ユーリの部屋

2018年07月20日 「保守派は健康で幸せである」

殆どテレビを見ない暮らしなので、向日市の資料館へ行くまで、「おじゃる丸」について全く知らなかった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180715)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180719)。

今朝方、昨日のブログが気になってウィキペディアを見たところ、作者は女性で、48歳の時、仕事が進まないことを苦にして投身自殺されたようである。

全く痛ましい。が、ふと感じたのは、どこかに無理があったからではないか、ということだった。

典拠は今出せないが、今年の5月17日に94歳で逝去された故リチャード・パイプス教授は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%EA%A5%C1%A5%E3%A1%BC%A5%C9%A1%A6%A5%D1%A5%A4%A5%D7%A5%B9)、昔どこかで「保守派は健康で幸せである」と述べていらした。歴史家の経験談なので、重みがある。

「おじゃる丸」のようなキャラクターやストーリーは、何も知らない子供達が一見、楽しんで歴史に触れ、喜んでいるように見えるが、最初に間違って喜ばせてしまうと、後が続かなくなるのではないか。

意味がわかってもわからなくても現実に触れる機会として、最初から歴史の重みを直接感じておいた方が、結局は近道である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141215)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180719)。

社会主義系の本は、とかく(子供の感性って素晴らしい)と、人生が短くて体の小さな人間を無闇に礼讃し、「楽しく学ぶ」とばかりに、ケバケバしいアニメ等で誤魔化してしまう傾向にある。「漢字が読めない人々への配慮」等と、心にもないことを言いながら、平仮名の多い文章を書く学者や著述家は、大抵のところ、社会主義系である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140918)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/comment/20171129)。

漢字が読めない人達には、読めるように教えてあげなければならないのに、何たる欺瞞!

このようにして、国力を低下させ、社会を無気力にさせ、人口縮小へと向かわせるのだ。

もう一つ、社会主義の傾向は、嫉妬と妬みである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100209)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110523)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170710)。出自は誤魔化せないので、本人の努力次第で人生を切り開くとなれば、表面的な指標としての「社会的地位」や「居住地」等の見た目で人を判断し、自己表示しようとする。

その努力は必要であり、世襲が必ずしも最善だとは言い切れないが、程よくブレンドされているのが良いのではないだろうか。つまり、先祖代々からの知恵や経験の蓄積に血筋を加え、なおかつ、自由競争社会における個々の刺激と活気があれば、さらに良い。

昭和時代には、それが残っていた。平成に入ってからは、急に世の中の景観が崩れてしまった。

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2018年07月19日 おじゃまるではなく....

もし京都の大学に進学していたら……

もし学生時代に戻れるならば……

現役時代の弟にもかつて勧めたことがあるが、「どうして古い遺物を300円かそこら払って見なければならないのか」と、耳を傾けもしなかった。

理系のくせに、理系だからこそ、文化系の追加努力が必要なのに、そこが大きな間違いだったと、今でも思う。

私ならば、まずは文房具店か大きな書店へ行って、京都の白地図を一部買う。そして、週末に一度、最低でも隔週に一度は二時間ほど自由時間を確保するように計画を立てて、行きたい寺社、特に古刹を選んで、カレンダーに書き込む。そして、行き先の市バスの路線を考えて、あるいは自転車か徒歩で、訪問してみようとするだろう。

場所と季節によっては、水筒と手作りのお弁当を持参するのもいい。何も喫茶店やレストランに入る必要はないのだ。節約や倹約の工夫も、若い時だから許される。

パンフレットをいただいて、帰宅後は、地図とパンフレットに日付を書き込み、ファイリングをして綴じ込む。小さな古刹訪問ノートを作って、感想などを記しておく。

デジカメで写真を簡単に撮る時代だが、できれば単純なスケッチもいい。

若い頃は、人生時間の関係で物事の重みを体感する経験が浅く、体力もあるので、二時間もあれば充分だろう。それに、他にすべき活動もたくさんある。

私の世代では、「進学するなら女の子は短大がいい」と言われていたのだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070730)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071102)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140324)、今や勉強向きでなくとも、なぜか皆、四年制大学あるいは大学院に行くことが珍しくなくなってしまった。ともかく、短大であれ、四年制であれ、ましてや院進学であれ、私ならば絶対に18歳の頃から、学割の効く上記の習慣を始める。

