連法などを挙げて「国家権力を強くし、個人の自由や人権を制約する」などと批判した。

改憲派も集い
改憲に賛同する県民で組織する「美しい日本の憲法をつくる県民の会」は三日、宇都宮市の県護国会館で集いを開き、東京都内で同日開催された改憲派のフォーラムをインターネット中継した。約五十人が来場し、改憲の必要性をあらためて考えた。
中継は改憲の機運を盛り上げようと、二年前に始めた。県民の会事務局長の稲寿(いなひさし)さん(61)は「自衛隊の明記は必要。これからも県民の理解を深める活動をしていく」と話した。 (高橋淳)

改憲派・護憲派 それぞれ訴える 憲法記念日に前橋、高崎で集会:群馬 - 東京新聞(2018年5月4日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201805/CK2018050402000164.html
https://megalodon.jp/2018-0504-1013-13/www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201805/CK2018050402000164.html

宝田明さん 生々しい戦争体験
憲法記念日の三日、県内でも護憲派改憲派がそれぞれ集会を開いた。護憲派の集会では過酷な戦争体験から改憲反対と平和の大切さが訴えられた。また、安倍晋三首相(自民党総裁)の(戦力不保持と国の交戦権の否定を規定した)九条二項を残して自衛隊を明記する改憲手法を批判した。一方、改憲派の集会では九条に自衛隊を加える形での改憲を「現実的」として進めるよう求める声が上がった。
高崎市の群馬音楽センターでは、県内の九条の会や労組などでつくる実行委員会が主催した「第34回憲法記念日集会」が開かれた。俳優の宝田明さんが自身の生々しい戦争体験を語り、平和と護憲を訴えた。
宝田さんは旧満州中国東北部)のハルビン出身。終戦後はソ連軍が侵攻してきて、ソ連兵が女性に暴行したり略奪行為をしたりするのを見たという。
見張りのソ連兵に右腹を撃たれたことも。二、三日たつと化膿(かのう)してきたが、病院が接収されていたため麻酔なしで焼いた裁ちばさみを使って弾を摘出された。
「今でも梅雨時になると痛みを感じる。私はロシアという国を許せない。全体を否定してしまう」と心境を明かし「戦争というものは憎しみしか残らない。集団的自衛権を容認したり憲法改正をしようとしたりする動きがあるが、私は怒っている」と語った。
ジャーナリストで九条の会世話人伊藤千尋さんも講演。スペイン領カナリア諸島やトルコに平和を考える目的で日本の憲法九条の碑が建てられていることを紹介し「日本では九条をなくそうという動きがあるが、世界では広がっている」と強調した。  (原田晋也)

      ◇

護憲派の市民や団体でつくる5・3憲法記念日行動県実行委員会は、前橋市の群馬会館で「市民の集い」を開き、憲法九条改正反対や、改憲を目指す安倍政権の退陣などを訴えた。
憲法学者日本体育大学の清水雅彦教授が「とめよう!安倍9条改憲と『戦争する国』づくり」と題し、自民党改憲案の問題点などを講演。清水さんは「憲法九条二項を残しつつ自衛隊を明文化する九条改憲案は巧妙。自衛隊の活動に歯止めがなくなる」と指摘。「憲法前文と九条の平和主義は人類の戦争違法化の歩みの中で最先端のもの」と評価し、「市民と労組、野党の共闘で守っていかなければならない」と語った。
講演に先立ち、米軍の沖縄・普天間飛行場へのオスプレイ強行配備や北部訓練場ヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)整備に反対する住民らの活動などを記録したドキュメンタリー映画「This is a オスプレイ」を上映。オスプレイ配備の問題点や群馬上空でも訓練飛行が懸念される現状などを紹介した。最後に「安倍政権による憲法破壊を許さず、平和憲法を守り生かして命と暮らしが大切にされる平和な社会を取り戻す」とのアピールを採択した。 
 (石井宏昌)

憲法記念日 県内各地で集会 - 信濃毎日新聞(2018年5月4日)

http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20180504/KT180503FTI090015000.php
https://megalodon.jp/2018-0504-1014-45/www.shinmai.co.jp/news/nagano/20180504/KT180503FTI090015000.php

憲法記念日の3日、県内各地で憲法について考える集会や勉強会が開かれた。戦力不保持規定を残したまま、9条に自衛隊を明記する安倍晋三首相の提案について市民らも意見交換。学校法人「森友学園」への国有地売却を巡る決裁文書改ざん、陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報隠蔽(いんぺい)問題といった不祥事が続き、不信感が広がる安倍政権下での憲法改正を不安視する声が目立った。
須坂市内の9条の会などでつくる実行委員会は、憲法をテーマにした街頭討論会を臥竜公園で開き、約40人が集まった。護憲派改憲派を問わず、さまざまな立場から自由に発言してほしいと初めて企画。市民ら10人余がそれぞれの思いを語り、戦争の反省から生まれた憲法への愛着を語る年配の参加者が目立った。
男性の1人は「改憲が必要な部分もある」と考えつつも、安倍首相が主導する改憲の動きには「国民を置き去りに、数の力で変えてしまおうと感じられる」。市内の女性(67)は、改憲の是非を判断する上で「(政治が)まず真実を語らないといけない」と指摘。不祥事が続発する政権が改憲の必要性を訴えても「信じられない」と語った。
中信地方の市民団体「本気でとめる戦争!中信市民連合」は、元防衛官僚で内閣官房副長官補を務めた柳沢協二さんを招いた集会を松本市の花時計公園で開き、主催者発表で約500人が参加した。
柳沢さんは北朝鮮問題に対する安倍政権の圧力路線を批判し、「国民が主権者としての自覚を持ち、考えることが戦争を止める力になる」と強調。改憲について自民党は戦力不保持を定めた9条2項を残しつつ自衛隊憲法に明記する考え。安保法制があるため、制限のない集団的自衛権行使を可能にする恐れが指摘されており「きちんとした軍隊を持つと言えないのなら、(自衛隊に)海外で武器を使うような仕事をさせてはいけない」と訴えた。

伊那市では上智大名誉教授の高見勝利さん(憲法学)が講演。上伊那地方の有志らの実行委員会主催で約700人が聞いた。高見さんは「憲法は国家権力を制限する規範。権力の拡大や新しい権力を創設する改正には慎重でなければならない」と解説。安倍首相が9条に自衛隊を明記しようとすることは「新しい権力の創設になる」と指摘した。

憲法記念日 「改憲」「護憲」ともに都内で集会 - 毎日新聞(2018年5月3日)

https://mainichi.jp/articles/20180504/k00/00m/040/070000c
http://archive.today/2018.05.04-011556/https://mainichi.jp/articles/20180504/k00/00m/040/070000c

憲法記念日の3日、改憲や護憲を訴える団体が東京都内で集会を開いた。自衛隊を明記して活動に歯止めをかける形での改憲を訴える第三極を模索する動きもあった。
改憲を目指す「美しい日本の憲法をつくる国民の会」のフォーラムには約1200人(主催者発表)が参加。安倍晋三首相のビデオメッセージが流され、気象予報士でタレントの半井小絵(なからいさえ)氏が「北朝鮮の核・ミサイル開発など危機的な状況にもかかわらず、国会では大切な議論が行われていない」と述べた。
改憲反対の署名活動を展開する護憲団体などの集会では、野党4党トップも演説。約6万人(主催者発表)が参加して安倍政権退陣を訴え、和光大の竹信三恵子教授は「平和ぼけという言葉があるが、憲法のありがたみが分からなくなっている」と警鐘を鳴らした。
解釈で広がりかねない自衛隊の活動を憲法に明記して制約する「立憲的改憲」を主張する集会も開かれ、伊勢崎賢治・東京外国語大教授は「どの国も文民統制を考えている。憲法9条をどうするか国民的議論をすべきだ」と訴えた。
伊勢崎教授は国連などで紛争地の武装解除などに関わり、国連平和維持活動(PKO)部隊の交戦を見てきた経験から「自衛隊は撃てないのに銃を持たされている」と指摘。東京大大学院の井上達夫教授も「日本は戦力を持っているのに、持っていないふりをしている。対抗的な改憲案を議論すべきだ」など、護憲派改憲派の双方を批判。権力を縛る形での改憲を求めた。【最上和喜、成田有佳、金子淳】

伊藤塾主宰の伊藤真弁護士「沖縄は憲法の最先端」 - 沖縄タイムズ(2018年5月3日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/246674
http://web.archive.org/web/20180503084134/http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/246674

