2012-02-11
『十年不倫』
一条真也です。
『十年不倫』衿野未矢著(新潮文庫)を読みました。
「なぜ、いまの若者は結婚しないのか」という疑問から、ブログ『儒教と負け犬』、ブログ『事実婚 新しい愛の形』で紹介した本を読んできましたが、30代以上の未婚女性が増えている大きな原因として「不倫」の存在があると思ったのです。
女性たちが陥る甘くて苦い関係の実態に迫る!
著者は、わたしと同じ1963年(昭和38年)生れの女性ノンフィクションライターです。
立命館大学卒業後、出版社勤務を経て書き手に転じたそうですが、幅広い取材をもとに現代人の心の奥底に迫るべく、執筆を続けているとか。
本書のカバー裏には、以下のような内容紹介があります。
「不倫なんてとんでもない」。いったいどれほどたくさんの独身女性が、そう思いながらも、既婚男性との恋に落ちてしまったのか――。恋愛のひとつのかたちとして認められ始めた不倫だが、その道は険しい。十年を超えるほど続く関係に感じる安心と不安、自立心と孤独感、そして結婚願望。裏腹な本音を引き出し、女性たちが陥る甘くて苦い関係の実態に迫る、衝撃のノンフィクション」
本書の「目次」は、以下のようになっています。
序章 不倫アンケート
第一章 十年不倫のかたち
第二章 社会の後押し
第三章 十年不倫された妻たち
第四章 十年不倫が終わるとき
終章 もうひとつの別れ
「あとがき」
本書には、未婚女性と既婚男性の不倫、しかも10年間以上続いている、もしくは“続いていた”という生々しい実例がたくさん登場します。視点は未婚女性側に限られていますが、いずれも著者自身が取材した迫真のレポートです。
まず、著者は「不倫」という言葉の定義づけを行います。
「不倫」とよく似た言葉に「浮気」がありますが、著者は恋愛感情の有無と、継続の意思の有無を基準にして、次のように述べます。
「浮気とは『一時の気の迷い』や『その場限りのお楽しみ』で終わる一過性の関係で、本人たちも恋人同士という自覚は薄い。不倫は精神的な結びつきがあり、それを持続する意志を共有している関係だと定義しておこう」
著者は、世代を切り口にして、不倫の形を分析していきます。
最初に、50代女性を「不倫第一世代」と位置づけ、次のように述べます。
「職業的なイメージの強いおめかけさん、愛人といった存在ではなく、ひとつの恋愛の形として『不倫』を選んだ女性たちが、一定の人数がいる層として、最初に現れた世代である。女性がふつうに仕事を状況はまだ整っておらず、職業をもち続けるにはさまざまな障害を乗り越えなくてはならなかった。しかし、働きざかりで男女雇用機会均等法の施行やバブル経済を体験し、追い風も吹いた。
それでいて、彼女たちの結婚の対象となる団塊の世代や、学生運動を体験した世代の男性たちは、男女の役割分担に対しては保守的だ」
著者のいう「第一世代」は、「結婚より仕事を選びたいが、恋愛はしたい」「経済的な自立を背景に、彼とは対等な関係を保ちたい」という女性たちです。それでも、まだまだタブー感は強かったので、どこか「日陰者」のイメージも残っています。
彼女たちには、「不倫だけど、いいパートナーだし、私にはこんな形のつきあいが向いている」といった諦念と、いい意味での開き直りがあります。
著者は、この第一世代を「不倫だけど、しかたがない」の世代と名づけます。
次に、現在の40代女性は「不倫第二世代」だとして、著者は次のように述べます。
「学生時代は『女子大生ブーム』だった。そしてバブルの高揚と同時に社会に出た彼女たちを待っていたのは、会社の接待交際費とタクシー券を手にした『オヤジ』たちだった。おしゃれやグルメに目覚めはじめた男性たちは、ブランド品で華やかに着飾ったシングル女性を連れて有名レストランに行くのを、『ステータス』と考えた。連れて行ってもらう女性の側も『私はワンクラス上の男に選ばれた』と思い、嬉々としてついていった。
不倫への敷居が一気に低くなったのは、この世代からである」
著者は、この第二世代を「不倫だけど、まあいいか」の世代と名づけています。
では、現在の30代女性はどうでしょうか。
「不倫第三世代」の彼女たちを、著者は「不倫だけど、それが何か?」の世代と名づけるのです。不倫への敷居は低くなったものの、まだまだ抵抗感はあります。
現実に不倫関係になってみれば、さまざまな葛藤や計算ちがいに直面します。
だから「それが何か?」と、肩に力を入れずにはいられないというのです。
また、30代で十年不倫をしているある女性は、「結婚が決まれば、いつでも不倫なんかやめるつもりだったけど、理想の結婚相手が見つからなかった」と著者に語ったそうです。でも、彼女は「交際相手が結婚していること」と、「結婚相手が見つからないこと」を分けて考えていますが、著者は「根っ子は同じではないだろうか」と述べます。
不倫相手の若い女性の人生を狂わせてしまったこと。
これは多くの不倫男性にとって重い十字架になっていると言えるでしょう。
また、彼らは一生それを背負うべきであると思います。
さて、著者が何度も不倫を繰り返す女性たちに話を聞くと、共通して出てくる言葉があったそうです。それは、「いちど不倫を経験すると、既婚者が恋愛対象に入ってしまう」という言葉でした。著者は、「いいなと思う男性と知り合っても、彼が既婚者だとわかれば『なあんだ、ダメだ』と、釣りざおをひっこめるのが正常な感覚だ。しかし、『既婚男性とも恋愛ができる』と知ってしまったら、既婚が釣りざおをひっこめる理由にならなくなるのである」と書いています。
「不倫を長続きさせる条件」というのも興味深かったです。
著者は、不倫関係が深まっていく多くのプロセスをふりかえってみると、そこに2つの共通項があると指摘します。1つめは「旅行」です。著者は述べます。
「不倫ではない恋人や友人との関係でも、旅行は間柄を一歩深める。さらに不倫カップルにとっては、不倫につきもののモヤモヤをリセットし、長続きさせる効果をもたらすのだ。秘密の旅行を実行できるほど、不倫を続けやすい環境が整ったということも示す」
不倫カップルにとって、旅行とは1つの「橋」を渡り、次のステージに移ったことを意味するのです。そして、著者はもう1つの「橋」として、女性が男性を自分の部屋に招き入れていることを指摘します。著者いわく「男性の立場になってみると、部屋に招き入れてくれるシングル女性はとてもありがたいはずだ。人目をしのんだり、時間と場所を合わせたりする手間がかからない。お金も使わずにすむ」
本書は、けっして「不倫でも幸せになれる」というメッセージの本ではありません。