学割とは、社会に出る前の学生に与えた経済上の「特権」なのだから、使わなければ制度を考えた方達に申し訳ない。

最初は意味がわからなくてもいい。継続は力なり。後に、興味も湧くことであろう。他日を期して、コツコツと続けていくのだ。

読めない漢字や知らない言葉も、その場でメモして、帰宅してから辞書で調べる。

図書館に行く用事ができた時、気になる点は、本で探して調べておく。必要なページはコピーを取り、古刹訪問ノートに貼り付ける。

修学旅行もいいが、自力で自発的に行動するところに、醍醐味がある。

寺社巡りやお城巡りは、大人になってもできる、一人でもできる、いい趣味だと思う(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170705)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180718)。

「おじゃまる」もとい「おじゃる丸」で誤魔化すのではなく(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180715)、小さい頃から、何事も本物を見て育たなければならない。充実した大人人生を過ごすためにも….。

追記:本日届いた本は以下の通り。

榊原喜佐子徳川慶喜家の子ども部屋草思社(1996年11月/1997年5月 25刷り)

著者の妹君の御本は、既に入手済みである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180715)。内容に重複が見られるのは、御姉妹が仲睦まじくあそばされたことの証左であろう。

この世代の方々がご健在でいらした頃は、まだ日本の世相も引き締まっていた感がある。

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2018年07月18日 お城の近くで育ったこと

京都文化圏では絶対によそ者の私だが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180715)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180717)、京都へは数え切れないほど行っている。但し、本物の京都文化の真髄に迫る奥の間までは、勿論、ない。

そのような結界がしっかりあってこそ、自分の位置づけも把握でき、その中で分を果たすことができる。

尾張徳川の名古屋育ちであればこそ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110121)、しかも名古屋城と清州城の近くで育った者であればこそ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170729)、以下の本は、どことなく懐かしいような馴染みがある。やはり、地縁と血縁は大切だということだ。

永井博『古写真で見る幕末維新と徳川一族』角川新書(2018年3月10日)

この本は、一般向けには主に文字で知らされていた歴史上の偉人とその家族が、貴重なたくさんのお写真を通して紹介されていることが特徴である。余計な解説がなく、さっぱりとしているのも好ましい。しかも、今春に出版されたとあって、比較的、最近の歴史が新しい角度から学べそうである。

着物のみならず結い髪も、決まった長さに髪の毛を揃えて結い上げるだけではなく、立場や年齢によって微妙に型が違っていたのだろう。

御遺族の意向もあって、昭和時代には公開が難しかったのではないかと想像される。それでも、写真があった方が理解は進む。

過去を理解しておかなければ現在を理解することはできない。

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2018年07月17日 幻と現の長岡京

せっかくの三連休だったが、遠出をしなかったのは賢明だったかもしれない。日中の気温が38度や39度等と聞くと、人体にとっても高熱状態なので、外出は控えるべきだ。

地球が発熱している。

従って、昨日は近場の長岡京へバスと電車で出掛けた。昼食後はバスに乗って中山修一記念館で丁重な解説を伺い、またバスに乗って神足神社の近くへ足を伸ばし、駅の近くでお茶と買い物で体熱を冷ましてから、再び電車とバスで帰宅した。

十年前ならば、日課を終えるまでは寝ないと決めていたので、万年睡眠不足だったが、この歳になると無理は禁物。幸いなことに、水分を充分摂り、夜寝やお昼寝の生活を保てる状態ではある。