【東京】憲法講演会(主催・県憲法普及協議会)が3日午後1時半から、宜野湾市民会館で開かれる。講演する弁護士の伊藤真さんが1日、都内で取材に応じた。近隣諸国と交流し信頼関係を築いてきた沖縄は「憲法の最先端を実践してきた地域」で、他県が学ぶことは多いと指摘。一方、基地問題をはじめ沖縄が抱える課題の解決は、他県と連携する必要性があると訴えた。(聞き手=東京報道部・上地一姫)
法律家や行政官を育成する「伊藤塾」を主宰する伊藤さんは、毎年、塾生と共に「沖縄スタディーツアー」を実施。「憲法の理想とかけ離れた現実があるのも沖縄」と戦跡や米軍基地を巡り、戦後から現在に至る沖縄の人々の生活を考えてきた。
米軍再編交付金を財源にした行政運営か、名護市辺野古への新基地建設反対かで二分された名護市長選のように、沖縄では政府の分断政策が進められているという。「本土は豊かな生活と安全の両方が当たり前だが、沖縄では選挙の度に、ある程度の生活か、安全かを選択させられる」と憂い、「一日も早く両方を享受できる沖縄にすることが、日本国憲法の下に復帰するということだ」と強調した。
インターネット上にあふれる外国人へのヘイトスピーチや、原発被災者と沖縄への差別的発言に対しては、「憲法13条にある個人の尊重が守られていない」と指摘。「他国と信頼関係を築くことが一番の安全保障というのが憲法の基本的考え」とし、琉球王朝時代から通商によって他国との信頼関係を築いてきた沖縄は、「その最先端」とした。
三沢基地所属機による青森県小川原湖への燃料タンク投棄や、横田基地へのオスプレイ配備などを挙げ「沖縄で起きている軍隊の事件事故はもはや人ごとではない。(他県の人々は)次はわが身だと理解しないといけない」と提起した。
講演会の入場料は、一般700円、学生と障がいのある人は500円、高校生以下は無料。

(憲法記念日に)安倍政権は信頼失った - 沖縄タイムズ(2018年5月3日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/246665
http://web.archive.org/web/20180503062418/http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/246665

憲法改正を発議するに当たり、求められる最低限の条件は政権に対する信頼だろう。
自民党が掲げる憲法改正4項目は(1)戦力不保持を定めた9条2項を維持しつつ自衛隊を明記(2)大災害時に内閣に権限を集中させる緊急事態条項の新設(3)参院選の合区解消(4)教育充実−である。
共同通信社憲法に関する郵送世論調査では、4項目全てで「反対」や「不要」など否定的意見が上回った。特に安倍晋三首相の下での改憲には反対が61%と、賛成の38%を大きく上回った。安倍首相の政権運営に対する厳しい見方の反映だろう。
森友学園への国有地売却に関する決裁文書の改ざん、加計学園獣医学部新設を巡る問題では当時の首相秘書官の「首相案件」との発言が愛媛県の文書で確認されている。麻生太郎副総理兼財務相の対応も政権の信頼を低下させている要因だ。
自衛隊は日報を隠蔽(いんぺい)し、幹部自衛官が国民の代表である国会議員に暴言を吐いた。いずれも政治が軍事に優先するシビリアンコントロール文民統制)を脅かしかねない。
共同通信社の4月の世論調査では内閣支持率が低下。支持しない一番の理由は「首相が信頼できない」である。
国会は与野党が対立し、憲法論議が進まない。自民党内も一枚岩ではない。党総裁選への出馬が取りざたされる石破茂・元幹事長、岸田文雄政調会長憲法観とも異なる。
2020年の改正憲法の施行についても、反対が62%に上り、賛成は36%にとどまった。改憲の緊急性や必要性を認めていないのだ。
信頼なくして改憲なし。

■    ■

自民党の9条改憲案は戦力不保持と交戦権の否認を定めた9条2項を維持しつつ、別立ての「9条2」を新設するものだ。「必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として自衛隊を保持する」案が有力だ。
安倍首相は「自衛隊憲法に明記するだけで、現状と変わらない」と強調するが、ほんとうにそうだろうか。
政府は戦後一貫して集団的自衛権を認めない立場だった。しかし一方的な憲法解釈によって限定的に集団的自衛権行使を認める安全保障関連法を成立させた。解釈変更は日本の武力行使の範囲とあり方を極めて不明確にした。
「後法は前法を破る」との法理の原則に立てば、9条2項は空文化する。「必要な自衛の措置をとる」ことを書き込めば、時の内閣の解釈によって集団的自衛権の全面的な行使容認につながるだろう。

■    ■

昨年12月、普天間第二小学校運動場に米軍普天間飛行場所属のCH53E大型輸送ヘリから約8キロの窓が落下した。
運動場使用を再開した2月13日から3学期修了までに児童らが登校した28日間だけで避難が計216回に上った。とても授業どころではない。
憲法が保障する生存権や教育を受ける権利が「安保・地位協定」によって恒常的に脅かされているのである。
沖縄において緊急に求められているのは、憲法を実現すること、改憲よりも地位協定の改定である。

平和主義と安全保障 9条を変わらぬ礎として - 朝日新聞(2018年5月4日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S13479400.html
http://archive.today/2018.05.04-010100/https://www.asahi.com/articles/DA3S13479400.html

これが憲法9条を持つ日本の自衛隊の姿なのか。
海外派遣時の日報隠蔽(いんぺい)は、政治が軍事に優越するシビリアンコントロール文民統制)の基礎を掘り崩す。幹部自衛官が国会議員を罵倒した事案は、軍が暴走した歴史を想起させる。
一方で、専守防衛を逸脱する空母や長距離巡航ミサイル保有の検討が進む。集団的自衛権の行使に道を開く安全保障関連法が施行され、米軍との共同行動は格段に増えている。

■「錦の御旗」を得れば
それだけではない。
安倍首相は9条に自衛隊を明記する改憲の旗を降ろしていない。1項、2項は維持し、自衛隊の存在を書き込むだけと説明するが、政権の歩みを振り返れば、9条の空洞化を進める試みと断じざるをえない。

賛成39%。反対53%。

本紙が憲法記念日を前に実施した世論調査では、首相案への支持は広がらなかった。
そもそも政府は一貫して「自衛隊は合憲」と説明し、国民にも定着している。9条改憲に政治的エネルギーを費やすのは、政治が取り組むべき優先順位としても疑問が残る。
「何も変わらない」という首相の説明は、額面通りには受け取れない。「戦争放棄」と「戦力の不保持」を定めた9条があることで、自衛隊の活動や兵器に厳しい制約が課され、政府にも重い説明責任が求められてきた。改憲すれば、その制約が緩むことは避けられない。
首相の意向に沿って自民党憲法改正推進本部がまとめた案では、自衛隊は「必要な自衛の措置」をとるための実力組織とされる。自衛隊に何ができて、何ができないのか、その線引きが全くわからない。
歴代内閣が否定してきた集団的自衛権の行使は、一内閣の閣議決定で容認に転じた。自衛隊憲法上の機関という「錦の御旗」を得れば、時の政権の判断次第で、米軍支援や海外派遣、兵器の増強がなし崩しに拡大する恐れがある。

■行き詰まる軍事優先
そのとき、9条の平和主義は意味を失う。戦後日本が築いてきた平和国家の姿は変質し、近隣諸国からは、戦前の歴史への反省を否定する負のメッセージと受け取られかねない。
それは日本の外交、安全保障上、得策だろうか。
東アジアの安全保障環境は分水嶺(ぶんすいれい)に差し掛かっている。
北朝鮮金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長が、南北の軍事境界線を越えて文在寅(ムンジェイン)韓国大統領と握手を交わし、11年ぶりの首脳会談が実現した。史上初の米朝首脳会談への準備も進む。
情勢が激しく動くなか、日本の平和と安全を守るために何が必要か。長期的な理念を掲げながら、目の前の現実を見すえる政治の知恵が試される。
安倍政権は、北朝鮮の核・ミサイル開発の動きを、同盟強化や9条改正の機運につなげてきた。日米同盟に頼り、韓国や中国との信頼関係は深まっていない。そのために、朝鮮半島の緊張緩和という大きな流れに乗り遅れつつある。
米国が核兵器の役割を拡大する「核戦略見直し」を発表した時には、唯一の戦争被爆国にもかかわらず、高く評価する外相談話を出した。これでは、非核化に向けたイニシアチブもとりようがない。
安全保障は軍事だけでは成り立たない。対話や協力を通じ、平和を保つ仕掛けをつくる。そんな外交努力が欠かせない。
いま必要なのは、9条の平和主義を基軸として、日米同盟と近隣外交のバランスをとりながら、地域の平和と安定に主体的に関与することだ。

■身の丈にあう構想を
戦前、言論人として軍部にあらがい、戦後は自民党総裁、首相も務めた石橋湛山は1968年、こんな一文を残している。
「わが国の独立と安全を守るために、軍備の拡張という国力を消耗するような考えでいったら、国防を全うすることができないばかりでなく、国を滅ぼす」(「日本防衛論」)
時代状況が異なっても、この見方は今に通じる。
日本社会は急速な少子高齢化に伴う人口減少と、未曽有の財政難に直面している。この現実は、安全保障を考えるうえでも決して無視できない。
トランプ米大統領はしきりに米国製兵器の購入を日本に迫っている。呼応するかのように、自民党内には5兆円規模の防衛費の倍増を求める声もある。
しかし、社会保障費が膨らむなかで、そんな財源が一体どこにあるというのか。子どもの数が減っていけば、現在の自衛隊の規模を維持することも難しくなるだろう。
国力の限界を踏まえ、軍事に偏らず、身の丈にあった安全保障を構想すべきである。
不透明な時代であればこそ、9条を変わらぬ礎(いしずえ)として、確かな外交、安全保障政策を考え抜かなければならない。

