Hatena::ブログ(Diary)

一条真也のハートフル・ブログ

2013-02-14

新ブログ始めました!

一条真也です。

みなさま、大変長らくお待たせしました!

ブログ始めました!」に書いたように、今から3年前のバレンタインデーに「一条真也のハートフル・ブログ」はスタートしました。それ以来、930日間、1日も休まずに続けてきました。しかも、ご存知のように非常に長文のものも多かったです。

その文章量は、かなりのボリュームになると思われます。

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一条真也の新ハートフル・ブログ」がスタートしました



しかしながら、思うところあって、2012年8月31日に休止しました。

ちょうど、2000本目の記事を書き上げた日でした。それから番外編をいくつかUPしましたが、「本格的にブログを再開してほしい」との声が多く寄せられました。

そして、バレンタインデーの今日、ついに新ブログをスタートします。

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佐久間庸和の天下布礼日記」も同時にスタート



それも、「一条真也の新ハートフル・ブログ」と「佐久間庸和の天下布礼日記」の2つを同時に開始いたします。いわば、ブログの二刀流ですね。

それぞれのブログの性質は違いますが、どうぞ、よろしくお願いいたします。

そして、全2013本の記事をもって、このブログは終了します。

番外編を含めたこれまでのご愛読、本当にありがとうございました。



*どうぞ、以下のブログを御覧下さい。

一条真也の新ハートフル・ブログ

佐久間庸和の天下布礼日記


2013年2月14日 一条真也

2013-02-03

「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」

一条真也です。今日は、節分ですね。

昨夜は、松柏園ホテルで「節分祭」と「隣人祭り合同厄除け祝」が開かれました。

現在はブログを休んでいますが、2月1日に大量のアクセスがありました。

どうも、この日を本格的なブログ再開日と思われた方が多かったようです。

2月をもって再開という多くの方々の期待を裏切ってしまったわけですが、リニューアル・オープンの日は本当に近づいています。どうか、もう少しだけお待ち下さい。

カンのいい方なら、再開日の予想はつくと思います。


さて、ブログ「レ・ミゼラブル」で紹介した映画に続いて、話題の映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」を観ました。今月25日に開催される第85回アカデミー賞では11部門にノミネートされている注目の作品だけあって、面白かったです。

何よりも、その奇抜な発想と最高の技術に支えられた3D映像に魅了されました。

原作は、世界的な文学賞として知られる「ブッカー賞」に輝いたヤン・マーテルの『パイの物語』です。いわゆる、ラテンアメリカ文学の「魔術的リアリズム」作品ですね。

このベストセラー小説を、「ブロークバック・マウンテン」で第78回アカデミー監督賞を受賞したアン・リーが映画化しました。アジア人ただ1人のアカデミー賞監督です。

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原作は、ヤン・マーテルの『パイの物語』



物語は、インド系カナダ人のパイ・パテルがカナダ人ライターに語った自らの数奇な運命を描いています。1976年、インドで動物園を経営していたパイの一家は、カナダへ移住することになります。一家と動物たちを乗せた船は、太平洋上で嵐に襲われて難破してしまいます。家族の中で1人だけ生き残ったパイは、命からがら小さな救命ボートに乗り込みます。ところが、そのボートには、シマウマ、ハイエナ、オランウータン、ベンガルトラも乗っていました。ほどなく動物たちは次々に死んでいき、ボートにはパイとベンガルトラだけが残ります。肉親を亡くして天涯孤独となった身の上に加え、残りわずかな非常食と、あろうことか空腹のトラが自身の命を狙っている・・・・・。

あどけなさの残る少年パイは、まさに絶体絶命です。そのような極限状況の中で、想像を絶する227日の漂流生活が始まるのでした。



最初は、わが娘たちのお気に入りのテレビ番組「志村どうぶつ園」的な内容を想像していました。すなわち、人間と動物の感動的な心の交流というやつです。

でも、実際に映画を観てみて、予想とはまったく違う内容でした。

まず、テーマが宗教的なのです。一言でいって、深いのです。

かの「ノアの方舟」をイメージさせる動物を満載した船のシーンなど、宗教的な寓意は各所に見られましたが、そんなことよりもパイ自身がヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教を同時に信仰しているという設定が非常に興味深かったです。

宗教学では、あらゆる宗教の存在意義を認める立場を「宗教多元主義」といいます。

それでは、パイは宗教多元主義者なのでしょうか。

わたしは、それよりも彼は宗教の本質を見抜いているといったほうが正しい気がします。宗教の本質とは何か。それは、ずばり「物語」ということです。

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「物語」には、人の心を癒す力がある



グリーフケアの書である『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)やファンタジー論である『涙は世界で一番小さな海』(三五館)などに書いたように、物語には人の心を癒す力があります。わたしたちは、毎日のように受け入れがたい現実と向き合います。そのとき、物語の力を借りて、自分の心のかたちに合わせて現実を転換しているのです。

つまり、物語というものがあれば、人間の心はある程度は安定するものなのです。

逆に、どんな物語にも収まらないような不安を抱えていると、心はいつもぐらぐらと揺れ動いて、愛する人の死をいつまでも引きずっていかなければなりません。



ヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教といった宗教は、大きな物語だと言えるでしょう。

日本人の場合は、多くが仏教の「成仏」の物語を受け入れてきました。

そして、それが葬儀という文化を支えてきました。

「人間が宗教に頼るのは、安心して死にたいからだ」と断言する人もいますが、たしかに強い信仰心の持ち主にとって、死の不安は小さいでしょう。

中には、宗教を迷信として嫌う人もいます。

でも面白いのは、そういった人に限って、幽霊話などを信じるケースが多いことです。

宗教が説く「あの世」は信じないけれども、幽霊の存在を信じるというのは、どういうことか。それは結局、人間の正体が肉体を超えた「たましい」であり、死後の世界があると信じることです。宗教とは無関係に、霊魂や死後の世界を信じたいのです。