お陰様で、この二十年間、夏風邪を引いたことはない。胃腸を壊したこともない。

長岡京は主人の勤務地で、かれこれ三十年ほどになる。ここからアメリカ留学へ出していただき、その後のアメリカ東部での駐在員経験もさせていただいた。

この二十年来、私の方は、お正月明けの主人の勤務先での家族健康診断(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120111)や週一のプールやお買い物で、長岡京へ立ち寄る程度だった。そもそも、794年の平安京(鳴くよ鶯 平安京)への遷都前に十年間存続した桓武天皇の「幻の宮」たる長岡京は、名古屋育ちの者にとっては、絶対に仲間に入れてもらえない地空間だと感じてきた。とはいえ、人々はおっとりと穏やかで、静かな誇りを内に秘めて暮らしているようである。

というわけで、土曜日の向日市文化資料館に続き(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180715)、月曜日の「海の日」祝日には、「長岡京の発見者」として著名な中山修一氏ゆかりの記念館を、主人と共に訪れてみた。

この発見を簡単に説明した碑は、千春会病院の前に建っている。かなり前、何かの用事ついでに偶然目にして感動し、写真を撮ったこともある。また、この病院は、昨年のクリスマスの頃、肺炎で主人が緊急入院した場所でもあり、非常に思い出深い。

何よりも、戦後直後の昭和21年辺りに、田んぼの幅の違いに気づいたことがきっかけで、学校教師をしながら、生涯を長岡京の解明に捧げられたという人生は、強く印象付けられた。写真を撮った時には(京都は戦災を免れたから、できたことだろう)とも思っていたが、今回、解説を担当してくださった元同志社高校の先生の説明によれば、広島と長崎の次に、実は京都が原爆投下の対象とされていたらしい。「京都は古都で貴重な文化財産があるから避けた」というのは、後からの言い訳であって、「アメリカ人なんて、日本のことは何も知らないから、どんどん原爆を落とせ」という調子だったという。

ついでながら、空襲については長岡京でもあったそうで、被害にあった煙突の写真も駅で見かけたが、何ともやりきれないことである。

もしそれが事実であるとすれば、高松宮殿下の御進言がいかに貴重だったかを改めて痛感する上、昭和天皇の御聖断もギリギリのところだったと言えよう。

リベラル左派を叩いているアメリカの保守派は、一体全体、この無知がなせる災いについて、どのように責任を取るつもりなのだろうか。名古屋大空襲のひどさについては、母方の祖母から度々聞かされたが、主人の家だって、大阪大空襲がなければ、今では遥かに羽振りのよい暮らしだったはずなのである。

このように戦後七十年以上も経ち、三世代が過ぎてから、本当の喪失感が実感できるようになるのだが、それでは時既に遅し、である。

さて、記念館では、午後2時15分から3時40分まで、主人と私の二人のために、熱演といった調子で質問にお答えくださり、一つ一つの資料に説明を加えてくださった。

このような古代の幻の京発見という話は、私の世代のような均一化された教育を受けた者には、殆ど望めないロマンではある。第一、地元の地主の家でいらした中山先生であり、大原野の宮司の娘をお嫁さんにもらった家柄の方である。学校教師をしながら、通勤時にふと「腰が痛い」という農民の発言を気に留めたことがきっかけで、それまで『続日本紀』に一文のみ記され、存在が疑われていた長岡京の跡を、シュリーマンよろしく信念を貫いて発見されたというのである。戦時中には、早良親王のことで、不敬罪扱いされたこともあったらしい。

向日市文化資料館では、「戦後直後の大変な時期に、よく気づかれましたねぇ」と言った私に「いや、あれは昭和29年の話ですよ」と説明があったが、やはり碑に記されていた如く、昭和20年から21年の頃、元々住んでいた地を起点に「長岡京を発見」というのが正式とされているようである。