九条俳句作者、思いもよらぬ拒絶 「自由守れ」訴え裁判 - 朝日新聞(2018年5月3日)

https://digital.asahi.com/articles/ASL4S77HYL4SPIHB03B.html
http://archive.today/2018.05.04-010257/https://www.asahi.com/articles/ASL4S77HYL4SPIHB03B.html

小尻知博記者(当時29)ら2人が殺傷された朝日新聞阪神支局襲撃事件から5月3日で31年。私たちの社会でいま、表現の自由はどうなっているのか。様々な分野で表現に携わる人たちに思いを聞いた。

明日も喋ろう:表現は、自由か
3月1日、東京高裁。さいたま市の女性(77)が法廷に立った。「自由にものが言える。自由に表現できる。当たり前のことが当たり前に守られるよう、判決をよろしくお願いします」

詠んだ俳句を公民館だよりに載せてほしい――。その思いで、さいたま市を相手取り、裁判を起こした。
話は4年前の6月にさかのぼる。東京・銀座で、集団的自衛権の行使容認に反対する女性たちのデモに出くわした。雨の中、ベビーカーを押す人もいた。
1940年生まれ。戦時中の空襲をいまも覚えている。「戦争は愚かだと子供心に感じていた」。素朴な思いを俳句に込めた。

「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」

被団協 「自衛隊が戦力に」 改憲撤回を要求し声明 - 毎日新聞(2018年5月2日)

https://mainichi.jp/articles/20180503/k00/00m/040/133000c
http://archive.today/2018.05.04-010619/https://mainichi.jp/articles/20180503/k00/00m/040/133000c

日本原水爆被害者団体協議会日本被団協)は憲法記念日を前にした2日、憲法9条自衛隊を明記する安倍晋三首相の改憲案について「『戦争放棄』を越え、自衛隊を戦力として扱うことが可能になる」などとして撤回を求める声明を発表した。
東京都内で記者会見した田中熙巳代表委員(86)は憲法9条を「被爆者の気持ちを反映しているすばらしい条文」と評価した上で、声明を出した経緯を「日本を軍事大国にしようという雰囲気が強まってきた」と説明。「武力で安全が保たれることはあり得ない。戦争をしないためにどうするか考えなくては」と市民の間での議論の必要性を訴えた。
日本被団協被爆70年の2015年に被爆者に実施したアンケートでは、「日本政府に求めたいもの」への回答は「9条厳守」が最多の77.3%だった。木戸季市事務局長(78)も「9条が否定されるのは私自身が否定されるようなものだ」と訴えた。【竹内麻子】

高校生大使を平和賞候補に ノーベル賞委から正式通知 - 東京新聞(2018年5月4日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201805/CK2018050402000129.html
https://megalodon.jp/2018-0504-1006-07/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201805/CK2018050402000129.html

核兵器廃絶を目指して署名を集め国連機関へ届けている「高校生平和大使」が、正式に今年のノーベル平和賞候補となったことが三日、分かった。活動を支える広島、長崎両市の市民団体「高校生平和大使派遣委員会」が明らかにした。
派遣委員会で共同代表を務める平野伸人さん(71)によると、ノルウェーノーベル賞委員会から四月に電子メールで通知があったといい「これまでの活動が認められた」と語った。
高校生平和大使の支援者らは今年に入り、国会議員の推薦状を取りまとめてノーベル賞委員会へ送付。同委はすでに受理していた。
高校生平和大使は一九九八年、長崎の高校生二人が地元の平和運動家らと共に、反核署名を携えて米ニューヨークの国連本部を訪ねたのが始まり。派遣委員会が毎春、被爆地の広島や長崎を中心に各地から公募して選出している。昨夏までに十七都道府県の高校から計約二百人が就任した。

司法取引導入で「公判変わることを期待」 最高裁長官 - 東京新聞(2018年5月3日)

https://www.asahi.com/articles/ASL4V6J0JL4VUTIL050.html
http://archive.today/2018.05.04-010810/https://www.asahi.com/articles/ASL4V6J0JL4VUTIL050.html

最高裁の大谷直人長官が3日の憲法記念日を前に、恒例の記者会見をした。他人の犯罪を捜査機関に明かす見返りに、自身の刑事処分を軽くする「司法取引」が6月1日から始まることについて問われ、「適切に運用され、取り調べや供述調書に過度に依存していると指摘されてきた捜査、公判の姿が変わることを期待したい」と話した。
司法取引をめぐっては裁判官が供述の信用性をどのように見きわめるのかや、「真相解明」への貢献を量刑にどう反映させるか、などが課題とされている。大谷氏は司法研修所などで研究を重ねていると述べ、「適正な事実認定と量刑判断が行われるよう、議論を深めていくことが欠かせない」と語った。また、政府の有識者検討会が3月、民事裁判の「全面的なIT化をめざす」とした提言については「様々な分野でIT化が進められ、広く国民に受け入れられている。真に望ましいIT化に向けて検討を進める責任がある」と話した。
大谷氏は憲法改正についても聞かれたが、「国民的な議論を深め、その方向性を決すべき問題。具体的事件について裁判の場で憲法判断をする最高裁長官が、憲法改正に関する議論について所感を述べるのは差し控えたい」と答えるにとどまった。(岡本玄)

<世界の中の日本国憲法>9条編(上) 「不戦」支える「戦力不保持」 - 東京新聞(2018年5月4日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201805/CK2018050402000147.html
https://megalodon.jp/2018-0504-1008-46/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201805/CK2018050402000147.html


日本国憲法は三日、施行から七十一年を迎えた。この間、条文は一文字も変わらず、自衛隊が海外で一発の銃弾も撃つことなく、日本は平和国家として歩んできた。日本国憲法の本質はどこにあるのか、世界各国の憲法と比べながら考える。まず、平和憲法の根幹とされる九条を取り上げる。

◆パリ条約が源流
九十年前の一九二八年八月二十七日、パリ・フランス外務省の「時計の間」。日本を含む十五カ国の高官を前に、ブリアン仏外相が宣言した。「利己的で意図的な戦争に終わりをもたらす日となるだろう」
千六百万人が犠牲になった第一次世界大戦の反省から生まれた「パリ不戦条約」の調印式。それまで戦争は国家の自由と考えられていたが、初めて戦争を違法とした条約だった。加盟国は六十三カ国に増え、「戦争なき世界」を目指した。
しかし、自衛のための戦争は制限されないことが交渉過程で確認され、実効性が薄かった。日本は旧満州中国東北部)を占領。ドイツやイタリアも自衛の名の下に侵略を広げ、第二次世界大戦を防げなかった。
大戦後、四五年の国際連合発足とともにできた国連憲章は、条約の理念を引き継いだ。国際紛争を「平和的手段」で解決することや、「武力による威嚇又(また)は武力の行使」を慎むよう加盟国に求めている。
日本国憲法九条一項はこの流れをくみ、戦争放棄をうたう。ただ、戦後制定された多くの国の憲法にも同様の規定があり、九条一項が特別とは言えない。つまり、多くの国の憲法も日本と同じく「戦争放棄」の理想を掲げている。
四七年制定のイタリア憲法は、紛争解決手段としての戦争などを否定。八七年制定のフィリピン憲法も「国の政策の手段としての戦争」放棄をうたう。二〇〇〇年代に左派政権が誕生したエクアドルボリビアも、紛争解決手段としての戦争放棄を新憲法に掲げた。
侵略や征服目的の戦争を否定した憲法も多い。ドイツは「侵略戦争の準備」を違憲とし、刑事罰も規定。フランスは一七九一年憲法で征服戦争放棄を定め、現行憲法も引き継いでいる。

◆自衛の名の下に
だが、〇一年に米ブッシュ政権が「自衛のための戦争」を宣言してアフガニスタンを攻撃したように、自衛権を根拠にした軍事行動が繰り返されてきた。国連憲章は個別的、集団的自衛権を国家の「固有の権利」として認めているからだ。侵略と認めて軍事行動をするケースはほとんどない。
自衛権を根拠に、多くの国は憲法で軍隊の保持も定めている。不戦の理想が実現しにくいのは、これが大きい。世界で最も強固な平和憲法とされる日本国憲法が特別なのは、九条一項の「戦争放棄」に続き、二項で「戦力不保持」を明記している点にこそある。二項は9条編(下)で詳しく紹介する。 (小嶋麻友美

自衛隊明文化「改憲の十分な理由」 首相、施行期限には触れず - 東京新聞(2018年5月4日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201805/CK2018050402000138.html
https://megalodon.jp/2018-0504-1024-55/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201805/CK2018050402000138.html

安倍晋三首相(自民党総裁)は三日、改憲派の民間団体が東京都内で開いた集会にビデオメッセージを寄せ、自衛隊を明記する九条改憲案について「命を賭して任務を遂行している者の存在を明文化することで、正当性が明確化される。憲法改正の十分な理由になる」と強調した。一年前の同じ集会では、自衛隊明記のほかに、二〇二〇年に新憲法施行を目指す意向も表明したが、今年は具体的な期限には触れなかった。
集会は「民間憲法臨調」(桜井よしこ代表)などが主催した「公開憲法フォーラム」。昨年は、首相がビデオメッセージで、憲法自衛隊を明記し、二〇年の施行を目指す意向を初めて示した。自民党は首相の意向を踏まえ、今年三月に改憲四項目の条文案をまとめた。
今年の集会では、首相は「自衛隊違憲論が存在する最大の原因は、憲法に防衛に関する規定が全く存在しないことにある」と指摘。自衛隊明記の改憲に十分な理由があるとの発言は、野党や専門家などから「改憲の必要性が乏しい」と批判を受けたことが念頭にあるとみられる。
ビデオメッセージは七分弱で、文字数は約千五百字。九分超で、文字数も二千字近かった昨年より短かった。