終章「もうひとつの別れ」では、不倫相手である男性の死を長く知らなかった女性の悲しいエピソードが出てきます。56歳で大学事務職員の女性は、十年不倫のパートナーである男性の死を知ったのは、彼の死去からじつに6週間も後のことでした。しかも、2人で一緒に通っていたスポーツクラブのインストラクターから知らされたのです。
同じスポーツクラブで知り合った2人は、不倫の仲になりましたが、男性の定年退職を機に少しづつコミュニケーションにズレが生じてきました。あるとき、彼は彼女の部屋にもスポーツクラブにも姿を見せず、連絡もまったく取れなくなりました。
ケータイに電話してもつながりません。自宅にかけるのはためらわれます。音信普通になってから4週目、ケータイは解約されていました。
彼女はそれを「私の前から姿を消したいんだ」と受け取りました。
そして、「別れたいのなら、そう言ってくれればいいのにと思いました。13年もつきあってきたんです。何かあいさつがあってしかるべきだと腹も立った。荷物というか、彼の食器とか歯ブラシ、スリッパなんかを家に送りつけてやろうか」とも考えたそうです。しかし、ある日、スポーツクラブのインストラクターから彼が心不全で亡くなったことを知らされたのです。6週間も前のことで、もちろん通夜も葬儀も済んでおり、彼の遺体は荼毘に付されていました。彼女は何度も彼のケータイに電話やメールをしていたのですから、その履歴を見れば、彼の妻は当然ながら彼女の存在を知ったはずです。しかし、彼の妻から「じつは主人が亡くなりました」という連絡など来るはずもありませんでした。
言うまでもなく、彼女のショックと喪失感は非常に大きなものでした。
その彼女をインタビューしたとき、著者に向かって「お葬式って、生きている人のためにあるんですよね」とつぶやいたそうです。
15年前に彼女の母が亡くなりました。著者は、次のように書いています。
「悲しく衝撃的だったが、姉妹二人の長女として、さまざまな用事をこなさなくてはならなかったという。葬儀の段取り、母の友人への知らせ、遺品の整理、四十九日、納骨などの儀式も続く。『少しずつ、お別れしていくんですよね。少しずつ、気持ちの整理がついていく。いきなり訃報だと、それがないんですよ。ぽかーんとしてしまう。たぶん、すごく悲しいんですよね。ぽかーんとした気持ちをどけると、悲しい気持がいっぱい詰まっていると思う。こわいんですよ、悲しむのが。もうちょっとぽかーんとしていたい。まだ直面したくないんです』たしかに葬儀という儀式があれば、死という現実を受け入れると同時に、葬儀にやってきた人たちと悲しみを共有することができる。
悲しみを誰かと分かちあうこともできず、1人で受け止めなくてはならない。
2人が時間を時間や思いを共有していたというあかしもない」
恋人を亡くした人は、自分の一部を失う
ここには、わたしが『葬式は必要!』(双葉新書)などで説いてきた「葬儀におけるグリーフケア」の機能が見事に説明されています。通夜から告別式から四十九日へと至る供養の流れは、そのままグリーフケアのプロセスでもあるのです。
そして、わたしは『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)や『のこされた あなたへ』(佼成出版社)で、アメリカのグリーフケア・カウンセラーであるE・A・グロルマンの言葉を紹介しました。それは、以下のような言葉です。
「親を亡くした人は、過去を失う。
配偶者を亡くした人は、現在を失う。
子を亡くした人は、未来を失う。
恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う」
その意味で、彼女は「自分の一部」を失ったのです。
それは、けっして小さな喪失ではありません。
そのままにしておけば、非常に精神にとって危険な喪失です。そのため、彼女は彼の遺品の食器や歯ブラシを籐のかごに入れ、自分なりに故人の供養を行ったそうです。
不倫の持つ最も残酷な一面を思い知らされる悲しいエピソードでした。
最後に、「あとがき」で著者は次のように書いています。
「不倫という関係は、人に話せないだけに比重が大きい。見た目はそうでもないが、持ってみればズッシリと重いのである。だから当事者の心にドスンと沈みこんでいき、いつのまにか人生を構成するベースに入り込んでしまうことにもなりかねない。そこでもう1つ、『不倫以外のベースを持つ』という対処法も、ぜひおすすめしたい。趣味の集まり、サークル、年に何度か旅行をする仲良しグループなど、仕事や利害がからまず、不倫相手との接点もないほうが望ましい。現実を直視する勇気や、ヤケ酒回避のためだけではない。別世界に身を置くことによって、不倫
による認知のゆがみを修整したり、人間関係を広げたり、自分の意外な一面に気づいたりすることができる。不倫を続けるにせよ、別れを決断するにせよ、別れざるを得ない状況に置かれるにせよ、別世界をもっているか、いないかでは大きくちがう」
この著者からのメッセージは具体的で不倫のただ中にある女性たちへの優しきアドバイスとなっています。著者自身も若い頃に不倫をしたことがありましたが、またその後に結婚と離婚も経験しましたが、マラソンという別世界を得て、今は幸せなシングルライフを楽しんでいるそうです。
最後に、アマゾンの本書のページで次のようなレビューを見つけました。
「シャカリキけー助」さんという東京都のレビューのコメントですが、非常に鋭い分析で感心しましたので、以下にその一部を紹介します。
「世の中には、何千年と続いてきた、結婚という社会制度がありますが、その結婚では補い切れないズレの為、やはり古くから浮気があり、不倫があり、10年不倫が存在してきました。筆者が“社会のほころびを、不倫が縫い合わす”というように表現していたのが言い得て妙で、納得してしまいました。 しかし結婚という社会制度が完璧でないのと同様、不倫という社会行動もまた、完璧ではありません。
本書では、不幸な経験をする女性(既婚男性の妻も)も多く登場します。
その切ない想いを知ることが出来きる本ですね」
結婚という「社会制度」、不倫という「社会行動」がともに完璧ではないという指摘が素晴らしいですね。現在、不倫の恋に悩んでいる方、またエンジョイしている方、どちらの方にも本書を一読されることをお勧めします。
きっと、今のご自分の生き方を振り返る良いきっかけとなるでしょう。
2012年2月11日 一条真也拝
2012-02-10
飯塚紫雲閣・地鎮祭
一条真也です。
今日は、「飯塚紫雲閣」の地鎮祭(新築工事起工式)が行われました。
福岡県の飯塚市といえば、かつて炭鉱で栄えた街として有名です。
また、麻生太郎元首相のお膝下でもありますね。
地鎮祭のようす
飯塚市で営業していた飯塚紫雲閣は長い間、地元の方々に愛されてきました。