中山先生は私が結婚した年に81歳で亡くなったが、お弟子さんは今もご健在だそうである。

お話の中で興味深かったことは、三点ある。

(1) 桓武天皇の母に当たる高野新笠が百済系王族の末裔だとはいえ、「神足(こうたり)」の地名の由来は、朝鮮半島とは全く関係がない。以前、今上陛下がお言葉の中で桓武天皇に言及され、朝鮮半島との縁について想起されていたが、地元の人々にとって確信はないとのことである。(余談ではあるが、三笠宮崇仁殿下についても、学者でいらっしゃるため、事実に即して正確に物をおっしゃる点、周囲はヒヤヒヤものであったらしい。)

(2) 吉川英治賞をいただいたことが、中山先生にとって最も嬉しかったことだそうである。

(3) 一昨日に向日市文化資料館で伺った話を元に、長岡京を巡る長岡京市と向日市の関係を問うたところ、実際に大極殿が置かれたのは向日市であるため、門前町の向日市こそ本家という意識のようで、プライドが高いそうである。地名として長岡京を名乗っている方が、人々は大らからしい。向日町と大山崎町に挟まれて、長岡は「村」だったので、そのような意識の違いが生まれたとの由。ちなみに、長岡京市は寧波市と提携を結んでいるらしき碑もある。

歴史地理学のような研究については、地元の人はしがらみがあって難しい点がありそうだが、研究者は大抵よその土地から来た人が多く、しがらみがないので、長岡京市と向日市の間で共同研究が盛んだそうである。この点、我が町と隣町の関係ともどこか似ていると言えるかもしれない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171114)。

簡単に言えば、京の都に地理的に近ければ近いほど、先祖代々、誇り高く暮らしている、ということである。但し、新来のよそ者が新築マンションに住んでいる場合は、恐らく別扱いであろう。

最近とみに増えたアジア系の観光客には、このような違いは多分、気づかないで終わっているに違いない。

記念館は、御遺族から中山家のお宅を市が買い取って、市税で運営し、無料で一般に公開している。本棚には故上田正昭氏の本も一冊並べてあったので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180102)、早速、「長岡京と上田先生の関係は?」と尋ねてみたところ、「あの先生は亀岡の神主の出身。長岡の講演にも来ていただいたが、スケールが大きいので、特に長岡京だけとは言えない」と言葉を濁された。この辺り、(1)ともどこかで関連があるかもしれない。

パンフレットを幾つかいただき、記念のスタンプも押したが、スタンプ集めの一見さんではなく、たまには私のような訪問も許されるかもしれない。

これまでの限られた経験によれば、「名古屋出身ですので」と最初に断っておくと、京都文化圏の方達は、距離を置きながらも親切に、初歩的な質問にも基礎から教えてくださるのでありがたい。

主人とて、このような話は田舎のおじいちゃんが好きだったので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100108)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)、自分でも嫌いではないが、三十年以上も勤務していた長岡京であっても、説明を聞かない限り、やはり知らないことが多かったようである。

帰りには、神足神社へ寄ろうとしたが、あまりの暑さに汗が吹き出し、とても歩いてはいられなかったので、スーパーで買い物がてら涼み、電車に乗って帰って来た。

この暑さは、いくら何でも異常である。

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2018年07月15日 古き良き時代は遥か彼方に

地震に引き続き(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180619)、豪雨が発生した。

シンガポールの友人からは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080807)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080811)、「何か手伝えることある?」と御見舞メールが来た。私の感覚では、かつては東南アジアを日本が援助する側だったのに、いつの間にか、日本が援助される側に回ってしまっている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120320)。情けないことだ。

幸い、私の住む地域は地震も豪雨も大丈夫だったが、気温の上昇は昔では考えられないほどである。昨日は37度から38度だと猛暑日だったが、行ける間にと思い、炎天下の中を向日市文化資料館へ行ってきた。

自転車と電車で出掛けたため、うっかりして日傘を忘れてしまったが、熱中症予防に日陰を選んで歩く他、道を尋ねる振りをして、コンビニやスーパーで少しずつ涼みながら、目的地へとゆっくり辿り着いた。そうこうするうちに気づいたのが、愛知県の半田市では「榊原」姓が目立つように(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170727)、向日市では「岡崎」姓が多いことである。