◆首相メッセージ要旨 「1年間で議論は大いに活性化。喜ばしい」
憲法はこの国のかたち、理想の姿を示すものだ。二十一世紀の日本の姿を私たち自身の手で描く精神こそ、日本の未来を切り開く。現行憲法の基本理念が揺らぐことはない。一方で時代の節目にあって、どのような国造りを進めていくのかという議論を深めるべき時に来ている。
私は昨年のビデオメッセージで、自民党総裁として一石を投じる気持ちでこう言った。「いよいよ私たちが改憲に取り組む時が来た」「憲法九条に自衛隊を明記すべきだ」。この発言を一つの契機として、この一年間で改憲の議論は大いに活性化し、具体化した。大変喜ばしい。自民党では改憲四項目について議論が深まった。
残念ながら近年においても「自衛隊は合憲」と言い切る憲法学者は二割にとどまり、違憲論争が存在する。多くの教科書に、合憲性に議論がある旨の記述があり、自衛官の子どもたちもその教科書で勉強しなければならない。このままでいいのか。この状況に終止符を打つため、憲法自衛隊をしっかり明記する。それこそが今を生きる政治家の、自民党の責任だ。
憲法の専門家に自衛隊違憲論が存在する最大の原因は、憲法にわが国の防衛に関する規定が全く存在しないことにある。国の安全を守るため命を賭して任務を遂行している者の存在を明文化することによって、正当性が明確化されるのは明らかだ。国の安全の根幹に関わることであり、改憲の十分な理由になる。
いよいよ私たちが改憲に取り組む時が来た。主役は国民だ。最終的に国民投票によって国民が改憲を決定する。改憲を成し遂げるためには国民の理解、幅広い合意形成が必要だ。改憲に向けて共に頑張っていこう。

安倍首相 険しい改憲、引かず 主張継続、政権の推進力 - 毎日新聞(2018年5月3日)

https://mainichi.jp/articles/20180504/k00/00m/010/094000c
http://archive.today/2018.05.04-012445/https://mainichi.jp/articles/20180504/k00/00m/010/094000c

憲法記念日、ビデオメッセージで改憲への意欲強調
安倍晋三首相は3日に公表されたビデオメッセージで「いよいよ憲法改正に取り組む時がきた」と改めて改憲への意欲を強調した。改憲に向けた機運はしぼむが、改憲を訴え続けなければ、9月の自民党総裁選での3選どころか、政権維持もままならないという厳しい政権の状況を反映しているとの指摘が出ている。
メッセージを寄せたのは、昨年の憲法記念日に首相が自衛隊明記と2020年の改正憲法施行を目指すと表明したのと同じ保守系の団体が主催した集会だ。出席者の多くは、首相を支持してきた保守層だとみられている。首相は、自衛隊違憲と言われる状況を改善する必要性に触れ「皆さん、この状況のままでいいのでしょうか」と同調を求めた。
実際には改憲を取り巻く政治環境は昨年よりも厳しさを増している。「森友学園」への国有地売却、「加計学園」の獣医学部新設を巡る疑惑は広がり、与野党の対立が、国会での改憲論議を封じている。二つの問題はどちらも長期政権の弊害が根源にあると指摘され、野党の一部は憲法改正には反対していないが「安倍政権による改憲」に反対している。
集会には公明党遠山清彦憲法調査会事務局長も出席したが、自衛隊明記に関し「国民投票で万が一、否決されるリスクを考慮せざるを得ない」と早期発議をけん制し、改憲に向けた道筋の険しさを見せつけた。
こうした状況にもかかわらず、首相が改憲への意欲を語る背景について、政府筋は「どんなに厳しくなっても首相は憲法改正を掲げ続けるしかない。ぶれないことが大事だ」と強調。首相の宿願である改憲への姿勢がぶれたと受け止められれば、保守層まで離反し、政権の命取りになりかねないとの考えを示唆した。
政府関係者は「総裁選で3選を目指すうえで何をするというのか。改憲以外にもう残っていない」と語り、改憲への意欲を示し続けることが政権維持に重要になっているとの認識を示した。【田中裕之】

9条世界の宝、憲法施行71年 国際会議で繰り返し支持 - 東京新聞(2018年5月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201805/CK2018050302000154.html
http://web.archive.org/web/20180503052402/http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201805/CK2018050302000154.html


憲法記念日の三日、日本国憲法は施行から七十一年を迎えた。あまり知られていないが、世界各国で市民団体などが開く国際会議では、戦争放棄を定めた憲法九条を支持する宣言や声明が繰り返されてきた。平和運動に取り組む国内外の市民らは「九条は世界で必要とされている」と口をそろえる。 (坂田奈央)
ちょうど十年前の二〇〇八年五月四日〜六日、千葉市など国内四会場で「九条世界会議」が開催された。
四十一カ国・地域からノーベル平和賞受賞者ら約二百人が招かれ、延べ三万人以上の観衆を前に、武力によらずに平和を守る九条の理念を今の世界で生かすには、具体的にどうすればいいのか意見交換。出た意見を集約し、すべての政府に軍事費の削減や「平和省」設置、憲法に平和条項を入れることなどを求める「九条世界宣言」を発表した。
ガーナからの出席者は「アフリカでも九条の精神を解釈し、紛争と戦争に終止符を打てれば貧困を終わらせることができる」と期待。連合国軍総司令部(GHQ)で日本国憲法の草案づくりに携わったベアテ・シロタ・ゴードンさん(故人)は、改憲しないで他国に伝えれば「いろんな国のモデルになる」と話した。
九条への関心を高めるきっかけとなったのは、一九九九年のハーグ世界市民平和会議。百カ国以上から平和を願う市民が集まった会議で、日本からも被爆者団体や法律家ら約四百人が参加し、平和憲法の意義などを発信した。その結果、十項目の「基本原則」の一番目に「各国議会は、九条のように政府が戦争することを禁止する決議を採択すべきだ」と明記された。
その後もさまざまな国際会議で九条は「人類の宝」などと共感を集めている。
一方、九条を逸脱しかねないような米軍との一体化を進める日本の安全保障政策や、九条自体を変える動きにも度々、警鐘が鳴らされてきた。十年前の九条世界宣言は「九条の存在自体が脅かされている」と指摘。自民党改憲四項目の議論を進めていた昨年末、ベトナムで開かれた法律家の国際会議では、九条改憲は「アジア諸国全体に著しく影響を及ぼす」と懸念を示した。

安倍政権と憲法 改憲を語る資格あるのか - 朝日新聞(2018年5月3日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S13478086.html
http://archive.today/2018.05.03-055658/https://www.asahi.com/articles/DA3S13478086.html

憲法施行から70年の節目にあったこの1年で、はっきりしたことがある。それは、安倍政権が憲法改正を進める土台は崩れた、ということだ。
そもそも憲法とは、国民の側から国家権力を縛る最高法規である。行政府の長の首相が改憲の旗を振ること自体、立憲主義にそぐわない。
それに加え「安倍1強政治」のうみとでもいうべき不祥事が、次々と明らかになっている。憲法の定める国の統治の原理がないがしろにされる事態である。とても、まっとうな改憲論議ができる環境にない。

■統治原理ないがしろ
この3月、森友学園との国有地取引をめぐる公文書の改ざんを財務省が認めた。
文書は与野党が国会に提出を求めた。改ざんは、憲法の基本原理である三権分立、その下での立法府の行政府に対するチェック機能を損なうものだ。民主主義の根幹にかかわる重大事なのに、政権はいまだに改ざんの詳しい経緯を説明していない。
いま政権を揺るがす森友学園加計学園の問題に共通するのは、首相につながる人物に特別な便宜が図られたのではないかという疑惑である。
長期政権の下、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」という憲法の定めが、大きく揺らいでみえる。
昨年の通常国会の閉会後、野党は一連の問題を追及するため、憲法の規定に基づいて臨時国会の召集を要求した。首相はこれを放置し、野党の選挙準備が整っていないことを見透かして、衆院解散に打ってでた。憲法を無視したうえでの、「疑惑隠し」選挙だった。