幽霊話にすがりつくとは、そういうことだと思います。



なお、この映画は、そして原作小説は、それ自体が純粋な物語でありながら、ラストにカナダ人ライターによるフロイト的な精神分析(途中でパイとトラは、ミーアキャットが大量に生息する浮島に流れ着くのですが、その島の形も非常にフロイト的でした)を紹介することによって、「じつは現実というのも物語なのだ」という真理を明らかにしています。

万人が認める客観的な真実など存在せず、その人間がどの物語を選ぶかで真実は選ばれてゆくのです。映画のラスト近くで、ライターに対してパイは「君は、どの物語がいいんだい?」と尋ねるシーンがありますが、それは「君は、どの宗教がいいんだい?」という言葉と同じ意味だと思いました。



それから、この映画を観て、わたしが考えたのは「礼」の問題でした。

227日もの漂流生活を共にしたパイとトラですが、最後にトラは何ごともなかったかのようにパイのもとを去っていきます。「さよなら」も言わずに、パイを一瞥もせずに漂着したメキシコのジャングルに消えていったトラの後ろ姿を見ながら、パイは号泣します。

パイは、苦楽を分かち合ったトラに「お別れの挨拶」をしてほしかったのです。

もちろん、動物であるトラが挨拶などするはずもありませんが、この場面を観て、わたしは「礼」が「人間尊重」の別名であることの見事な証明になっていると思いました。

そういえば、映画の最初の方に、トラと友達になろうとする幼いパイを父親が諌めるシーンが出てきます。父親は、息子に向かって「動物と人間は相容れない」と諭すのでした。

そう、「礼」とはきわめて、そして、どこまでも人間的な問題なのです。

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「礼」の問題について考える



「礼」については、『孔子とドラッカー新装版』および『礼を求めて』(ともに三五館)に詳しく書きました。「礼」を追求した人物に、安岡正篤と松下幸之助がいます。

陽明学者の安岡正篤は、「人間はなぜ礼をするのか」について考え抜きました。

彼は「吾によって汝を礼す。汝によって吾を礼す」という言葉を引き合いに出して、「本当の人間尊重は礼をすることだ。お互いに礼をする、すべてはそこから始まるのでなければならない。お互いに狎れ、お互いに侮り、お互いに軽んじて、何が人間尊重であるか」と喝破しました。



また、「経営の神様」といわれた松下幸之助も、何より礼を重んじた人でした。

彼は、世界中すべての国民民族が、言葉は違うがみな同じように礼を言い、挨拶をすることを不思議に思いながらも、それを人間としての自然の姿、人間的行為であるとしました。すなわち礼とは「人の道」であるとしたのです。そもそも無限といってよいほどの生命の中から人間として誕生したこと、そして万物の存在のおかげで自分が生きていることを思うところから、おのずと感謝の気持ち、「礼」の身持ちを持たなければならないと人間は感じたのではないかと松下幸之助は推測しています。

礼は価値観がどんなに変わろうが、人の道、「人間の証明」です。それにもかかわらず、「お礼は言いたくない、挨拶はしたくない」という者がいるという事実に対して、彼は「礼とは、そのような好みの問題ではない。自分が人間であることを表明するか、猿であるかを表明する、きわめて重要な行為なのである」と述べています。


日本語吹き替え版では、主役パイの声を俳優の本木雅弘氏が担当しています。

本木氏が主演した「おくりびと」もアカデミー外国語賞に輝きましたが、葬儀がテーマでした。孔子や孟子が説いたように、葬儀こそは人間にとっての究極の「礼」です。

究極の「礼」の映画である「おくりびと」の主演男優が、「礼」の意味を問う作品の吹き替えをしたわけです。なかなか粋な起用だと思いました。

ちなみに、本木氏は「Yahoo!映画」の単独インタビューにおいて、この映画を観た印象を、「クライマックスの展開が、ある意味で衝撃的だったんです。これは原作にも書いてありますが、目の前に広がる世界には、見えるものだけが存在するのではなく、どう感じ、どう理解するのかが大切。理解することで何かが自分にもたらされる。各自それぞれ違うアプローチで考え、その世界が『自分の物語』になると気付かされる作品でした」と語っています。読書家の本木氏らしい、哲学的な深いコメントだと思います。



わたしは、「礼」の問題から、さらに人間同士が挨拶をすることの意味を考えました。

というのも、認知症の患者さんなどには挨拶ができない方もいるからです。「挨拶するのが人間」ならば、そのような方々は人間かという問題が立ち上がってきます。

もちろん、認知症の患者さんは立派な人間です。

でも、介護ヘルパーさんたちにバーンアウト(燃え尽き)症候群が多いのは、患者さんたちの口から挨拶や感謝の言葉が発せられないことも大きな理由だそうです。

いくら大変な思いをして介護のお世話をしても、患者さんから「ありがとう」の一言があれば、人間は頑張れるものです。でも、その一言がなく、ただただ無言の相手にケアをしなければならない辛さは想像するに余りあります。

挨拶の言葉を返してくれない相手に対する「礼」の問題は、とても重要だと思います。



また、ブログ「老人漂流社会」に書いたように、現在の日本では病院にも介護施設にも入れない高齢者が増加する一方です。この「ライフ・オブ・パイ」は漂流の物語ですが、パイとトラはメキシコの海岸に漂着しました。

では、日本の漂流老人たちは、どこに漂着するのか。

どうすれば、「老人漂流社会」を「老人漂着社会」に変えることができるのか。

一日も早く、漂流する高齢者たちの漂着先としての隣人館を広く展開しなければ・・・・・

この奇想天外な漂流映画を観ながら、そんなことを真剣に考えました。


ということで、この作品からは儒教的な「人間尊重」は感じられませんが、仏教的な「万物平等」のメッセージは強く感じました。

漂流するボートの上では、人間もトラも1個の生物として平等です。

また、最新のCGを駆使して描いたクジラやイルカやトビウオが登場するシーン、夜の太平洋に浮かぶ星々とその彼方に広がる無限の宇宙・・・・・それらはあまりにも美しく、この世で目に見える世界はすべて幻影ではないかという心境になり、さらには仏教的な無常観さえ感じました。パイが信仰していたヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教ではなく、仏教の香りをこの映画から嗅ぎ取ったのは、わたしだけではないはずです。

それにしても、この映画の映像美には感動をおぼえました。

動物たちの動きや表情を見事に表現しきっています。

特に、CGで描かれたトラは本物にしか見えませんでしたし、ちょっと凄すぎる!