しかし、かなり老朽化してきて、お客さまには不便をおかけしていました。
そこで、もっと立地の良い場所に新しく新築することになったのです。
設計管理はスズキ設計さん、施工は日本建設さんです。
わたしが斎鍬之儀を行いました
玉串奉奠は二礼二拍手一礼で
地鎮祭では、土地の四隅に青竹を立て、その間を注連縄で囲って祭場とします。祭場の中には木の台(八脚台という)を並べ、その中央に神籬(ひもろぎ)を立てて祭壇とします。神籬とは、大榊に御幣・木綿を付けた物です。これに神を呼ぶのです。
さらに祭壇には、酒・水・米・塩・野菜・魚といった「供え物」を供えます。
そして地鎮祭では、「鍬入れ之儀」が行われます。今日は佐久間進会長が「斎鎌之儀」を、わたしが「斎鍬之儀」を、スズキ設計の鈴木基正社長が「斎鋤之儀」を、日本建設福岡支店の出水敏行支店長と下総裕之所長が「杭打之儀」を行いました。
玉串奉奠では、佐久間会長に続いて、わたしも二礼二拍手一礼しました。
その後、曩祖八幡宮の宇都宮直祟神職の乾杯発声で神酒拝戴しました。
一同起立して神酒拝戴しました
施主挨拶をしました
地鎮祭は、「安全祈願祭」「鎮地祭」「土祭り」「地祭り」「地祝い」などとも呼ばれます。
いつも思うのですが、紫雲閣で行われる葬儀は、いわゆる「仏式葬儀」と呼ばれるものがほとんどですが、これは純粋な仏教儀礼ではありません。
日本の「仏式葬儀」には儒教の要素が大きく入り込んでおり、いわば「仏・儒合同儀礼」ともいえるハイブリッド・セレモニーなのです。しかし、その舞台であるセレモニーホールを建設する際には、神道による「地鎮祭」が執り行われるというのが面白いですね。
やはり、仏教や儒教に関わる儀式の舞台を作る上でも、その土地の神様(氏神)に土地を使わせていただくことの許しを得なければならないのです。ここに、わたしは日本人の「こころ」が神道・仏教・儒教の三本柱によって支えられていることを痛感します。
みんなで神酒を頂いてから、最後はわたしが施主挨拶をしました。
スズキ設計の鈴木基正社長と
今日は、スズキ設計の鈴木基正社長と色々お話ししました。鈴木社長は浄土真宗の寺院や天理教の神殿をはじめ、多くの宗教建築を手掛けられた方です。
設計の際に最も心掛けていることは、「いのち」を大事にすることだそうです。
たとえば、土地の地面の下には小さな生き物が生きている。
その上に建物を建てれば、生き物を殺してしまうことになる。
そこまで考えながら、建築設計をされているというのです。
また、「すべての建築は住宅である」とも言われていました。
建築家は、建築雑誌に紹介されたり、新奇性で賞を受けることを目的としてはならず、ひたすら建物を使う人の立場に立つべきでるというのです。
わたしは、このような考え方をする建築家にお会いしたのは初めてです。
斎鋤之儀の際の掛け声や神事での参拝の仕方も本格的で、佐久間会長も感心していました。わたしも、「この人は、ただ者ではないな」と思いました。
飯塚紫雲閣のイメージパース(6月オープン予定)
超高齢社会を生きる日本人は、「老い」と「死」を陽にとらえる精神が求められます。
そして、「希望」や「人生の目的」という白い雲をめざして坂を上っていった人は、いつか坂を下らなくてはなりません。坂を下りきった一番下では、高貴な色をした「坂の下の雲」としての紫雲が待っています。1日の本社総合朝礼で、わたしは「紫の雲をめざして坂おりる 老いと死さへも陽にとらえて」という歌を詠みました。日本人の「こころ」を守るためにも、これからも多くの“紫の雲”を生み出していきたいと考えています。最後に、事故など起こらずに無事に飯塚紫雲閣が完成することを願っています。
生まれ変わった飯塚紫雲閣は、今年6月にオープン予定です。
竣工が迫る隣人館に来ました
隣人館の内部を見回りました
ここから、介護イノベーションを起こします!
また、この飯塚の地では2月20日、いよいよ「隣人館」の竣工式が行われます。
24、25日が内覧会で、3月1日がオープンで入居が開始されます。
地鎮祭の終了後、現地を訪れましたが、ほぼ完成していました。
今日は消防署のチェックがありますが、中も想像以上に立派に仕上がっていました。
これは、高齢者介護施設のイノベーションです。
そして、「人は老いるほど豊かになる」という思想の具現化です。
「老い」と「死」を陽にとらえる日本人の精神革命が、この飯塚からスタートします!
2012年2月10日 一条真也拝
2012-02-09
ハートフル・シティ講演
一条真也です。
昨日も今日も雪が降って、北九州は寒いです。
そんな中、今日はリバーウォーク北九州内にある「北九州芸術劇場」で講演しました。
テーマは、「ハートフル・シティを目指して〜日本一の“思いやり都市”をつくる〜」です。
北九州芸術劇場で講演しました
わたしの講演は、13時半からスタートしました。
雪にもかかわらず、会場には多くの方々が集まって下さいました。
本日、「北九州はもうすぐ半世紀〜私のまちの『これまで』と『これから』〜」というイベントが開催されました。「北九州ミズ21」の第12期活動発表会です。
わたしは、そこで基調講演を務めたというわけです。
北九州ミズ21とは、女性の視点を市政に反映させ、住みやすく、魅力ある、そして活力に満ちた街づくりを効果的に進めるために、意見・提案を行う会合です。
北九州市は、もうすぐ半世紀を迎えます。
北九州市は1963年に誕生しましたので、わたしと同じ年なのです。
「ハートフル」をスローガンとしている北九州市ですが、わたしが「ハートフル」という言葉の産みの親であることから基調講演の講師に選ばれたわけです。
ハートフル・シティについて話しました
最初は、孔子とドラッカーから
まず最初に、孔子とドラッカーの考え方を紹介しました。
そして、そこから北九州市の未来についてお話ししました。
ブログ「心の環境モデル都市」で紹介したように、今月3日、国は2010年度の「環境モデル都市」の取り組状況に対する評価結果を発表しました。
全部で13ある「環境モデル都市」を5段階評価した5指標についてスコアを算出したところ、北九州市が平均値で最も高い得点となったそうです。
北九州市は、日本一の「環境モデル都市」というわけです。かつては「公害の街」として知られ、1960年代には北九州の大気汚染は国内最悪を記録しました。
なんと「国内最悪の大気汚染」から「日本一の環境モデル都市」へ変身したのです。
これは、「禍を転じて福となす」ということに他なりません。
最悪の状況を迎えたからこそ、そこに強い危機感が芽生え、どこよりも前向きな「環境」への取り組みが可能になったのでしょう。
禍を転じて福となす!