■普遍的価値も軽視
この1年、社会の多様性や個人の尊厳を軽んじる政権幹部の言動も多く目にした。
象徴的だったのが、昨年7月の都議選の応援演説で、首相が自らを批判する聴衆に向けた「こんな人たちに負けるわけにはいかない」という言葉だ。
都議選の惨敗後、いったんは「批判にも耳を傾けながら、建設的な議論を行いたい」と釈明したのに、今年4月に再び、国会でこう語った。
「あの時の映像がいまYouTubeで見られる。明らかに選挙活動の妨害行為だ」
財務事務次官によるセクハラ疑惑に対し、被害女性をおとしめるような麻生財務相、下村元文部科学相の発言もあった。
憲法が定める普遍的な価値に敬意を払わないのは、安倍政権発足以来の体質といえる。
この5年余、首相は経済を前面に立てて選挙を戦い、勝利すると、後出しじゃんけんのように「安倍カラー」の政策を押し通す手法を繰り返してきた。
国民の「知る権利」を脅かす特定秘密保護法、歴代内閣が違憲としてきた集団的自衛権の行使に道を開く安全保障関連法、捜査当局による乱用が懸念される共謀罪の導入……。合意形成のための丁寧な議論ではなく、与党の「数の力」で異論を押しのけてきた。
1強ゆえに、内部からの批判が声を潜め、独善的な政権運営にブレーキがかからなかったことが、現在の問題噴出につながっているのではないか。
ちょうど1年前のきょう、首相は9条に自衛隊を明記する構想を打ち上げ、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と宣言した。与野党の対立で国会内の機運はすっかりしぼんだが、首相はなお任期中の改憲に意欲をみせる。
自民党は首相の意向を受けて、自衛隊明記に加え、教育、緊急事態対応、合区解消の計4項目の改憲案をまとめた。憲法を変えずとも、法律で対応できることが大半で、急いで取り組む必要性はない。

■優先順位を見誤るな
「21世紀の日本の理想の姿を、私たち自身の手で描くという精神こそ、日本の未来を切りひらいていく」。首相は1日、新憲法制定を目指す議員連盟主催の会合にそんなメッセージを寄せた。
透けて見えるのは、現憲法は占領期に米国に押し付けられたとの歴史観だ。人権、自由、平等といった人類の普遍的価値や民主主義を深化させるのではなく、「とにかく変えたい」という個人的な願望に他ならない。
本紙が憲法記念日を前に実施した世論調査では、安倍政権下での改憲に「反対」は58%で、「賛成」の30%のほぼ倍となった。政策の優先度で改憲を挙げたのは11%で、九つの選択肢のうち最低だった。「この1年間で改憲の議論は活発化した」という首相の言葉とは裏腹に、民意は冷めたままだ。
いま首相が全力を尽くすべきは、一連の不祥事の全容を解明し、憲法に基づくこの国の統治の仕組みを立て直すことだ。それなくして、今後の政権運営は立ち行かない。
首相の都合で進める改憲は、もう終わりにする時だ。

憲法記念日 平和主義の「卵」を守れ - 東京新聞(2018年5月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018050302000156.html
http://web.archive.org/web/20180503052218/http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018050302000156.html

自民党により憲法改正が具体化しようとしている。九条に自衛隊を明記する案は、国を大きく変質させる恐れが強い。よく考えるべき憲法記念日である。
ホトトギスという鳥は、自分で巣を作らないで、ウグイスの巣に卵を産みつける。ウグイスの母親は、それと自分の産んだ卵とを差別しないで温める。
一九四八年に旧文部省が発行した中高生向けの「民主主義」という教科書がある。そこに書かれた示唆に富んだ話である。

◆「何ら変更はない」とは
<ところが、ほととぎすの卵はうぐいすの卵よりも孵化(ふか)日数が短い。だから、ほととぎすの卵の方が先にひなになり、だんだんと大きくなってその巣を独占し、うぐいすの卵を巣の外に押し出して、地面に落してみんなこわしてしまう>
執筆者は法哲学者の東大教授尾高朝雄(ともお)といわれる。「民主政治の落し穴」と題された一章に紹介されたエピソードである。そこで尾高はこう記す。
<一たび多数を制すると、たちまち正体を現わし、すべての反対党を追い払って、国会を独占してしまう。民主主義はいっぺんにこわれて、独裁主義だけがのさばることになる>
この例えを念頭に九条を考えてみる。基本的人権国民主権は先進国では標準装備だから、戦後日本のアイデンティティーは平和主義といえる。国の在り方を決定付けているからだ。
九条一項は戦争放棄、二項で戦力と交戦権を否認する。自民党はこれに自衛隊を書き込む提案をしている。安倍晋三首相が一年前にした提案と同じだ。
だが、奇妙なことがある。安倍首相は「この改憲によって自衛隊の任務や権限に何らの変更がない」と述べていることだ。憲法の文言を追加・変更することは、当然ながら、その運用や意味に多大な影響をもたらすはずである。

◆消えた「必要最小限度」
もし本当に何の変更もないなら、そもそも改憲の必要がない。国民投票になれば、何を問われているのか意味不明になる。今までと何ら変化のない案に対し、国民は応答不能になるはずである。
動機が存在しない改憲案、「改憲したい」欲望のための改憲なのかもしれない。なぜなら既に自衛隊は存在し、歴代内閣は「合憲」と認めてきたからだ。
安倍首相は「憲法学者の多くが違憲だ」「違憲論争に終止符を」というが、どの学術分野でも学説は分かれるものであり、改憲の本質的な動機たりえない。
憲法を改正するには暗黙のルールが存在する。憲法は権力を縛るものであるから、権力を拡大する目的であってはならない。また目的を達成するには、改憲しか手段がない場合である。憲法の基本理念を壊す改憲も許されない。
このルールに照らせば九条改憲案は理由たりえない。おそらく別の目的が潜んでいるのではないか。例えば自衛隊の海外での軍事的活動を広げることだろう。
歴代内閣は他国を守る集団的自衛権専守防衛の枠外であり、「違憲」と国内外に明言してきた。ところが安倍内閣はその約束を反故(ほご)にし、百八十度転換した。それが集団的自衛権の容認であり、安全保障法制である。専守防衛の枠を壊してしまったのだ。
それでも海外派兵までの壁はあろう。だから改憲案では「自衛隊は必要最小限度の実力組織」という縛りから「必要最小限度」の言葉をはずしている。従来と変わらない自衛隊どころでなく、実質的な軍隊と同じになるのではないか。
それが隠された動機ならば自民党は具体的にそれを国民に説明する義務を負う。それを明らかにしないで、単に自衛隊を書き込むだけの改憲だと国民に錯覚させるのなら、不公正である。
また安倍首相らの根底には「九条は敗戦国の日本が、二度と欧米中心の秩序に挑戦することがないよう米国から押しつけられた」という認識があろう。
しかし、当時の幣原(しではら)喜重郎首相が連合国軍最高司令官マッカーサー戦争放棄を提案した説がある。両者とも後年に認めている。日本側から平和主義を提案したなら「押しつけ論」は排除される。
歴史学者笠原十九司(とくし)氏は雑誌「世界」六月号(岩波書店)で、幣原提案説を全面支持する論文を発表する予定だ。

◆戦争する軍隊になるか
他国の戦争に自衛隊も加われば、およそ平和主義とは相いれない。日本国憲法というウグイスの巣にホトトギスの卵が産みつけられる−。「何の変更もない」と国民を安心させ、九条に自衛隊を明記すると、やがて巣は乗っ取られ、平和主義の「卵」はすべて落とされ、壊れる。それを恐れる。

引き継ぐべき憲法秩序 首相権力の統制が先決だ - 毎日新聞(2018年5月3日)

https://mainichi.jp/articles/20180503/ddm/005/070/063000c
http://archive.today/2018.05.03-155045/https://mainichi.jp/articles/20180503/ddm/005/070/063000c

平成最後の憲法記念日である。
施行から71年。日本国憲法は十分に機能しているか。現実と乖離(かいり)してはいないか。安定した憲法秩序が時代をまたいで次へと引き継がれるよう、点検を怠るわけにはいかない。
1年前、安倍晋三首相は憲法9条への自衛隊明記論を打ち上げた。自民党をせき立て、野党を挑発し、衆院総選挙まではさんで、改憲4項目の条文案作成にこぎつけた。
しかし、衆参両院の憲法審査会は今、落ち着いて議論できる状況にはない。最大の旗振り役だった首相への信用が低下しているためだ。
モリ・カケ、日報、セクハラ。問われている事柄を真正面から受け止めず、過剰に反論したり、メディア批判に転嫁したりするから、いつまでもうみは噴き出し続ける。

90年代政治改革の産物
この間くっきりと見えたのは立法府と行政府のバランスの悪さだ。
改ざんした公文書の提出は、国会への冒〓(ぼうとく)としか言いようがない。なのに、国会はいまだに原因の究明も、事態の収拾もできずにいる。
国会が首相を指名するという憲法67条は議院内閣制の規定だ。同時に66条3項は内閣の行政権行使にあたり「国会に対し連帯して責任を負う」よう求めている。憲法が国会に内閣の統制を期待している表れだ。
連合国軍総司令部(GHQ)による憲法草案の作成過程で、当時27歳のエスマン中尉は「行政権は合議体としての内閣にではなく、内閣の長としての内閣総理大臣に属する旨を明確にすべきだ」と主張した。
これに対し、総責任者のケーディス大佐は「強い立法府とそれに依存した行政府がいい」と考えて退けたという(鈴木昭典著「日本国憲法を生んだ密室の九日間」)。
しかし、強い立法府は生まれなかった。とりわけ安倍政権では、首相の過剰な権力行使が目立つ。
昨年8月、首相は内閣改造に踏み切りながら、野党による国会召集の要求を無視し続けた。総選挙後にようやく特別国会を開くと、野党の質問時間を強引に削減した。
本来中立性が求められる公的なポストに、意を通じた人物を送り込むのもいとわない。内閣法制局長官の人事や各種有識者会議がそれだ。
小選挙区制の導入、政党助成制度の創設、首相官邸機能の強化といった1990年代から進められてきた政治改革が、首相権力の増大に寄与しているのは明らかだ。
中選挙区時代の自民党はライバルの派閥が首相の独走を抑えてきた。しかし、今や首相は選挙の公認権と政党交付金の配分権を実質的に独占する。政府にあっては内閣官房スタッフの量的拡大と内閣人事局のにらみを前に各省は自律性を弱めた。
すなわち国会と内閣の同時掌握が「安倍1強」の根底にある。ここに権限のフル活用をためらわない首相の個性が加わって、日本の憲法秩序は安倍政権を通じて大きく変容してきたと言わざるを得ない。