また、最近少し食傷気味だった3Dですが、ブログ「タイタニック3D」で紹介した作品以来の大当たりでした。この、ある意味で荒唐無稽なファンタジーを3Dで映像化するというアン・リー監督の目論見は大成功したと言えるでしょう。

この映画だけは、絶対に3D版で鑑賞されることをおススメします。

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映画パンフレット



最後に、長い漂流の末に生き残ったパイが「トラがいたから、自分は生き残れた・・・」と、しみじみと語った言葉が心に残りました。

トラに喰われまいという警戒心ゆえに、227日もの長い時間、緊張感を保ち続けることができたというのです。もしトラがいなくて、自分1人だけだったら、とうの昔に生き残ることを諦めていただろうというわけです。

最初はボートに同乗したトラをひたすら怖れ、逃げ回っていたパイですが、次第にトラと共生する道を選びます。映画評論家の清水節氏は、「絶体絶命の下、ただ生きながらえるのではなく、脅威を身近に感じることで緊張がみなぎり、自らの衰弱を防いで生命力を保つ。トラは捕食者ではなく、守護神だったのかもしれない」と、「映画.com」で述べていますが、わたしも同感です。



日を追うごとに生きる知恵を身につけ、絶対に諦めない精神力を育んでいくパイの姿は、この作品がビルドゥングスロマン、つまり未熟だった少年が成熟した大人に成長していく物語であることを示しています。

そして、その場面を観ながら、わたしは自分自身の姿に重ね合わせていました。

2001年に社長に就任してから12年、必死で頑張ってきたつもりですが、じつはわたしにはパイにとってのトラのような存在がいました。ある同業の経営者の方です。

“北九州市”という名の、それほど広くないボートにトラが同乗してきたのです。(しかも、その後、狭いボートにはライオンまで乗り込んできました!)

そのトラは潤沢な資金を持っており、わが社に猛烈な設備投資攻勢をかけてきました。当時のわが社は苦境にありましたので、非常に戸惑いました。でも、今ではその人のおかげで、わが社は本当の意味で強くなったのだと感謝の念さえ抱いています。

冠婚葬祭業界の猛虎のおかげで、わが社は生き残り、わたし自身も少しは成長できたような気がしてなりません。現在の正直な心境です。


2013年2月2日 一条真也

2013-01-27

「レ・ミゼラブル」

一条真也です。

1月最後の日曜日、小倉は雪がしんしんと降って寒いです。

今日は満月なので、「ムーンサルトレター」の第91信を書いていました。

すると、横浜に住む長女からメールが来ました。


長女は、昨年のクリスマス・イブに映画「レ・ミゼラブル」を観て感動したようです。

最近わたしがブログの番外編を続けてUPしたことを知っている彼女は、「レ・ミゼラブル」のことをぜひブログに書いてほしいとメールで伝えてきました。

本来はブログ休止中であり、余程のことがない限りは番外編を書かないことにしています。本の書評や映画の感想なども一切控えているのですが、わたしも娘には弱いので(苦笑)、今回だけは映画「レ・ミゼラブル」について書くことにしました。

ちょうど、昨夜の「不識庵の面影」でも「レ・ミゼラブル」が取り上げられています

そのブログ記事には、わたしの名前も登場していました。


わたしは、つい最近、この話題の映画を観ました。文豪ヴィクトル・ユーゴーの小説を基に、世界各国でロングラン上演されてきたミュージカルを映画化した作品です。

監督は、ブログ「英国王のスピーチ」の名作でオスカーを受賞したトム・フーパー

主役のジャン・バルジャンには、「X−MEN」シリーズのヒュー・ジャックマン

彼を追う警官に、「グラディエーター」でオスカー俳優となったラッセル・クロウ

さらにコゼットの母親ファンテーヌに、「プラダを着た悪魔」のアン・ハサウェイ

その他にも、「マンマ・ミーア!」のアマンダ・セイフライドなどの豪華キャストが勢揃いして、圧倒的なスケールで舞台を映像へと見事に昇華させています。



レ・ミゼラブル」のストーリーは、よく知られていますね。

1815年、パンを盗んだ罪で19年も刑務所にいたジャン・バルジャンが仮釈放されることになります。すぐに生活に行き詰まった彼は、教会に忍び込み、老司教の銀食器を盗みます。その罪を見逃して赦してくれた司教の心に触れて、ジャン・バルジャンは改心することを誓います。過去を捨てた彼は、仕事に打ち込み、工場主として成功を収めます。そして8年後には市長にまでなるのでした。彼は、不思議な運命によって、以前自分の工場で働いていて、娘を養うため極貧生活を送るファンテーヌと知り合います。バルジャンはファンテーヌの幼い娘コゼットの面倒を見ると約束しますが、自分の正体を知る男ジャベールに追われることになります。ジャベールの執拗な追跡をかわしてパリに逃亡したバルジャンは、コゼットに限りない愛を注ぎ、美しい娘に育てあげます。しかし、時代は風雲急を告げ、パリの下町で革命をめざす学生たちが蜂起し、誰もが激動の波に呑みこまれていくのでした。



原作は150年前も前に書かれています。作者のユーゴーは当初、本作の売れ行きを心配し、出版社に「?」とだけ記した問い合わせの手紙を出し、出版社の担当者からは「!」とだけ記された返事を受け取ったというエピソードは有名ですね。それぞれ「本は売れてる?」「すごく売れています!」を意味しているわけです。この2通は、世界一短い手紙であると言われています。