さて、「大阪府に住み、京都府へ通勤している」と言えば、関東地方を除き、遠方の方にはどう映るだろうか。しかし、昔で言えば摂津国と山城国の関係であり、境界線をまたいでいる町の特徴を反映して、今でも、行政上は大阪府下で、電話は京都番号である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171114)。つまり、大阪にも京都にも近く、程よく住みやすいベッドタウンということだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070902)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080904)。

だが、歴史文化的に言えば京都文化圏の端にあり、町内でも「あそこまでは京都で、そこから向こうは大阪」と明確に意識されている。人々の振る舞いも、平安朝から鎌倉時代まで貴族の別荘があったらしい地域は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180624)、お互いに丁重に頭を下げ合っているが、最近建てられた高層マンションが並んでいる所では、挨拶もしないで我が物顔の人々もいる、というように異なっている。

気がつくと、ここ十数年のうちに、本町や隣町や近隣の市で、地域の歴史文化を展示する資料館が連立するようになった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080419)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100214)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170723)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171027)。もしかしたら、自分の関心事の変遷を反映しているだけなのかもしれないが、突然、立派なパンフレットが増え、展示が増加したような印象がある。

インターネットのお蔭で、居住地にかかわらず、どこにどのような書籍が所蔵されているかが一瞬のうちにわかるようになったし、博物館や美術館や資料館や音楽会の催しも、近隣府県まで幅広く知ることができるようになったのは嬉しい。

いくらリベラル左派や平等主義のせいで国力が低下したと批判されようとも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140626)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161216)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180509)、これだけは昭和時代にはあり得なかった利便性である。あの頃は、住む場所や学歴や職業によって、知識や情報を得る範囲が相当に異なっていた。そのために不利益を被っていた人々も、(私を含めて)かなりいたはずなのである。

一方、今では子どもの頃から暗記や反復練習をしなくても、検索方法さえ知っていれば、スマホ一つで全世界の知識が得られるのだから、新たな価値を生み出す知恵さえ備えていれば、どこでも暮らせるとまで極論する人もいる。つまり、わざわざ博物館や美術館や資料館や音楽会ホールへ出掛けていかなくても、家にいて全部が経験できるというのである。

私見では、そんなことは絶対にない。インターネット情報は、公平に開かれて自由なようであっても実は制約や誤謬があり、時間の節約のようでいて、出版元が明確な本で調べた方が確実で早いことも多い。第一、検索機能がいくら発達したとはいえ、検索語の基礎となる知識がなければ、理解のしようがないし、正誤の判断もできない。

この頃、若い人が素直になったが小さくまとまり、比較的内向き思考だと言われるのは、経済の見通しが暗いことに加え、人口減少で将来の負担が精神的負荷となってのしかかっているからだろうとは思う。反面、小さい頃からの基礎訓練や忍耐力が不足したまま、「自主性」「自分らしく」「個性の尊重」とばかりに、のびのびと放任のまま育ったので、知性が発達しにくいからではないか、とも思う。

逸れた話を元に戻すと、近隣の府市町では、大抵が無料で入館できる資料館があちこちにできている。「歴史資料館」「文化資料館」「歴史文化資料館」「歴史民俗資料館」「文化財資料館」とさまざまな名称だが、古代から近世までの文化の中心地だったことの名残で、地域によって、古墳や城跡や宮跡や寺社や遺跡やお茶室等、主眼となる各テーマが設定されている。

しかも、一般向けとは言え、趣味で詳しい人々も混じっている土地柄のためか、時々開かれる講演会は、この頃の大学講演会より遥かに充実していることが多い(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180624)。(但し、公共の場を借りての講演会セミナーには、明らかに左翼の政治勧誘を伴う人寄せパンダも含まれているので、要注意である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151219)。)