議論は健全な国会から
国会には立法機能と政府の創出機能がある。同時に国会は行政を監視し、広範な合意に導く役割を併せ持つ。国会が権力闘争の場であることは否定しないが、現状は政権党が政府の下請けに偏り過ぎている。
今国会で増えた質問時間を持て余した自民党議員が、意味なく首相をほめそやしたのはその典型だ。
大島理森衆院議長はよく「民主主義は議論による統治だ」と語る。議院内閣制の下でこの原則を生かすには、立法府と行政府との相互抑制や強力な野党の存在、首相の自制的な態度などが要件になる。
公職選挙法や国会法など統治システムの運用にかかわる法律は「憲法付属法」と呼ばれる。一連の政治改革が当初の予測を超えて憲法秩序をゆがめているとしたら、付属法の是正がなされるべきだろう。
少なくとも国政調査権の発動を、与党の数の論理で封じる慣行は見直していく必要がある。公文書管理法や情報公開法の厳格な運用も、憲法秩序の安定に貢献するはずだ。
冷戦前、国連の集団安全保障が機能する前提で生まれた憲法9条と、現在の国際環境を整合させるために議論をするのはおかしくない。
しかし、本当に国民の利益になる憲法の議論は、健全な国会があってこそ成り立つものだろう。敵と味方を峻別(しゅんべつ)するあまり、客観的な事実の認定さえ受け付けない現状は不健全である。まずは国会が首相権力への統制力を強めるよう求める。

(余録)「日本の法の無力さ」「日本では法が暴威を振るっている」… - 毎日新聞(2018年5月3日)

https://mainichi.jp/articles/20180503/ddm/001/070/095000c
http://archive.today/2018.05.04-001203/https://mainichi.jp/articles/20180503/ddm/001/070/095000c

「日本の法の無力さ」「日本では法が暴威を振るっている」−−まるで逆の指摘だが、一つの著書からの引用である。270年前の話だからあまり気にせずともよいが、モンテスキューの「法の精神」である。
彼はケンペルの「日本誌」などを元に、日本では専制政治により残虐な刑を用いる法が暴威を振るっていると考えたようだ。だが厳しすぎる法は人心の安定をもたらすのには無力という。当時の西欧の知識人の日本イメージが分かる。
この本の名を高めたのはそんな日本観ではなく、「すべて権力を持つ者は乱用しがちである。その限界まで権力を用いる」という普遍的洞察である。「権力を乱用できぬようにするには権力が権力を抑制するよう仕組まねばならない」
近代憲法の大原則となった立法・行政・司法の権力分立を唱えた「法の精神」だった。軍の暴走をもたらした明治憲法の失敗から生まれた現行憲法だが、今年の記念日は行政府の権力乱用の疑惑と不正の渦(うず)の中で迎えることとなった。
次々に露見した決裁文書改ざんや虚偽答弁、記録の隠蔽(いんぺい)などなど、いずれも行政をチェックすべき立法府をあざむく所業である。いやその間に立法府の解散・総選挙も行われたから、国民もごまかして民主政治をゆがめたともいえる。
憲法の改正に意欲を示す安倍晋三(あべ・しんぞう)首相だが、近代憲法思想の父祖たちが権力乱用の抑止に心を砕いたことははなから眼中になさそうだ。現代の日本で「暴威を振るう」のは何で、「無力」なのは何だろうか。

<自衛隊明記の波紋 9条改憲を考える>ミサイル防衛は攻撃に 沖縄全体で配備考え直す時 - 沖縄タイムズ(2018年5月2日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/246182
http://archive.today/2018.05.03-045246/http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/246182

石嶺 香織(いしみね かおり)
「てぃだぬふぁ 島の子の平和な未来をつくる会」共同代表 織物業
1980年生まれ。福岡県出身。大阪外国語大学中退。2008年、宮古上布を学ぶために宮古島に移住。織物業。2015年6月、陸自配備に反対するママたちを中心に「てぃだぬふぁ 島の子の平和な未来をつくる会」を結成。共同代表。元宮古島市議会議員。

今、9条改憲が議論になっている。自民党では9条第1項(戦争放棄)と第2項(軍隊不保持)(交戦権否認)を維持しつつ自衛隊を明記する案が出ている。
9条改憲は、宮古島への陸上自衛隊配備にも大きく関係する。宮古島には他国の艦艇を攻撃する地対艦ミサイルと、他国の航空機を攻撃する地対空ミサイル(SAM)が配備予定とされる。3月4日に宮古島で行われた住民説明会で、防衛省は「特定の国がわが国に対して攻めてきて初めて、専守防衛という観点で対処する。我が方から手を出すことはない」と説明した。しかし安全保障法制の成立によって、もし中国とアメリカの間に衝突が起こり、政府がそれを「存立危機事態」と認定すれば、宮古島が攻撃されなくても、防衛出動が発動され宮古島からミサイルを発射することは可能だということになっている。
宮古島からミサイルを発射すればどうなるか。発射した地点を探知されないように、車載式のミサイルは島中を移動する。その時、島全体が標的になる。5万5千人の住民の避難は簡単にはいかない。有事になれば船も飛行機も使えない。住民は島の中で逃げ回るしかない。まさに沖縄戦の再来だ。その危機を、離島に暮らす私たちは実感を持って感じている。
防衛省はなぜその説明をしないのか。そんなことを説明すれば、たとえミサイル配備に賛成している人たちでも、「島の防衛のための配備なら受け入れるが、攻撃は困る」と考えるのが分かっているからだ。賛成反対にかかわらず、私たちの考え方の根底には憲法9条があるのではないだろうか。そして、憲法9条があるために、防衛省も「攻撃されない限り発射しない」と言わざるをえない。つまり、安保法制と憲法9条が矛盾していることを知っているのだ。
憲法9条自衛隊を明記すれば、安保法制下の自衛隊、つまり集団的自衛権を限定的に行使できるとした自衛隊憲法によって正式に定義されることになる。
国民的な議論が十分ないままに、防衛予算は増え続け、専守防衛のはずだった自衛隊は、いつの間にか攻撃ができる自衛隊になりつつある。9条改憲という、ミサイルを発射するための最後のスイッチを持っているのは、私たち国民なのだ。
ミサイル配備の目的とされる「島しょ防衛」は、「攻撃」を「防衛」にすり替える便利な言葉だ。
政府は昨年12月、長距離巡航ミサイルを導入する方針を決め、18年度防衛費で正式に購入が認められた。防衛省は、敵のミサイルが届かない空域から地上や艦艇を攻撃する能力を持つことで、島しょ部に敵国軍が侵入した後の奪還を想定していると主張するが、専門家は攻撃される前に敵国の基地を破壊する「敵基地攻撃能力」としての転用も可能だと指摘している。
「島しょ防衛」という建前ならば国民が納得するだろうと国が考えること自体が、恐ろしい。この建前とは、宮古島が占領された場合、島をめがけてミサイルを撃つことである。日本を守るために自国の国民が住んでいる島に対しミサイルを発射することを、国民の皆さんご理解くださいというのだ。もしかして私たち島民は、国民のなかに入っていないのだろうか。このような理屈で、「島しょ防衛」というものが進められている。この理屈で言えば、どんな「攻撃」も「防衛」と説明できるのである。
宮古島では昨年10月30日に千代田地域で陸上自衛隊駐屯地の造成工事が始まった。来年4月、千代田には地対艦ミサイルが4基、SAMが3基配備予定とされる。そもそも、このミサイル配備自体が憲法違反であると私は思っている。
憲法9条第1項にはこう書いてある。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
防衛省は、宮古島での住民説明会でミサイル配備の理由として、「わが国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している」と繰り返しているが、近隣諸国からするとミサイル配備は「武力による威嚇」そのもので、9条第1項と矛盾している。
2月末には、沖縄本島にも陸自の地対艦ミサイル部隊の配備が検討されているという報道があった。これらのミサイルは沖縄本島宮古島の間を通過する中国の艦艇に向けられるものだ。
これまで陸自配備の問題は、宮古島石垣島与那国島、鹿児島県の奄美大島、それぞれの島の問題とされてきたが、ミサイル配備が本当に沖縄県にとって平和をもたらすのか、沖縄県全体として考える時が来ているのではないか。
日米両政府は昨年8月の外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)の共同発表で、南西諸島を含めた自衛隊の態勢を強化し、米軍基地の共同使用を促進することを再確認した。また昨年10月には、在沖縄の米海兵隊の一部がグアムに移転した後に、日本版海兵隊と呼ばれる陸自の水陸機動連隊の一つをキャンプ・ハンセンに配備する方向で検討していると報道された。今年3月末に水陸機動団が発足し、米軍が担っていた役割は徐々に自衛隊に移行している。これまでのように、米軍基地と自衛隊基地を分けて考えることはできないのではないか。
沖縄県は、米軍基地の問題と並行して陸自配備問題を考えていかなければならない。そうしないと、米軍基地の負担は軽減しても自衛隊基地の増加によって、全体の基地負担は増えていたというような未来になりかねない。
私には6歳と4歳と2歳の子どもがいるが、子どもたちに対して憲法と、安保法制、そして目の前でつくられていくミサイル基地について、どのように説明していいか悩む。今国は、子どもにも説明できないようなことを進めているのだと思う。
自衛隊憲法違反との批判があるから、憲法自衛隊の整合性を取るために改憲が必要だと言われている。しかし、整合性を求めるならば、他にも選択肢はあるのではないだろうか。やはり私は、現行の憲法9条を基本に、改めて自衛隊の在り方を考え直すことで整合性を取ることを選びたいと思う。
安保法制は成立し、ミサイル基地の建設は始まった。しかし、この改憲議論をきっかけにもう一度立ち止まって考え直すことはできると思う。
9条改憲は、何よりも重い。安保法制の白紙撤回や、ミサイル基地の建設をストップすることは、9条改憲よりはずっとたやすいはずだ。子どもたちに平和な未来を手渡すことを、諦めずにいたい。