日本において、『レ・ミゼラブル』は『ああ無情』というタイトルで知られています。

明治35年から36年にかけて、「万朝報」という朝刊紙に作家の黒岩涙香が『噫無情』と題して『レ・ミゼラブル』の翻案を連載しました。その単行本が明治、大正を通じて空前絶後の大ベストセラーになったのです。多くの日本人は『ああ無情』を読んでいるはずですが、その一方で『レ・ミゼラブル』の完訳版を読了した人は少ないでしょう。

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わたしから娘に受け継がれた『ああ無情』

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福音館書店の『レ・ミゼラブル



わたしも、子どもの頃に児童書の『ああ無情』を読みました。

作家の伊藤佐喜雄が翻案した偕成社版(児童世界文学全集)を愛読しましたが、毎月配本されていた小学館版(少年少女世界の名作)も持っていました。この小学館版ですが、かつて長女の勉強部屋、今は次女の勉強部屋に置いてあります。

また、福音館書店の「古典童話シリーズ」から『ああ無情』ではなく『レ・ミゼラブル』のタイトルで上下巻で刊行されていますが、これも次女の勉強部屋に置いてあります。

福音館書店版は、G・ブリヨンらの挿画がとても美しい本です。


ミュージカル「レ・ミゼラブル」は、1985年にロンドンのウエストエンド、その後ニューヨークのブロードウェイでロングランヒットしました。今回の映画化でも、すべての歌を実際に歌いながらライブ収録する撮影方法など、随所にこだわりが詰まっています。

長女のメールには「ミュージカルはだいたい歌に限られているけど、コレは全部歌だから演技に感情も籠ってる」との映画の感想が記されていました。

たしかに、この映画からミュージカルの魅力、そして歌の力を強く感じます。

ちなみに、長女も次女もミュージカルが大好きで、以前ロンドンで「オペラ座の怪人」を家族で観賞したときには、2人とも非常に感動していました。ミュージカル映画化された「オペラ座の怪人」のDVDも何度も自宅で観ていました。


また、ユーゴーといえば、『レ・ミゼラブル』と並ぶ有名な作品があります。

同じくパリを舞台にした『ノートルダム・ド・パリ』です。

ノートルダム寺院に隠れ住むカシモドの物語は、明らかに後にガストン・ルルーが書いた『オペラ座の怪人』にも影響を与えているように思えます。

考えてみれば、ノートルダム寺院とオペラ座といえば、パリを代表する観光名所ですからね。その名所に隠れ住む異形の者が美女に思いを寄せるというストーリーは、『ノートルダム・ド・パリ』と『オペラ座の怪人』に共通しています。

この『ノートルダム・ド・パリ』もミュージカル映画化されました。

そうです、ディズニーのアニメ映画「ノートルダムの鐘」です。

ノートルダムの鐘」は、たしか幼稚園に通っていた長女と一緒に映画館に観に行った記憶があります。あの頃は、ディズニーもジブリも新作映画が公開されるたびに、親子で映画館に行ったものですo( _ _ )o ショボーン



さて、映画「レ・ミゼラブル」を観て、特に感動した場面が2つありました。

1つは、教会の老司教がジャン・バルジャンを救う場面です

せっかく食事や温かいベッドを提供してくれた司教の厚意をバルジャンは仇で返し、こともあろうに教会の銀製品を盗んでしまいます。憲兵に捕らえられ、司教のもとに連行されたバルジャンに対して、司教は「それは、わたしが差し上げたのです」と彼の犯行を否定するのでした。ここには神の存在を信じ、その神の代理人として人々を救うことを誓った者の姿が感動的に描かれています。わたしは、この場面を観て、映画の中の司教が「隣人愛の実践者」こと奥田知志さんに重なりました。

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東八幡キリスト教会で奥田知志牧師と



レ・ミゼラブル」には貧困や格差にあえぐ人々がたくさん登場しますが、奥田さんはホームレスの支援活動などを通して、ひたすら困窮者に寄り添って生きておられます。

実際、奥田さんが牧師を務められる東八幡キリスト教会には、凍死や餓死寸前の方々が駆け込んでこられることも珍しくないそうです。

ジャン・バルジャンを救った司教はカトリック、奥田牧師はプロテスタントという違いはありますが、ともに主イエス・キリストのもとに「隣人愛」を発揮するという点では同じです。

奥田さんは、現在、東八幡キリスト教会のすぐ近くに「抱僕館」というホームレスの方々の住居を建設するため、大変な御苦労をされています。

わたしは、この施設は「助け合い」のシンボルとなる予感がします。

これからも、わが社は出来る限りの協力をさせていただく所存です。



来る3月25(月)には、奥田さんが理事長を務めるホームレス支援機構が「就労支援シンポジウム」を開催しますが、わたしもパネリストを依頼されました。場所は、北九州市戸畑区の「ウエルとばた」です。詳しい内容は、また新ブログで告知いたします。

奥田さんとは、ブログ「無縁社会シンポジウム」のイベント以来の共演となります。

あのときは、わたしが奥田さんにパネリストをお願いしました。

今回は、わたしが奥田さんからお願いされました。

お互いにお願いし合って、お互いに助け合う・・・それこそ「互助社会」です。ユーゴーが『レ・ミゼラブル』で描こうとしたのも「隣人愛」に満ちた「互助社会」であったと思います。



もう1つの感動場面は、死にゆくジャン・バルジャンにコゼットが最後に会うシーンです。

「パパ、死なないで」「あと、もう1日だけでも生きて」と泣きながら祈るコゼットの姿が、今月4日に逝去した義父と妻の姿に重なりました。元旦の午後、義父が入院している広島大学病院を家族みんなで訪れ、おせち料理を一緒に食べました。義父もとても元気そうで、まさかその3日後に亡くなるとは思いませんでした。結果的に「最期の別れ」となったわけですが、病室を去るとき、義父とわたしは握手をしました。そのとき、「娘と孫たちをよろしく頼むよ」という義父の気持ちが痛いほど伝わってきました。