わたしは、北九州市はもう一度、この「禍を転じて福となす」を実現すべきと考えます。
いま、全国の人々に「北九州市のイメージは?」と聞くと、必ず返ってくる言葉が2つあります。ずばり、「暴力団」と「孤独死」です。
かつての「公害」に代わるネガティブ・キーワードであると言えるでしょう。
しかし、末吉興一前市長が見事に環境モデル都市へと変身させたように、また現職の北橋健治市長が日本最大の暴力追放運動を成功させたように、残る「孤独死」の問題も必ず解決できると信じています。
「隣人祭り」についてもお話ししました
現在、北九州市では「隣人愛の実践者」こと奥田知志氏が理事長を務められるNPO法人北九州ホームレス支援機構の大活躍で、日本で最もホームレスの人々や生活保護受給者の支援が盛んな街となっています。
詳しくは、ブログ「隣人の時代へ」やブログ「脱生活保護へ・・・」などをお読み下さい。
また、わが社もサポートをさせていただいている「隣人祭り」の開催は年間で500回を超え、日本で最も隣人祭りが盛んな街にもなっています。
日本一の「環境モデル都市」となった北九州市は、これから「心の環境モデル都市」をめざすべきだと思います。暴力のない街、孤独死のない街、そして思いやりにあふれた「助け合い」の街にしたいです。
「思いやりの時代」について
ブログ「北九州へ!」にも書きましたが、東日本大震災で被災された東北の方々がたくさん北九州に来られています。わたしは、被災者の方々のみならず、日本中の高齢者の方々にも北九州市に来ていただきたいです。
現在、全国には約470万人もの独居老人が分散しています。
それらの方々の中には、孤独死をする危険性が高い方も多いです。
そういった方々に北九州に参集していただき、余生を過ごしていただきたいのです。
高齢化先進都市である北九州市は、高齢者が多いことを「強み」として、日本一、高齢者が安心して楽しく生活できる街づくりを目指すべきだと思います。
そこで、大事なポイントは「孤独死をしない」ということです。
そのための受け皿として、わが社は「隣人館」をどんどん作っていきます。
その他にも、隣人祭りをはじめとした多種多様なノウハウを駆使して、孤独死を徹底的に防止するシステムを構築することが必要です。そうなれば、「北九州にさえ行けば、仲間もできて、孤独死しなくて済む」というふうになるのではないでしょうか。
全国の独居老人には、どんどん北九州に移住していただきたいと真剣に願っています。
人は老いるほど豊かになる
もともと、わたしは北九州市を「高齢者福祉特区」にするべきだと訴えてきました。
そして「人は老いるほど豊かになる」というコンセプトに基づく「老福都市」をイメージし、そのモデルとして高齢者複合施設である「サンレーグランドホテル」を北九州市の八幡西区に作りました。いわゆるセレモニーホールと高齢者用のカルチャーセンターなどが合体した前代未聞の施設として大きな話題になりました。
手話通訳の方も2人つきました
近代工業社会はひたすら「若さ」と「生」を謳歌し、讃美してきました。
しかし、高齢化社会では「老い」と「死」を直視して、前向きにとらえていかなければなりません。今こそ幸福な「老い」と「死」のデザインが求められているのだと考えています。
日本は世界でもっとも高齢化が進行している国ですが、その中でも北九州市はもっとも高齢化が進行している政令指定都市です。つまり人口100万人以上の都市でいえば、北九州市は世界一の超高齢化都市であるといえます。その多くの高齢者が生活する北九州市において「老い」が不幸だとしたらどうなるでしょうか?
北九州市は不幸な人間がもっとも多くいる世界一不幸な街になります。
しかし逆に、「老い」が幸福だとしたら、世界一幸福な街になるのです。
世界一幸福な街と世界一不幸な街。まさに、天国か地獄かです。
「老い」のとらえかたひとつでこんなにも変わるのです。
それなら、わたしたちは天国を選ぶしか道はありません。
ですから、「老い」と「死」に価値を置く施設であるサンレーグランドホテルが北九州市に誕生したことは多くの方々から評価されました。なぜなら、高齢化が進む日本の諸都市、世界各国の都市にとって北九州市とは自らの未来の姿そのものだからです。
こういった考え方そのものが、ドラッカーの「強みを生かす」という思想をベースにしていていることがおわかりいただけるかと思います。
みなさん、熱心に聴いて下さいました
わたしは、北九州市は「老福都市」を、「助け合い都市」を、そして「隣人都市」を目指すべきだと確信します。平たく言えば、それは「社会福祉都市」ということになるかもしれません。そんな都市が日本にできるなんて素敵じゃないですか!