憲法施行71年 国民は理念支持している - 琉球新報(2018年5月3日)

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-711990.html
http://archive.today/2018.05.04-001453/https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-711990.html

日本国憲法の施行から71年を迎えた。国民が戦禍に巻き込まれることなく、一定の豊かさを享受できた戦後社会の基底に、平和と民主主義、基本的人権の尊重をうたう日本国憲法が存在していることを改めて確認したい。
1950年代半ばから自主憲法制定の主張が強まり、改憲・護憲は政治上の対立軸となった。それにもかかわらず、憲法の条文は一言一句変わることはなかった。憲法の理念を支持する国民は改憲を許さなかった。
2020年の改正憲法施行を目指す安倍晋三首相や自民党はこの事実を軽んじてはならない。
自民党憲法改正推進本部は3月、9条への自衛隊明記、教育充実、緊急事態条項の新設、参議院「合区」廃止の4項目で条文案をまとめた。安倍首相はその後の党大会で「憲法にしっかり自衛隊を明記し、違憲論争に終止符を打とう」と呼び掛けた。
しかし、安倍首相や自民党に対する民意は厳しい。共同通信が実施した憲法改正に関する世論調査では、自民党改憲4項目の全てで「反対」や「不要」の否定的意見が上回った。安倍首相の下での改憲には61%が反対し、賛成は38%にとどまった。
国民の多くは憲法改正の必要性を感じてはいない。逆に改憲を声高に訴える安倍首相に疑念を抱いている。現代社会に適合しない時代遅れの憲法という批判もあるが、むしろ安倍政権の方が憲法の意義を理解する国民から乖離(かいり)しているのだ。そのことを安倍首相は直視すべきである。
自民党の条文案で最も問題視されているのが9条である。戦力不保持と交戦権の否認を定めた2項を維持したまま、別立ての9条の2を新設して自衛隊の存在を明記するというものだ。自衛隊法より上位にある憲法への自衛隊明記で、文民統制上の問題が生じる可能性は否定できない。
「必要最小限度の実力組織」という文言が削られ、「必要な自衛の措置」が盛り込まれたことも問題だ。「必要な自衛」の定義は曖昧だ。集団的自衛権の絡みで日本が意図しない国際紛争に巻き込まれる恐れはないのか。このような9条改正は平和憲法の理念と相いれない。
南北首脳会談は朝鮮半島の非核化に向けて重大な一歩を記した。日本を取り巻く安全保障環境は大きく変わる可能性がある。日本は日米同盟を基軸とした安保・外交政策の見直しを迫られている。憲法改正を急ぐときではない。
沖縄は72年の日本復帰で憲法の適用を受け、今年で47年目になる。米軍基地から派生する人権侵害に見られるように、沖縄は「憲法不適用」の状態が続いている。米軍の圧政から脱し、基本的人権の尊重を保障する憲法への復帰を目指した県民の願いは達成されていない。
沖縄の願いは憲法改正ではない。憲法の完全適用だ。

憲法の岐路 国民投票 自由と公正確保するには - 信濃毎日新聞(2018年5月2日)

http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20180502/KT180501ETI090004000.php
http://web.archive.org/web/20180502081800/http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20180502/KT180501ETI090004000.php

例えるなら、急ごしらえした貨物船のようだ。このままではとても、重い荷を積んで出港できそうにない。
憲法改定の手続きを定めた国民投票法である。造りは粗く、根本的な欠陥をいくつも残している。
2020年に新しい憲法を施行したい―。安倍晋三首相が示した“期限”に向け、自民党改憲案の取りまとめを急いだ。けれども、世論との隔たりは大きい。
自民党が目指す改憲日程に反対する人は6割を超す。慌てる理由は見当たらない。国民投票法の改修にあてる時間は十分ある。
憲法を変えることは、国や社会のあり方の根本にかかわる。その重い判断を最終的に担うのは主権者である私たちだ。
一人一人が熟慮し、意思を明確にするには、公の場で自由闊達(かったつ)に意見が交わされることが欠かせない。表現の自由や政治活動の自由を最大限確保し、公権力の介入を避けることが基本になる。

<CMに自主ルールを>

国民投票法には、選挙運動のような制約はほとんどない。賛成、反対を呼びかける運動は原則、誰でも自由にできる。使う費用の制限も、報告義務もない。
ただ、それは公正さを損なう危険性もはらむ。一つは、資金力に勝る側が有利になることだ。広告宣伝に多額の費用がつぎ込まれ、意見が誘導されることにもなりかねない。広告費には上限を設けることを検討すべきだ。
特にテレビCMは、高額なため資金力の差が現れやすい。流せる量だけでなく、視聴率が高い時間帯にCM枠を押さえられるかどうかにもかかわってくる。
インターネットに押されてはいるものの、テレビの影響力は依然大きい。映像と音声は強い印象を残す。扇情的なCMが繰り返し流される懸念もある。
15年の「大阪都構想」をめぐる住民投票は、改憲国民投票の予行演習と言われた。大阪維新の会は賛成を呼びかける広報宣伝に4億円以上を費やし、当時大阪市長橋下徹氏が登場するテレビCMを大量に流した。
否決されたものの僅差になったのは、徹底した宣伝の効果だったと指摘されている。運動が過熱するほど本質的な議論が置き去りになったという声も目立った。
国民投票法は投票日の2週間前からCMを禁止するが、それ以前の規制は一切ない。また、賛成、反対を呼びかけるのでなく「私は賛成」などと言うだけのCMなら投票当日まで流せる。
野党にはCM規制の強化を目指す動きがある。メディアを法で縛るのは本来望ましくない。問題は、放送界が自主的な取り組みを怠ってきたことにある。民放各局は責務の重さを再認識し、公正さを確保するルールの具体化に動かなくてはならない。

<デマの拡散を防ぐ>

ほかにも、07年の法成立当初からの課題の多くが積み残されている。投票の成立条件となる最低投票率を定めていないこともそうだ。あまり低ければ、主権者の意思とは認めにくくなる。
その意味では「最低絶対得票率」の方が理にかなうかもしれない。有権者全体に占める得票割合の下限である。デンマークは40%と定めているという。参考にして検討する価値がある。
16年の米大統領選では、偽ニュースがSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で大量に拡散された。組織的に世論操作が行われた疑いが濃い。
デマや間違った情報がネットで広がるのをどう防ぐか。国民投票法の成立時には視野に入っていなかった新たな課題だ。言論や報道の統制に結びつきかねないだけに丁寧な議論が必要になる。
民主的であるはずの国民投票がはらむ危うさにも目を向けておきたい。歴史を振り返れば、ナポレオンも、ナチス・ドイツも、国民投票を権力の強化に利用した。
ヒトラーによる首相と大統領の兼任は90%、オーストリア併合は99%…。ナチス国民投票で得た支持は圧倒的だ。統制と宣伝による民意の動員だった。

<議論を社会に広げる>

一方で、欧州連合(EU)からの離脱をめぐる英国の国民投票は賛否が真っ二つに割れ、社会に大きな亀裂を残した。選挙委員会による事後の世論調査では、投票運動が公平に行われたと思わないと答えた人が半数を超した。
政治家、学識者らのほぼ全てが、もう国民投票などすべきでないという強い意見を持っているだろう―。ケンブリッジ大のコープ教授は、昨年夏に視察した衆院憲法審査会の議員団に語っている。
国民投票は、よほど注意深く臨むべきものだと心したい。自由で公正な議論の場を確保できるかは何より重要だ。そのための仕組みや条件をどう整えるか。改憲案の中身とともに関心を向け、議論を社会に広げたい。