余談だが、向日市文化資料館に隣接されている図書館を覗いてみたところ、学部生時代に公共図書館で見かけたような本がまだ並んでいた。つまり、朝日系というのかリベラル左派系である。女性の生き方講座シリーズもあり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080319)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101026)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160825)、お見合い結婚の不自由さや鬱屈の怨念を綴った指南書もあった。これからの女性は、自立して仕事を持ち、自分の人生は自分で切り開くよう、激励されていたものだった。そうすれば、自分にふさわしい結婚相手も見つかるのだ、という根拠なき人生訓である。

今でこそ批判の的となっているが、1970年代から80年代には、あれが普通であった。つまり、今の社会の中核層は、夏休みの宿題受験勉強のために図書館に通い、そこで本を借りて勉強していたのだった。そのように時間を惜しんで努力することが、より良い将来につながると信じて疑わなかったのである。

閑話休題

初めて訪れた向日市文化資料館は、それほど大きな展示ではないが、暑い最中の学習としては適度な空間だった。せっかくの三連休だというのに、入館者は殆どなく、「おじゃまる」だとか何とか言いながら、さっさと立ち去っていった祖母と孫らしき人達がいた程度である。

「おじゃまる」って?

思わず笑ってしまったが、今のNHK・Eテレの「おじゃる丸」という変なアニメーションのことらしい。独断と偏見によれば、これは史実を歪めて伝える可能性があり、キャラクターの趣味も洗練されているとは言えない。つまり、これもリベラル左派の操作の一種なのだろう。

「クレヨンしんちゃん」を読んで喜んでいた甥っ子も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180706)、親が判断力を放棄しているため、晴れて犠牲者となっているのだ。これでは、同じ日本国民でありながら、日本語の知的会話が断絶する。言葉がまるで通じないのだ。

無料で入館できる資料館なので税金で運営されているのだろうが、どこでも大抵は、イメージ・キャラクターというのか、ポスターのイラストや大きなぬいぐるみが入り口近くに置いてある。我が町でもそうだが、「かわいくない!」の一言に尽きる。

不細工というのか、趣味が悪いというのか、誰に合わせるとあのような子供騙しができるのか、不思議で仕方がない。

恐らく、資料館で並べてあるものは古い展示物なので、子供が退屈しないように、小さな子でも入りやすいようにという配慮のつもりかもしれない。それにしても、ミッフィー程度に上品で可愛いものはできないのだろうか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080105)。(ミッフィーすら、最近では変なバージョンが出回っていて、迷惑この上ない。)

正直なところ、昭和の子であって私は運が良かった!

ピカチュウの頃から、背後で共産党辺りが操っているのではないかと、密かに疑っている。

さて、午後3時5分から4時30分までゆっくりと過ごした資料館では、テーマは二つあった。戦時中の向日出身の兵士の方の遺品展示と、桓武天皇ゆかりの10年間の長岡京の遺跡に基づく展示である。

前者はいかにも夏休みの課題図書を彷彿とさせるが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080818)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090829)、御遺族への配慮のためか、余計な解説が全く無かったのは良かった。

後者については、庶民食事と役人の食事と貴族の食事のメニューが示されていたのは良いとしても、カロリー計算まで表出されていたのが何とも変だった。第一、当時の食品栄養基準は、今とは異なっているのではないか?

最も栄養バランスが取れており、量も最適なのが役人の食事ということになっていた。メニューは、白米のご飯にワカメのすまし汁、瓜と茄子の漬物、大根と人参の味噌和え、鰯煮の大根添え、デザートが枝豆(!)や栗やスモモ、飲み物としてはにごり酒だった。だが、豪勢な宴会の食事を摂る貴族はどうやらメタボ体質らしかったのではと想像されており、庶民は肉や魚がなく、玄米と塩の支給で、青菜と漬物の一汁二菜程度。栄養不足でお腹もすいていただろうに、家族のために出稼ぎの労役で駆り出されていた、という想定が記述されていた。

その意図するところは、何か?何となくマルクス主義史観の匂いがするのだが、どうだろうか。しばらく前には、縄文文化の食生活の豊かさ云々と喧伝していなかったか?