また、ここは非常に大事なポイントなのですが、震災の被災者の方々には地震が起こる危険性が低いことも北九州の大きな魅力の1つだと思います。
地震が起きると最も困る施設とは何でしょうか。
今でこそ原発が代表格ですが、昔は製鉄所でした。
なぜなら、製鉄所内には燃えさかる溶鉱炉があり、それが地震で倒壊したりすると大惨事になるからです。1901年に官営の製鉄所を日本に初めて建造するとき、大日本帝国は「最も地震が起きにくい場所」を徹底的に調査しました。
その結果、選ばれた場所こそ北九州の八幡だったのです。
すなわち、八幡製鉄所は災害に対する「安心」のシンボルなのです。
ぜひ、地震が怖いと思う方は安心して北九州に来られて下さい。
また、独居老人でも、どんな方でも、日本のどこかで困っておられる方、これからの人生に不安を抱いている方がおられたら、ぜひ北九州へ来ていただきたいです。
わたしたちが心より歓迎いたします。
有縁凧を掲げて、「縁」の大切さを訴えました
今日は、有縁凧も掲げて、血縁と地縁の再生を訴えました。
わが社は、「人間尊重」をミッションとして、さまざまな事業や活動に取り組んでいます。
これまで、「社会に良いことをしても儲からない」と言われていました。
しかし、これからは「社会に良いことをしないと儲からない」時代だと思います。
北九州市には、社会に良いことをしている企業がたくさんあります。
また、高齢者や被災者の方々を支える「思いやり」のある人々がたくさんいます。
北九州市は、きっと日本一の「思いやり都市」になれると思います。
泣いても笑っても、人生は1回きりです。後戻りはできません。
その人生を福岡で過す人もいれば、大阪で過す人もいれば、東京で過す人もいます。また、ロンドンやパリやニューヨークや上海で過す人もいます。
しかし、わたしたちは北九州で暮らしています。北九州で生きています。この街で生まれ、結婚し、子どもを産み、育て、それから老い、そして人生を卒業していくのです。
その人生を卒業するときに、「ああ、この街で生きることができて良かった」と言いたいものです。そのためにも、みなさんと一緒に日本一の「思いやり都市」をつくっていくことができたら、こんなに素敵なことはありません。
故郷の未来を話すことができました
以上のような話をさせていただきましたが、最後に盛大な拍手を戴きました。
じつは、今日は妻と長女も会場に来てくれていました。
わたしの講演に家族が来たのは、初めてではないでしょうか。
その他にも、会場には多くの友人や知人の顔も見えました。
わたしは、愛する故郷の未来について話すことができて感無量です。
外は雪が降っていましたが、わたしの胸は熱くなりました。わたしの話を聴いて下さったみなさん、そして関係者のみなさん、本当にありがとうございました。
講演後に北橋市長にお会いしました
リバーウォーク北九州の外に出たら、雪がやんでいました。
そして、ちょうどそこに到着した北九州市の北橋健治市長とお会いしました。
北橋市長、ぜひ、ハートフル・シティを実現されて下さい!
2012年2月9日 一条真也拝
2012-02-08
「はひふへほ」の法則
一条真也です。
「はひふへほ」の法則を知っていますか?
ブログ「サンレー北九州賀詞交歓会」にも書きましたが、わが社の佐久間進会長が今年から唱えている法則です。賀詞交歓会は会長の「喜寿の祝い」も兼ねていたのですが、その冒頭の挨拶で初めて披露されました。
「はひふへほ」の法則とは?
佐久間会長は、東日本大震災後を生きる日本人が幸せになるための「はひふへほ」の法則について語りました。それは、以下の通りです。
「は」・・・・・半分でいい
「ひ」・・・・・人並みでいい
「ふ」・・・・・普通でいい
「へ」・・・・・平凡でいい
「ほ」・・・・・程々でいい
それを祝賀会の会場で聴いていた「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生が大変感心されていました。その後の挨拶で、鎌田先生は「折口信夫が理論国学者だとしたら、佐久間会長は応用国学者だと思います。先程の『はひふへほ』の法則といい、わかりやすい説明と実践には感服しております」と述べられ、それから祝いの法螺貝を吹いて下さいました。後日、わたし宛のメールでも、「『はひふへほ』の法則は、本当に大したものだと思います」と書いて下さいました。
その後、上京して出版関係者などに「はひふへほ」の法則について話す機会があったのですが、みなさん非常に興味を持って下さいました。
「出版寅さん」こと内海準二さんなど、「ベストセラーが作れる!」と叫んでいました。
内海さんによれば、西洋人は「はひふへほ」が発音できないそうです。
欧米の人々には子音の「h」がなかなか発音できないというのですが、なんだか「はひふへほ」は日本というか東洋の精神文化そのものとも関わっていそうですね。
また、ブログ「浄土真宗講演会」で書いた住職の方々との飲み会でお話したら、これまた大いに受けました。ぜひ法話で使いたいという方もおられました。
考えてみれば、「はひふへほ」の法則とは「足るを知る」ということです。
ということは、ブッダの考え方と同じだと言えるかもしれません。
わたし自身も、「はひふへほ」の法則には大いに感心しました。
そして、「これは本当に佐久間会長が考え出したのだろうか?」と思いました。
会長のオリジナルだといって広めたものの、じつは他人が先に言っていたとなると少々まずいからです。そこで、「はひふへほ」の法則をネットで検索してみました。
すると、主に3つの「はひふへほ」の法則が存在することがわかりました。
1つめは、人を小馬鹿にするための「はひふへほ」の法則です。
人が何かおかしなことを言ったとき、「はあ?」「ひぃ〜」「ふ〜ん」「へぇ〜」「ほぉ〜」と言って、相手をカリカリさせるのだそうです。ふ〜ん、なんかネガティブですな。
2つめは、パブリシティのための、すなわち新聞・雑誌・TVなどのメディアに記事として取り上げられるための条件としての「はひふへほ」の法則です。
『ユダヤ人大富豪の教え』の著者である本田健氏なども唱えています。
それによれば、記事・ニュースを受け取る側は以下のことを求めているとか。
「は」・・・・・はっと驚くこと
「ひ」・・・・・ひ〜っと叫ぶほど悲惨なこと
「ふ」・・・・・ふふふと笑いたくなること
「へ」・・・・・へえ〜っと感心すること
「ほ」・・・・・ほっと暖かい気持ちになること
3つめは、相槌のための「はひふへほ」の法則です。
相槌とは、もともと2人の鍛冶職人が、槌で熱鉄を交互に打ち合うことだそうです。
転じて、「相手の話に頷いて、巧みに調子を合わせ、受け答える」の意味になりました。
相槌は「頷く」と「答える」という2つのアクションから成り立っています。
コクリコクリと首を縦に振るだけでいいので、頷くのは簡単です。
これに以下の「答える」行為を加えるといいというのです。
「は」・・・・・「ははあ」と納得する
「ひ」・・・・・「ひひひ」と笑う
「ふ」・・・・・「ふーん」と聞き流す
「へ」・・・・・「へーえ」と驚く
「ほ」・・・・・「ほほう」と感心する
ネットで調べると、どうやら佐久間会長の「はひふへほ」の法則はオリジナルのようです。会長に「何かを参考にしたのですか?」と尋ねると、「ヒントはあったと思うが、最後は自分で考えてまとめた」と言っていました。
やっぱり、会長は応用国学者でした。鎌田先生が言われるように、大したものです!
わたしは、応用国学とは「心学」にも通じると思いました。
かの石田梅岩は、江戸時代に神道や仏教や儒教の教えを「心学」として庶民にわかりやすく説きました。それは、まさに応用国学であり、応用仏教であり、応用儒教だったのではないでしょうか。そう、心学というものは「何でもあり」なのです。
幸福への入口は「はひふへほ」にあり!