憲法の岐路 国民主権 掘り崩しに歯止めを - 信濃毎日新聞(20185月1日)

http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20180501/KT180428ETI090003000.php
http://web.archive.org/web/20180502032023/http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20180501/KT180428ETI090003000.php

憲法15条は公務員を「全体の奉仕者」と定めている。官僚が仕事をするのは国民の利益を実現するためである。時の政治権力を支えるためではない。
森友・加計学園自衛隊国連平和維持活動(PKO)日報の問題では、安倍晋三政権にとって不都合な文書がないことにされたり改ざんされたりした。官僚が国会でうその答弁をした疑いも濃い。

〈集会、結社および言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する〉

憲法21条である。表現の自由を手厚く保護している。
その理由は、表現の自由国民主権に関わるからだ。国民が政治的意思決定に関わるには自分の考えを他者に伝える必要がある。
そのためには政治が何をしているか知ることも欠かせない。ここから知る権利が導き出される。知る権利は憲法が国民に保障する権利として確立している。

伊藤の君権制限論

表現の自由、知る権利、国民主権は三位一体の関係にある。文書が隠されては国民主権が危うくなる。問題は憲法の根幹に関わる。
1947(昭和22)年5月3日現憲法は施行された。大日本帝国憲法明治憲法)は廃止され日本は新しい一歩を踏み出した。

行政の仕組みも変わった。

憲法では「天皇は…文武官を任免」する、とされた。官僚は天皇に仕える存在だった。首相はじめ閣僚は「天皇を輔弼(ほひつ)しその責に任ず」とされた。輔弼とは君主を補佐することである。
天皇は「統治権を総攬(そうらん)」する、一手に握るとの規定もあった。天皇は戦時には憲法に制約されずに振る舞う非常大権も持っていた。そうした仕組みの行き着いた先が先の戦争である。
明治憲法の条文案を枢密院で議論していたとき、伊藤博文が述べた次の言葉はよく知られている。国民の権利保護規定は憲法には要らないのではないか、との意見に対する反論だ。

憲法を設くる趣旨は第一、君権を制限し、第二、臣民の権利を保護するにあり」

明治憲法は実際には君権制限、国民の権利保護から懸け離れたものになった。言論の自由がうたわれてはいるものの、それは「法律の範囲内」のことであり、「安寧秩序」を妨げない限りでのことだった。新聞紙法などの言論統制法がその後定められていって自由は押しつぶされた。
明治の日本は欧米へのキャッチアップを法制度上も急いでいた。先進国ではアメリカ独立やフランス革命を経て、憲法は権力を抑制し国民の権利を保護するもの、との考えが既に定着していた。
伊藤の君権制限論は、近代国家の体裁を対外的に整えるための付け焼き刃だったのではないかとの疑問もわいてくる。

民間草案の先進性

伊藤らが憲法制定に向けて海外調査などを進めていたころ、民間から幾つもの憲法草案が発表されている。私擬(しぎ)憲法と呼ばれる。
代表的な一つに、土佐の民権活動家植木枝盛(えもり)の「東洋大日本国国憲案」がある。こんな意味のことが書いてある。

▽国民は思想、信教、言論、集会、結社の自由を持つ▽国は国民の自由、権利を侵害する規則を作ってはならない―。

国民の権利を絶対的に保証している。国民は官吏による圧政を排斥できる、との規定もあった。
植木らの思想は弾圧で抑え込まれ、国民的広がりを持つことはなかったものの、先の戦争の後、憲法学者らによる研究や議論を通じて現憲法を制定する際に生かされたことが分かっている(色川大吉「自由民権」)。
自民党が6年前にまとめた改憲草案は日本を「天皇を戴(いただ)く国家」と定めている。国民の権利は「公益および公の秩序」に反しない限りで認められる。国民主権を制約する発想が濃い。
安倍首相は自著に「日本の国柄をあらわす根幹が天皇制」と書いている。「個人の自由を担保しているのは国家」とも言う。その国家自体の危機が迫るときは国民にも協力をしてもらわなければ、との国会答弁もある。9条への自衛隊明記を突破口に首相の目指す改憲が動きだせば「国民より国家」の流れが強まるだろう。

前文が掲げる原理

憲法前文を読み返す。

〈そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する〉
国民主権を「人類普遍の原理」と宣言している。
政府はここ数年、特定秘密保護法の制定、国立大学への国旗掲揚・国歌斉唱「要請」など、統制色の強い政策を進めている。国民主権憲法の一丁目一番地だ。掘り崩す動きに厳しい目を向け、声を上げて歯止めをかけよう。

きょう憲法記念日 いま改める必然性はない - 北海道新聞(2018年5月3日)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/186236
http://archive.today/2018.05.04-001853/https://www.hokkaido-np.co.jp/article/186236

日本国憲法が施行されてきょうで71年を迎えた。
平和で民主的な道を歩む戦後日本の骨格となってきた事実を、あらためて胸に刻みたい。
安倍晋三首相は相変わらず憲法の条文変更に前のめりだ。おととい開かれた超党派の会合に「いよいよ憲法改正に取り組むときが来た」とメッセージを寄せた。
自民党は首相の意向に沿って4項目の改憲案をまとめた。焦点である憲法への自衛隊の存在明記について、最終結論に至らなかったにもかかわらずである。先を急ぐ姿勢に違和感を禁じ得ない。
優先すべき政治課題は山ほどある。改憲議論には政治への信頼が不可欠なのに、首相の周囲からは疑惑が噴出しているのが現実だ。
いま憲法を変える必然性は見当たらない。これまでの拙速な進め方を見直し、地に足の着いた議論へと立て直すべきである。

■権力を縛るのが基本
憲法論議が深まらない一つの要因は首相の特異な憲法観にある。
憲法は国家権力を縛るものとする立憲主義について「王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方」と述べた。そして「憲法は国のかたちや理想と未来を示すものだ」と主張する。
だが、憲法はいまでも国民が国家権力を制御するためにある。
日本国憲法は裁判所に「違憲審査権」を認めている。戦後、最高裁による違憲判決はすべて法令の内容や適用が問われた。
法律は国が国民に課すルールだが、憲法は逆だ。法律を通じた国の統治行為を監視し、あるべき方向に導くためにある。
理想や未来を語る条文を加えるなとは言わない。ただ、それはあくまで権力を抑制する憲法の目的に沿う変更でなくてはならない。
憲法への自衛隊明記は首相の理想なのだろう。だが、国論を二分するような理想を押し通せば、権力者が国民に特定の価値を強いる結果となる。
自民党総裁」の立場を強調したところで、国家権力を行使する立場にある首相が改憲を主導するのは、99条の憲法尊重・擁護義務に照らしても疑問だ。
首相の改憲論は立憲主義にそぐわない。
強引さ目立つ自民党
改憲の議論を強引に加速させているのは自民党である。
憲法改正推進本部の改憲案は、戦力不保持と交戦権の否認を定める現行の9条2項を維持しつつ、「自衛隊を保持する」と明記する意見が党内の大勢と位置づけた。
自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力組織」としてきた政府見解から「最小限度」を外し、「必要な自衛の措置」を認めるという。これは国に対する憲法の縛りを緩め、立憲主義に逆行する。
党内には9条2項を削除すべきだとの意見も根強いが、平和主義を毀損(きそん)する。認められない。
大規模災害時に政府に強い権限を認める緊急事態条項も、国民の権利を制約する役割を持つことになる。
教育の充実と参院選の「合区」解消は、教育基本法公職選挙法の範囲で実現できる。政治の力不足を憲法に責任転嫁し、改憲の口実にしようとしているようにしか見えない。
推進本部の細田博之本部長は「70年以上前につくった憲法の条文が、今そのまま適用されて通るはずがない」と訴える。古くなったから時代に合わせてどんどん変えればいいと言わんばかりだ。
「なぜ、いま必要なのか」という点で、自民党改憲論議は論理性を欠く。

■優先課題は疑惑解明
そもそも安倍政権には、憲法を重んじる姿勢が希薄だ。
2年前に施行された安全保障関連法は、歴代政権が堅持した集団的自衛権行使を禁じる憲法解釈を一内閣の判断で覆した。違憲だとの批判はいまもやまない。
学校法人「森友学園」の問題では、財務省が決裁文書を改ざんしていたことが判明した。
主権者である国民が行政を監視する上で欠かせないのが公文書だ。それを都合良く書き換えることは、憲法が保障する国民の知る権利を損なう。
陸上自衛隊では海外派遣時の日報隠蔽(いんぺい)が明らかになった。幹部自衛官が国会議員に暴言を浴びせる「事件」もあった。
憲法66条は首相及び閣僚が文民でなければならないと定め、政治が自衛隊を統制する仕組みができている。この「文民統制」が安倍政権において緩んでいないか。
改憲を語る前に、いまある憲法が正しく扱われているか、検証するのが先である。
憲法を軽んじる勢力が新しい憲法をつくり、それを尊重せよと訴えても、国民の間に信頼が広がるとは考えられない。