関西には、京都に落ち着くまで転々としていた古代の都があちこちに散在しているので、地図を見て確かめるのは楽しい。学校では習わなかった新たな都の名称もあり、学ぶことには終わりがない。また、瓦の破片から宮の力量が想像でき、今時、格差だ何だとほざいている層は、全く歴史を知らないのだろうと思われる。

昔から、格差を当然のこととして、人々は分に応じて精一杯命を繋いできたのだ。

とはいえ、各地で発掘調査が本格的に始まったのは、戦後が中心だろう。宅地開発や、駅新設や高速道路や学校の建設工事がきっかけで、偶然のように遺跡が見つかることが多いようだが、時空を超えたロマンと同時に、少なくとも明治や大正時代まで、人々は主に文献のみで存在を知っていただけなのかもしれない、と知識幅の相違も痛感させられるところではある。それに、学校に通う期間が短ければ、何も知らないままに自分の生活だけで生涯を終えた人々も相当いたのではないだろうか。

とすれば、社会主義の思想によって、万人に広く一律に知識を広める手法は、その限りにおいて悪とは言い切れない。

恐らくは市民ボランティアであろうか、訪れた人に簡単な解説をするご年配の男性がいらした。本来は古墳に興味があるそうで、高槻市ならば継体天皇系だとか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180628)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180713)、大山崎町なら千利休の話が中心だとのことだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171114)。但し、清涼殿と間違えて京都御所の紫宸殿を「天皇の生活の場所」とおっしゃったのは、私の聞き違いかもしれない。

最近、このような資料館が各地で充実してきた背景には、その方の説明によれば、学芸員の配置が挙げられるそうだ。

実は、将来の進路を考えていた高校から大学の頃、古い文物を見ることが好きで、文献資料を集めたり調べたりすることが苦にならないタイプなので、学芸員はどうだろうかと調べたことはある。その当時、学芸員になるには、四年制大学の史学科を卒業後、博物館に就職するという狭き門だが、空きが少ないため、公務員試験を通って採用される人も少なく、やむなく高校の歴史教員をするケースが多いと書いてあった。従って、断念した次第である。

今や日本の経済力が低下し、人口も縮小したために、各地が殊更に観光地化しているせいもあってか、昔なら郷土史家がしていたであろう仕事を、必ずしも若くはない学芸員が積極的に知的な町興しとして担当されている。それはいいのだが、そもそもマルクス主義史観が浸透しなければ、もっとスムーズにいったのではないだろうか。

いつでも行けそうで、実はなかなか行けないのが、このような資料館である。そのこともあり、記念として、以下の4冊を購入した。

長岡京の歴史と文化−都を動かした人々』(昭和59年/平成23年3月)

再現・長岡京』(平成13年/平成27年9月)

乙訓の西国街道と向日町』(平成27年11月)

乙訓郡誌と編纂とその時代』(平成29年11月)

最後に、新品で届いたばかりの本を。

井手久美子徳川おてんば姫』東京キララ社(2018年6月)

平成生まれの若い人々にも気軽に手に取って読んでほしいという願いが込められているのか、ショッキングピンクの艶やかな表紙にコンパクトな作りだった。筆者は、高松宮妃喜久子殿下の妹君である。ちょうど二週間前に95歳で逝去された。

貴重なお写真が多数含まれていて、文章も読みやすい。但し、最も印象的だったのが、巻末近くの以下の文章だった。

「ニュースなどを見ていると、妃殿下がご健在の頃と近頃とでは、時代が変わったのだと感じることが多々あります。宮家らしさというものは後で身につけることはできず、生まれた瞬間から備わるもの、すなわちご結婚にあたり家柄が重視されるのは当然のことだと思わざるを得ません。何かうまくいかないことが起こるのであれば、そこに理由があるのだと、“家”に翻弄されてきた立場だからこそ強く感じます。人をどこまでも思いやることができる心、位高ければ徳高きを要す、それが培われる環境は一夜にして成らず、そう思います。」(pp.181-182)

(引用終)

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