心学といえば、小林正観氏が「心学研究家」を名乗っておられました。
ベストセラー『「そ・わ・か」の法則』(サンマーク出版)の著者ですね。
小林氏は、すべての悩みは「そ・わ・か」で解決できると説きます。
まず、悩みや苦しみというものをよく見てみると、大きく3つのジャンルに分かれるそうです。1番目はお金と仕事の問題。2番目が体と健康のこと。3番目が人間関係。
この3つを解決するものが、以下の「そ・わ・か」です。
「そ=そうじ」・・・・・お金が入る「トイレ掃除」の不思議
「わ=わらい」・・・・・心身を健康にする「笑い」のパワー
「か=かんしゃ」・・・・・悩みが消える「ありがとう」の魔法
そういえば、「般若心経」やいろいろなお経を見ると、一番最後が「薩婆訶(そわか)」で締めくくられているものがたくさんあります。
小林氏は、「般若心経」の最大のメッセージとは、「苦」とは「思いどおりにならぬこと」であり、それを受け容れることが楽になることだったとしています。
ブッダはこの世の悩み・苦しみの根源は「思いどおりにならないこと」と見抜いていた。だから、ブッダは「思いどおりにしようとしないで、受け容れよ」といったのであり、その最高の形は「ありがとう」と感謝することだったというのです。
小林氏はいいます。思いが強ければ強いほど、つまり「これをどうしても実現したい」「これをどうしても手に入れたい」「どうしても思いどおりにしたい」と思う心が強ければ強いほど、実は「いま自分が置かれている状況が気に入らない」ということである。ということは、その状況を用意している宇宙や神に対して「あんた方のやっていることが気に入らないんだ」と宣戦布告しているようなものだというのです。
小林氏は、著書『釈迦の教えは「感謝」だった』(風雲舎)で次のように述べます。
「思いどおりにしよう、思いどおりにしたいと思えば思うだけ、逆に、『感謝』というところからは遠いところにいる。これが宇宙の法則であり、宇宙の真実です。」
「宇宙を味方にする最良の方法とは、ありとあらゆることに不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わないこと。否定的、批判的な考え方でものをとらえないこと。これに尽きるのです。」
これは、いわゆる「引き寄せの法則」に対する強烈なアンチテーゼではないでしょうか。たしかに考えてみれば、「思いは実現する」「強い願いは、対象を引き寄せる」のであれば、世の中にガンで死ぬ人も、無実の罪で死刑になる人も、会社が倒産して自殺する経営者もいないはずです。それらのガン患者、死刑囚、経営者の「生きたい」「無実を明らかにしたい」「会社を潰したくない」という願いはものすごく強烈であるからです。
その人たちは、常人の何十倍、何百倍の強い思いを抱きながら、無念のまま死んでゆくのです。だから、「強い思いを持てば、必ず思いどおりになる」というのは「法則」どころか、きわめて当たりくじの少ない宝くじのようなものです。むしろ、思いが強ければ強いほど宇宙を敵にまわして、ものごとは反対の方向に動いていくのかもしれません。
そして、「引き寄せの法則」のルーツは、明らかにキリスト教の「求めよ、さらば与えられん」にあると思います。その反対の思想が、仏教の「足るを知る」です。
ラテン語で、「現在」のことを「プレゼント」といいます。小林氏によれば、今あるものは全部が神のプレゼントなのです。要求をぶつけて、「何か欲しい」「早く寄こせ」という人がいれば、神はそういう人間にさらなるプレゼントはしません。
わたしは、小林氏の本を読んで、水の入ったコップを連想しました。
コップに半分残った水。まあ、水ではなく、わたしの好きなシャンパンでもチューハイでも何でもいいのですが、それを見て、どう思うか。ずばり、「もう半分しかない」と思うか、「まだ半分ある」と思うか。前者はその後に「困った」という言葉が、後者は「良かった」という言葉が続くでしょう。そして、「求めよ、さらば与えられん」とするキリスト教的発想においては「もう半分しかない」と思い、「足るを知る」仏教的発想においては「まだ半分ある」と思いがちではないでしょうか。どちらが幸福感を得られやすいかはいうまでもありません。大切なことは、「まだ半分ある」の向こうには、そもそも最初に水が与えられたこと自体に対して「ありがたい」と感謝する心があることです。
そして、これはそのまま佐久間会長の「はひふへほ」の法則につながります。
なにしろ、「はひふへほ」の法則の最初は「半分でいい」なのですから!
幸福になる法則について考えました
わたしは『法則の法則』(三五館)で、小林正観氏の『「そ・わ・か」の法則』や『釈迦の教えは「感謝」だった』を紹介させていただきました。
そして、究極の成功法則、幸福法則を自分なりに考えました。
佐久間会長も小林氏の著書を愛読しており、「あの人は本物だ」と言っていました。
その小林正観氏が昨年の10月12日に62才で逝去されたと最近知り、驚きました。
数日前の新聞に出ていた遺作『淡々と生きる』(風雲舎)の書籍広告で知ったのです。
小林氏はお亡くなりになる直前に、「ああ、自分はまだまだわかっていなかった。病気にならなければ、大事なことを知らないまま死んでいっただろう・・・・・」と言われたそうです。死を前にして、なかなか言える言葉ではありません。本当に、すごい方です。
小林氏が現代に再び灯された「心学」の火を消してはならないと思います。
偉大な心学者であった小林正観氏のご冥福を心よりお祈りいたします。合掌。
2012年2月8日 一条真也拝
恩人の命日
一条真也です。
2月8日は、わたしにとって忘れられない日です。
わたしの仲人でもあり、人生の師でもあった故・前野徹氏の命日だからです。
2007年の2月8日ですから、もう5年も前になります。享年81歳でした。
人生の師である故・前野徹氏と
前野氏は、わたしが以前勤務していた東急エージェンシーの社長だった方です。
東急グループの五島昇総帥の右腕として、東急エージェンシーを電通、博報堂に次ぐ業界3位の広告代理店にまで急成長させる一方、政界にも広い人脈を持ち、「東急グループの政治部長」という異名があったほどです。経済界にも顔が広く、ニュービジネス協議会やアジア経済人懇話会をはじめ、いくつもの団体や勉強会を立ち上げ、つねに誰かを「祝う会」か「励ます会」を企画されていました。
そんな前野氏の座右の銘が、「小才は縁に出会って縁に気づかず 中才は縁に気づいて縁を生かさず 大才は袖すり合った縁をも生かす」というものでした。
これは、いわゆる「柳生家の家訓」として知られています。