義父は6年間に及ぶ闘病生活の末に人生を堂々と卒業していきましたが、その間、娘である妻は毎日、コゼットと同じように父親のために祈っていたと思います。

長女も、義父の通夜の際にバルジャンとコゼットの最期の別れを思い出したそうです。

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レ・ミゼラブル』の作家を撃つ、彼方からの声



わたしが感動した2つの場面ともに、キリスト教の強い影響が見られます。

しかし、作者のユーゴー自身が熱心なクリスチャンかといえば、事情は少し違ったようです。というのも、19世紀のヨーロッパ社会においてキリスト教の影響力が弱まっていくのですが、それとともに広まりつつあったスピリチュアリズム心霊主義)にユーゴーは多大な関心を抱いていたからです。実際に、彼は1853年秋から1855年秋にかけて、まるまる2年間も降霊術に明け暮れ、死者との交信を試みていました。

いま、わたしの手元に『ヴィクトル・ユゴーと降霊術』(水声社)という本があります。

著者は稲垣直樹氏は、フランス文学者、京都大学人間・環境学研究科教授です。

わが国におけるユーゴー翻訳の第一人者でもあります。

わたしは、新作『唯葬論』(仮題)を書き始めたところですが、その参考資料として同書を書棚の奥から引っ張り出し、読んでいるところです。『唯葬論』のテーマは「死者と生者との関係」で、わたしの代表作になる予感がします。どうぞ、ご期待下さい!


ヴィクトル・ユゴーと降霊術』には、非常に興味深い内容が書かれています。

アマゾンには、以下のような同書の内容が紹介されています。

「1853年9月、英仏海峡の孤島ジャージー島。ナポレオン3世の迫害を逃れて亡命中のユゴー邸に、死んだ長女の霊が現れた。深く心を動かされた家族とその友人たちは、以後、連日のように、〈彼方の世界〉との交信に没頭する。2年後に、参加者のひとりの発狂によって幕を閉じることになる。この隠されつづけてきたユゴーの降霊会の様相を具体的に再現しながら、ユゴーの文学創造(ひいては文学創造一般)と降霊術との深くかつ根本的な関係を、オカルティズム、スピリチュアリズムの猖獗という時代的文脈とともに鮮やかに描きだした異色の書き下ろし評論」

このジャージー島というのは、二コール・キッドマンが主演した映画「アザーズ」の舞台となった島です。「アザーズ」は、まさに心霊映画の大傑作でしたが、あの陰鬱な島で降霊術に耽っていた文豪の姿を想像すると、なんだか複雑な心境になりますね。



ちなみに、『ヴィクトル・ユゴーと降霊術』には「陸地の人間社会から隔絶した、島という小宇宙、いわば陸地よりも、彼方の世界に近い空間で、ユゴーが生涯でもっとも重要な作品を次から次へと生みだしていった」と書かれています。『レ・ミゼラブル』もしかりで、この作品には降霊術の実験が色濃く影を落としているそうです。

数多く開かれた降霊会には、驚くべきことにかの英雄ナポレオン・ボナパルトをはじめ、古今東西の偉人や有名人の霊が訪れたという記録が残されています。

そのメンバーの豪華さは度肝を抜かれるほどで、宗教者ではモーセ、イエス・キリスト、ムハンマド、ルターなど。哲学者ではソクラテス、プラトン、アリストテレス、ディドロ、ヴォルテール、ルソーなど。文学者ではアイスキュロスアリストファネス、ダンテ、シェークスピア、スコット、バイロン、ラシーヌ、モリエールなど。その他にも、ハンニバル、ガリレオ・ガリレイ、ジャンヌ・ダルク、マキャベリ、ロベスピエールに楽聖モーツァルトの霊まで登場しているのです。すべてがユーゴー好みの人物の霊であることから、降霊術の正体がユーゴーの無意識の表れであったと判断されても仕方ないでしょう。

さらには、「文明」と称する霊が立ち去る前にユーゴーに対して、「偉大なる人よ、『レ・ミゼラブル』を完成させよ」と告げています。ユーゴーは、この霊の言葉によって、『レ・ミゼラブル』というタイトルを決定したという説が有力だそうです。



ユーゴーは「19世紀の巨人」と呼ぶにふさわしい人物で、文学以外でも多くの功績を残しています。1845年には貴族院議員にも選ばれて、社会の改革、とりわけ死刑廃止を中心とする刑法の改善、教育制度の整備、そして下層の人々の生活改善に取り組みました。1848年の二月革命によって発足した第二帝政のもとでは、パリ選出の市会議員として政治に参画しています。さらには、1992年に実現するEC(ヨーロッパ共同体)の必要性を19世紀の半ばから訴えていました。このように、彼は文学のみならず、政治、福祉、そして宗教や心霊の世界に大きな影響を与えたのです。

その生涯を人間の幸福のために捧げたユーゴーは、ひたすら「人間尊重」を求めた日本の賀川豊彦のように「天下布礼」の人生を歩んだ人だと思います。

わたしが深く尊敬する賀川豊彦については、ブログ『死線を越えて』ブログ『一粒の麦』ブログ『賀川豊彦を知っていますか』ブログ『at』(特集・賀川豊彦)ブログ『賀川豊彦から見た現状』などを参照されて下さい。

そのようなユーゴーが1885年に83歳で他界したときには、フランスで国葬が営まれました。フランス各地方、世界各国の代表、パリ市民などが参列したと伝えられています。その数、なんと、200万人! 人類史上、最も参列者が多いとされる葬儀の1つです。