わたしは、何十回、何百回とこの言葉を故人から聞かされました。
わたしの財布の中には、今も前野氏から頂戴した「柳生家の家訓」の紙片があります。
2つ折にすると、ちょうど名刺サイズになって、財布にうまく収まるのです。
この紙片を目にするたびに、わたしは故人のことを思い出します。
前野氏の人生を振り返ると、まさに袖すり合った縁を生かしに生かした方でした。
「無縁社会」などという妄言にわたしが心からの怒りを感じるのも、この世は最初から縁に満ちており、多くの者はそれに気づいていないだけなのだという考えを故人から叩き込まれたからかもしれません。いや、きっとそうだと思います。
ブログ「浄土真宗講演」に書いたように、昨日も「有縁社会」について語りました。
「有縁社会」という言葉を口にするたび、わたしは前野氏の顔を思い浮かべます。
「柳生家の家訓」の紙片
2005年、前野氏が肺がんの手術をされたと聞いたときは、たいへん心配しました。
幸い手術は成功に終わり、その後、快気祝いの会が目白のフォーシーズン・ホテルで盛大に開催され、わたしも参加しました。見違えるほど痩せ細った姿には正直心が痛みましたが、数百人の参加者のメンバーの豪華さには仰天しました。
日本を代表する企業の経営者がほとんどでしたが、多忙の中を駆けつけた中曽根康弘・元首相、石原慎太郎・東京都知事、そして亀井静香氏の3人が挨拶に立ちました。
3人とも、「この前野さんほど世話になった人はいません」と述べ、亀井氏は頭山満に、石原都知事は柳生石州斎に、そして中曽根元首相はなんと坂本龍馬に前野氏を例えたのです。わが師の生かし続けた「縁」が、この日、大輪の花を咲かせました。
それとともに、わたしは「ああ、これは恩師の生前葬なのだ」と悟りました。
手術には成功したものの旅立ちが近いことを覚悟した前野氏は、生きているうちに縁ある人々に感謝の言葉を伝えたかったに違いありません。
2007年2月21日に青山葬儀所で行われた葬儀も盛大でした。
葬儀委員長が中曽根元首相、友人代表が石原都知事、伊藤雅敏氏セブンイレブン名誉会長、上條清文東京急行電鉄会長の3人でした。
多忙のなか、当時の安倍晋三首相や小沢一郎民主党代表をはじめ、多くの国会議員が弔問に訪れ、さながら永田町が移動してきたようでした。経団連の主要メンバーもみな来ていました。政財界の超大物があれだけ1ヵ所に集まったのも珍しいと思います。あの日、青山葬儀所がテロ攻撃されていたら、日本は確実に危機に陥っていました。
じつは前野氏は、その「日本の危機」を何よりも日頃から憂慮していました。
数々の憂国の書を晩年に出版され、その多くはベストセラーになっています。
葬儀の前日にも、『凛の国』という著書が講談社α文庫から文庫化されました。
そして、その本は葬儀の当日に参列者に配られました。
わたしが本を書くきっかけになったのは、この前野徹氏のおかげです。
わたしの処女作は『ハートフルに遊ぶ』ですが、わたしが東急エージェンシーに入社したとき、同社の社長であった前野氏の英断により出版して下さったのです。
ですから、前野氏は一条真也の生みの親なのです。
前野氏は、一介の新入社員にすぎなかったわたしに目をかけて下さり、多くの素晴らしい方々を紹介していただきました。何よりも、今では死語になりつつある「仲人」を引き受けて下さった恩は、いくら感謝しても足りません。
わたしは、葬儀の際に、以下の二首の感謝と送別の歌を詠みました。
仲人は親も同じと知りたれば縁は異なものただ有り難し (庸軒)
袖をする縁をも生かす大切さわれに教へし恩師旅立つ (庸軒)
奥様はその二首の歌を記した短冊を故人の仏前に上げて下さいました。
今夜はちょうど満月ですので、月を見上げながら恩人の思い出に浸りたいと思います。
人はみな老い病み死ぬるものなれど夜空の月に残す面影 (庸軒)
2012年2月8日 一条真也拝
2012-02-07
浄土真宗講演会
一条真也です。
今夜は、小倉の「パークサイドビル」で講演を行いました。
浄土真宗本願寺派小倉組の主催で、テーマは「葬式必要論と有縁社会」でした。
会場には、エリアを超えて多くのご住職の方々が集まって下さいました。
わが社が日頃からお世話になっている方々もたくさんおられます。
ご住職の方々を前に講演しました
以前、神社の宮司さんたちの前では講演させていただいたことはあります。
しかし、お寺の住職さんたちを相手にお話しするのは初めてです。
まさに「釈迦に説法」ですので、最初にそのことをお断りしました。
そして、まず「葬式必要論」について話しました。
『葬式は必要!』(双葉新書)の内容を中心に話を進めました。
葬儀は人類が長い時間をかけて大切に守ってきた精神文化です。
いや、葬式は人類の存在基盤だと言ってもよいでしょう。
葬式必要論を訴えました
昔、「覚醒剤やめますか、人間やめますか」というポスターの標語があったが、わたしは、「葬式やめますか、そして人類やめますか」と言いたいです。
日本人が本当に葬式をやらなくなったら、人類社会からドロップアウトしてしまいます。
あらゆる生命体は必ず死にます。もちろん人間も必ず死にます。親しい人や愛する人が亡くなることは悲しいことです。でも決して不幸なことではありません。残された者は、死を現実として受け止め、残された者同士で、新しい人間関係をつくっていかなければなりません。葬式は故人の人となりを確認すると同時に、そのことに気がつく場になりえるのです。葬式は旅立つ側から考えれば、最高の自己実現であり、最大の自己表現の場ではないでしょうか。「葬式をしない」という選択は、その意味で自分を表現していないことになります。葬儀とは人生の卒業式であり、送別会だと思います。
グリーフケアについてもお話しました
また、今後の葬儀にとって重要な「グリーフケア」についてもお話ししました。
わたしは、グリーフケアの核心は「物語の癒し」としての葬送儀礼にあると述べました。
人間が最も物語を必要とするのは、愛する人を亡くした時です。
死別はたしかに辛く悲しい体験ですが、その別れは永遠のものではありません。
必ず、また愛する人に会えるのです。
世の中には、いろんな宗教があり、信仰があり、物語があります。
それぞれの世界の中では、いろんな再会の仕方があります。
風や光や雨や雪や星として会える。夢で会える。あの世で会える。生まれ変わって会える。そして、月で会える。いずれにしても、必ず再会できるのです。
ですから、死別というのは時間差で旅行に出かけるようなものなのです。
先に行く人は「では、お先に」と言い、後から行く人は「後から行くから、待っててね」と声をかけるのです。本当に、ただ、それだけのことなのだと思います。