最後になりますが、ブログを休んでいる間、わたしは多くの映画を観ました。

映画館でも観ましたし、自宅や出張先のホテルでDVDもたくさん観賞しました。

それらのすべてを紹介することはできませんが、最も印象に残った作品は何か。

あえて1本をあげるなら、外国映画では「最強のふたり」です。

月の織女」こと染織家の築城則子先生ご夫妻のおススメで観ましたが、「ケア」というものの本質、そして「人間関係」そのものについても考えさせてくれる名作でした。


それから日本映画では、「希望の国」でしょうか。

ブログ「園子音の世界」で紹介した天才監督の最新作です。

この作品のテーマは「放射能」ですが、リアルな怖さがありました。

そして、そのタイトルの通りに、日本の未来への大きな希望が感じられました。

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「財界九州」2月号



わたし自身も、「希望の国」づくりをめざして、冠婚葬祭業や介護業に励みます。

「財界九州」2月号に掲載されたわたしのインタビュー記事では、「(紫雲閣のような)セレモニーホールは精神文化の拠点であり、究極の平和施設」と述べました。新サイト「一条真也の読書館」もしっかり紹介されています。

もうすぐ、本格的にブログも再開する予定です。

新ブログのデザインもアドレスも決定しました。

これからも、よろしくお願いいたします。


2013年1月27日 一条真也

2013-01-24

沖縄の新成人

一条真也です。

現在はブログを休んでいますが、嬉しいことがあったので特別にUPします。

ブログ「新年祝賀式典」に書いたように北九州からスタートしたサンレーグループの新年行事ツアーは全国各地を回って、ついに沖縄まで来ました。

わたしは、昨日の午後、東京から沖縄に入りました。

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「沖縄タイムス」1月14日朝刊



わたしの乗ったANA133便が那覇空港に着くと、高橋幹之相談役と小久保達美事業部長が迎えに来てくれました。そこで、ある新聞記事のコピーを手渡されました。それは「沖縄タイムス」の1月14日朝刊で、「20歳の自覚」という大見出しの記事でした。

沖縄といえば、毎年、「荒れる成人式」が話題になります。

わたしは、ずっとこれを苦々しく思っていました。「守礼之邦」である沖縄のイメージを著しく損ない、また成人式という神聖な通過儀礼を冒涜するものだからです。

ところが、その沖縄の成人式が今年は大きな変化を見せました。

「新成人のイメージを良くしたい」と、成人式を終えたばかりの那覇市の鏡原中学校の卒業生20人が国際通りに出掛け、雨の中、自主的に清掃に取り組んだというのです。



記事には、次のように書かれています。

「派手な金色のはかまを着て、耳にピアス、大胆な髪形をしたいでたちだったが、他の新成人が振りまいた紙吹雪をはじめ、ごみを丁寧に拾い上げた。沿道の店員や警官は『素晴らしい』『上等ですね』と拍手やエールを送った。」

この素晴らしい行為を同級生に呼び掛けたのは多和田陽介君という青年ですが、じつはこの多和田君、わが社の社員なのです。現在は、結婚式場「マリエールオークパイン那覇」の宴会サービス部門で頑張っています。

国際通りでは毎年、新成人が酒を飲んで騒ぎながら練り歩くそうです。他の通行人の迷惑になることなどお構いなしで、非常に「残念な光景」が恒例化していました。

多和田君は、なんとか「良い意味で、外見と行動のギャップを見せたい」と清掃活動を計画したそうです。20人は軍手をはめ、ほうきやごみバサミを手に1時間半かけて、雨に打たれながら吸殻やペットボトル、瓶、缶、さらには雨で歩道に張り付いた紙吹雪を拾いました。ごみは、じつに2袋分になったそうです。

沿道の土産物屋の店員さんたちは「成人式の日は毎年、店の前がごみで散らかり、私たちが清掃していた。今年の新成人は模範的」「若いエネルギーはこういうことに注いでほしい」と笑顔で眺めていたとか。また、』道行く人たちも、一心不乱に清掃する若者たちの姿を目にして、盛んに記念撮影を求めたそうです。

地元では大きな話題となり、「沖縄の新成人が変わった」とまで言われています。

この記事は、「沖縄タイムス」のネット版でも読めますが、なんと「いいね!」が1万を超えています。世間の関心の高さがよくわかりますね。



わたしは、この話を聞いて、本当に涙が出るほど嬉しかったです。

昨夜はマリエールオークパイン那覇で賀詞交歓会を行いましたが、最初の主催者挨拶で満場のお客様にもこの話を紹介させていただきました。

わたしが孔子文化賞を受賞した理由として、世界孔子協会の孔健会長は「礼の実践である」と言って下さいましたが、まさに今回の新成人たちの行いこそ「礼の実践」です。

以前、荒れる成人式を憂慮するあまり、わたしは「守礼」と書かれた幟を持って会場に乗り込み、成人式を妨害する若者たちを叱責しようと考えたことがあります。そのときは、社員の反対に遭って断念しましたけれども・・・。でも、そのような強引な方法を取らずとも、多和田君たちが行ったことのほうがずっと効果は大きかったと思います。

あいやー、それにしても、こんな方法があったとは!

わたしにも、まったく思いつきませんでした。

まさに、「こころのコロンブスの卵」ではありませんか!



特に「えらいなあ!」とわたしが心底思ったのは、心ない他の新成人たちが冷やかしで清掃する多和田君たちに小麦粉を振りまいたときの対応です。

多和田君たちは、無法者を一切相手にせずに冷静にちりとりですくったのです。

これを知ったときは本当に、一本取られた思いがしました。20歳当時の血の気の多いわたしだったら、小麦粉を振りまいた連中を大外刈りで投げるか、正拳突きやローキックをお見舞いしたかもしれません。その結果、大乱闘になって、周囲の人々から「これだから、最近の若い者は・・・」などと眉をひそめられるのがオチだったと思います。



多和田君にこのような立派な行為ができたのは、もしかすると、彼が結婚式場の宴会サービス係という仕事をしているせいかもしれません。日々、お客様と接していく中で、自然とホスピタリティ精神を発揮する習慣がついていたのではないでしょうか。

昨夜の賀詞交歓会では、沖縄銀行の玉城義昭頭取から「礼を求めるサンレーさんこそは、ホスピタリティ・カンパニーそのものです」との過分な御挨拶を頂戴しました。

まだ至らない点は多々ありますが、わが社が「ホスピタリティ・カンパニー」をめざしていることは事実です。社長として、わたしは多和田君を心から誇りに思います。

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サンレー沖縄・新年進発式のようす

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「礼の実践」について話しました

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新成人の多和田君と與座さんと一緒に



今日はサンレー沖縄の新年進発式および新年祝賀会を行いましたが、祝賀会の中で多和田君と與座奈津美さんの新成人のお祝いをしました。

全社員から盛大な拍手を受けて、多和田君は照れながらも嬉しそうでした。

また、振袖姿の與座さんはとても綺麗でした。わたしにも成人を迎えた娘がいますので、なんだか父親のような心境になり、ちょっとシンミリしました。

変わりはじめた沖縄の新成人。「守礼之邦」に吹いた「天下布礼」の風を感じて、わたしは最高に幸福な気分になりました。でーじカフー!!

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みんな元気です!

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沖縄でも「柔道一直線」やりました!

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沖縄のボディガードは特に屈強でした!


2013年1月24日 一条真也

2013-01-20

老人漂流社会

一条真也です。

ブログ休止中ですが、どうしても言いたいことがあり、特別にUPします。

今夜21時から放映されたNHKスペシャル「老人漂流社会」を観ました。

非常に切なくなるとともに、この現状を打開するための考えをめぐらしました。

21時49分に番組が終了し、急いでこのブログ記事を書きました。

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NHKスペシャル「老人漂流社会」が放映されました



この番組については、じつはNHKプロデューサーの板垣淑子さんから「ぜひ御覧いただきたいと思います」と書かれた直筆のお手紙を頂戴していました。

板垣さんは、例のNHKスペシャル「無縁社会」のディレクターでもありました。

ブログ「豊かな心を求めて」で紹介した互助会保証(株)の藤島安之社長(『無縁社会を生きる』の著者)のパナマ勲章伝達式の直後に開催された互助会保証主催セミナーで板垣さんが「無縁社会」をテーマに講演され、そこで初めてお会いしたのです。

ブログ『無縁社会』で紹介した本の序章「“ひとりぼっち”が増え続ける日本」で板垣さんは、次のように述べられています。

「そもそも“つながり”や“縁”というものは、互いに迷惑をかけ合い、それを許し合うものではなかったのだろうか――。

その疑問は、取材チームの胸の内に突き刺さり、解消されることはなかった。

『迷惑をかけたくない』という言葉に象徴される希薄な“つながり”。

そして、“ひとりぼっち”で生きる人間が増え続ける日本社会。私たちは、『独りでも安心して生きられる社会、独りでも安心して死を迎えられる社会』であってほしいと願い、そのために何が必要なのか、その答えを探すために取材を続けていった」



また、第七章「絆を取り戻すために」でも、板垣さんは次のように書かれています。

「あなたの周囲に、居場所を失って困っている人がいたら、手を差しのべてください。

そして、自分自身にとって大切な“居場所”をも築いていってほしい、と――。

無縁社会という時代を生き抜くことは容易ではない。単身で暮らす人たちを支える社会保障の仕組み作り、ネットワーク作りといった課題も山積している。

しかし、制度や仕組みだけで無縁社会と立ち向かうことはできない。ひとりひとりが“つながり”を作ろうとするささやかな勇気の積み重ねこそが必要なのかもしれない。

『誰にも迷惑をかけたくない』とひとりで生きる人たち――。

『迷惑なんかじゃない。頼って、頼られて、それでいいじゃないか』

“無縁死”をなくすために、私たちは、そのことを“つながり”が薄れてしまった今の社会に伝えていかなくてはならないと覚悟している」

わたしは板垣さんのいう「独りでも安心して死を迎えられる社会」という言葉に非常に共感しました。いたずらに「生」の大切さを唱えるばかりでは、社会を良くすることはできないからです。この言葉はテレビでも流れましたが、NHKがこういう言葉を堂々と放送するようになったことは喜ばしいことだと思いました。

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板垣プロデューサー、小木ディレクターの名が・・・



そして、今夜放映された「老人漂流社会」は、まさに「無縁社会」の続編ともいうべき番組でした。初めてお会いしたとき、講演後のティーパーティーで、わたしは「隣人祭り」や「隣人館」について板垣さんにお話したところ、非常に興味を持って下さいました。その後、拙著『隣人の時代』(三五館)や『無縁社会から有縁社会へ』(水曜社)をお送りしたところ、丁重なお手紙が板垣さんから届きました。

そして、「今度、『無縁社会』の続編である『老人漂流社会』を放送しますので、ぜひ御覧下さい」という丁重なお手紙を受け取ったのです。

なお、この番組のディレクターを務めた小木寛さんは、ブログ「NHK収録」の「徹底討論 ふるさと再生スタジアム〜どうする?あなたのお葬式・お墓」の責任者の方でした。

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NHKホームページ「放送内容」より



今夜の番組の正式なタイトルは、「終の住処はどこに〜老人漂流社会」でした。

NHKホームページには、次のように放送内容が紹介されています。

「『歳をとることは罪なのか――』

今、高齢者が自らの意志で「死に場所」すら決められない現実が広がっている。

ひとり暮らしで体調を壊し、自宅にいられなくなり、病院や介護施設も満床で入れない・・・「死に場所」なき高齢者は、短期入所できるタイプの一時的に高齢者を預かってくれる施設を数か月おきに漂流し続けなければならない。

「歳をとり、周囲に迷惑をかけるだけの存在になりたくない…」 施設を転々とする高齢者は同じようにつぶやき、そしてじっと耐え続けている。

超高齢社会を迎え、ひとり暮らしの高齢者(単身世帯)は、今年500万人を突破。「住まい」を追われ、“死に場所”を求めて漂流する高齢者があふれ出す異常事態が、すでに起き始めている。