「釈迦に説法」させていただきました
拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)にも書きましたが、世界中の言語における別れの挨拶に「また会いましょう」という再会の約束が込められています。
日本語の「じゃあね」、中国語の「再見」もそうですし、英語の「See you again」もそうです。フランス語やドイツ語やその他の国の言葉でも同様です。
これは、どういうことでしょうか。古今東西の人間たちは、つらく、さびしい別れに直面するにあたって、再会の希望をもつことでそれに耐えてきたのかもしれません。
でも、こういう見方もできないでしょうか。二度と会えないという本当の別れなど存在せず、必ずまた再会できるという真理を人類は無意識のうちに知っていたのだと。
その無意識が世界中の別れの挨拶に再会の約束を重ねさせたのだと。
そう、別れても、わたしたちは、必ず再会できるのです。「また会える」という言葉こそは、あらゆる物語を貫く共通の幹であり、普遍のキーワードであることを述べました。
「有縁凧」を掲げて、有縁社会を訴えました
さらに、「有縁社会」について話しました。
『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)をもとに血縁の重要性を、また『隣人の時代』(三五館)をもとに地縁の重要性を説きました。
タテ糸とヨコ糸から「人間の幸福」が実現することを述べ、実際にブログ「有縁凧」で紹介した凧を会場に持ち込み、頭上に掲げて「有縁社会」の必要性を訴えました。
そして、わが社が取り組んでいる「隣人祭り」についてもお話ししました。
流行語になった「無縁社会」ですが、もともと「無縁社会」という日本語は変です。
なぜなら、「社会」とは「関係性のある人々のネットワーク」という意味だからです。
ひいては、「縁ある衆生の集まり」という意味だからです。
「社会」というのは、最初から「有縁」なのです。ですから、「無縁」と「社会」はある意味で反意語ともなり、「無縁社会」というのは表現矛盾なのです。
どうも、「無縁社会」という言葉には、心霊番組「あなたの知らない世界」のように、無理矢理に人を怖がらせようとする意図があるように思えます。
というのも、NHKの一連の番組作りを見ていると、どうも、そこには「絶望」しかないように思えるのです。どう考えても、「希望」らしきものが見当たらないのです。
いたずらに「無縁社会」の不安を煽るだけでは、2012年に人類が滅亡するという「マヤの予言」と何ら変わりません。それよりも、わたしたちは「有縁社会」づくりの具体的な方法について考え、かつ実践しなければなりません。
隣人祭りの精神に「相互扶助」を見たわたしは、わが社で隣人祭りのお手伝いを行ってゆくことにしました。まずは、08年の10月に日本で最も高齢化が進行し、孤独死も増えている北九州市での隣人祭りのお手伝いをさせていただきました。その後、2009年には年間で60回、2010年は130回、2011年には500回以上開催しています。
著書の販売コーナー
いま、「無縁社会」を「有縁社会」に変えなければなりません。まずは、地縁再生から!
これからも、隣人祭りを通じて、地域の人間関係が良くなるお手伝いがしたいと述べました。それから、マスコミ報道などで、みなさんが非常に興味を持たれている「隣人館」についても説明しました。参加者のみなさんは真剣なまなざしで1時間半の話を熱心に聴いて下さいました。盛大な拍手も頂戴して、とても嬉しかったです。
わたしの著書の販売コーナーも設けられ、多くの方々に本を購入していただきました。
二次会にも参加させていただきました
講演後は、懇親会にも参加させていただきました。乾杯の後、記念撮影をしたのですが、永照寺の村上充生住職が「はい、ポーズ!」ではなく「はい、坊主!」と掛け声をかけられたのには爆笑しましたね。小倉ロータリークラブの会長も務められた村上住職はユーモア満点の方で、いつも笑わせて下さいます。
わたしの右斜め前の席には、指方山西教寺の日野真人住職が座っておられました。
作家の指方恭一郎さんと
日野住職は、「指方恭一郎」のペンネームで作家としても活躍されています。
指方恭一郎さんは、第11回九州さが大衆文学賞・笹沢佐保賞、第3回城山三郎経済小説文学大賞を受賞されています。なんでも、城山三郎経済小説文学大賞はダイヤモンド社の管轄だそうで、あの『もしドラ』の編集者が担当だったとか。
現在は、「長崎奉行所秘録」シリーズを文藝春秋社から刊行されています。
今後の直木賞の有力候補として非常に注目されている方です。
それに、あの五木寛之さんが49歳で龍谷大学の聴講生になられたときのクラスメイトだったそうです。五木さんに教科書を見せてあげたこともあったとか。
「文化の砂漠」と呼ばれることの多い北九州に、こんな方がいたなんて!
今夜は、小倉の居酒屋で指方恭一郎さんと小説談義をさせていただきました。
それにしても、袈裟を脱がれてスーツやセーター姿になった住職さんたちの変わりようには驚きます。派手目の服装で、しかも眼力のある方ばかりなので、迫力満点!
まことに失礼ながら、某業界の幹部のようにも見えます(苦笑)。
村上住職も「みんなでバス旅行すると、バスガイドが怖がるんですよ」と笑いながら言われていました。また、くだんの日野住職などは、なんと警官から「おいさん、ちょっと話聞かせてくれんか?」と職務質問されたこともあるそうです。
村上住職にしろ、日野住職にしろ、とても優しい顔をされています。北九州市の警察は暴力追放に日本一熱心なことで知られていますが、まったく失礼な話ですな!(笑)
今夜は、住職の方々から、これからの仏教界および冠婚葬祭業界について、貴重な御意見を頂戴しました。仏縁に生きる僧侶の方々との素晴らしい御縁を頂き、感謝の念でいっぱいです。みなさん、本当にありがとうございました。
なお、5月には名古屋で曹洞宗、6月には東京で日蓮系の仏教団体からも葬儀、グリーフケア、隣人祭り、有縁社会などについての講演依頼が来ています。
ありがたいことです。時間が許す限りお話しさせていただきたいと思っています。
これも、「天下布礼」の大切な活動と考えています。朝目覚めると、「西日本新聞」朝刊の1面に『のこされた あなたへ』(佼成出版社)の書籍広告が出ていました。
「西日本新聞」2月7日朝刊
2012年2月7日 一条真也拝







