ひとりで暮らせなくなった高齢者が殺到している場所のひとつがNPOが運営する通称「無料低額宿泊所」。かつてホームレスの臨時の保護施設だった無料低額宿泊所に、自治体から相次いで高齢者が斡旋されてくる事態が広がっているのだ。しかし、こうした民間の施設は「認知症」を患うといられなくなる。多くは、認知症を一時的に受け入れてくれる精神科病院へ移送。

症状が治まれば退院するが、その先も、病院→無届け施設→病院・・・と自らの意志とは無関係に延々と漂流が続いていく。

ささいなきっかけで漂流が始まり、自宅へ帰ることなく施設を転々とし続ける「老人漂流社会」に迫り、誰しもが他人事ではない老後の現実を描き出す。さらに国や自治体で始まった単身高齢者の受け皿作りについて検証する。その上で、高齢者が「尊厳」と「希望」を持って生きられる社会をどう実現できるのか、専門家の提言も交えて考えていく。」(NHKホームページより)

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万人の終の住処をめざす「隣人館



今夜は妻と次女との3人で番組を観ましたが、非常に考えさせられました。

番組の最後に登場する介護ヘルパーさんの「人を助けてあげて、いつか自分も助けてもらう」という言葉に感動しました。まさに「相互扶助」そのものです。

そして、わたしは、わが社が高齢者介護事業に進出し、「隣人館」をオープンしたことは間違っていなかったと確信しました。昨年2月20日の「隣人館」の竣工式において、わたしは以下のような施主挨拶をしました。まず最初に、「これまでは社会に良いことをすると儲からないと言われていましたが、社会に良いことをしないと儲からない時代、企業が存続していけない時代になりました」と言いました。

現在、日本の高齢者住宅は、さまざまな問題を抱えています。

民間施設の場合、大規模で豪華なものが多いですね。

数千万円単位の高額な一時金など、金銭的余裕のある人しか入居できていません。

また、公的施設の場合、比較的安価で金銭的余裕のない人でも入居はできます。

しかし、待機者が多くて入居するまでに相当な年数がかかるなどの問題があります。

さらに、高齢者はそれまで暮していた愛着のある地域を離れたがらない傾向があり、地域に根ざした施設が必要とされているのです。



わが社の「隣人館」の月額基本料金は、78000円となっています。

その内訳は、家賃:33000円、管理費:5000円、食費:40000円です。

まさに究極の地域密着型小規模ローコストによる高齢者専用賃貸住宅なのです。

飯塚市の次は、北九州市八幡西区折尾に2号店を計画しています。当初は自社遊休地へ建設しますが、将来的には伊藤忠商事をパートナーとして全国展開を図ります。

また、食事の調理が困難な、1人暮らし、あるいは夫婦のみの高齢者世帯などへの「宅配給食事業」への参入も検討しています。その際は、塩分を控えた高血圧食、糖分を控えた糖尿病食など、健康を意識したメニューの開発をめざします。



今さら言うまでもありませんが、わたしは孔子を尊敬しています。

孔子の説いた教えの2大ポイントは、「人は儀礼を必要とする」ということ、そして「人は老いるほど豊かになる」ということだと思います。

前者のほうは従来の冠婚葬祭事業がそのまま実践になっていますが、後者のほうはまさに高齢者介護事業がそれに当たります。その意味で、この事業は「人は老いるほど豊かになる」という長年の考えを実現するものであり、人間尊重を実行するという意味「天下布礼」の一環であることをお話しました。



大事なポイントは、とにかく「孤独死をさせない」ということです。

隣人祭りをはじめとした多種多様なノウハウを駆使して、孤独死を徹底的に防止するシステムを構築することが必要です。わたしは、日本で最も高齢化が進む政令指定都市である北九州市をはじめ、日本中に「隣人館」を作りたいです。

「隣人館にさえ入居すれば、仲間もできて、孤独死しなくて済む」を常識にしたいです。

全国の独居老人は、どんどん隣人館に入居していただきたいです。

わが社は、「礼」の心で高齢者介護事業に取り組んでいく覚悟です。

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老人漂流社会の解決に取り組む覚悟です



「礼」とは、わが社の事業である冠婚葬祭の根本となるものです。

それは「人間尊重」の心であり、その心を世に広めることが天下布礼ということです。

天下、つまり社会に広く人間尊重思想を広めることがサンレーの使命です。

わたしたちは、この世で最も大切な仕事をさせていただいていると思っています。

かつて織田信長は、武力によって天下を制圧するという「天下布武」の旗を掲げました。

しかし、わたしたちが目指すのは天下布礼です。

武力で天下を制圧するのではなく、「人間尊重」思想で世の中を良くしたいのです。

これからも冠婚葬祭を通じて、良い人間関係づくりのお手伝いをしていきたいものです。

また、わが社が隣人祭りを開催するのも、わたしが執筆をしたり大学で教壇に立ったりするのも、すべては天下布礼の一環であると考えています。その新たな第一歩として、わが社は「隣人館」をオープンしました。施主挨拶の最後、わたしは「この地より新たな一歩踏み出さん 天下布礼の介護の道を」という短歌を詠みました。わたしは、板垣さんのいう「独りでも安心して死を迎えられる社会」を実現させるために頑張る覚悟です。

板垣さん、「無縁社会」に続くやりがいのある宿題を頂き、ありがとうございます。

でも、この問題はすでに予想していた内容でした。後は解決するだけです。

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人は老いるほど豊かになる



その基本的な考え方は、すでに『老福論』(成甲書房)に書きました。

ちなみに、「不識庵の面影」というブログで同書の素晴らしい書評を書いていただきましたので、ぜひお読み下さい。不識庵さんは、もうすぐアマゾンの「トップ100レビュアー」になる方です。達意の文章には、いつも感心しています。

老福論』のサブタイトル「人は老いるほど豊かになる」を実現するためにも、万人の終の住処である「隣人館」を全国展開して、孤独死をこの国から完全になくしたいです。

「老人漂流社会」を「老人安住社会」に変えなければなりません。


2013年1月21日 一条真也